杏子の映画生活

新作映画からTV放送まで、記憶の引き出しへようこそ☆ネタバレ注意。趣旨に合ったTB可、コメント不可。

Re:LIFE ~リライフ~

2016年07月27日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2015年11月20日公開 アメリカ 107分

脚本家のキース・マイケルズ(ヒュー・グラント)はアカデミー賞を獲得し栄光を掴むが、その後ヒット作を生み出せないまま15年もの月日が経ってしまう。妻に逃げられ一人息子に会えず、ついには電気を止められてしまい、キースはやむなくエージェントに紹介されたニューヨーク北部の田舎町ビンガムトンにある大学のシナリオコースで教鞭を振るうことにする。ビンガムトンではまだ過去の栄光が通用し、調子に乗った彼は酔っぱらってウェルドン教授(アリソン・ジャネイ)に暴言を吐いたり、受講者にカレン(ベラ・ヒースコート)ら好みのタイプの学生たちを選んだりと好き勝手をして学科長のラーナー(J・K・シモンズ)に何度もたしなめられる始末。しかしシングルマザーのホリー(マリサ・トメイ)をはじめ生徒たちは真摯に授業に臨んでおり、彼女らの映画への情熱に触れたキースの中で何かが少しずつ変わり始める……。(Movie Walkerより)


久々に観るヒュー・グラント。役柄自体が最近露出の少ない彼と重なるのがちょっとイタイけれど、挫折から奮起しようとする姿にリアリティを感じる結果にもなっています

過去の栄光を引きずる男が都会から田舎へ(渋々)やってきたところ、まだ自分に幾ばくかの「価値」があると知りまんざらでもない気分になって調子に乗ります。一夜を共にした学生や外見で受講生を選んだり、いきなり一か月の休講宣言をしたりと好き勝手な態度にキレた学科長にキツイお灸をすえられ、嫌々ながらも講義を始めます。始めは乗り気がしなかった講義ですが熱心な態度に押し切られて加えたシングルマザーのホリーの助けもあり、徐々に熱を帯びたものに変わっていきます。

優秀な学生のシナリオをエージェントに送って将来を拓いてあげるなど、本当は正直で正当な評価のできる人物なのね、キースって
学生たちを前に、キースは忘れていた脚本への情熱を思い出し彼自身も変わっていきます。

ところが、カレンとうまくいかなくなったことで彼女から訴えられたキースは大学を去ることにいったんは了承してハリウッドに戻るべく荷物をまとめるのだけど、「教える」ことへの情熱に目覚めた彼は学科長に頭を下げ再び教鞭にというお話。

ありがちな展開ですが、久々のヒューはやっぱり素敵

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ライアー・ハウス  ネタバレ注意

2016年07月25日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2016年1月9日公開 アメリカ 92分

アメリカ・テキサスの片田舎。ローナ(ジーナ・ガーション)は親友のタイニー(ケリー・ギディッシュ)を家に呼び出す。夫のデイル(ヴァル・キルマー)が銀行から強奪した現金10万ドルの在りかを聞き出すためだった。縛り上げて詰め寄るうちに、ローナははずみでデイルを銃で撃ってしまう。大金の行方はわからないまま。遺体もどうにかしなければならない上に、保安官(レイ・リオッタ )が家にやってきてしまう。予期せぬ事態が重なる中、ローナはあることを思いつく……。(Movie Walkerより)


テキサスを舞台にした、欲望が惨事を招く犯罪サスペンス。冒頭の「料理」シーンに何となく違和感があったのですが、そのわけは知りたくなかったぞ

デイルが銀行強盗をしたってことは妻のローナにはお見通し。だってこれまでも強盗の逮捕歴があるんだもの。普段お気に入りのブーツや銃で犯行に及ぶなんざ~警察に自分が犯人です、捕まえて下さいって言ってるようなもんだしね

で、夫が捕まってお金を没収される前に、彼から取り上げようって腹ですか?隠し場所も察しがついてるんですねだから彼が死んじゃっても慌てずに、死体の処理を考える・・。
考えるんだけど、実行は親友にさせるって酷いじゃない?
それよりなにより、保安官が家の前で待ってるその状況で死体切断なんてありえないっしょ?
しかも、スプラッターなみに手足バラバラ、血がドバドバで部屋中飛び散ってるし、服にも顔にも血がついてるしあちらではキッチン用品に電動ナイフなんてものもあるのねぇとか感心してる場合じゃなかったわそういえば、昔「OUT〜妻たちの犯罪〜」というTVドラマでDV夫を殺した妻とパート仲間の主婦たちが死体を解体するってのがあったなあれはWETな内容だったけど、こちらはDRY。これもお国柄の違いかしら?

そこに忍び込んできたのは、ローナが雇った探偵。実はデイルの浮気調査を依頼していたんですが、彼が銀行強盗したことを嗅ぎつけてお金を横取りしようと乗り込んできたわけ。彼女たちは協力してこの探偵を撃退しますが、実はタイニーこそがデイルの浮気相手で、ローナは勘付いていたということが明かされるあたりで、「ん?ローナってオツムの弱いバカ女じゃないのかも」と気付かされるわけ

タイニーを気絶させてから逃げ出すローナですが、自分の(結婚指輪をした)指を切り落とすの。なんで~?という疑問はすぐに解けます。
おいおい!彼とグルだったのかよ

ほんと、一人としてまともな人間が出て来ない。み~~んな嘘付きの悪党ばかり
誰一人として同情の余地なし!
ところで、ローナは本当はデイルを愛していたのかしら?裏切られた相手が親友だったからこそ許せなかったのかしら?それとも、もう愛想が尽きていて、強盗事件をきっかけにおさらばして、「彼」と新しい人生を始めたかったの? 

