杏子の映画生活

新作映画からTV放送まで、記憶の引き出しへようこそ☆ネタバレ注意。趣旨に合ったTB可、コメント不可。

MONSTERZ モンスターズ

2015年05月31日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2014年5月30日公開 112分

男(藤原竜也)には、視界に入っている人間を意のままに操る能力があった。子供の頃、その力を忌み嫌い虐待する父を殺し、それに絶望した母(木村多江)から見捨てられた男は、その力を使って必要最低限の金を手に入れ、ひっそりと絶望を抱えて生きてきたが、ある日、自分の能力が通じない男に出会う。彼、田中終一(山田孝之)は、一見ごく普通の男だが、どんな大怪我を負っても治るという尋常ならざる回復力を持っていた。自分の思い通りにならない終一に苛立つ男は、終一の周囲の人間を操り、叶絵(石原さとみ)の父親を死に追いやる。事態に気付き男を追う終一と男の間にやがて激しい戦いが・・・。


何だか言葉足らずというか違和感が残るなぁ~コミックが原作?と思ったら2010年の韓国映画「超能力者」のリメイクでした。本家観てないので比較はできないけれど、国が違えば背景も異なるし違和感はそこからくるのかも。

松重豊演じる刑事は、終一が子供の頃に家族が事故死した現場にいた警官で、彼を見守ってきた人物のようですが、同時に「男」と終一の能力に気付き監視し害を与えるようなら抹殺しようともしていて、一介の刑事じゃない様子。その割にあっさりやられちゃったけど

自分を化け物扱いした父を殺して以来、存在を消してひっそりと生きてきた男が、初めて自分の力が効かない人間に出会って憎悪を抱くというのはいかにも捻くれた感情だな。自分の存在を認めて欲しいという願望の裏返しとはいえ、思い通りにならない人間が気に食わないから周囲の人間を巻き込んで苦しめてやろうなんて思うのは、いかにもガキの精神構造です。おそらくは学校もまともに行かず、他人との関わりを拒んで生きてきたであろう男の哀しさとも言えますが、だからと言って許される行為ではないからね。

孤独といえば、終一も天涯孤独で生きてきた人間ですが、彼には職場の同僚であるオカマのジュン(落合モトキ)や晃(太賀)といった友人がいて、彼を好いてくれる叶絵や見守ってくれる刑事もいます。コインの裏と表のような二人は互いに補完し合う存在として描かれているようです。

男の目を見た者が操られるというより、男の視界に入った人間が操られるというのがミソで、つまり男を意識していなくても操られてしまうというのが怖いね。二人の戦いがエスカレートしていく劇場のシーンはありえね~~!!展開ですが、まぁフィクションですから。そもそも日本の警察ってあんなに簡単に銃の発砲許可与えられていないと思うぞ

あれだけのことをしでかした男を助けちゃうってのもどうよ!と思うのですが、互いに補完しあう関係ならば、彼を殺してしまうと終一も存在できないってことになるのかも。(このラストは韓国版とは異なっているそうです。)

ただ「男」とか「化け物」と呼ばれる彼にとって、名前は重要なアイデンティティーです。
彼が肌身離さず持っていたのは、昔母親が与えたコミック本です。それには彼の名前が記されていて、男にとってこの本は母親の愛情と自己の存在の象徴なだったのでしょう

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想いのこし

2015年05月24日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2014年11月22日公開 118分

金と女に目がない29歳のダフ屋・ガジロウ(岡田将生)は生粋の遊び人で、甘いマスクで次から次へと女を口説き、軽口でチケットを売りさばく日々を過ごしている。そんな彼が、ある日、不慮の交通事故に遭う。ガジロウは幸い無傷で済むが、その事故で亡くなったポールダンサーのユウコ(広末涼子)と彼女の仲間たちが現れる。小学生の一人息子・幸太郎(巨勢竜也)を残して死んでしまったユウコ、結婚式を目前に控えていたルカ(木南晴夏)、同級生に想いを寄せていたケイ(松井愛莉)、やり残した仕事を忘れられない元消防士のジョニー(鹿賀丈史)。彼らはこの世に大きな未練を残し、大切な人に伝えたい“想い”を抱えていた。ユウコたちは、ただ一人、死んでしまった自分たちの姿が見えるガジロウに、お金と引き換えにやり残したことを叶えてほしいと懇願する。ガジロウは嫌々ながらも大金に目がくらみ、4人の未練を叶えることを引き受けるが、彼らの代わりに大切な人に想いを伝えていくうちに、お金と女にしか興味のなかった彼の心が大きく変化していく。そして、一人息子を残してこの世を去れないユウコと残された幸太郎の深い想いと愛を知ったとき、ガジロウは思いもよらぬ行動に出る……。(Movie Walkerより)


原作は岡本貴也の小説「彼女との上手な別れ方」
金と女にしか興味のない男がこの世に未練を残して死んでしまった4人の男女の思いを届けるうちに、本当に大切なものは何かに気付いていく物語で、イケメンで善人役の多い岡田将生がダメ男のガジロウを演じることで、その綺麗顔が逆に悪人顔をも引き立たせる効果があることに気付きました

ポールダンサーという仕事はハリウッド映画などではたまに登場するけれど、日本でも商売として成り立っているのねぇ世間的にはストリッパーと同義語のように見られていて、ユウコの息子も母親が自分を育てるためにしている仕事と想いながらも、世間と同程度の偏見を持っているようでした。

ルカの願いのために新婦に扮するガジロウも、それを許容してしまう婚約者も、現実にはありえね~~!!と思いますが、気持ちが大事ってことで
野球部のマネージャーで片思いをしていたケイのエピソードの方は「三年生の最後の試合をケイが応援している」というガジロウの言葉を信じる部員の姿がまだしも納得できるかな。

