杏子の映画生活

新作映画からTV放送まで、記憶の引き出しへようこそ☆ネタバレ注意。趣旨に合ったTB可、コメント不可。

エドワードII

2011年05月29日 | 映画(劇場鑑賞・新作、試写会)
1991年製作 イギリス=日本

父王の死後、エドワードⅡ世(スティーヴン・ウォーディントン)は、追放されていたゲイの恋人のガヴェストン(アンドリュー・ティアナン)を自分の元に呼びよせ、宮内大臣、国務長官、コーンウォル伯爵号、マン島の総督という高い地位を授ける。それを嫉妬する貴族モーティマー(ナイジェル・テリー)は、イザベラ王妃(ティルダ・スウィントン)を説得して、ガヴェストン追放を企て始める。貴族たちは連名のガヴェストンの追放状を王に差し出し、これを拒否できない王は、涙で署名するが、妻イザベラを「フランスの淫売婦!」と罵り恥かしめる。夫の心を取り戻せないと悟った王妃は、モーティマーと計り、暗殺するつもりでガヴェストンを呼び戻す。復活したガヴェストンは更に増長し、恨みを募らせた貴族たちは、遂に反旗をひるがえし、ガヴェストンをなぶり殺し、王を幽閉するのだった・・・。


シェークスピアと並び称される英国の作家クリストファー・マーロウの戯曲の映画化です。ゲイの恋人とともに迫害されていく悲劇の王を描いたそうですが、監督・脚本が同じくゲイであったデレク・ジャーマンということで、芸術的ではあるけれど、好きにはなれなかったな(^^;

同性愛については個人の自由だと思っている方ですが、この映画でゲイの愛情表現場面が美しく思えないのは何故?彼らの愛情は権力と贅沢の上に繰り広げられていて、そこに国を治めるものの誇りや使命感は微塵も感じられません。そんな愛情を美しいものとして捉えることも、国王を可哀想だと思う事もできませんでした。
役者はどちらも美形で好みだったのにな~(^^;

映画では、イザベラが貞淑な妻から夫を破滅させていく悪女に変わっていく様子が描かれます。夫に愛されない苦悩と絶望感が夫の愛人への憎悪に矛先を変えるというのは理解できる~~!!若きティルダの妖艶な美しさが光っています。

父の同性愛嗜好に端を発した両親の不仲や母の不貞、宮廷の権力闘争をじっとその幼い目で見てきた王子(後のエドワード3世)が、後に自分を傀儡としようとする母やモーティマーに逆らい自分を主張するシーンが実はこの映画の中で一番印象強かったです。

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蟹工船

2011年05月23日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2009年7月4日公開

出稼ぎ労働者たちがカムチャッカ沖で蟹を獲り、船上で缶詰に加工する蟹工船・博光丸で、雑夫・宮口(高谷基史)が監視の目を盗み脱走を試み、失敗する。博光丸の労働者たちは監督・浅川(西島秀俊)から人間扱いされず、劣悪な環境におかれ、安い賃金で過酷な労働に従事していた。そして仕事の後は、自分たちの境遇を自慢げに語り合っていた。漁夫・新庄(松田龍平)は来世に希望を見出そうと語り集団自殺を誘うが、結局誰も死ぬことはできずに笑い合うしかなかった。さらに辛い重労働が続き、仲間同士の内紛も起きる。そんなある日、新庄と漁夫・塩田(新井浩文)は漁に出て博光丸からはぐれてしまい、助けられたロシア船内で、彼らの陽気な宴を目の当たりにして自由な世界を知る。そのころ、宮口は、折檻を受けトイレに閉じ込められ意識が朦朧とする中で何かを訴えるように扉を叩き続け、その音は、蟹工船の全乗組員の耳に届いた。やがて、宮口は自ら首を吊り、生きることに絶望した若い雑夫清水(柄本時生)は、極寒の海に飛び込もうとする。それを、ロシア船から戻ってきた新庄と塩田が救う。新庄は、夢見るだけでなく行動することが必要だと訴え、一斉蜂起を呼び掛けるが・・・。

プロレタリア文学『蟹工船』(小林多喜二)の映画化です。・・が、本は読んだことがありません(^^;
蟹を獲り、船内で缶詰に加工する蟹工船を舞台に、自由を奪われ搾取される労働者たちの一斉蜂起を描いた作品ということで、かなり悲惨で暗い内容かなぁと思って劇場で観るのを躊躇ったのですが、あれ?あれれ~~?