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帰ってきたヒトラー

2016年07月25日 | 映画(劇場鑑賞・新作、試写会)
2016年6月17日公開 ドイツ 116分

ヒトラー(オリバー・マスッチ)の姿をした男が突如街に現れたら? 「不謹慎なコスプレ男?」顔が似ていれば、「モノマネ芸人?」。 リストラされたテレビマンに発掘され、復帰の足がかりにテレビ出演させられた男は、長い沈黙の後、とんでもない演説を繰り出し、視聴者のドギモを抜く。 自信に満ちた演説は、かつてのヒトラーを模した完成度の高い芸と認識され、過激な毒演は、ユーモラスで真理をついていると話題になり、大衆の心を掴み始める。しかし、皆気づいていなかった。彼がタイムスリップしてきた〈ホンモノ〉で、70年前と全く変わっていないことを。そして、天才扇動者である彼にとって、現代のネット社会は願ってもない環境であることを―。(公式HPより)

ティムール・ヴェルメシュが2012年に発表した風刺小説「彼が帰ってきた」(原題:Er ist wieder da )の映画化です。主役を演じるのは、リアリティを追求するために選ばれた無名の実力派舞台俳優とのこと。ヒトラーに扮した彼が街に飛び込んで実在の政治家や有名人、ネオナチと顔を合わせるシーンはアドリブで、ドキュメンタリー風になっています。

これぞブラックユーモアの極致・真髄と言える作品に出会いました。
絶対悪であるヒトラーが現代に甦り、モノマネ芸人と誤解されて引っ張り出されたテレビの世界で大スターになるという大胆な展開にまず驚かされます。

第二次世界大戦から70年経った現代社会で、あの頃と変わらぬ思想の男(本物だったら変わらないのは当然ですが)が繰り出すギャップに笑っているのは初めのうちだけ。彼の姿は、当時を知らない若い世代には新鮮ですらあります。自国の犯した過ちを散々償ってきた負い目がある分、そこにある種の反発も生まれている、その心の隙に付け込んで「彼」は徐々に民衆の中に浸透していきます。知らず知らず彼の巧みな話術に嵌り、彼の愛国心に富んだ真摯な情熱溢れる言葉を疑いもせず乗せられていく構図は、まさにあの時代を再び繰り返し見せられているかのよう。

思えば、貧困や格差社会、移民問題といった現代の様相はそのままヒトラーの時代にもあった筈で、怒りや鬱憤のはけ口を求める現代人はヒトラーにとって格好の獲物でもあるでしょう。これって、ドイツに限らず、現代社会の抱える鬱屈・不満の行き先を暗示してるみたいじゃないですか。日本だって何やらきな臭くなってきてるしね。 弁の立つ先導者に乗せられて気付いたらあの時代に逆戻り、なんて考えただけでも怖気が走ります

この作品の中のヒトラーは「悪」の面だけでなく、普通の感情を持った人間としても描かれています。ザヴァツキと一緒に旅する中で女性との付き合い方の助言をしたり、お金がなくなると得意の似顔絵を描いて稼いだり、なかなか魅力的な面もあります。自分に噛みついてきた犬を撃ち殺したり、意に染まぬ相手を攻撃したりする彼の本質と比較すると人間の二面性について考えさせられます。

最初にヒトラーを見つけて売り出したTVマンが、恋人の祖母のヒトラーに対する激しい拒絶をみて考えを改め、彼が本物だと気付いて、その行動を止めようとするのだけど、逆に狂人扱いされ隔離されてしまうという展開もシュールです。痴呆症の祖母が、ヒトラーと対峙した時だけは昔に戻って憎しみをぶつけるシーンがとても印象的でした。

笑い事じゃないんだよ。他人事でもないんだよ。国民はその程度にあった政治家しか選べないっていうじゃない。今こそ立ち止まってよ~~く考えようよ!なんてことを思わされました。
丁度この作品を観た翌日に相模原障害者施設殺傷事件が起こり、犯人がナチの優生思想に傾倒していたなどとの報道もあったことで、映画の上映自体に影響がないか心配になりました。
作品自体はとても良質な問題提起を投げかけたもので、ぜひ多くの人に観てもらいたいなと思います。

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アメイジング・スパイダーマン2

2016年07月24日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2014年4月25日公開 アメリカ 143分
2016年4月29日 金曜ロードSHOW!放送

普通の青年として恋人グウェンとの愛を育む一方、スパイダーマンとしてニューヨーク市民の安全と平和に貢献する充実した日々を送るピーター・パーカー(アンドリュー・ガーフィールド)。そんなある日、ピーターの幼なじみで巨大企業オズコープ社の御曹司ハリー・オズボーン(デイン・デハーン)がNYに舞い戻り、2人は10年ぶりの再会を果たす。やがてピーターは、ハリーからオズコープ社がピーターを幼い頃から監視しているという衝撃の事実を知らされ、考えもしなかったオズコープ社との恐るべき因縁に混乱していく。そんな中、事故に巻き込まれたオズコープ社の電気技師マックス(ジェイミー・フォックス)が、電気を自在に操る怒れる魔人エレクトロとなってスパイダーマンの前に現われるのだったが…。( allcinemaより)


TV放送された前作「アメイジング・スパイダーマン」(と二週続けて録画して、初めに前作を観たのですが、なんか既視感満載。トビー主演の方のシリーズを観ていたせいかなと思ったのだけど、後で検索したら・・・やっぱり劇場鑑賞してました。自分の記憶力が怪しくなってきたことを自覚する瞬間ですま、こんな時のためにブログ書いてるんだけどね

前作でグウェンの亡き父から「娘を巻き込まないでくれ」と言い遺されたピーター。二人の仲は次第にぎくしゃくしていき、彼女はピーターを慮って別れを決意します。

一方、スパイダーマンに救われ熱狂的信者となったマックスは、仕事中の事故で高圧電流を操るエレクトロになってしまい、混乱状態で街で暴れます。スパイダーマンが説得を試みるのですが、逆に自分を捕まえようとしていると逆恨みされてしまうの。

