湊かなえ(著) 角川春樹事務所(発行)
あなたの「恩」は、一度も忘れたことがなかったー「二十歳の誕生日プレゼントには、指輪が欲しいな」。わたしは恋人に人生初のおねだりをした…(「サファイア」より)。林田万砂子(五十歳・主婦)は子ども用歯磨き粉の「ムーンラビットイチゴ味」がいかに素晴らしいかを、わたしに得々と話し始めたが…(「真珠」より)。人間の摩訶不思議で切ない出逢いと別れを、己の罪悪と愛と夢を描いた傑作短篇集。(「BOOK」データベースより)
・真珠
主人公は平井篤志という男性。
林田万砂子という50歳のたぬき顔&体型の女性に呼び出されて彼女の話を聞くという展開です。
厳しい母親からお菓子を食べることを禁止されていたが、唯一許されていたムーンスター社のムーンラビットいちご味の歯磨き粉で満足感を得ていたこと。昔は美人で、モテていたこと。寮で知り合ったM子も愛用者で、気が合っていたが、彼女は失火で亡くなったこと。彼女の話の合間に平井は中学の同級生のシャンプーの香りにまつわる自らの体験を思い出します。その娘は今は彼の妻になっていました。
実は彼らが会っている場所は拘置所の面会室。万砂子は、小中学校5校の体育館を放火した罪で逮捕されましたが、ムーンスター社がW&Bに吸収合併されて発売中止となっていたムーンラビットを復活させたいためにこの事件を起こしたのだと主張しています。
平井は、ムーンスターのお客様相談室長だったため、白羽の矢が立ったのでした。
話しを聞き終えた平井はでも、本当は可愛い顔だった彼女がM子を殺して、整形手術して成り替わったのではと指摘します。
ちょっと飛躍し過ぎな感もあるけれど、平井の妻が整形していたという伏線も用意されていたので、まぁ、ありかな
彼女の本名は倫子(だからリンゴちゃんなのね
)で、母親にムーンラビットいちご味を捨てられたことに絶望し、使い続けるためにM子(万砂子)になるしかないと犯行に及んでいたことを告白します。たぬき顔のブサイクでも構わないまでに渇望するって、まさに精神依存状態。放火に対する罪悪感もムーンラビットいちご味が消してくれたというのですから・・・。
平井は会社のイメージダウンを避けるために彼女を説得しなければならない役目ですが、彼はそれが絶望的であることを悟ります。平井の頭の中には、最近整形した瞼がたるんできた妻の姿が浮かび、彼女を愛し続ける自信が崩れていきます。彼もまた妻との接点になったムーンスター社のシャンプーが安定剤だったという
たぬき顔とか不細工とか、かなり失礼な表現に少々不快感を覚えつつ、「ムーンラビットいちご味」の連呼に頭の中が子供用歯磨き粉でいっぱいになってしまったぞ
真珠はたぬき顔の彼女が持つ真珠のように輝く白い歯を意味していました。
・ルビー
出版社に勤める姉が三年ぶりに実家に帰ると、隣に建った老人福祉施設「かがやき」に入所している老人の話を聞きます。庭先で畑作業をしている母親に施設の6階の窓から「おーい、おーい」と声をかける彼を母親は「おいちゃん」と名付け、次第に家族ぐるみで交流が生まれたこと。庭で採れた野菜や料理を母親が差し入れると、おいちゃんは高価な和菓子などを届けてくれ、食事に招かれた際には大きなブローチをプレゼントされたこと。
姉の携わっている雑誌は廃刊が決まっていて、読者でもあった妹に乞われて、掲載予定だった事件について語ることになります。「情熱の薔薇事件」と銘打ったその殺人事件は、昭和30年代後半に「関西の鉄将軍」と呼ばれた鉄工業で一財産を築いた男が、妻の不倫に激怒して浮気相手もろとも、日本刀で切りつけたというもので、彼は妻に時価1億円のルビーとダイヤを散りばめたペンダントを贈っていましたが、事件後ペンダントは行方不明になっていました。
「かがやき」は、刑務所出所者専用の老人福祉施設のため、姉はおいちゃんがその鉄将軍なのではないかと推察しましたが、母親がもらったペンダントが高価なものだとわかると騒動になると思い、敢えてはぐらかします。しかし妹は施設の職員と交際していておいちゃんの本名を知っているので、姉が語った事件が実際にあったことやペンダントの価値もわかったうえで、姉がどう思っているのか探ってきました。
姉妹の両親は、誰でも分け隔てなく親切に接する人たちで、「かがやき」が、刑務所出所者専用の施設だと知った上で建設を了承しています。おいちゃんはそんな一家を気に入って高価なペンダントを母親に贈ったのでした。姉妹もまた、両親の善意が歪まぬよう敢えて知らぬ振りを続けることを暗黙のうちに確認するのでした。 基本的に悪感情を抱く人物が登場しない点が気に入りました