確かに悲惨で劣悪な環境なんですが、そんな中でも笑いが起きる場面が多々あるので(冒頭の集団首吊りやロシア船内のシーンなどに顕著です。)、「もしかしてこれは一種のコメディなの?」と思ってしまいました。追い詰められた人間の救いが笑いなのか、もう笑うしかないというところまで追い詰められているということなのか・・。

浅川の恐れていたのは、労働者たちが団結することでしたが、ロシアの船員たちから自由と責任を学んだ新庄が、やがて仲間をまとめて彼の前に立ち塞がります。一度は成功したかにみえた労使交渉はしかし、軍により制圧され、私憤にかられた浅川により新庄は殺されます。

再び絶望の底に落とされた労働者たちですが、やがて彼らの胸にかつて新庄が演説した言葉が大きな力となって湧き上がり・・・

力での支配には限界があります。そしてどんな時でも自分の運命を変えるのは己の心のありようなんだということがしっかり伝わってくる作品でした。

それにしても西島さんの冷酷非道な監督役・・・似合わんぞ(^^;

貧しく無教養な労働者たちの中で、新庄の筋道だった考え方は異質に見えますが、その素性が彼の死後それとなく明らかにされるエピがあり、なるほど~!でした。

映画公開時は既に就職氷河期であり、不況の只中で、80年前に書かれた原作の古さを感じさせない物語が見事に情勢にはまってヒットしたというのも納得の内容でした。


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シュレック フォーエバー

2011年05月22日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2010年12月18日公開 アメリカ 93分

かつて邪悪なドラゴンと戦ってフィオナ姫(声:キャメロン・ディアス)を助け出し、王国を救った緑の怪物シュレック(マイク・マイヤーズ)は、今はすっかり家庭的なマイホームパパになっていた。昔は怖がらせていた村人にも、せがまれるままサインをしてあげる自分が何だか情けなく、とどろくようなうなり声をあげて怪物として活躍していた頃が懐かしく思えていた。そんなシュレックが、ランプルスティルスキン(ウォルト・ドーン)に騙され、ある契約書にサインをしてしまったことで、別の次元の“遠い遠い国”へ飛ばされてしまう。そこでは、シュレックのような怪物は追われる身で、ランプルスティルスキンは王として君臨し、シュレックとフィオナは、出会っていないことになっていた。シュレックは友達を救い、今までの世界を取り戻し、“たった一つの真実の愛”を取り戻すため、再び立ち上がる。

シュレックシリーズ完結編です。
自分を認め愛することから始まったこのお話、家族(舅・姑)が出来て、子供の親となって心も成長していったシュレックですが、今回は平和な暮らしに飽きが出てきて、昔の一人で自由を謳歌していた頃を懐かしんだことから問題が起こります。これって、普通の人間の成長と全く変わらない展開で、だからこそ普遍的なテーマなのでしょう。

自由だった頃の一日を手に入れようとして、悪者に騙されてしまったシュレックは、少し前まで退屈で窮屈に思えた日々が実はかけがえの無い日々だったことに気付きます。ドンキー(エディ・マーフィ)もフィオナもシュレックのことを知らない世界で、彼は諦めずに運命を変えようと努力します。

フィオナを振り向かせようと一生懸命なシュレックに思わず頑張れと声援を送りたくなります。ドンキーは相変わらずお喋り全開だけれど、長靴を履いた猫(アントニオ・バンデラス)はすっかり太ってしまって・・中年の腹の出たオヤジを連想させて可笑しかったです。

身を捨てて仲間やフィオナを守ろうとするシュレックは男前です。そういう無償の愛が運命を動かします。もちろん最後はめでたしめでたし♪

そうだよね、永遠に続くかに思える平和で退屈な毎日こそが、何よりも守るべきかけがえのない日々なんだよね。大災害に見舞われた今だからこそ、心から共感できる気がします。

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パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉 3D

2011年05月20日 | 映画(劇場鑑賞・新作、試写会)


2011年5月20日公開 アメリカ 

キャプテン・ジャック・スパロウ(ジョニー・デップ)が漕ぎ出す新たな航海。それは、永遠の生命をもたらすという伝説の“生命の泉”を探す旅だった。禁断の宝を求めて、実在した史上最恐の海賊“黒ひげ”(イアン・マクシェーン)、いまや英国海軍に寝返った元海賊でジャックの宿敵バルボッサ(ジェフリー・ラッシュ)たちが動き出す。さらに、ジャックの前に姿を現したのは、かつて愛した女海賊アンジェリカ(ペネロペ・クルス)だった。それぞれの野望と裏切りが渦巻く中、伝説の泉の鍵を握る人魚シレーナと、若き宣教師フィリップは出会い、決して叶うはずのない恋に落ちる……。幾重にも仕掛けられた罠と謎を解き明かし、“生命の泉”に辿り着くのはジャックか?それとも……?(goo映画より)

ジョニーの来日も叶わず、プレミア試写会も当たらず・・せめてもと公開初日の初回上映に行ってきました♪ 平日にもかかわらず、そこそこの混み具合。

今作はジャックが殆ど出ずっぱりで登場するので、ファンには嬉しい展開です。
でもブラックパール号はボトルの中だし、肝心の海賊行為より、お宝(生命の泉)探して陸を進む方が多いので、大海原が恋しくなるかも(^^;

そして、今回登場のフィリップとシレーネのカップルは、比べたら悪いけれどウィルとエリザベスほどの個性がないのが残念。完全にジャックとアンジェリカにくわれちゃってますね。