ハリーは父親と同じ不治の病に冒されていて、助かるにはスパイダーマンの血が必要と思い込みます。でも副作用のリスクを心配したスパイダーマンに拒否され、諦めきれずに研究所に保管されていた薬(クモの毒素から作られたもの)を体内に入れたことでグリーン・ゴブリンとなってしまいます。その薬はピーターの父かその血縁者にしか適合しないという事実が、失踪した両親の調査を続けるピーターによって明らかになります。オズコープ社の目的が生物兵器を作ることで、それに気付いたピーターの両親は殺されてしまったのね。

スパイダーマンを逆恨みしたハリーは、復讐のため、獄中のアレクセイを利用して怪物ライノに仕立てます。
グウェンと共にイギリスに行く決意をしたピーターの前に、エレクトロ、グリーン・ゴブリンが現れ攻撃をしかけます。グリーン・ゴブリンに攫われたグウェンを助けに行ったスパイダーマンですが、激しい戦いの中で彼女は命を落としてしまいました。
「え~~??彼女も死んじゃうの??」と思わずつぶやいちゃったよヒロインが死んじゃうなんてアメコミでも珍しいんじゃないかしら?

グウェンを失った悲しみに打ちひしがれるピーターに、叔母は「思い出を整理して眺めるのではなく、大事にしまっておきなさい」と声をかけます。その言葉に再びスパイダーマンとしてなすべきことをしようと決意したピーター。街で暴れるライノ(アレクセイ)を包囲した警察がなすすべもなく見守る中、一人の男の子がスパイダーマンの格好をして飛び出してきます。その子の前に颯爽と登場するスパイダーマン。出来過ぎだけどこれぞヒーロー!なシーンです。

でも、トビー版と比べてアンドリュー版は全体的に暗い。前作ではグウェンの父が亡くなり、今作では彼女自身もなんて救いがないじゃない。
続編の構想もあったようですが、立ち消えになったらしいし・・・・やっぱりアメコミはハッピーエンドじゃなくちゃねぇ

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バケモノの子

2016年07月24日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2015年7月11日公開 119分
2016年7月22日 金曜ロードSHOW放送

この世界には、人間の世界とは別に、もう1つの世界がある。バケモノの世界だ。
人間界【渋谷】とバケモノ界【渋天街(じゅうてんがい)】。交わるはずのない2つの世界に生きる、ひとりぼっちの少年とひとりぼっちのバケモノ。
ある日、バケモノ・熊徹(役所広司)に出会った少年(宮﨑あおい)は強さを求め、バケモノの世界へ行くことを決意した。少年は熊徹の弟子となり、九太という新しい名前を授けられる。当初はことあるごとに、ぶつかり合う2人だったが、奇妙な共同生活と修行の日々を重ねることで互いに成長し、いつしか、まるで本当の親子のような絆が芽生え始める。
少年が逞しい青年となったある日。偶然にも、【渋天街】から【渋谷】へ戻った九太(染谷将太)は、高校生の少女・楓(広瀬すず)と出会う。新しい世界や価値観を教えてくれる楓との出会いによって、九太は自身が本当に生きるべき世界を模索し始めるのだった。
そんな時、人間とバケモノの2つの世界を巻き込んだ大事件が勃発する。
みんなを救うために、自分にできることは何なのか?熊徹と九太、そして楓。それぞれに決断のときが訪れる――(公式HPより)

『時をかける少女』、『サマーウォーズ』、『おおかみこどもの雨と雪』に続く細田守監督の長編オリジナル第4作ですが、幼い子供には少々難しいお話かな
この監督の作品は自立しようともがく子供たちが多く登場しますが、その荒々しい描写が個人的にはちょっと苦手だったりします絵柄もあんまり好みじゃない・・・。でも全部観てるんだな

母親を亡くした蓮は親戚に引き取られることを拒み逃げ出した渋谷で渋天街に迷い込みます。
両親は離婚していて父親とは連絡が取れない状況の中、周囲の大人に反発する蓮は、生意気で我儘な子供に見えるのだけど、そこはちょっと置いとこう。

バケモノ界の長老「宗師」(津川雅彦)は引退して神に転生する予定で、後継者候補の熊徹は、宗師から弟子を取るという条件を課せられていました。蓮を見込んだ熊徹は名前を言い渋った彼を(9歳だったから)「九太」と名付け共同生活を始めます。人間は心に「闇」を宿すという言い伝えがあるため、周囲は反対しますが宗師がこれを認めます。

事ある毎にいがみ合いぶつかる二人でしたが、素の自分を曝け出す修行の日々を重ねるうち、いつしか親子のような関係が築かれていきます。独りで生きてきた熊徹は、我流な技術面でライバルの猪王山に及びませんでしたが、九太を指導することで武術が洗練されていきます。九太の方も師匠をとことん真似るうち、目覚ましい成長を遂げて行きます。

17歳になったある日、偶然人間界の渋谷に戻った蓮は、図書館で進学校に通う女子高生の楓と出会い、彼女から勉強を教わります。小学校も卒業していない、漢字も殆ど知らない彼が、短期間で高卒程度の学力を得るなんて、普通では考えられないけど、集中力の高さ故ってことですかね。(ビリギャルの例もあることだし)楓から高卒程度認定試験を受けて大学進学を目指してはと勧められた九太は、区役所で住民票を調べる内に、実父の住所を知って再会を果たすの。父親は蓮を捨てたわけではなく、行方不明になった彼を懸命に探していたのでした。

自分の居場所を決めかねていたところを、熊徹から人間界と縁が切れていなかったことを問い詰められて反発した九太は渋天街を出奔しますが、父親から「辛い過去は忘れて一緒に暮らそう」と言われて「何も知らないくせに」と拒絶してしまうの。自分が本当はどうしたいのか苦しむ九太の心に闇が入り込む描写はなかなか恐いものがありました。