ジョニーが元の仕事に愛着を持ってコツコツと自分の足で調べた地図は、実は何も生かされることなく捨て置かれていたのですが、情報が混乱する現場で思いがけず役に立ちます。見える筈のないジョニーに向かって敬礼する消防士たち。これもファンタジー

三人が貯めたお金をガジロウに差し出して願いを叶えて成仏していったのに対しユウコは息子が気がかりで成仏できません。貯めたお金があるとしてもそれは息子のために使いたいのは母心だしね

ポールダンサーという仕事に誇りを持っていたユウコたちを見ているうちに、ガジロウは自分でもダンスを習うことにします。母の仕事を恥ずかしく思っていた幸太郎に、それは違うんだよと教えたかったからなのね。ユウコに関しては、無償で、というより今まで三人から貰ったお金をつぎ込んでも、自らの意志でその秘めた願いを叶えようとするガジロウの姿に、彼の成長を感じることができました

箸にも棒にもかからないちゃらんぽらんなワルに見えたガジロウがどんどん顔つきが優しくなって好青年になっていくのは観ていて穏やかな気持ちになれました。

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ティンカーベルと流れ星の伝説

2015年05月23日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2015年5月20日DVD発売 アメリカ 76分 日本劇場未公開

緑色にきらめく不思議なすい星がネバーランドの夜空に現れました。そんな時、好奇心いっぱいの動物の妖精フォーンは、暗闇の奥深くで目を覚ました大きな動物を見つけ、心を通わせます。ところが、護りの妖精ニックスが“すい星が来るとネバービーストが目覚め、激しい雷の嵐が襲う”という伝説があると女王様に警告して…。ピクシー・ホロウの危機を救うのはいったい誰?(公式HPより)


シリーズ6作目で最終作とのこと。劇場公開は3作目からなくなりビデオのみになっていましたが、このシリーズ好きなんだけどなぁ

今回の主人公はティンクの友達のフォーン。好奇心旺盛なところはティンクと似ています。
妖精を食べる鷹の子を助けたことでパニックを起こしたフォーンは、女王からも良く考えて行動するよう忠告されるのですが、森の奥から聞こえてきた唸り声に反応して、棘が刺さって苦しんでいるグラフを助けちゃうのね。一心不乱に石を拾い集めて高い塔を作るグラフに協力して妖精の粉を使って手伝うのですが、ちょっとやり過ぎてニックスたちに見つかっちゃうの。

実はグラフこそがネバービーストで、伝説によると、春夏秋冬の森に一つずつ石の塔を作って
変身し、雷の嵐を起こしてピクシーホロウを破壊するという恐ろしい生き物だったことがわかり大騒動に!信じられないフォーンはグラフを逃がそうとするのですが、ティンクがグラフに襲われたことで泣く泣くグラフの捕獲作戦に協力するのです。でもティンクは襲われたのではなく、逆に助けてくれたのだということが判明し、石の塔も避雷針の役割を果たしていたのでした。

真実を知らないニックスに塔を壊され大ピンチを迎えますが、グラフ自身が避雷針となりピクシー・ホロウは危機から救われます。一時は心停止したフォーンも無事生き返り、妖精たちとも仲良くなったグラフですが、1000年に一度の彗星に備えてまた眠りにつかなければなりません。グラフとフォーンの別れのシーンはちょっとウルウルきちゃいました。

今回は、人(動物)は見かけじゃないよってのがテーマかな
ティンクの出番は多くありません。これが最後ってなんか物足りないぞ~

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ローマの教室で 我らの佳き日々

2015年05月18日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2014年8月23日公開 イタリア 101分

ローマの公立高校。「教育は学校の中だけでいい」という考えのもと校長を務めるジュリアーナ(マルゲリータ・ブイ)は、ある時なりゆきから親に見捨てられた男性生徒ブルニョーリの面倒をみることになる。生徒に意欲を沸かせようと熱血ぶりを発揮する国語の臨時教員ジョヴァンニ(リッカルド・スカマルチョ)は、ずる休みを繰り返す生徒アンジェラに振り回されていた。美術史の老教師フィオリート(ロベルト・エルリツカ)は、教育に対する情熱を失っていく中、かつての教え子と再会する。やがてそれぞれの生徒たちとの交流によって、3人の教師の人生にある変化が訪れる。


ローマの高校を舞台に、タイプの異なる3人に教師がそれぞれに価値観や人生を変える生徒と出会うさまを描いています。

かつての情熱は遠い昔に打ち捨てられ、今や惰性の中に教師を続けているフィオリートにとって、若く情熱に溢れるジョバンニは目障りで鬱陶しい存在。何かにつけて冷たく当たります。でもそれは昔の自分を思い出すからなのかな?そしてその先にある挫折を知っているからこそなのかなそんな彼のもとに現れた昔の教え子からの感謝の言葉。教育に情熱を持っていた頃の自分を思い出すきっかけになったのか・・・な

ジョバンニは学習に身が入らず欠席を繰り返すアンジェラを何とか授業に興味を持ってもらおうと奮闘するのですが、空回りに終わります。遂には彼女が嘘を付いていると誤解し見放してしまうのです。嘘でなかったと気づいたときのジョバンニの何とも言えない表情が印象に残りました。さて、彼はこの先も教師としての情熱を保てるのでしょうか

二人に比べると、ジュリアーナのほうがよほど人情味があるような気がします
仕事優先で料理も夫が作ることが多い彼女は家庭を切り盛りする能力に欠けていることを自覚しています。(だから母となることを選択しなかったようです。)
教育にのめり込みすぎないよう無意識に自制している彼女だからこそ「教育は学校の中だけで~」というセリフになるのだと思いました。ところがある日、母親に置き去りにされた生徒の面倒を見る羽目になります。福祉局に丸投げにしても良いのについお見舞いに行ってしまう彼女こそが本来の情味のある姿ではないかしら?