ジャックが昔唯一ときめいた女性として登場するアンジェリカの魔性(元修道女としての情愛と、自在に嘘をついて翻弄する強かさ)が今回の見所の一つです。

父親である黒髭への愛は本物のよう。けれど黒髭の方は娘をも踏み台にして平気な男。そしてジャックはそんな黒髭の本性をはなから見抜いています。

ジャックにとって生命の泉のもたらす効果はお宝ではありません。自由を愛し自分の運命をその手で切り開いてきた男にとって、永遠の命は求めるに値しないのです。英国王やアンジェリカの策略にはまり、いわば無理矢理道案内をさせられた形ですが、だからこそこの旅をどこか他人事として楽しんでいる様子があり、その余裕が笑いを生み出しているかのようです。

エンドロールの後のシーンは続編を示唆していますので席を立たない方が良いですよ。

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のだめカンタービレ 最終楽章 前・後編

2011年05月19日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)


4月16日(土) 21:00~23:30 
4月23日(土) 21:00~23:40
フジテレビで二週連続で放送されたものを録画してみました。

(前編)2009年12月19日公開
指揮コンクールで優勝した千秋真一(玉木宏)は、エリーゼ(吉瀬美智子)の差し金で、若き日のシュトレーゼマン(竹中直人)が音楽監督を務めた「ルー・マルレ・オーケストラ」の常任指揮者となる。フランク(ウエンツ瑛士)に誘われマルレ・オケを偵察しにいく千秋だったが、大雑把でバラバラな演奏と全くやる気の感じられないオケの態度に愕然とする。老舗のオケにもかかわらず、近年資金不足のためリハもままならず、多くの団員が辞め、公演も観客が集まらずに悪循環が続いているらしい。しかも、コンサートマスターのシモンは、千秋に非協力的だった。一方、のだめ(上野樹里)は、フランク、ターニャ(ベッキー)、黒木(福士誠治)と共に、コンセルヴァトワール(音楽学校)の進級試験を控え、練習に励む毎日。そんな中、千秋から定期公演でラヴェルの「ボレロ」のチェレスタの演奏を依頼され舞い上がるのだが、ひょんなことから、孫Rui(山田優)が引き受けることになり落ち込みながらも千秋を気遣い健気に振る舞うのだった。
準備不足の中で迎えた公演の日、散々な結果となったこのボロオケを千秋は立て直すことができるのか?そしてすれ違い始めた二人の恋の行方は・・。

(後編)2010年4月17日公開
離れ離れに暮らすことになった、のだめと千秋。エリーゼは千秋に、孫Ruiとの共演話を持ち掛ける。一方、のだめはオクレール先生からコンクール出場の許可が下りず、焦り始める。そんなある日、ヴァイオリンコンクールに出る清良(水川あさみ)を応援しに来た峰(瑛太)と真澄(小出恵介)がのだめの元に現れ、意気投合したフランク、ターニャ、黒木らと共に、コンクール会場へ向かう。そのコンクールのピアノ部門で聴いた『ラヴェル ピアノ協奏曲』に心を奪われたのだめは、千秋と共演するときに演奏したいと決意するが、テオ(なだぎ武)から、この曲が千秋と孫Ruiが共演する演目だと聞き、ショックを受ける。2人の演奏は大成功を収めるが、のだめは想像以上の演奏に衝撃を受ける。自信を喪失したのだめの前に、シュトレーゼマンが現われ、自分のプラハ公演での共演を提案するのだった。

TVシリーズの完結編が映画化されました。
のだめの音楽的成長と恋の行方を中心に、相変わらずの個性的な面々が勢揃いで、漫画的手法に笑いながら楽しめる作品です。

もちろんオーケストラシーンの迫力は劇場鑑賞がお薦めだとは思いますが、門外漢でも、千秋君のわかりやすい曲解説のナレーションを聴きながら「あ、このフレーズは聴いたことがある」という曲が沢山出てくるので眠くなることもありません(笑)

前後編を一気に観てスッキリ~♪

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明日へのチケット

2011年05月15日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2006年10月28日公開 イタリア=イギリス 110分

<1枚目のチケット>エルマンノ・オルミ監督
ローマ行きの列車の中、初老の大学教授(カルロ・デッレ・ピアーネ)は、仕事先で親切にしてもらった美しい秘書の女性(ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ)に想いを馳せる。彼女にお礼メールを書こうとするが、うまく文章が綴れず、妄想や若き日の初恋が頭に浮かぶばかり・・。食堂車に二人分の席をとり、ゆったり座っている彼の視線の先には、通路に座る移民らしき家族の姿が。赤ん坊のミルクをこぼされ通路を追われたのを見た教授は・・。

<2枚目のチケット>アッバス・キアロスタミ監督
列車はイタリアの小さな駅に停車する。太った中年女性(シルヴァーナ・デ・サンティス)が青年フィリッポ(フィリッポ・トロジャーノ)を連れて列車に乗り込む。フィリッポは兵役義務の一環として、将軍の未亡人の手助けを命じられていた。夫人は車内を強引に進み、一等車の空席に腰を落ち着けるが、他の乗客とトラブルを起こす。また、車内で同郷の少女と偶然出合い、昔の話に興じるフィリッポに尊大な態度で接する。未亡人の傲慢さに我慢ならなくなったフィリッポは・・・。