楓自身も不仲な両親の間で孤独を募らせていて、彼女の中にも闇があるのですが、そのことを自覚していて制御できているのが凄いですというか、蓮の中に自分と同じ孤独を感じたからこそ惹かれたのかもね。そして独りじゃないと気付いたことで勇気を貰ったのかも。

楓と話をしたことで落ち着きを取り戻した彼が、渋天街に戻ってみると、宗師後継者を決める闘技会が始まるところでした。精彩を欠き、ノックダウン寸前の熊徹を九太が一喝、九太の声を聞いて勢いを取り戻した熊徹は、猪王山に勝利します
ところが、猪王山の長男の一郎彦が投げた長刀が熊徹を背後から刺し貫いた。実は一郎彦も九太同様 猪王山に育てられた人間の少年だったのです。人間であることを隠して育てられた彼は、自分が尊敬する父の実の子でないことで宿した心の闇に呑み込まれてしまったのです。怒りに駆られた九太ですが、楓のお守りを見て理性を取り戻します。

失踪した一郎彦を追って渋谷に戻った九太との戦いで、渋谷の街は爆発炎上し大混乱に陥るのですが、事態を収めるため、自らの中に一郎彦の闇を取り込んで死のうとした九太の胸に、神に転生した熊徹が燃える剣となって飛び込みます。一体となった二人により一郎彦の闇は粉砕されるのです。巨大な鯨に身を変えた一郎彦との戦いは幻想的ですらありました。

人間界に戻り父親と一緒に暮らす事を決めた蓮。彼の胸には師匠である熊徹が生き続けるのね

熊徹の悪友の多々良(大泉洋)と旧友の百秋坊(リリー・フランキー)の取り合わせもなかなか良い感じです。毒舌で皮肉屋だけど、憎めない愛嬌のある多々良が気になったのですが、大泉さんの声だったのね~~

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ディアーディアー

2016年07月23日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2015年10月24日公開 107分

かつて山間の町にいたリョウモウシカという幻のシカを3兄妹が見つけて注目を集めたものの、やがて目撃は虚偽だとみなされ、人々の信用を失ってしまう。それから25年後、別々の道を歩んでいた兄妹たちは、父が危篤になり久々に再会するが、長男・冨士夫(桐生コウジ)は実家の工場の莫大な借金を背負い、次男の義夫(斉藤陽一郎)はシカ事件で精神を病み、顕子(中村ゆり)は駆け落ちの末に酒浸りの日々を過ごしていた。


幼い頃に「幻のシカ」を目撃したことで人生を狂わされた3兄妹を描いたコメディとのことですが、これをコメディと言っていいのかとっても微妙。だって面白くないんだもん笑えないんだもんコメディならもっと突き抜けたブラックユーモアが欲しかったです。

そもそも、子供が言ったことを真に受けて舞い上がった挙句、シカが発見できなかったからといって嘘付き扱いした町の人たちの方が悪い!そんなやつらに人生狂わされたなんてひがみ根性で生きてる兄弟妹も悪い。共感できる部分がないのよ

弟妹たちが家を出た後も親や家業に縛られ、狭い町の人間関係の中で鬱屈を溜めこんでいた長男が、父親の葬儀の夜に感情を爆発させるシーンは圧倒されますが、逆に葬儀に出席した人たちは長男が何に怒っているのか理解できなかったんじゃないかなぁ。肉親の死で取り乱してる、くらいにしか受け取られないだろうね。

子供の頃優秀だったらしい次男は、町に戻る途中で引き殺してしまった犬の飼い主が友人だと知り動揺します。一度は他人(昔その友人を苛めていた不動産屋の西野(妹の元カレ)に罪をなすりつけますが、結局告白してしまう・・・そこまでは良いのだけど、何もかもを「シカ」のせいにして片づけようとする次男にその友人が放つ「いつまで逃げているんだ!」みたいなキツイ一言が的を射ていてでした。

妹はといえば、駆け落ちした亭主に見切りをつけて逃げ出し、元カレとの火遊び(彼女にとっては現実逃避なのかな)が妻(彼女の親友?)にバレて修羅場になる始末。ちなみに元カレは長兄に家と土地を売るようしつこく迫っているという設定。狭い町の狭い人間関係がそういうところにも現れているようです。
余談ですが、ヒモ状態だった亭主の作る料理はなぜかとっても美味しそう

寺の坊主は長男の友人ですが、彼に詐欺まがいの商売を持ちかけてお金をだまし取るし、その息子(染谷将太)は親の金を盗もうと長男にもちかけ、奪った金を独り占めしようとするし・・ちっとも善人が出て来ないぞ

監督の妻である菊池凛子も出演していたようですがわからなかった通りすがりの見物客だって

ラストで3兄弟妹が再び「シカ」を目撃する場面が登場しますが、その後に何もなかったようにそれぞれが歩きだすのが印象的でした。もう「シカ」のせいにしない自らの意志で人生を歩いていけるのかな?その意味ではファンタジーかも。

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ファインディング・ドリー

2016年07月22日 | 映画(劇場鑑賞・新作、試写会)
2016年7月16日公開 アメリカ 97分

カクレクマノミのマーリン(声:木梨憲武)が、ナンヨウハギのドリー(室井滋)と共に愛する息子のニモ(菊地慶)を人間の世界から救出した冒険から1年。3匹は平穏な日々を過ごしていたが、ある晩、ドリーは忘れていた両親との思い出を夢に見る。昔のことはおろか、ついさっき起きたことも忘れてしまう忘れん坊のドリーだが、この夢をきっかけに、忘れてしまったはずの両親を探すことを決意。「カリフォルニア州モロ・ベイの宝石」という唯一の手がかりから、人間たちが海の生物を保護している施設・海洋生物研究所に、両親やドリーの出生の秘密があるとを突き止めるが……。(映画.comより)