三人とも聖人君子ではない。そう、先生が聖職なんてのは遠い昔の幻想生身の人間として悩み苦しみ、時には怠惰に逃げ込みながらも生きているのです。生徒の方だって色んな事情があります。ルーマニア移民の子のアダムは優等生で父親からは将来を期待されていますがそれがストレスとなっていて、GFとの関係も何だか微妙ブルニョーリは母親がもう帰ってこないだろうことを予感しているし、アンジェラは学校より価値あるものを外に見出しています。

でも彼らが大人になり、いつか高校時代を思う時、そこにあるのは友人との何気ない会話や、聞き流していた授業の一説だったりするのかも

佳い作品とは思いますが・・・・結論のない物語は少々苦手です

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駆込み女と駆出し男

2015年05月18日 | 映画(劇場鑑賞・新作、試写会)
2015年5月16日公開 143分

鎌倉にある東慶寺は、江戸幕府公認の駆込み寺だった。離縁を望む妻がここに駆け込めば問題解決に向け動く拠り所だった。駆け込んだからといってすぐには入れず、まずは御用宿で仔細の聞き取りがされる。御用宿の柏屋に居候する劇作者に憧れる見習い医者の信次郎(大泉洋)は、柏屋の主人・源兵衛(樹木希林)とともに、離婚調停人よろしく、口八丁手八丁、奇抜なアイディアと戦術で男と女のもつれた糸を解き放ち、ワケあり女たちの再出発を手助けしていく。


劇作家・井上ひさしが晩年に11年をかけて執筆した時代小説「東慶寺花だより」の映画化です。
昔、グレープの「縁切寺」という曲で東慶寺を知った身にはなんだか懐かしいような気持ちになり選択

質素倹約例が発せられた江戸時代後期が舞台。
日本橋の豪商・堀切屋三郎衛門(堤真一)の愛人お吟(満島ひかり)は夫の身上に不信感を持ち東慶寺に駆け込む途中で夫の暴力から逃げ出してきた鉄練りの女じょご(戸田恵梨香)と出会って共に駆け込みを果たします。この時追っ手を間違えて信次郎に下駄をぶつけちゃうんですね~(じょごの顔は鉄練りの際の火ぶくれで醜くなっていますが、信次郎の薬で綺麗に治ります。)

この信二郎、江戸で騒ぎを起こして(お上に楯突く発言をして)親戚を頼って逃げ込んだのですが、叔父と思っていた源兵衛さんは女性だった、というところから笑いが起こります。権力を笠にきる連中が嫌いというのは甥とよく似ているね番頭の利平(木場勝巳)やその妻お勝(キムラ緑子)との掛け合いも楽しく、おせんを取り戻そうと押しかけてきたヤクザ相手に信二郎が得意の弁舌で煙に巻くエピソードもです。
ただ、少し早口で進む会話はときに聞き取りにくい部分もあったのがちょっと残念かも

東慶寺に入るにも持参金により優雅に生活できる者から下働きまでランクがあったとは知りませんでした。
足を挫いた自分を一緒に連れてきてくれたじょごの分も出そうとするお吟の好意を断り下働きの最低ランクを希望したじょごは、根っから働くことが性に合ってる感じ。火傷を治療してくれた信次郎とは薬草集めを通じて互いに好意を抱くようになっていきます。渓流のあちら側とこちら側でこっそり顔を合わせる二人の様子は初心な恋人たちのよう見つかればえらいことになるのですがねぇ
駆け込んだ時には柏屋の吟味にまともに話もできずに口ごもるじょごでしたが、信二郎や薬草との出会いが彼女を逞しく自分の意思をはっきり持った女性に変えていったのね。

寺には他にも夫を殺したゴロツキに無理やり妻にされた女侍のゆう(内山理名)や、吉原から逃げ出すために姉夫婦を巻き込んだ大芝居を打ったおせん(玄里)など大勢の女たちが暮らしています。

寺の中には男性は原則として入れませんが、医者は別。でも診察は直接肌に触れてはいけないとか目を合わせてはいけないとか、その辺の事情を映画ではコミカルに描いています。演じているのが大泉さんですからその効果は絶大

おゆき(神野三鈴)が想像妊娠で腹が膨らんだ時には、その原因を推理し理路整然と説き聞かせてこれを直すあたりは立派な名医です

寺を潰す口実を見つけるため鳥居が送った間者は、院代の法秀尼(陽月華)の隠し部屋にあった禁書を見つけて、隠れキリシタンとして苦しんできた身の置き所を見つけ寝返るのもっと騒動があるのかと身構えていた割には、あっさり終わってしまった感がありました。尤もこの数年で老中や鳥居は失脚するし、歴史としても東慶寺は残っているのですからこれ以上広げられなかったのかな

実はお吟は自分が治らない病気と悟り、愛する男に最期を見られたくないという矜持から駆け込みをしたということが明らかになっていきます。それを知らない堀切屋は、信二郎を捕まえてお吟の意図を探ろうとするのですが、彼女の本心を聞かされて・・・彼の素性は大泥棒で、町奉行の鳥居(北村有起哉)から目を付けられているという伏線もあるのですが、質素倹約を押し付ける権力者に抗う町人の代表のような扱いで、ちょっとカッコ良すぎだぞ~堤さん
宿下がりしていたお吟が息を引き取った時、柏屋の門口で念仏を唱えていたのは、間違いなく堀切屋この二人は愛しているが故に添い遂げられない悲しさを背負っていました