<3枚目のチケット>ケン・ローチ監督
ビュッフェでは、スコットランドからローマで行われるセルティックF.C.対A.S.ローマのアウェー戦を観戦にやって来たジェムジー(マーティン・コムストン) 、フランク(ウィリアム・ルアン )、スペースマン(ガリー・メイトランド )が旅を楽しんでいた。彼らはベッカムのユニフォームを着たアルバニア出身でローマで働く父親に会いに行くと言う少年と出会い、サンドイッチを分け与える。しかし、ジェムジーの乗車券が紛失し、少年が乗車券を盗んだことが判明する。一家は不法移民で、父親と再会するため旅をしていたのだが、もしも車掌に見つかったら強制送還されてしまうのだ。悩んだ末に彼らは少年にキップを譲り、鉄道警察に連行されそうになるが、隙を見て逃げ出し、駅にいたサッカーファンの騒ぎに乗じてローマの街に・・。

ローマへ向かう列車を舞台に、3つのエピソードを3人の監督が演出しています。

最初のお話は、何度も時間が戻る構成に戸惑いがありましたが、ミルクを注文して空腹で泣いている赤ん坊の元へ運んでゆく教授の行動と、それを見つめる食堂車に乗り合わせた乗客たちの表情が印象的でした。

二枚目のチケットの、我儘で老いた将軍の妻の行動は、初めは不快感しか覚えなかったのですが、老い故の孤独や若さへの羨望に思い至った時、哀れみが浮かんできました。プラットホームに一人取り残される彼女の姿の何と孤独なことか・・。

最後は、移民問題と直面したスコットランドの青年たちの行動が描かれます。
一番猜疑心の強かった青年が移民の家族にとった行動にちょっとびっくりでしたが、移民の家族が駅に迎えに来た父親と抱き合う姿をみて彼らの話を信じた青年たちの行動が報われたことを知る場面や、三人がうまく逃げられたのも嬉しかったな。陽気な締めくくりが作品全体を良い感じです。

私は三番目のエピソードが好きだな。♪

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トイレット

2011年05月12日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2010年8月28日公開 

実験室勤務のレイ(アレックス・ハウス)は、ロボットプラモデルおたくで他人と関わるのが苦手。ところが母が亡くなり、アパートが火事になったことから、実家に戻らざるをえなくなる。そこには引きこもりのピアニストの兄モーリー(デイヴィッド・レンドル)と、勝気な大学生の妹リサ(タチアナ・マズラニー)、猫のセンセーの他に、“ばーちゃん”(もたいまさこ)が暮らしていた。ばーちゃんは、母親が亡くなる直前に日本から呼び寄せた3兄弟の祖母で英語が全く話せず、亡き母の部屋にこもりきりで、トイレから出てくるたびに深いため息をつくのだった・・・。

物語の舞台はアメリカです。
それぞれ問題を抱えた三兄弟ですが、ばーちゃんは無言の中に彼らのことを理解しています。この監督の作品にはいつもあったかい家庭料理が登場しますが、今回は餃子でした。
皮から作り、具を乗せて包み込み焼き上げるそれの何と美味しそうなこと。
そしてたった一言のセリフ以外は終始無言で演じたもたいさんの醸しだすばーちゃんの存在感が凄い!凄過ぎます。

他人との交わりを嫌うレイにとって、母亡き後に次々と降りかかるトラブルは最悪で、職場では何かと首を突っ込んでくるインド人の同僚にも切れ気味です。ばーちゃんのことも本当の祖母なのか疑ってこっそり髪の毛を採取してDNA鑑定に出したりします。

一方、パニック障害を持ち家から一歩も出られなかったモーリーは、以前母親が使っていた古いミシンを見つけ、ばーちゃんに修理して貰い、布を買うお金も借りて4年ぶりに外出します。帰りに発作が起きてしまうのだけど、とても大きな一歩をばーちゃんに助けられて踏み出すことができたのです。

そんなモーリーが作ったものは・・・彼自身が履くためのスカートでした。
何故スカートなのか?レイは「君はゲイなのか?」と兄に問いますが答えはNOです。
スカートを履いたモーリーは再びピアノを弾き始め、コンテストにも出場すると言います。
当日、緊張のあまり再びパニック寸前になったモーリーに直前に病に倒れたばーちゃんが呼びかけます。「モーリー!・・・クール!!」これはそれまでの家族の心の交流から生まれた言葉でした。そして全編を通してばーちゃんが発した言葉はこの時ただ一度だけでした。

リサは、自分のアイデンティティを探していました。それは気になっていた同じゼミの学生に問われたからでもありますが、その彼は付き合っていくうちに底の浅い人間だと気付きます。
リサは、ばーちゃんがエアギターのコンテスト番組に見入っているのを知り、DVDを借りてきて一緒に見て楽しみます。そして、自分もコンテストに出ようと考え、資金をばーちゃんに借りようとします。それはモーリーが「心を込めて真剣に頼めば ばーちゃんはわかってくれる」とリサにアドバイスをしたからです。そうです、ばーちゃんは二人の思いを理解したからこそお財布を開いてそれぞれの願いを叶えてくれたのでした。

