1991年製作 イギリス=日本
父王の死後、エドワードⅡ世(スティーヴン・ウォーディントン)は、追放されていたゲイの恋人のガヴェストン(アンドリュー・ティアナン)を自分の元に呼びよせ、宮内大臣、国務長官、コーンウォル伯爵号、マン島の総督という高い地位を授ける。それを嫉妬する貴族モーティマー(ナイジェル・テリー)は、イザベラ王妃(ティルダ・スウィントン)を説得して、ガヴェストン追放を企て始める。貴族たちは連名のガヴェストンの追放状を王に差し出し、これを拒否できない王は、涙で署名するが、妻イザベラを「フランスの淫売婦!」と罵り恥かしめる。夫の心を取り戻せないと悟った王妃は、モーティマーと計り、暗殺するつもりでガヴェストンを呼び戻す。復活したガヴェストンは更に増長し、恨みを募らせた貴族たちは、遂に反旗をひるがえし、ガヴェストンをなぶり殺し、王を幽閉するのだった・・・。
シェークスピアと並び称される英国の作家クリストファー・マーロウの戯曲の映画化です。ゲイの恋人とともに迫害されていく悲劇の王を描いたそうですが、監督・脚本が同じくゲイであったデレク・ジャーマンということで、芸術的ではあるけれど、好きにはなれなかったな(^^;
同性愛については個人の自由だと思っている方ですが、この映画でゲイの愛情表現場面が美しく思えないのは何故?彼らの愛情は権力と贅沢の上に繰り広げられていて、そこに国を治めるものの誇りや使命感は微塵も感じられません。そんな愛情を美しいものとして捉えることも、国王を可哀想だと思う事もできませんでした。
役者はどちらも美形で好みだったのにな~(^^;
映画では、イザベラが貞淑な妻から夫を破滅させていく悪女に変わっていく様子が描かれます。夫に愛されない苦悩と絶望感が夫の愛人への憎悪に矛先を変えるというのは理解できる~~!!若きティルダの妖艶な美しさが光っています。
父の同性愛嗜好に端を発した両親の不仲や母の不貞、宮廷の権力闘争をじっとその幼い目で見てきた王子(後のエドワード3世)が、後に自分を傀儡としようとする母やモーティマーに逆らい自分を主張するシーンが実はこの映画の中で一番印象強かったです。
父王の死後、エドワードⅡ世(スティーヴン・ウォーディントン)は、追放されていたゲイの恋人のガヴェストン(アンドリュー・ティアナン)を自分の元に呼びよせ、宮内大臣、国務長官、コーンウォル伯爵号、マン島の総督という高い地位を授ける。それを嫉妬する貴族モーティマー(ナイジェル・テリー)は、イザベラ王妃(ティルダ・スウィントン)を説得して、ガヴェストン追放を企て始める。貴族たちは連名のガヴェストンの追放状を王に差し出し、これを拒否できない王は、涙で署名するが、妻イザベラを「フランスの淫売婦!」と罵り恥かしめる。夫の心を取り戻せないと悟った王妃は、モーティマーと計り、暗殺するつもりでガヴェストンを呼び戻す。復活したガヴェストンは更に増長し、恨みを募らせた貴族たちは、遂に反旗をひるがえし、ガヴェストンをなぶり殺し、王を幽閉するのだった・・・。
シェークスピアと並び称される英国の作家クリストファー・マーロウの戯曲の映画化です。ゲイの恋人とともに迫害されていく悲劇の王を描いたそうですが、監督・脚本が同じくゲイであったデレク・ジャーマンということで、芸術的ではあるけれど、好きにはなれなかったな(^^;
同性愛については個人の自由だと思っている方ですが、この映画でゲイの愛情表現場面が美しく思えないのは何故?彼らの愛情は権力と贅沢の上に繰り広げられていて、そこに国を治めるものの誇りや使命感は微塵も感じられません。そんな愛情を美しいものとして捉えることも、国王を可哀想だと思う事もできませんでした。
役者はどちらも美形で好みだったのにな~(^^;
映画では、イザベラが貞淑な妻から夫を破滅させていく悪女に変わっていく様子が描かれます。夫に愛されない苦悩と絶望感が夫の愛人への憎悪に矛先を変えるというのは理解できる~~!!若きティルダの妖艶な美しさが光っています。
父の同性愛嗜好に端を発した両親の不仲や母の不貞、宮廷の権力闘争をじっとその幼い目で見てきた王子(後のエドワード3世)が、後に自分を傀儡としようとする母やモーティマーに逆らい自分を主張するシーンが実はこの映画の中で一番印象強かったです。