一方、なまじ腕が立つだけに厄介なのはゆうの夫。前夫の敵討ちのために弓や薙刀の稽古を積んだゆうが、二年が経って仇討より静かに暮らすことを希望したのと対照的に、夫は無理やり連れ戻そうと暴れます。それを抑えようとして結果的に仇討を成したゆうに心の中ででした。

じょごの夫の重蔵(武田真治)は、二年の間に改心して仕事にも身を入れる男になっていました。詫びて復縁を願う重蔵でしたが彼女の心は決まっていました。長崎に医者の修行に行くという信二郎に、すでに立派な医者なのだから、今なすべきは劇作者として江戸に行くことだと諭すじょごが頼もしい!!信二郎が憧れる八犬伝の作者・馬琴(山崎努)を昔祖父が助けた縁でじょごと繋がりがあるという設定からは、江戸に戻った二人が身を寄せるのが馬琴宅であることが自然な流れとして受け入れられます。

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レッド・ファミリー

2015年05月15日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2014年10月4日公開 韓国 100分

韓国のある町に住むある一家。仲睦まじい家族に見える彼らは北朝鮮のスパイだった。誰もが羨む理想の家族を演じながらも、家の中では厳しい階級制が存在し、妻ベク(キム・ユミ )を演じるリーダーの命令を順守してスパイ活動を行なっていた。共に暮らしながらも、お互いを監視し合い、馴れ合いの許されない疑似家族を演じる彼らにとって、ケンカの絶えない隣の家族は“資本主義の限界”の馬鹿家族だったが、本音で暮らす姿に次第に心を動かされていき、やがて任務と人生そのものに疑問を感じ始める。そんな折、ベクは、夫役のキム(チョン・ウ )の妻が脱北に失敗したことを知り、キムを助けようと独断で行動を起こすが、逆に大失態を犯してしまう。祖国の家族の命と引き換えに与えられたミッションは“隣の家族の暗殺”だった。

キム・ギドク監督の社会派ドラマです。仲睦まじい家族を装う北朝鮮工作員による擬似家族と、その隣人のケンカの絶えない韓国人家族という対照的な2つの家族が描かれます。それにしても現実にこんな工作活動が本当に行われているとしたら何とも恐ろしく切ないことです。

隣家の妻(カン・ウンジン)は勝気で浪費家。夫(パク・ビョンウン)の稼ぎが悪いと罵詈雑言を浴びせ借金を重ねて散財をしています。息子のチャンス(オ・ジェム)は同級生からカツアゲされる気弱な高校生で父母の喧嘩にうんざりしています。祖母(夫の母)も息子夫婦を何とか仲良くさせようとあれこれ諭すのですがすぐにまた喧嘩が始まる始末。

そんな隣家の毎度の騒ぎを聞きながら(いくら隣といっても会話が筒抜け過ぎですが。逆に疑似家族の会話は隣家に全く聞こえていないのが不思議)これだから資本主義はダメなんだと軽蔑していた工作員たちですが、娘役のミンジ(パク・ソヨン)はチャンスと仲良くなっていき、祖父役(ソン・ビョンホ )も祖母に好意を抱かれるようになると、彼らの心境にも変化が現れます。感情豊かに生きている隣人たちの方が、よほど人間らしいのではないかと悩むんですね。そりゃ~脱北者の暗殺に明け暮れる自分たち、本当の家族と遠く離れ安否を気遣いながら暮らす自分たちと比べてあまりにも自由なんだものね。

隣に寝ていても手も握らない関係のベクとキムの間にも微妙な感情が生じてきます。
そんな感情の変化もしかし、しっかり盗聴され、警戒されているというのが怖いところです。
キムの妻が脱北しようとして捕われたことを知ったベクはキムのために手柄を立てて妻の罪を減じようと独断である脱北者の暗殺を実行しますが、それは脱北者を装った工作員だったために彼らは絶体絶命の窮地に立たされます。もう彼らは自分たちの命はないものと覚悟を決めているのですが、残された家族のために最後のミッションを受け入れようとするの。愛するものを守るために別の愛するものを犠牲にすることの不条理に苦しみ悩んだ彼らが出した結論が切ないです。

最後の時を隣人の喧嘩シーンのセリフを再現して「家族ごっこ」を演じる彼らの瞳に映っていたのは本当の家族の姿?それとも・・・。(彼らの始末にきた監視者たちは彼らを盗聴していたので、このセリフの意味は伝わっていたと解釈していいのね。)それにしても針金で手首を数珠つなぎにするシーンの乱暴で酷くて痛々しいことったら

物語はコメディ仕立てですが、扱う内容の息苦しさが逆に引き立っています。
ラストで殺されたはずのミンジが登場するのは、せめてもの救いなのでしょうか。
隣家と共にした食事シーンで、お互いに話し合うことから新しい未来が生まれるというようなことをチャンスとミンジに言わせていますが、若い二人がこのセリフを言うことこそ意味があることですね

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ワイルド・スピード SKY MISSION

2015年05月11日 | 映画(劇場鑑賞・新作、試写会)
2015年4月17日公開 アメリカ 138分

オーウェン・ショウ(ルーク・エヴァンス)率いる国際犯罪組織を壊滅させ、レティ(ミシェル・ロドリゲス)を奪還してロサンゼルスで平穏な日々を過ごすドミニク(ヴィン・ディーゼル)たちの前に、オーウェンの兄デッカード・ショウ(ジェイソン・ステイサム)が弟の仇を討つべく現われる。元英国特殊部隊の暗殺者で一国の軍隊に匹敵するほどの力を誇るデッカードは、東京にいるハン(サン・カン)を殺し、ドミニクの家を爆破する。復讐に燃えるデッカードと、仲間を失い怒りに燃えるドミニクたち。全てを奪おうとする男を前に、すべてを賭けた最後の戦いの幕が開く。