「ファインディング・ニモ」の13年ぶりとなる続編で、マーリン&ニモ親子の親友のドリーが、忘れていた家族を探すために繰り広げる冒険を描いた作品です。

忘れていた過去の記憶に誘われるように親探しの旅に出ようとするドリー。
二度と冒険はごめんだと渋るマーリンでしたが、どうしても両親に会いたいというドリーの思いに動かされ協力することにします。だってそれはニモを探していた自分と同じだものね。

前作ではオーストラリアのシドニーが舞台でしたが、今回はアメリカ・カルフォルニア。またまた海流に乗っての大冒険です。彼が協力を頼んだのは前作で登場したアオウミガメのクラッシュ(小山力也)。(エイ先生(赤坂泰彦)やクラッシュの息子のスクワートなど前作の仲間も出てきます
海流に乗って移動する彼らと一緒に、ドリーが唯一覚えていた「カリフォルニアモロ・ベイの宝石」という言葉を手がかりにグレートバリアリーフからモロベイに着いた3匹ですが、イカに襲われて怪我をしたかもしれないニモのために助けを呼ぼうとしてドリーが人間に捕まってしまいます。

彼女が連れて行かれたのは海洋生物研究所(別名が「カリフォルニアモロ・ベイの宝石」)の隔離棟。つまりドリーは海で生まれたのではなく研究所育ちというわけ)そこで知り合ったミズダコのハンク(上川隆也)から家族がここにいることを聞いたドリーは協力を求め、彼女が付けられたタグと引き換えにハンクはドリーを家族の元に連れて行く約束をします。
ハンクは海に良い思い出がないので水族館へ行きたがっていて、そのためにはタグが必要なの。

彼らが研究所内を動き回る様がとても面白く楽しいです。ありえないスピードと偶然の連続ですが、ファンタジーってことで「有り」ね
この冒険の中で、ドリーは自分のことを覚えているというジンベエザメのデスティニー(中村アン)と、その隣の水槽に暮らすシロイルカのベイリー(多田野曜平)に出会います。デスティニーからドリーがかつて住んでいた場所のことも聞き、

「激流には近付いてはいけない」という教え。「カリフォルニアモロ・ベイの宝石」という言葉。両親の名前がチャーリーとジェニーであること。両親と貝殻拾いをして遊んだこと、お母さんが好きな「紫の貝殻」のこと・・・ドリーの中で次々と蘇ってくる記憶は彼女の家族への想いの強さそのもののようです。

一回転しただけで物事を忘れてしまうドリーですが、今回ばかりは必死。でもやっぱり忘れてしまう彼女を助けてくれるのが、マーリン&ニモやハンク、デスティニーやベイリーたち仲間です。それはドリーがいつでも一生懸命で前向きだからなのよねもしドリーが身近にいたら、私もマーリンみたいな態度をとってしまいそう。ドリーはどちらかと言うと苦手なタイプ。でも忘れん坊という点では彼女に近いんですけどね

すれ違いや絶望を乗り越えて再会したドリーと両親。放射線状に伸びて敷き詰められた貝殻の中心での再会シーンは感動的です

海嫌いだったハンクも加わり(回遊に出たエイ先生の代わりを務めるオチあり)ますます楽しいハッピーエンドです。
マーリンたちを助けてくれるアシカのフルークとラダーのおとぼけ具合も楽しかったです。

驚いたのが海洋生物研究所に流れるアナウンスの声。これはピクサーの遊び心で、各国の有名人が声を当てているそうで、日本語版は何と八代亜紀。彼女は吹替版のエンディングソングも歌っています。う~~ん・・・でも個人的には激しく違和感ありだけど。(歌は雰囲気も合っていて良かったんですけどね

本作のテーマは「魚はペットではない」だそうです。研究所の目的が「治して海に還す」というのもテーマに沿ったものですね。

エンドロール後に前作で登場した、歯医者の水槽仲間たち(ラストで皆海に逃げ出した)が再び出てきますが・・おいおい!その状態(袋に入ったまま)で一年いたら、確実に酸欠で死んでる筈ですけど

本編の前に『ひな鳥の冒険』という短編が上映されます。
海岸で餌を探すシギの親子を描いた作品で、初めて自分で餌を獲ることになったシギの子の奮闘が微笑ましく、その成長に拍手を送りたくなる展開でした。RIZという新テクノロジーが使われていて、リアルに表現された映像は見応えがありました。

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尚衣院-サンイウォン-

2016年07月21日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2015年11月7日公開 韓国 127分

王室の衣服を作る部署、尚衣院<サンイウォン>を取り仕切るドルソク(ハン・ソッキュ)はその功績が認められ、6ヶ月後には両班となることが約束されていた。ある日、王(ユ・ヨンソク)の衣服を誤って燃やしてしまった王妃(パク・シネ)は巷で天才仕立師として話題を集めていたゴンジン(コ・ス)の存在を知り、王宮入りを命じる。王妃の美しさに心奪われたゴンジンは生まれながらの美的センスと才能を発揮させ、たちまち王宮で活躍するようになる。
王妃に対して無関心だった王は、美しい衣服を纏った彼女に惹きつけられるのと同時に、嫉妬に駆り立てられていく…。規則と伝統を重んじるドルソクはゴンジンが生み出す革新的デザインが王宮内外で評判となり、次第に危機感を抱くようになる。そして密かにゴンジンを陥れようと企てるのだが…。(公式HPより)


朝鮮王室の衣類や装身具の製作、保管管理を専門とする部署が尚衣院(サンイウォン)で、別名“宮殿の宝箱”とも呼ばれ、身分の低い者でも両班にのし上がれる唯一の部署であり権力者との繋がりも密接でした。