母親が昔シャーリー・ワトソンという女優に似ていたと自慢していたことや、「約束の丘」という映画やその中のセリフなどが登場し、おいちゃんが、姉妹の母親に自分が殺めた妻の面影を投影した心情を連想させますが、そんな女優も映画も作者のそれこそ作り話だよね
・ダイヤモンド
古谷治は、お見合いパーティーで知り合った山城美和にダイヤの婚約指輪を贈ります。その後、レストランの入り口のガラス扉に激突した雀を助けた治の前に、数日後、女性の姿になった雀が恩返しをしたいと現れます。誕生祝を贈ろうとしていた治は「美和が望んでいるものを調べて欲しい」と頼みますが、雀がもってきたのは「美和さんは、不倫相手の鈴木崇史さんと一緒にいたいと望んでいた」という「事実」でした。驚きながらもさらに治は雀に二人のことを調査させ、美和が最初から彼を騙していた証拠を手に入れます。治は最後に、雀に美和からダイヤモンドの指輪を奪い返して欲しいと頼み、雀は、指輪を持ち帰りますが、扉に激突し死んでしまいます。治は雀にダイヤの指輪を着けてやって埋めてあげます。美和と鈴木が車のタイヤがパンクして事故死したことを治はニュースで知りますが、タイヤに細工がされていたことから、警察は治を疑います。隠し撮り写真や、ボイスレコーダーのファイルを証拠に押収されている治は、雀の話をすべきかどうか悩んでいました・・・おしまい。
お見合いパーティーの話が出てくるあたりから、怪しさがプンプン臭いだし、「これって結婚詐欺じゃん!気付けよ」と思いながら読み進めていくうち、そもそも治自身がどうしようもない勘違い野郎だと気付かされ、うんざりさせられます。いや、もしかして彼は本当は気付いていたのに見たくない現実に蓋をしようとしていたのかも。
雀の恩返しというのも彼の妄想で、実は手を下したのはやっぱり治だったりして・・・と考えるとなかなかスリリングな結末かも。
・猫目石
主婦の大槻真由子は、飼い猫のエリを探している隣人の坂口に遭遇し、一緒に猫探しをする。中学生の娘・果穂、夫・靖史も協力し、木の上にいたエリを靖史が保護して感謝される。ところが後日、坂口は感謝の気持ちからだと言って、それぞれに告げ口を始める。靖史は妻がツナ缶をスーパーで万引きしていると言われ、半信半疑で妻の後をつけたところ事実と分かり愕然とする。果穂には父が平日日中隣町の図書館にいるのを見たと言い、リストラを匂わす。図書館に向かった果穂は、父が本当にいて、彼女が良く知る男性から金銭を強請っているところを目撃する。真由子は、娘が駅前で待ち合わせした中年男性と歓楽街に行くのを見かけたと言われ調べると事実だった。果穂は、父親が強請っている相手と援助交際をしていて、「うちは親も犯罪者だ」と言っているのを聞いて真由子は自分の万引きのことをどうして知っているのかと驚く。
ある朝、新聞に坂口の交通事故死の記事が載り、警察の聞き込みに真由子は「ネコを探していたのでは」と答える。窓の外からじっと覗き見ているエリに気付いた真由子は「こそこそ人の後をつけるのが悪いんじゃない。ペラペラ喋るのが悪いのよ」とつぶやきそっとカーテンを閉めた。
どこにでもいる平凡な普通の家族に見えた三人が三人とも、他の家族に言えない秘密を抱えているという、日常に潜む不気味さがありました。
ラストで、彼らの悩みの種の坂口が消えますが、それは彼らの誰かが、または全員で「消し」たのかと考えると、より一層恐さが出るし、そのことで家族の絆が強くなっているようなのもやっぱり不気味でした。ネコがキーワードですね
・ムーンストーン
市議会議員の妻で一児の母の"わたし"は、夫が国政選挙に出馬して落選するまでは幸せなに暮らしていたが、夫のDVが始まり、娘を守ろうとして夫を殺してしまう。過剰防衛とみなされ逮捕された"わたし"の元へ、敏腕有名弁護士となった中学時代の女友達が訪れ「あなたを弁護したい」と申し出る。
"わたし"は、小学校時代、教師の心ない言葉であがり症となり、中学でも教科書の朗読が上手くできずいじめに遭っていた。孤立する"わたし"に、同級生の高坂小百合が優しく接してくれて、読書感想文の朗読コンクールに出るように強く勧められる。小百合は練習に付き合い、同級生を巻き込んで盛り上げ、"わたし"は2位入賞を果たす。これが自信となり、あがり症は少しずつ解消していった。
"わたし"は途中で主客が入れ替わります。というか、この話には主人公が二人いるんですね。弁護士になったのがあがり症でいじめられていた久美で、夫を殺したのが小百合でした。
小百合は、久美の無償での弁護を断ろうとしますが、久美の読書感想文の一節「友人を信じ、ともに戦おう」を思い出して弁護を依頼します。