カーアクション映画の「ワイルド・スピード」シリーズの第7作です。
撮影期間中に交通事故で急逝したポール・ウォーカーの遺作でもあり、ビン・ディーゼルやドウェイン・ジョンソン、ジェイソン・ステイサムら、いずれも主役級の坊主系マッチョが集結しているとあっては見逃せません

ヴィンちゃんもステイサム君もどっちも好きなのに、今回は敵味方に別れてのカーアクションやファイトシーンが満載で、これはもう嬉しい悲鳴を心の中で何度も上げながらの鑑賞でしたスカイミッションと副題がつくだけあって、空中からのダイブあり、超高級車でビルからビルへ飛び込みあり、ヘリにまでジャンプするド派手なカーアクションの連続でございます。

冒頭、弟の病室で復讐を語り掛けるショウ兄貴。震える医師やナースを後に一歩病室を出ると、そこは破壊の限りを尽くした病院内。これでどうやって治療が継続できるってんだ?

一方、結婚して一児の父となったブライアン(ポール・ウォーカー)はその平穏さにどうにも馴染めずにいます。ミア(ジョーダナ・ブリュースター)はそんな夫に第二子を妊娠していると告げるのを躊躇います。そんな時、ショウ兄が現れて平穏な生活は終わりを告げるのね。早々にハンが殺されちゃったのは残念でしたが、前作で愛する人を亡くした時点で出番は終わっちゃってたのかなぁ。

その分、ローマン(タイリース・ギブソン)とテズ( クリス・“リュダクリス”・ブリッジス)の凸凹コンビが『Aチーム』のコングとモンキーのような掛け合いを見せて楽しませてくれます。特に軍用機から車でダイブするシーンでしり込みするローマンを無理やり空中に引っ張り出す場面などは笑ってしまいました。

神出鬼没のショウ兄を捕まえるため、ホブス捜査官(ドウェイン・ジョンソン)の紹介でMrノーバディ(カート・ラッセル)と取引したドムは、「神の目」という追跡システムを開発したハッカーのラムジー(ナタリー・エマニュエル)救出に向かいます。オタク系男子と思わせておいて、実はキュートな女の子というのがミソ彼女も後半では命を狙われ車三台を次々乗り継いで逃げ回るアクションを見せてくれます。

しかし、ショウ兄ってばほんとどこにでも現れては邪魔するのね
システムのチップを取り戻しにアブダビの王子のパーティに潜り込み、その割にはド派手に暴れまわったドムたちを待ち構えての攻撃には、3つのビルを最高級車で飛び移るという離れ業が見られます。これってどうやって撮影したんでしょうね?そして、現実だったら間違いなく国際紛争になるところだ

ラムジー救出劇の時の敵と組んで再び襲ってくるショウ兄は、不死身のゾンビの如くの執念ですが、対するドムたちも、あのアクションで動けるのが不思議なくらい。そもそも怪我も殆どしてないって超人かい
(まぁ、そういう細かいことは忘れてアクションを楽しむのが王道ですが

最後はホブスが「一発」で決めて良いとこ取りでしたが、ともかく無事一件落着して、ブライアンは家族のもとに戻っていくのでした。ポールの死でもうブライアンの登場はないのでしょうけれど、「引退」という花道で送り出したのですね。

エンディングテーマが流れる中、これまでのシリーズのブライアンのシーンが回想され、歌詞がまた現実と物語の両方に通じる意味深い内容で、シリーズのファンなら涙腺が緩んでしまうかも。

でもね・・・ショウ兄、生きてました!!弟の方も生きてるってことは、次回作があれば今度は兄弟でタッグを組んで襲ってくるのかしらん?やぁねぇ




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レジェンド・オブ・ヴィー 妖怪村と秘密の棺

2015年05月09日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2014年製作 ロシア・ウクライナ・チェコ合作 111分

18世紀、ロンドン。地図製作者のジョナサン(ジェイソン・フレミング)は、トランシルヴァニアの未知の土地を地図に書き加えるための旅に出た。カルパティア山脈を越えたところで、彼は外界から孤立した小さな村を発見。そこでは、人々が村の中に潜む魔物の影に怯えながら暮らしていた。偶然に迷い込んだジョナサンは、この魔物の謎を解き明かし、村人たちを救うことができるのか!?


原作はロシアの作家ゴーゴリによる中編小説集「ミルゴロド」の一篇「Viy」。
ロシア映画界がハリウッド並みの作品をと巨額と投じて意気込んで作ったようですが、ファンタジー・アドベンチャー・ホラーってちょっと欲張って詰め込み過ぎどれも中途半端な感じが否めませんでした。

ジョナサンが貴族?お金持ち?の娘と逢瀬を楽しんでいる部屋に無粋に入ってきた娘の父親に追い出される冒頭はコメディかと思わせます。地図を作るために旅をするジョナサンは娘に鏡文字で書いた手紙を伝書鳩につけて送るのですが、娘は彼の子を宿し男の子ダニエルを産みます。この頃には父親は鏡文字の手紙の謎を解いてちゃっかり読み、彼を見直しているというのは少々ご都合主義的展開だなそもそもこのエピソードを入れたのはホラーを笑いで中和するためなのかしら?