モーリーやリサがばーちゃんからお金を借りたのとは対照的に、レイは彼らに振り回されて車の修理代を払うことになったり、DNA鑑定代や、トイレ代と出費が続きます。これらの代金と欲しかったプラモデル代それぞれが同じ3000ドルというのが面白いの。
それでも、兄妹やばーちゃんら家族のことを優先させる姿は、生来の優しさを感じさせます。

さて、DNA鑑定の結果は、リサの髪の毛を間違って入れたことから、逆にレイが養子だったことが判明するのですが、それはレイ以外既に知っていたことだったのです。混乱したレイはインド人の同僚から「でも今まで君がその事実に気付かず暮らしてきたこと自体が家族である証拠だろ?」と言われます。うん、深いぞ!!ちょっとウザキャラだった同僚がイイヤツに変わった瞬間でした。レイにも友達が出来たんだなぁ♪

結局ばーちゃんは病が癒えることなく旅立ってしまいますが、三兄弟の暮らしもバラバラだった関係も確かに変わり始めたようです。ちなみにキャッチコピーは「みんな、ホントウの自分でおやんなさい」でした。
猫とばーちゃんの組み合わせもしっくり合っていて、穏やかな余韻の残る作品でした。

ところで、題名のトイレット。これはばーちゃんのため息の原因が、日本のトイレ(ウォシュレット)が恋しいからではとレイが推測したことにも因るのかな?
ラストでは、ばーちゃんのために設置したウォシュレット(間に合わなかったけれど)を試すレイが、その快適さに夢見心地となる様子が描かれ、最後は大事な○○をそこに落としてしまい・・にクスッと笑ってしまうオチがあります。

そうそう、「西の魔女が死んだ」のサチ・パーカーさんがベンチに座る謎の女性役で出演していました。

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ブラック・スワン

2011年05月11日 | 映画(劇場鑑賞・新作、試写会)
2011年5月11日公開 アメリカ

ニューヨークのバレエ・カンパニーに所属するニナ(ナタリー・ポートマン)は、元ダンサーの母親・エリカ(バーバラ・ハーシー)の寵愛のもと、人生の全てをバレエに捧げていた。そんな彼女に新作「白鳥の湖」のプリマを演じるチャンスが訪れる。だが純真な白鳥の女王だけでなく、邪悪で官能的な黒鳥も演じねばならないこの難役は、優等生タイプのニナにとってハードルの高すぎる挑戦であった。さらに黒鳥役が似合う奔放な新人ダンサー、リリー(ミラ・クニス)の出現も、ニナを精神的に追いつめていく。やがて役作りに没頭するあまり極度の混乱に陥ったニナは、現実と悪夢の狭間をさまよい、自らの心の闇に囚われていくのだった……。(チラシより)


ナタリー・ポートマンが今年のオスカー(第83回アカデミー賞)で最優秀主演女優賞を獲ったことで話題になっている作品です。

驚き三連発。
1:公開初日とはいえ、雨だし初回だしと油断してたら、ほぼ満席の大入り状態だったこと。
2:初日限定特典というものがあったことを知らず貰い損ねてしまったこと。
3:人間ドラマかと勝手に思っていたけれどスリラー/サスペンスものだったこと

そもそもこの作品を観たいと思ったのはバレエを踊るナタリーが綺麗だなと思ったから。役作りに苦しんでも、ハッピーエンドかなと勝手に思ってたんですね(^^;
尤も、結末の捉えかたは観客によって様々かもしれません。私はヒロインにとってはハッピーエンドなのだと考えましたが、共感は出来ませんでした。

ナタポはバレエ経験があったそうですが、この役を演じるにあたっては、10ヶ月の猛特訓をして見事に舞踏シーンを演じています。見せ場である黒鳥のターン(有名な場面だということだけは門外漢の私でも知ってる)は息を呑むほどに妖しく美しく迫力がありました。CG効果で人から黒鳥へ変身していくのも視覚的に訴えるものがありました。

自分の果たせなかった夢を娘に託した母は、これまで娘と二人三脚・一心同体で生きてきました。ところが娘の方は、遅まきながらそんな自分に疑問を持ち、且つ母を越えようともがき始めます。それが、主役の座を掴むことへの拘りとなっているように思えました。

けれども、素直な優等生として心を抑圧して生きてきたニナにとって、白鳥はともかく、振付師トマス(ヴァンサン・カッセル)の望む妖艶な黒鳥は難題です。さらに、リリーというまさに黒鳥向きのライバルが登場し、苦しみ追い詰められていく中で、ニナは精神を崩壊させてしまうのです。その描写が現実に紛れ込み、虚構との境のない物語を紡いでいくので、気を抜いてみていると混乱してしまうかも。
リリーは背中に羽のタトウを入れているのですが、素朴な疑問としてバレリーナがタトウってありなの?(^^;これは誘惑を示す魔王の象徴なのかしらん?