そんな美を追求する場であり、宮殿外の庶民の服装にも影響を与えたと言われる尚衣院を舞台とした新旧デザイナーの美をかけて繰り広げる対決が縦糸だとすれば、劇中の“デザイナー”たちが紡ぎだすその煌びやかな衣装は横糸と言えるでしょう。制作費約一億円が投入され、徹底した考証のもと100着以上の衣装が制作されたそうで、中でも一番気品があり華やかだったのが、王妃の纏う純白の韓服で、3000個のパールやビーズで装飾されています。長く引いた裾はさながら現代のウェディングドレスのようです

正嫡の兄の死により位を継いだ王は身分低い母から生まれたという劣等感を持ち、兄の花嫁候補だった女を娶らされたことが更にコンプレックスに追い打ちをかけたようで、本当は愛しているのに彼女に触れることもできずにいます。王が唯一心を許せる相手がドルソクでした。なぜなら王が初めて「自分のもの」だと思える服を作った人間だったから。ドルソクが貧しい生まれであるということも何か通じるものがあったのかもしれませんね。

ドルソクは先代の教えと宮廷の規則を遵守することこそが使命だと考えているような昔気質の誠実な職人です。権力者に媚びることもありませんでした。王が彼だけに話す本音もじっと胸の内に仕舞い込み他言しない実直な人でもあります。

そんな彼の前に現れたゴンジンの若く独創的な感性に反発しながらも惹かれていくドルソク。二人は奇妙な友情関係にあります。彼らの手は縫い針で傷だらけで分厚いタコもできています。その手が技術の高さと努力の足跡を端的に語っています。ゴンジンは純粋にドルソクの技術を尊敬し慕っています。もし立場が違えば彼らは良き師弟関係を築けたのでしょう。

ゴンジンはただ、着易く美しい服が作りたいだけです。彼は美しい王妃の不遇に同情し、何とか彼女を助けたいと思います。王妃の方もそんなゴンジンを好ましく思いますが、二人はプラトニックな関係以上にはなりません。

ゴンジンの作る衣装が気に入った王は他の衣装も彼に任せるようドルソクに言います。宮廷でも町でもゴンジンの奇抜で派手な衣装が流行っているのを目にして、このままでは営々と築き上げてきた自らの地位が脅かされると考えたドルソクは、宮廷の権力者におもねり、ゴンジンと王妃とのあらぬ噂を王に吹きこむのです。しかし何よりも彼が恐れたのは、ゴンジンのデザイナーとしての才能が自分を遥かに凌駕していたことでしょう。恐れと言うより嫉妬と言う方が正しいかな。いや~男の嫉妬は恐いわぁ

嫉妬に駆られた王の陰謀に加担し、ゴンジンを死に導いたドルソク。両班の地位を授けられた彼が後日ゴンジンの部屋で彼の遺品(デザイン画や衣装)を燃やしていると(デザイナーとしての彼の痕跡を抹消しようという動機?)、ゴンジンがドルソクのために作った衣装を見つけます。それはドルソクが両班となったらお祝いに作りましょうと約束していたものだったのです。この時彼の胸中にはどんな思いが沸きあがったのでしょう。無実の彼を死に追いやった自らの卑しさを恥じた?後悔した?
ドルソクが権力欲の塊だとか、技術も才能もないなら彼を憎むのも簡単です。でも彼もまた裁縫に人生をかけた求道者であることが悲劇です。

王妃の豪華な純白の衣装を着こなす気品と美しさは彼女の性質をも現しているかのようでした。その場の誰もが(中国の使節団や王さえも)息を呑み頭を垂れるそのシーンは圧巻で一番の見せ場でしょう。また、孫子を学ぶような賢さを持ちながら、ずっと耐え忍んできた王妃が、王の疑念に対して毅然と反駁するシーンも印象的でした。

ところで、ゴンジンも王妃も日本の役者さんに顔立ちが似ているな~~王妃は菊池桃子の若い頃みたいだし、ゴンジンも名前が出て来ないけどこんな顔立ちの俳優さんいるよね~ 

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岸辺の旅

2016年07月17日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2015年10月1日公開 128分

3年前に夫・優介(浅野忠信)が失踪したことによる喪失感を抱えていた瑞希(深津絵里)は、ようやくまたピアノ講師の仕事を再会するが、そんな中突如優介が帰宅し、自分は死んだと告げる。「一緒に来ないか、きれいな場所があるんだ」との優介の言葉に誘われるまま旅に出た瑞希は、初老の新聞配達員、小さな食堂を営む夫婦、山深くにある農園に住む家族といった3年の間に優介がお世話になった人々を夫と一緒に訪ねていく。空白の時を巡るように優介と一緒に過ごしながら彼が感じたことを同じように感じるとともに、見たことのない優介の一面も知っていく瑞希。二人は改めて互いへの愛を感じていくが、告別のときが近づいていた。


原作は湯本香樹実の同名小説。第68回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門の監督賞受賞作品。

夫に連れられた瑞希が旅先で出会う人々は、既に死んでいたり、死んだ者に心を縛られ前に進めない人たちです。彼らと会話することへの違和感はないけれど、普通に生活している筈の周囲の人たちにも優介が見えていて会話が成り立っているという設定は、ちょっと不思議な感じです。

最初に訪ねた新聞配達の男は、優介のことばで迷いを振り切ってあの世に旅立っていきます。(直接のきっかけは瑞希が男の妻との思い出のすき焼き鍋を出してきたことだけど。)彼が妻への想いを込めて様々な花の切り抜きを壁一面に張り付けたデコパージュの鮮やかな色合いと美しさには圧倒されます。そして彼が旅立った後の現実の荒れ果てた室内との対比も見事でした。

次に訪れた食堂では、ピアノを通じて妻の死別した妹との対面します。ピアニストとしての瑞希の存在が活きる設定ですね。生前弾けなかったピアノ演奏に誘うことで、姉の後悔を昇華し妹の微笑を引き出せた瑞希は、この旅における自分の役割や意味に気付いていくという展開です。