同じ頃、ウクライナのある村では花輪にロウソクを立て水辺に浮かべてそれを拾った若者と結ばれるという伝説の夜に一人の娘が殺され、一人は正気を失います。死んだ娘パンノチカの父である地主はホマー・ブルータスという旅の神学生に教会で3晩の祈りを頼みますが異変が起きて司祭により教会は封鎖されてしまいます。ヴィーは洞窟の暗闇に宿る古代の神だそうですが、東欧では神と悪魔の存在はごく身近なものなのね。

そして一年後、ホマーと一緒に旅をしていた二人の学生ゴロベツとハリャワと出会ったジョナサンはホマーの疾走の話を聞き、偶然に導かれて村にやってきます。娘の死の真相を知りたい地主から、教会の中を見てくるよう頼まれたジョナサンは地主の使用人ペトルスを連れて行くのですが、そこで見たのは・・・。

実はあの夜、パンノチカの花輪の相手はホマーでしたが、彼女の美貌に目が眩んだ司祭がホマーを殴り倒して彼女をレイプし、自分の罪を隠すため彼女を魔女と偽っていたのでした。地主がホマーへの報酬として預けた貨幣を横取りしたオヴェルコ兄弟もそれに加担し、秘密が暴かれることを恐れてジョナサンや正気を失っているナストゥーシャまで殺そうとしたのです。一年前に教会で殺されかけ、何とか村を出る機会を窺っていたホマーがこの真実をジョナサンに話しますが、そこへ司祭がやってきて二人を殺そうとします。
ナストゥーシャを愛するペトルスも必死に彼女を救おうと戦います。

彼らが体験する悪魔のクリーチャーがけっこうグロイまさにハリウッドホラーです。
ジョナサンやホマーは科学者の位置づけで、迷信深いウクライナの森に住むスラブ人の村人(コサック系)とは対照的なのですが、その村人を操り新興宗教の教祖たらんとする司祭も宗教者というよりは一種の科学者に見えました。
とはいえ、悪人には漏れなく天罰が下されるあたりは宗教的な結末ともいえます。

さて、物語に登場する悪魔たちは現実だったのでしょうか?それとも彼らの妄想だったのでしょうか?ラストで登場する子鬼?のクリーチャーが意味するものは?そもそもヴィーが古代の神ならキリスト教的には異端の神であり、すなわち悪魔ということになるの?

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ピノッキオ

2015年05月08日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2013年製作 ドイツ 96分
2014年「22nd キンダー・フィルム・フェスティバル」オープニング作品

妻に先立たれて子供もなく愛犬と貧しい日々を過ごす玩具職人のゼベット爺さん(マリオ・アドルフ)の家に、ある日転がってきた一本の丸太。お爺さんはその丸太で子供の人形を彫ってピノキオと名付けた。その晩、妖精が現れてピノキオに命を授ける。翌朝元気に動き回るピノキオを見て大喜びのお爺さんは、我が子のように可愛がるのだが・・・。


カルロ・コッローディの童話『ピノッキオの冒険』を原作にしたドイツの実写映画で、ピノキオはCGで描かれています。

妖精に命を授けられたピノキオですが、生まれたての彼には心も知恵も備わっておらず、自分の欲求の赴くままに動き回ります。興味を持ったことにはすぐに飛びついてその善悪を考えようともしません。良く言えば天真爛漫なのですが、自分の行動がどんな結果をもたらすかについて全く頓着しないその様子は見ていてイライラしてきます。

ピノキオの良心の代わりに登場するのがコオロギのココ。丸太(松の木の洞)に住んでいた彼女は、そのままピノキオのポケット(引き出し)に住んで彼に様々な忠告を与えるのですが、ピノキオは全く聞こうともしません。

近所に住むソフィアとルカの姉弟と仲良くなって悪戯を楽しんだピノキオは、悪ガキのルチーニョロとも顔見知りになります。火に手をかざせと言われてもからかわれているとは気付かないピノキオは無邪気というよりおバカさん。

学校に行く途中、人形芝居に惹かれたピノキオは、ゼペットが上着を売って買ってくれた教科書を木戸賃に変えてしまいます。挙句に人形芝居をメチャクチャにして人形師を怒らせたピノキオは彼に連れ去られますが、ピノキオの話を聞いてゼペットに同情した人形師は、ピノキオに金貨を与えてお爺さんのところに帰るよう言います。(こいついいやつじゃん

ところが、帰り道でずる賢いキツネとネコ(こちらは実写で人間が演じています。)に付きまとわれ、騙されて金貨を盗まれてしまうの。お爺さんのために金貨を増やして自分のせいで失くした本や道具を買おうという気持ちはわかりますが、騙されるのは思慮が足りないからで、呆れるというより哀しくなってきます。

お次はうるさい大人もいなくて学校にも行かなくて良いという夢の国「ワンダーランド」に誘われてホイホイついていった挙句ロバにされてしまうの。父親に叱られて家出した姉弟やルチーニョロも馬車に乗っていたからといって、そこはまっすぐ家に帰らなくてはならなかったのに。食肉にされそうな彼らを妖精が逃してくれます。(色仕掛けでというのは大人向けのサービス?
池に映し出された過去の自分の行いを見てどんなに酷い子だったかに気付いたピノキオは、元の姿に戻った姉弟と一緒に家に帰ってきます。(姉弟の恐い父親は子供たちが帰ってきたことを喜んで優しくなるの。

でもお爺さんは家にいませんでした。犬を連れて、ピノキオを捜しにボートで海に出たところ、大きなクジラに呑み込まれてしまったのです。お爺さんを捜しに出たピノキオは、クジラのお腹の中で書いた手紙を読みます。お爺さんを救おうと海にでたピノキオは、クジラのお腹の中でお爺さんと再会します。この頃には震えているココを気遣ったり、熱を出したお爺さんの看病をしたりと人間らしい心を持つようになっています。そういえば、初めはお爺さんの言葉を繰り返すだけの棒読み状態だったピノキオが、人と関わっていくうちに感情も豊かになっていくのね。

