2010年3月17日公開 アメリカ
1964年。イタリア・ローマにある映画スタジオ・チネチッタで天才映画監督、グイド・コンティー二(ダニエル・デイ=ルイス)は頭を抱えていた。新作の脚本を一行も書けずに撮影開始日が迫っていたからだ。決まっているのは主演女優だけ。追い詰められた彼は、新作の記者会見から逃げ出し海辺のホテルに身を隠す。そこで彼は、自分の弱さを抱きとめてくれる女たちの幻想に逃避しながら、呼び出した愛人(ぺネロぺ・クルス)や妻(マリオン・コティヤール)に救いを求める。プロデューサーに居場所を突き止められ映画製作の現場に連れ戻された彼はクランクイン直前ある決断を下す・・・。
フェデリコ・フェリーニの『8 1/2』に着想を得たミュージカル映画です。
監督は『シカゴ』のロブ・マーシャル。
絢爛豪華な女優陣に惹かれ、苦手なミュージカルだけど足を運んでみました。ダニエルの素敵なダメおじさまぶりにも
こういう作品は部屋の14インチTVじゃ絶対迫力不足になるに決まってるしね(笑)
一番の理解者である妻のルイザ(マリオン)、一途で官能的な愛人カルラ(ペネロペ・クルス)、彼の映画のミューズである大女優クローディア(ニコール・キッドマン)。
いずれ劣らぬ美女に囲まれて何と贅沢な悩みか、と思ってしまうけど(カルラを診た医者のセリフに激しく共感)、華やかな映画の世界に君臨する男ならさもありなん!とも思えてしまうのがグイドの女を惹きつける魅力なのかもね。
他にも衣装係であると共にグイドの良き友人のリリー(ジュディ・デンチ)、甘えさせてくれたママ(ソフィア・ローレン)、少年のグイドを「男」として目覚めさせた娼婦サラギーナ(ファーギー)、記者のステファニー(ケイト・ハドソン)といった豪華女優が登場し、それぞれのソロパートを情感たっぷりに歌い上げています。ひょっとして、あたし、ミュージカル好きなんじゃない?と錯覚しそうになりました
ファーギーのパートでは砂が効果的な使われ方をしているけれど、舞台に立つ彼女たちにとっては大変な仕事だったろうなぁ。目に入ったりしなかったのかしら?
でもやがて、数多の美女たちの母性をくすぐりながらも自分のことしか考えられないグイドに女たちは絶望し、愛想を尽かして去っていきます。
ルイザやクローディアに何故別れを告げられたのか理解できないグイドにもどかしさと憐憫を覚えるのは、それだけこちらも大人になったってことなのかなぁ。観客としての立ち位置は、どちらかというとリリー側だったりして
特に献身的な妻のルイザがグイドへの別れを決意したエピソードは殆どの女性が頷けるものだったと思います。
結末はグイドの復活と女たちの愛の再燃を予感させていますが、彼は愛の迷路の出口を見つけたのかな
ところで「NINE」の意味はグイドの9番目の映画だから?
「無」という意味もあるとか聞いたような・・
1964年。イタリア・ローマにある映画スタジオ・チネチッタで天才映画監督、グイド・コンティー二(ダニエル・デイ=ルイス)は頭を抱えていた。新作の脚本を一行も書けずに撮影開始日が迫っていたからだ。決まっているのは主演女優だけ。追い詰められた彼は、新作の記者会見から逃げ出し海辺のホテルに身を隠す。そこで彼は、自分の弱さを抱きとめてくれる女たちの幻想に逃避しながら、呼び出した愛人(ぺネロぺ・クルス)や妻(マリオン・コティヤール)に救いを求める。プロデューサーに居場所を突き止められ映画製作の現場に連れ戻された彼はクランクイン直前ある決断を下す・・・。
フェデリコ・フェリーニの『8 1/2』に着想を得たミュージカル映画です。
監督は『シカゴ』のロブ・マーシャル。
絢爛豪華な女優陣に惹かれ、苦手なミュージカルだけど足を運んでみました。ダニエルの素敵なダメおじさまぶりにも
こういう作品は部屋の14インチTVじゃ絶対迫力不足になるに決まってるしね(笑)
一番の理解者である妻のルイザ(マリオン)、一途で官能的な愛人カルラ(ペネロペ・クルス)、彼の映画のミューズである大女優クローディア(ニコール・キッドマン)。
いずれ劣らぬ美女に囲まれて何と贅沢な悩みか、と思ってしまうけど(カルラを診た医者のセリフに激しく共感)、華やかな映画の世界に君臨する男ならさもありなん!とも思えてしまうのがグイドの女を惹きつける魅力なのかもね。
他にも衣装係であると共にグイドの良き友人のリリー(ジュディ・デンチ)、甘えさせてくれたママ(ソフィア・ローレン)、少年のグイドを「男」として目覚めさせた娼婦サラギーナ(ファーギー)、記者のステファニー(ケイト・ハドソン)といった豪華女優が登場し、それぞれのソロパートを情感たっぷりに歌い上げています。ひょっとして、あたし、ミュージカル好きなんじゃない?と錯覚しそうになりました
ファーギーのパートでは砂が効果的な使われ方をしているけれど、舞台に立つ彼女たちにとっては大変な仕事だったろうなぁ。目に入ったりしなかったのかしら?
でもやがて、数多の美女たちの母性をくすぐりながらも自分のことしか考えられないグイドに女たちは絶望し、愛想を尽かして去っていきます。
ルイザやクローディアに何故別れを告げられたのか理解できないグイドにもどかしさと憐憫を覚えるのは、それだけこちらも大人になったってことなのかなぁ。観客としての立ち位置は、どちらかというとリリー側だったりして
特に献身的な妻のルイザがグイドへの別れを決意したエピソードは殆どの女性が頷けるものだったと思います。
結末はグイドの復活と女たちの愛の再燃を予感させていますが、彼は愛の迷路の出口を見つけたのかな
ところで「NINE」の意味はグイドの9番目の映画だから?
「無」という意味もあるとか聞いたような・・