また、ニナに主役の座を追われたことで心身が傷ついていく元プリマ・ベス役はウィノナ・ライダーが演じています。ニナは憧れのプリマに近づこうと彼女の身の回りの品を度々盗んでいますが、優等生でもそういうことをするのがちょっと驚き。事故に遭ったベスを見舞いに訪れながらも現実には会話することもありません。ベスの姿はニナにとって未来の自分に重なっていたのでしょうか?

映画を観る前はリリーが直接的にライバルとしてニナの前に立ち塞がるのかと思っていたのですが、実際にはニナの幻想の中で関わることとなります。
彼女の幻想には直接的なシーンは少ないのですがかなり官能的な描写が含まれていて、ニナの抑圧や自制心がダークサイドでは解放を激しく求めていた現われなのかも。

ささくれを噛んだり、眠っている間に背中を引っかいて傷つけたりという自傷行為は、プリマの大役が舞い込む以前の暮らしでもあったことのようで、母は癖がぶりかえした娘を案じますが、既に狂気に囚われつつあった娘にはそんな心配も支配としか映りませんでした。

自分を超えられるのは自分だけ、といったトマスの言葉は不幸な形で実現されるのですが、そのことを周囲が不幸と考えようとも、ニナだけは福音と取ったのでしょう。

スリラーですからところどころにニナの幻想の産物を象徴する視覚&音響効果が入って思わず「ヒッ」と身をすくませたり、痛い場面が出てきます。知らずに観た私にはそちらの方が苦痛でした(^^;

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ゆんでめて

2011年05月10日 | 
畠中恵/著  新潮社/出版

屏風のぞきが、行方不明! 左・右に分かれたあの道で、右を選んだ若だんな。それが全ての始まりだって? 泣かないで、若だんな! 佐助よりも強い女子(!?)や、懐かしのあのキャラクターも登場。若だんなの淡い恋に、妖オールスターでのお花見で繰り広げられる“化け”合戦と、今作も絶好調に盛りだくさん。

「しゃばけ」シリーズ第九弾は、章を追うごとに過去に遡り、全体で一つの物語が完結するという形をとっています。

1:ゆんでめて
ある日、一太郎が路地をゆんで(弓手=左)に曲がったことで、親友とも呼べる「屏風のぞき」を失う危機に陥ります。もしあの日めて(馬手=右)に曲がったならと悔やみ続けながら遂に屏風のぞきとの永遠の別れを悟る一太郎の姿が哀れです。

2:こいやこい
前章の一年前のお話。
友である七之助が抱えた難題の手助けをすることになった一太郎に恋の予感?

3:花の下にて合戦したる
更に一年前のお話。
長崎屋で一足早く咲いた桜の化身のために、生まれて初めて花見をすることになった一太郎だが、妖たちや寛朝様や馴染みの登場人物たちも引き連れての盛大な会となり、狐と狸の化かし合いまで始まって、ひがんだ狢が騒動を巻き起こします。
この章で、生目神様が最終章に繋がる問いを投げかけてくるのですが、一太郎には覚えがありません。

4:雨の日の客
更に一年前。
長雨で浸水騒ぎとなったお江戸で、舟で逃げる途中の一太郎が、長崎屋へ残してきた妖たちが心配で戻ったところ、不思議な玉を巡っての騒動に巻き込まれます。実はその玉は竜神様の目玉だったというお話。利根川の禰々子河童も出てきてなにやら佐助と良い感じ♪

5:始まりの日
「ゆんでに曲がったあの日」に還ったお話。
小さな祠の主である比売命が不用意に姿を現したことで、人ならぬ者が見えてしまう一太郎が元々歩む筈だった道を外れたというのが事の発端でした。生目神様はその原因を正します。彼が巻き込まれたトラブルの最中に起こった小火騒ぎ。無事離れの妖たちを床下に避難させることが出来た一太郎。これで「屏風のぞき」との別れも無くなったわけです。

読み終わって心がほっこりとあたたかくなるのは今回も同様。
お馴染みのキャラもたくさん出てくるし、何より鳴家たちの可愛さが嬉しいの。
新作が楽しみです。

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永き旋律-さだ家の母と子供たち  初回版 & 新版 

2011年05月07日 | 
佐田 喜代子 著 / ユーキャン 発行 /自由国民社 発売

さだまさしの母が綴る自伝的子育て記。3歳から始めたヴァイオリンの英才教育、中学生からの東京でのひとり暮らし、そしてグレープでのデビューまで―母が描いた愛と苦闘のノンフィクション・ストーリー。(「BOOK」データベースより)


1984年の初版本と新たに加筆されての復刊本の両方を一度に読む機会を持ちました。というのも、最近この本を読んで感動したという友人に薦められて図書館で貸し出しの順番を待っていたところ、別の友人から初版本を持っているからと貸してもらった翌日に、順番が回ってきて、手元に二冊揃ってしまったのでした。まず初回版、続いて新版の順番で読みました。