嘘を付くと鼻がのびるという現象を利用してクジラの腹をくすぐってくしゃみをさせて脱出した二人と一匹。海岸に流れ着いたお爺さんが目を覚ますとそこには人間になったピノキオがいましたとさ

ピノキオやココのCGアニメは可愛いし、ワンダーランドの遊具やお菓子でいっぱいの部屋などは観ていて楽しくなる夢のある映像でした。擬人化されたキツネ(女優さんが演じてます)はいかにも狡そうだし、ネコは頭悪そうなどんくさい奴。演じている俳優さんはちょっとジョニー・デップに似てました人形のピノキオと人間のピノキオを同時に登場させたり、妖精が全く言葉を離さず表情と動きだけで演じる手法には少し違和感を覚えましたが、原作のイメージを損なわないストーリー運びは好感が持てます。原作の物語を読んだのは子供時代でしたが、大人になった今では、子供目線でなく、彼らの親や人形師やボートを貸してくれた人、お爺さんの側に立って観ている自分がいました。

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柘榴坂の仇討

2015年05月01日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2014年9月20日公開 119分

幕末の安政七年三月三日、主君である大老・井伊直弼(中村吉右衛門)の御駕籠回り近習役として仕えていた彦根藩士の志村金吾(中井貴一)は、江戸城桜田門外で襲撃に遭い、目の前で井伊の殺害を許してしまう。主君を守り切れなかった後悔を抱え、切腹も許されず仇討を命じられた金吾は、時が明治へと移り変わってもなお、武士としての矜持を持ち敵を探し続ける。一方水戸浪士・佐橋十兵衛(阿部寛)は井伊直弼殺害後、俥引きに身をやつし孤独の中に生きていた。そして明治六年二月七日、仇討禁止令が布告される……。


浅田次郎の短編集「五郎治殿御始末」の中の一編を原作としているそうです。

剣の腕を見込まれて近習(現代のSPだね)になった金吾は、為政者としての表の顔は知らないけれど、屋敷で過ごす普段の大老の、自然を愛し句を嗜むその人柄に惚れ込んでいました。
事件当日は雪が降っていて、濡れそぼった行列では大老が恥をかくとの理由で刀の束にも覆いをかぶせるよう指示が出ます。佐橋が直訴状を持って行列を止めて事を起こした時に、その覆いの紐を解けずに金吾は脇差で戦わざるを得なくなり、手間取っている間に佐橋の仲間たちが籠を襲って大老を殺してしまうのです。

美しく貞淑なセツ(広末涼子)を娶り、近習として将来の出世間違いなしだった金吾の人生は、一転。両親が自害して果て、金吾自身は武士の面目を守る切腹も許されず、首謀者の水戸浪士たちを討つよう命じられます。離縁を切り出す金吾にセツはご下命を果たすまで共にいますと拒否します。

犯人のうち、生き残っている5人のうちの一人でも良いから討ち取って来いという命令は、情報の発達した現代とは違い、人相書きと名前だけの手がかりでは至難の技です。自分の足で見つけ出すしかありません。やっと見つけてみれば既に死亡していたりで13年が経つ間に時代は江戸から明治に代わり、彦根藩そのものも存在しなくなっています。命令そのものが意味を持たなくなっているのですが、金吾にとって、仇を追い求めることこそが武士としての矜持です。

借金取り立ての商人に元武士が辱めを受けているところに通りかかった金吾が割って入り、彼の侍としての矜持に応じた元武士たちが続々と助力に加わり、彼らを撃退するシーンが印象的です。司法省の役人となっていた金吾の親友・内藤新之助(高嶋政宏)は、そんな金吾の力になりたいと思い、かつて水戸浪士たちの取り調べを担当した元評定所御留役の秋元和衛警部(藤竜也)に相談します。助力を約束した秋元ですが、彼の妻は夫を非難します。仇討ちが成就すれば金吾は晴れて切腹するでしょう。そうすればこれまで彼を支えてきた妻も当然後を追うでしょう。時代が変わった今、皆が不幸になるだけではないかと・・。(そうだ!そうだ!!)彼女は訪ねてきた金吾にも同じ意味合いのことを言います。只管夫に仕え支えるセツや、子連れバツイチだからと好意を封じ込むマサといった貞淑な女性たちと、男目線で進む物語の中で、この妻の言動は異彩を放っていますが、彼女の言葉はまさしく女性たちの気持ちの代弁です。

でも秋元は金吾に十兵衛の居場所を教えちゃうんですね~そして金吾はその足で十兵衛のところへ行くの。秋元が金吾を呼びつけたその日は、新政府が「仇討禁止令」を布告した日だったというのが伏線です。

十兵衛の人力車に乗り込んだ金吾は、十兵衛の両親もまた自害し、孤独な人生を歩んできたことを知ります。事件そのものについてはその時は正しいことをしたのだと信じていたという十兵衛に、柘榴坂で車を止めさせた金吾は、自分を討つよう願い出た彼に自らの刀を与えて一騎打ちを申し込むのです。倒れた十兵衛は再度自分を討つように願い出ますが、事件の直前に「命懸けで国を想う者を無下にするな」と言った直弼の言葉と「国を想う者に不当な処罰を与えれば、誰も国を想わなくなる」という秋元の言葉を思い出した金吾は、自分が慕っていた大老の言葉に背くことは出来ないと告げ「新しい人生を生きてくれ」と十兵衛を諭すのです。それはまさに自分を納得させるための言葉でもありました。(どうせならもっと早く気付いて欲しかったけどね~

