境界線
2024年09月01日 | 本
中山 七里 (著) NHK出版
2018年5月某日、気仙沼市南町の海岸で、女性の変死体が発見された。女性の遺留品の身分証から、遺体は宮城県警捜査一課警部・笘篠誠一郎の妻だったことがわかる。笘篠の妻は7年前の東日本大震災で津波によって流され、行方不明のままだった。遺体の様子から、妻と思われる女性はその前夜まで生きていたという。なぜ妻は自分のもとへ戻ってこなかったのか――笘篠はさまざまな疑問を胸に身元確認のため現場へ急行するが、そこで目にしたのはまったくの別人の遺体だった。
妻の身元が騙られ、身元が誰かの手によって流出していた……やり場のない怒りを抱えながら捜査を続ける笘篠。その経緯をたどり続けるもなかなか進展がない。そのような中、宮城県警に新たな他殺体発見の一報が入る。果たしてこのふたつの事件の関連性はあるのか? そして、笘篠の妻の身元はなぜ騙られたのか――。(内容紹介より)
妻の身元が騙られ、身元が誰かの手によって流出していた……やり場のない怒りを抱えながら捜査を続ける笘篠。その経緯をたどり続けるもなかなか進展がない。そのような中、宮城県警に新たな他殺体発見の一報が入る。果たしてこのふたつの事件の関連性はあるのか? そして、笘篠の妻の身元はなぜ騙られたのか――。(内容紹介より)
震災に奪われたものと残されたものの痕跡を描いた、『護られなかった者たちへ 』に続く宮城県警シリーズ第二弾です。
事件を扱ったミステリーではありますが、殺人事件の謎解きの醍醐味を味わうというより、根底にあるのは東日本大震災を経験したことで人生が変わった人たちに焦点を当てた話になっていました。
刑事の笘篠は、妻子が震災で行方不明となっています。あの日、妻と喧嘩して家を出たのが最後だったことに後悔と心残りがあり、失踪宣言を出せずにいた彼の元に入ったのは妻の身分証を持った遺体発見の知らせでした。しかしそれは全くの別人だったのです。遺体は自殺と判断され事件性は見当たらなかったのですが、妻の身元が誰かの手で流出し騙られていたことに、妻を冒涜されたというやり場のない怒りを持った笘篠はその経緯を知ろうと動き出します。
そんな中、新たな他殺体発見の一報が入ります。遺体は男性で顎を砕かれ両手の指を切断されていました。彼もまた震災の行方不明者の戸籍を使っていたことがわかります。本物の身元が判明すると、二人とも消したい過去の持ち主でした。
妻の名前を騙っていた女性は肉親が犯罪者だったために、殺された男性は自分の犯罪歴を隠すために別の名前が必要だったのです。
女性の自殺の動機も推察されます。生きるためにデリヘルをしていた彼女は、客として再会した同級生からの屈辱に傷ついて死を選んだようでした。しかし彼女は過去にその男性を苛めていたことも語られ、被害者とか加害者とか単純に色分けできないんですね。
自身が犯罪者だった殺された男性は、家庭環境に問題があったようですが、だからといって純然たる被害者とも言えないことが後に明らかになってきます。
笘篠は何者かが震災で失踪届が出ていない人間の戸籍を売買していると疑い、名簿屋ビジネスを行う五代を訪ねます。彼は『護られなかった者たちへ』にも登場している利根のムショ仲間で、その過去が別軸で語られていきます。
底辺の高校に通い、カツアゲなどの犯罪行為に手を染めていた五代に出来た聡明な友の存在が、末は暴力団で野垂れ死ぬしかないと絶望していた彼を変えました。
しかしその友はあの震災で両親を亡くし、目の前で流されていく子供を救うことができなかったという現実を前に心が壊れてしまいます。「善人だろうが悪党だろうが死んでしまえばただの物体」と呟いた言葉がその虚無感を表していました。
物語の中で、震災当時の描写が生々しく迫ってきます。
その中で特異なのは、塀(刑務所)の中と外の対比です。黒い濁流に呑まれ命を落としたり、避難所で寒さと食べるものにも困っている善良な市井の人々がいた一方、頑強な作りの刑務所の中で食べ物に困ることもなく生活できた囚人たち。でも囚人にも家や家族があり、何もできないままTV画面を凝視するしかなかった・・・。
生き残った人たちの中にも、家や家族を亡くした者と被害が無かった者がいます。そしてどちらもそのことでやはり深い傷を心に負っているのです。
事件の真相は、役所から破棄依頼されたハードディスクを売り捌いた下請けの従業員から震災の行方不明者のデータを買った犯人が、戸籍を買った被害者に逆に恐喝されて犯行に及んだということなのですが、犯行は偶発的な者でしたが、犯人の思考はある意味とても冷静でそれでいて大きな欠落を感じさせます。
ちなみに五代は金融関係のデータを買っていました。
震災により引かれてしまった様々な境界線が複雑に交差する物語でした。