離れていた時間があっても、二人の間には真の友情が育まれていたんですね。
ムーンストーンは中学時代に二人が片方ずつ分け合った友達の土産のピアスの宝石を意味していました。
・サファイア
紺野真美は、幼い頃から何かをねだったり奢ってもらうことが苦手でした。そんな彼女が、旅先で中瀬修一と出会い少しずつ変わっていきます。
修一から口紅を贈られたことがきっかけで、メイクや服装にも気を遣うようになり、贈り物をする楽しみもわかってきて、修一の誕生祝いにオーダーメイドのカバンをプレゼントするのでした。自分の20歳の誕生日には、「指輪(誕生石のサファイア)が欲しい」と初めてのおねだりをした真美ですが、待ち合わせ当日修一は現れず、翌日彼が電車のホームに転落して死亡したことを修一の姉から知らされ、無傷だったカバンの中にあったというカードとサファイアの指輪を渡されます。何故転落したのか疑問を抱えたままの真美に、アパートの隣人のタナカがある事実を告げます。
それは、彼と修一は指輪を女性に売りつける悪徳商法のバイトをしていたというものでした。後日、売りつけた女性にばったり遭ったタナカは恨まれ文句を言われたというのです。もしかしたら修一もそうした女性に恨まれて背中を押されてしまったのかもと考えた真美は、警察にその話を伝えようとするが、修一の姉に止められます。弟の死を不運な事故死として悲しみを乗り越えようとしている両親を傷つけたくない、弟が悪徳商法に関わっていたと思いたくないというのが理由でした。真美自身が、誰かのせいにして恨んだ方が楽だからではないのかと言われると、自分がねだったことがバイトをするきっかけになっているので否定できません。死んだ人は帰って来ないし、故人の名誉を傷つけても誰も得をしませんから、その通りだと思います。姉にそう言われて引き下がるしかなかった真美ですが、喪失感と悲しみに打ちひしがれた彼女は「もう二度と欲しいなんて口にしない」と誓うのでした。
初めてねだったことが、恋人の死に繋がったという何とも重い話でした
・ガーネット
真美は、作家になっています。
恋人の死から立ち直れず自殺を図った真美ですが、タナカに救われます。しかし彼女は心配するタナカに「彼を返してくれないなら、私に二度と関わらないで」と拒絶し、タナカは姿を消してしまいました。
食品会社に就職した真美は、文章に気持ちを吐き出し小説家としてデビューしますが、会社で目立ってしまった彼女はイジメを受けるようになります。一人の先輩から大切な指輪を盗られた真美は抗議して返してもらったものの、階段から突き落とされ、諸々の恨みや復讐心で張り裂けそうな気持を小説に籠めて編集者に送りつけたところ、出版が決まります。それは復讐をテーマにした『墓標』という小説で、評価は二分されましたがヒットして映画化されることになりました。主演の麻生雪美との対談が設定され、彼女から、悪徳商法で、59万円の指輪(ガーネット)を購入させられたが、デザインも値打ちも低いものだったというエピソードを聞かされ動揺します。でも麻生は「こんな指輪が似合わないような自分になってやる」と奮起した結果今の人気を得たのだというのです。彼女はその指輪を売りつけた人物を恨むどころか感謝していると言います。どうもその相手というのはタナカのようで、二人は互いに惹かれ合いながらも距離を縮められずにいるようです。
その対談が掲載された後、1人の読者から手紙が届きます。内容から修一が売りつけた女性だということがわかりますが、相手を恨んではいないと書かれていて、更に修一の真美への気持ちにも触れられていました。商談中、交際している彼女はどんな存在かと訊かれた修一は、「彼女を通してみる世界が好きなのだ。自分の目に映る世界にまだ向こう側があることを教えてくれる存在かな。」と答えたのだと。
た。もう彼のことを夢見ることはないが、新しい本をカバンの中に入れておけば、読んでくれるのではないか、と真美は思っていた。
一話完結だと思っていたら、こちらは「サファイア」の続編になるんですね
恋人を突然奪われ、負のスパイラルに陥っていた真美は、作家として本に気持ちをぶつけることで何とか生きてきましたが、麻生や読者の言葉によって、頑なだった心がほぐされていきます。
夢の中で修一は、彼女が何か前向きになった時に限って現れます。彼は真美自身が作り上げた自分への励ましやご褒美なんですね。手紙を読んだその晩で、もう彼のことを夢見ることはないと思いながら、新しい本をカバンの中に入れておけば、彼は読んでくれるのではないかと真美は思います。後味はこの作品が一番良かったかも