長屋住まいで独身の十兵衛は、自分を慕ってくれているマサとチヨ母子の気持ちに気付きながらも自分を抑えていたのですが、二人と人生を新たに歩む決意をします。
一方、金吾も居酒屋で働くセツを迎えに行き、これまでの感謝を伝えるの。秋元に呼ばれたと聞いた時から夫の死(仇討成就して切腹)を覚悟していたセツにとって、無事な夫の姿を再び目にし、彼の口からもう仇討は出来なくなったのだと聞かされたその瞬間がまさに願いが敵った瞬間だったことでしょう(共に働く店の女の子からミサンガを貰ってつけているというのはちょっと過剰アレンジな気もするのだけれど、ま、いっか~

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ぼくを探しに

2015年05月01日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2014年8月2日公開 フランス 106分

幼い頃に両親を亡くし、そのショックで言葉を話せなくなったポール(ギョーム・グイ)は、ダンス教室を経営する風変わりな双子の伯母アニー(ベルナデット・ラフォン)とアンナ(エレーヌ・ヴァンサン)のもとで世界一のピアニストになるよう育てられる。伯母たちの教室を手伝い、ピアノを練習するだけの孤独な日々を送り33歳になったポールだが、ある日、同じアパルトマンに住むマダム・プルースト(アンヌ・ル・ニ)と出会う。彼女の淹れたハーブティーには、失われた記憶を呼び覚ます不思議な効果があった。以来、伯母たちに隠れて彼女の部屋をたびたび訪れるようになったポールは、ハーブティーを飲んで記憶を遡るうちに固く閉ざされた心が少しずつ開放されていく。しかし、ポールの行動を怪しみ始めた伯母たちがマダム・プルーストの存在を嗅ぎつけて彼女の部屋に怒鳴り込んでくる。自分の人生を取り戻すため、勇気を振り絞り最後のハーブティーを飲むポールだったが、そこには予想外の真実が待ち受けていた……。


フランス映画らしい独特の雰囲気を持つ作品です。
フランスのアニメーション作家シルバン・ショメが、初めて手がけた実写映画で彼の作品「ベルヴィル・ランデブー」のサントラで使われた「アッティラ・マルセル」という楽曲に着想を得て物語を作っていったのだそう。

両親の死のショックで言葉も記憶も失ってしまったポールが、不思議な女性と出会ったことで、過去の記憶が呼び覚まされます。
彼の覚えている母親はとても優しく美しいのですが、プロレスラーだった父アッティラ・マルセル(ギョーム二役)は野獣のように乱暴で恐い人です。ハーブティー(どうみても危ない脱法ドラッグ系なんですが)を飲むことで、赤ん坊だった頃の幸せな記憶が断片的に蘇ってきますが、同時に父が母に乱暴する痛ましい記憶も思い出してしまい苦悩するポール。そんな頃、伯母たちがマダムの存在に気付いて彼から引き離しにかかるの。マダムも自分の死期が近いことを悟り、彼にハーブを遺してアパルトマンからいなくなります。

部屋いっぱいに植物を育てているマダムといい、ポールを溺愛する伯母たちといい、普通人の感覚とは微妙な距離感のある登場人物たちですが、唯々諾々と従うポールも何だか浮世離れしています。言葉と一緒に感情までも封印してしまったかのよう。そんなポールがピアノコンクールで優勝出来る筈ありませんよね(^^;
ところがマダムと知り合ってハーブティで記憶が蘇るにつれ、ポール自身にも変化が現れます。伯母の知人の娘(中国人で養女)の積極的なアプローチに戸惑いながらもまんざらではなさそうだし、笑顔もみせるようになります。父が母に乱暴していたのではなく、二人でプロレスの練習(女性と闘うという興行が果たして「あり」なのかは別として)をしていたことに気付いた彼は、伯母たちの期待通りコンクールで優勝を果たします。しかし、最後のハーブティーで、上階に住んでいた伯母たちのピアノが落下し、その下敷きになって両親が死んだことを思い出した彼は今まで弾いていたのが「両親を殺したピアノ」であることに愕然とします。蓋が落ちてきて指を怪我してピアニストの道を絶たれる展開は、さらなる悲劇なのか、それともポールが望んでしたことなのか、どっち???

伯母たちの口から語られた真実は、両親が部屋の模様替えのため壁を壊したせいで、支えを失った床がピアノの重さに耐えきれず抜けたというもの。壁を壊した両親の友人が、そのため罪に問われて服役したというのだから、何とも可哀相な話です。ダンス教室の前でポールを見つめていたよれよれの浮浪者風の男が実はその友人だったという伏線までありました。彼は救われないのかしら?

マダム・プルーストがガンで亡くなったと知ったポールは、彼女の形見であるウクレレ(マダムが公園の木を病気だからと切り倒そうとした役人と揉めて壊れたものを彼が修理していました)を持って墓を訪れます。置いて行こうとしたその時、雨が降リ出して、弦を鳴らすその音にマダムのメッセージを受け取ったポールは、ウクレレ奏者として新たなスタートを切るの。

ラストは、「あの」娘と結婚し生まれた子供と共に訪れた峡谷(グランドキャニオン?)で、冒頭のエピソードにあった赤ん坊が初めて言葉を発する場面にリンクします。そしてポール自身も言葉を発するの。この時やっと、ポール自身が呪縛から解き放たれたのでしょうか。

それにしてもポールとマルセルが同じ人が演じているって全く気付かなかった私は一体・・いや、それだけ演技が上手ってことよね

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