正直、初版本の文章力は稚拙です。読者の視線を気にせず、まさに自分の感情を中心に書かれるその内容は、共感よりはささやかな反感を覚えてしまったほどでした。誤解しないで頂きたいのですが、決して著者が奢った人だからではなく、むしろ、不器用なほど正直に気持ちを綴っていたからなのかもしれません。
初版本において、私が満足した点は、さださんのコンサートトークで既に知っているエピソードを家族(母)の視点で読めたことだけでした。

ところが、加筆されているという新版を開いてみると、その文章の洗練具合に驚かされます。
もちろん内容は加筆部分以外、初回本とほぼ同じなのですが、文体というか言い回しが天と地ほどの差があるのです。初回本が読み手の感情を逆撫でするような棘があるのに対して、新版では読み手に対する意識的な配慮が加わっていて、とても素直に読むことができるのです。

この差は筆者自身の書き手としての成長によるものか、執筆協力者がついたのか・・どちらにしても後味の良さは断然新版の方です。(最初に薦めてくれた友人が読んだのも新版のようです。)

ちなみに、加筆された部分は「おばあちゃまの半生」・・さださんの祖母の若い頃のロシアでの武勇伝、そして転宅の時の薔薇のお話。どちらもコンサートトークでお馴染みです。それに、まさしの中学卒業から後の高校・大学時代とグレープ結成~プロデビューまでについてが新たに加わっていました。

中学卒業で終わっていた初回本はなにか中途半端な印象があったので、デビューまでが書かれた新版を読んである意味一区切りついたような気がしました。

筆者の、一人の母として子供のためにと信じて突き進んだ半生を改めて凄いなと思います。
彼女と同じことは私には到底出来ないし、またしたいとも思わないのだけれど、その情熱というか我が子への揺るがない愛情には素直に感嘆しました。

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紀元前1万年

2011年05月07日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2008年4月26日公開 アメリカ 109分

遥かなる太古の時代。山奥でマナクと呼ぶマンモスを狩って暮らすヤガル族の村で、リーダーなのに村を出て戻らなかった父を持つデレー(スティーブン・ストレイト)と“四本足の悪魔”に襲われ村に逃げてきたエバレット(カミーラ・ベル)は互いに惹かれあって成長する。ある日、正体不明の男たちが村を襲う。デレクはさらわれたエベレットを救い出したい一心で、父の旧友のティクティク(クリフ・カーティス)らわずかな仲間たちと共に一団の後を追う。旅は長く危険なものとなり、一度は助け出したエベレットや仲間も再び捕えられてしまう。しかし、旅の途中で助けた牙(サーベルタイガー)との出会いにより、彼こそ予言の導き手と目されて仲間が増えていき、遂に大勢の戦士たちを率いるようになる。そして、過酷な旅の果てに辿り着いたのは、壮大なピラミッドが並ぶ、想像を絶する文明の地だった。神を名乗る絶大な権力者の下で、さらわれてきた大勢の人々が奴隷として働かされていた。デレーは自分の使命を理解し、人々を救うための戦いに挑むが・・・。


マンモスを狩って暮らしている、文明の夜明け前の時代を生きる主人公が、愛する女性を奪還するための旅を通して自分の使命に目覚めるお話です。
ロストワールドさながらの爬虫類的な鳥に狩られたり、溺れかけたサーベルタイガーを助けたり、果ては宇宙人的な大神が登場したりと、アドベンチャーファンタジーの美味しいトコ取りな娯楽作品です。

精霊と話が出来る村の老婆(巫女?)がストーリーテラーになっています。一方でピラミッドの建造や宇宙船を連想させる大きな船などSF要素も加わっているので、この大胆な解釈を素直に楽しめば面白いかも。

デレーのライバルとして登場したであろう幼馴染が、途中で彼の部下的扱いになってたり、クライマックスで「神」との壮大な戦いになるのかと思いきやあっさり倒されちゃったり、槍で貫かれて息絶えた筈のエバレットが息を吹き返すのも、ファンタジーと思って割り切りましょう(^^;

ただ一人青い目を持つエバレットが、鞭打たれたことで出来た星座型の傷を「神」が恐れる象徴の印としたのはこじつけが過ぎる気も・・。そもそも神が恐れる理由の説明が全くないのはちと不満かな。

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ねこタクシー

2011年05月05日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2010年6月12日公開 106分