次の訪問地に向かうバスの中で、彼が過去に不倫していたことへの感情を爆発させた瑞希はバスを降り、次の瞬間、場面は彼女の部屋に戻っています。一瞬、それまでの旅が彼女の夢だったのかと錯覚しそうになるのですが、枯れた植物や溜まった郵便物が映し出され、時が経っていることが観客に示されるのです。

その相手、優介が勤務していた病院の事務員の朋子(蒼井優)に会いに行った瑞希は、「私が先に彼を見つけたの」と誇らしげに告げますが、朋子が既婚者で新しい命を授かっていることに打ちのめされ、過去に拘泥していたことへの自己嫌悪に陥ります。

瑞希は胡麻餡入りの白玉団子をこしらえるのですが、それは夫が初めて現れた時と同じ状況の再現です。(おそらく生前の夫の好物なんだろうね。)そして再び現れた優介と旅を続けるの。

彼らが最後に訪れたのは山奥の山村に暮らす夫を失った妻と父親、息子の家です。そこで生前の夫は塾を開き、村人に物理を紐解いていました。(アインシュタインやら光の定義やら、小難しそうに聞こえる話も引いては人生に繋がっていくのが興味深かったです。)亡き人への思いが死者のこの世への妄執を呼び寄せている様を見て、二人は、自らを振り返り、旅の終わりが来たことを悟るのです。

結局、優介の方も妻への伝えられなかった思いというか未練(懺悔)のようなものが残っていたということかしら?失踪していた三年の間に関わった人たちを通して、彼は瑞希に愛と別れを告げに戻ってきたのかな?これは夫婦の再生と別れの物語ということですかね。

劇中に流れるピアノ曲の美しい調べとファンタジーを思わせる展開は素敵でしたが、そもそも不倫して出て行った夫(例えきっかけが病気だったとしても)と彼への未練が断ち切れない妻という設定自体に共感できなかったので、ついつい斜め目線で観てしまいました。愛というものの深い奥行には心至らない自分はつくづく現実主義だなぁと思います。

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マネー・ショート 華麗なる大逆転

2016年07月16日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2016年3月4日公開 アメリカ 130分

2005年、へヴィメタルをこよなく愛する金融トレーダーのマイケル(クリスチャン・ベール)は、格付の高い不動産抵当証券の事例を何千も調べていくなかで、返済の見込みの少ない住宅ローンを含む金融商品(サブプライム・ローン)が数年以内に債務不履行に陥る可能性があることに気付く。しかし、その予測はウォール街の銀行家や政府の金融監督機関からまったく相手にされなかった。そんななか、マイケルは“クレジット・デフォルト・スワップ”(CDS)という金融取引に目をつけ、ウォール街を出し抜こうと画策する。同じころ、マイケルの戦略を察知したウォール街の銀行家ジャレット(ライアン・ゴズリング)は、信用力の低い低所得者に頭金なしで住宅ローンを組ませている大手銀行に不信感を募らせるヘッジファンド・マネージャーのマーク(スティーブ・カレル)を説得し、CDSに大金を投じるよう勧める。また、今は一線を退いた伝説の銀行家であるベン(ブラット・ピット)は、この住宅バブルを好機と捉えウォール街で地位を築こうと野心に燃える投資家の二人から相談を持ち掛けられる。ベンは自分のコネクションを使って、彼らのウォール街への挑戦を後押しすることを決意する。三年後、住宅ローンの破綻をきっかけに市場崩壊の兆候が表れ、マイケル、マーク、ジャレット、ベンは、ついに大勝負に出る……。(Movie Walkerより)


08年9月、アメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻により起きた世界的金融危機。この経済破綻を予見しウォール街を出し抜いた4人の型破りな金融マンたちの実話をベースにした人間ドラマ。原作はマイケル・ルイスのノンフィクション「世紀の空売り 世界経済の破綻に賭けた男たち」。第88回アカデミー賞脚色賞受賞作品。

経済学音痴な私には、彼らの会話の意味が初めは全く理解できなかったのですが、観て行くうちに、銀行と政府がグルになって(と言うか、彼らも自分たちのしていることがよくわかっていないまま)バブルに踊り、何も知らない(知ろうともしない)国民(主に低所得者)を食い物にする図が浮かんできました。

ジャレットがマークたちに見せたジェンガを使っての経済崩壊の説明が一番わかりやすかったかな。
マークのチームや、ベンが支援した若い投資家たちの裏付け調査の過程で浮かぶのは、銀行と審査機関との持ちつ持たれつの癒着関係や、返済可能かどうかも考えずに住宅ローンに飛びつく低所得者たちの現状です。(日本だって、バブルの時は投資目的でマンション購入した輩も大勢いたものね。)でも、自分の家を持ちたいというささやかな庶民の願いを食い物にしていい筈はないよね。

市場崩壊の兆しに小躍りする青年投資家をベンが窘めるのですが、自分たちの成功が大勢の誰かの不幸の上に成り立つことに気付いて項垂れる姿が印象に残りました。
辛辣な毒舌家ですが不正や腐敗を憎む正義感を持つマークが、大勝負に勝って見せた逡巡も同様です。彼らが喧嘩を売った相手は傲慢な銀行や政府ですが、結局付けを払わされたのは庶民(国民)ですものね。

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ルドルフとイッパイアッテナ

2016年07月14日 | 映画(劇場鑑賞・新作、試写会)
2016年8月6日公開予定
試写会:2016年7月14日 18:30~ 

大好きな飼い主のリエちゃんの後を追いかけて長距離トラックの中に迷い込んでしまった黒猫のルドルフ(声:井上真央)は、辿り着いた東京・江戸川区の町で大きなボス猫イッパイアッテナ(鈴木亮平)と出会い、一緒にノラ猫として暮らし始める。アメリカに越した飼い主に字を教えられていたイッパイアッテナは、ルドルフにも字の読み書きを教えてくれた。ルドルフが「岐阜」から来たことを知ると、その後友達になった金物屋の飼い猫ブッチ―(八嶋智人)と共に帰る方法を探し遂に発見するが、出発前日に、イッパイアッテナがブルドッグのデビル( 古田新太)との喧嘩で重傷を負ってしまう・・・。