間瀬垣勤(カンニング竹山)は、人付き合いが苦手なタクシー運転手。元は教師だったが、生徒との人間関係が原因で辞職、タクシー会社で働いていた。だが、営業成績は最下位、家庭では妻で教師の真亜子(鶴田真由)や娘の瑠璃(山下リオ)からも疎まれ、唯一心安らぐのは、人気のない公園で食べるお弁当の時間だった。ここで彼は、首輪に“御子神”と記された三毛猫と運命の出会いをする。妙に落ち着きがあり、勝手にタクシーに乗り込む図々しさに心奪われる間瀬。ある日、猫を使ってネコババする事で有名な通称“ねこババァ”(室井滋)に奪われた乗車賃を返してもらおうと彼女の猫屋敷を訪れた間瀬は、沢山の猫の中に“御子神さん”を見つけ、御子神さんに懐いているチビ猫のコムギ共々引き取ることにする。猫を飼うことに真亜子は大反対だったが、瑠璃は“お父さんがやりたいことを話すのは初めてだから”と味方してくれた。タクシーに同乗する御子神さんたちをきっかけに客との会話が生まれ、成績も右肩上がりになるのだが、同僚の仁美(芦名星)が“ねこタクシー”に乗っているという記事が雑誌に掲載されたことで、保健所職員の宗形(内藤剛志)に糾弾されて・・・。

芸人のカンニング竹山さん主演ですが、本当の主演はやっぱり猫ちゃんだね♪
物静かな御子神さん(さん付けがとても自然な感じなの)はいるだけで癒されるし、元気だけど激しい人見知りなコムギちゃんは見てるだけで可愛い☆☆

口下手で人間付き合いの下手な間瀬が、教師としての自信を失い職を辞したのはわかるのですが、何故に転職先が客商売のタクシー運転手?そりゃ、業績も低迷するよねぇ(^^;
ところが、不思議な魅力を持つ御子神さんとの出会いが間瀬を変えていくんですね。

お父さんを避けていた娘が猫を飼うことをきっかけに打ち解けてきたり、乗客とも自然に会話が出来るようになったりと運気が上向きになってくるのです。

ところが、同僚が真似をして猫タクしたことで、保健所からお叱りが入り、御子神さんたちを同乗させることが出来なくなっちゃうのです。
ここで一念発起した間瀬さんは、“動物取り扱いの資格”を取って正式にねこタクシーを開業するために頑張るのです。それは単に営業利益に繋がるからではなく、タクシーに乗れなくなって元気がなくなった御子神さんのため、ただそれだけのために必死なのでした。

だから御子神さんが天に召された後(当時15歳・・人間でいえば90過ぎという設定でした)は、間瀬さんは元の教師の職に戻っていきます。
それって、彼の願いを受け入れて行政的な手続きに協力してくれたタクシー会社に対する責任としてはどうよ?な気もするのですが、まぁ、間瀬さんが御子神さんによって人間的に成長するってお話だったと思えば、腹は立たない・・かも。

演歌歌手の炎悟役で水木一郎アニキも出演しています。
ねこババァの室田さんも、近所の嫌われ者だけど、実は心優しい猫好きな老女を好演してました。また鶴田さん演じる妻も、夫を案じ見守る聡明なキャラで好感が持てます。

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シングルマン

2011年05月01日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2010年10月2日公開 アメリカ 101分

16年間共に暮らしたジム(マシュー・グード)が交通事故で亡くなって8ヶ月、ジョージ(コリン・ファース)にとって目覚めは、愛する者の不在を確認する苦痛に満ちた時間でしかなかった。彼は日を追う毎に深くなる悲しみに耐え切れず、自らの命を絶つことでこの悲しみを終わらせることを決意する。大学のデスクや銀行の貸金庫の中身を整理し、銃弾を購入して着々と準備を進める一方で、最後の授業でいつになく自らの信条を熱く語るジョージ。帰宅して、遺書や保険証書、死装束などを几帳面にテーブルに並べ心静かに死を迎えようとした時、かつての恋人で今は親友のチャーリー(ジュリアン・ムーア)から電話が入る。破るつもりだった約束を守って彼女の家を訪れたジョージは束の間、青春の思い出を彼女と分かち合う。帰りに寄ったバーで、彼の決意を見抜いていた教え子のケニー(ニコラス・ホルト)と出会ったジョージは、ケニーの思いがけない行動に心を揺さぶられ一夜を共にするのだが・・・

かなり評価が高かった作品らしいのですが、個人的には「・・・で??」という感じ(^^;

ジョージはLAの大学で英文学を教える几帳面でやや根暗な人物です。一方事故死したジムは建築家で、明るくユーモアに溢れていました。彼らは正反対の性格故に強く惹かれ合ったようですが、主人公の性癖がどうあれ、最愛の人を突然失うことは大変に悲しいことだと思います。
それで人生に絶望して、身の回りを整理し、自殺するべく計画を立てて実行しようとするのですが、いざ実行の夜、思わぬ展開が彼を待ち受けていたのでした。

そして、生きているのも悪くないなと思い始めた彼を待ち受けていた予期せぬ死。
それが人生さ!といってしまえばみもふたもないかしらん?逆にケリーとハッピーエンドになったら、安直な設定だと酷評されていたかも。

むしろ翌朝目覚めたケニーがどれほどショックを受けるかいうことの方に思いを馳せる私は、この映画を正しく鑑賞はしていないなぁということだけは確かです。

チャーリーが自らの破綻した結婚を経て、再びかつての恋人であったジョージを求める気持ちは、何となくわかる気がしました。おそらくジムが生きていたら彼女がそういう気持ちをチャーリーに見せることはなかったんだろうな・・。


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