児童文学「ルドルフとイッパイアッテナ」をフル3DCGアニメーションで映画化。
試写会の協賛はドコモのようで、dカード付き(登録しないと使えませんが)。他にキャラのマスキングテープとポプコンの引換券がお土産でした。

トラ猫のイッパイアッテナは、町内の人たちや小学校の給食室のおばさんや先生と仲良くして餌を貰っています。野良ネコにとって餌を貰えるかどうかは死活問題ですから、彼らの前では愛想よく振る舞います。彼が文字を読み書きできるのは、飼い主だった青年が生きる術として教え込んだからですが、その前に新しい飼い主を探してやれよ!と心の中で突っ込んでしまいました

ともあれ、天真爛漫で物怖じせず向こう見ずなルドルフをイッパイアッテナは気に入ったみたいです。餌をくれる人間からそれぞれ違う名前で呼ばれているため、初対面のルドルフに「俺の名前はいっぱいあってな…」と言った事から「イッパイアッテナ」という名前だと勘違いされたのね。(ちなみに元の飼い主からは「タイガー」、近所の猫の間では「ステトラ」、警察官は「ドロ」、魚屋は「デカ」、給食室のおばさんとクマ先生は「ボス」、おばあちゃんから「トラ」と呼ばれています。)
一方、ルドの名前の由来はハプスブルク家のルドルフ1世から名付けられています。

自分の町の名前を知らなかったルドですが、甲子園に出場した「岐阜商業高校」の地元紹介映像を見て、自分がいた所が岐阜市だと知ります。町会のバス旅行で岐阜に行くことを聞きつけ、潜り込むことにしたルドのために、イッパイアッテナはお別れ会用の肉をわけてもらいにデビルのところに行くのですが、卑怯な攻撃を受けて重傷を負ってしまいます。

デビルとイッパイアッテナは昔お隣同士で仲も良かったのですが、捨て猫になった彼をデビルは軽蔑して目の敵にしていたのです。ルドはイッパイアッテナの敵を討ちに出かけ見事やっつけるのですが、このことがきっかけでデビルと仲良くなります。実はデビルは自由なイッパイアッテナたちが羨ましかったのよね。
怪我で動けないイッパイアッテナを助けようと、ルドはクマ先生に助けを求めます。地面に書いた文字を先生はルドが書いたとは思わなかったようですが、文字はここでも役に立ったわけです

やがて一年が過ぎ、ようやく岐阜に帰る手段を見つけたルドは仲間に別れを告げリエちゃんの待つ家へと向かいます。途中へこたれそうになった時にイッパイアッテナの忠告を思い出し、やっと辿り着いた懐かしい家・・・でもそこには新しく貰われてきた「弟」のルドルフがいたのです。
二匹は飼えないと知り、身を引いたルドは東京に戻ってきます。
一方アメリカに行った主人を探しに行こうとしていたイッパイアッテナは、元の家のあった場所に建った家がその主人のものと知り、主人と再会して飼い猫になっていました。

皆仲良く楽しく暮らせそうなハッピーエンドな結末です。

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あの日のように抱きしめて

2016年07月08日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)

2015年8月15日公開 ドイツ 98分

1945年6月。第二次世界大戦でドイツが降伏した翌月。ユダヤ人の声楽家ネリー(ニーナ・ホス)は、親友レネ(ニーナ・クンツェンドルフ)に連れられて強制収容所からドイツへ戻る。前年の10月に収容所へ送られ、銃で顔をメチャクチャにされていたネリーは、手術を受けることになるが、“別の顔に”という医師の勧めを断って元の顔に戻す。一方、レネは、ネリーと一緒にパレスチナに移住して、ユダヤ人国家の建国を夢見ていた。やがて、顔の傷が回復したネリーは、生き別れた夫ジョニー(ロナルト・ツェアフェルト)を探して過去を取り戻そうとするが、レネはそれに反対する。ジョニーがネリーを裏切ったと信じていたからだった。しばらくしてネリーは、米兵相手のクラブで清掃員として働いていたジョニーと再会。だが、妻が死んだと信じて疑わないジョニーは、目の前に現れた女性が妻であることに気付かず、“妻を演じてほしい。そして、妻の財産を山分けしよう”と持ちかける。自分に気付いてもらえないことを悲しみながらも、夫に対する愛からその言葉に従うネリー。やがて、自分が収容所に送られた原因が、夫の裏切りであることを裏付ける証言を得ながらも、何か事情があったのだろうと推測する。そして、レネが自殺。ネリーはジョニーと共にベルリンへ向かうが……。


クリスティアン・ペッツォルト監督の「東ベルリンから来た女」は観ていません。
大戦中、ユダヤ人のネリーを夫のジョニーは匿っていましたが、ある日捕らえられて収容所に送られた・・らしい。そしてドイツ降伏により強制収容所から解放され、レネの助けを得てドイツに戻ってきたようです。レネは解放団体のような組織の一員なのかと思っていたらネリーの親友なんですね(映画を観ているだけでは二人の関係がよくわからなかったわ。

ネリーは収容所で傷つけられた顔を修復するために整形手術を受けるのですが、別の顔ではなく元の顔に固執したのは、夫と再会したいからでした。でも、その夫が彼女を裏切ったことを知るレネはネリーに新しい人生を共に生きようと訴えかけます。

愛する人の裏切りを信じられないネリーですが、探し当てた夫はネリーを見ても妻だとは気付かず、逆に遺産目当てに妻を演じてくれという始末。この時点で夫の裏切りに気付きそうなものですが、ネリーはその提案に乗ります。
「妻」と同じ筆跡、同じ靴のサイズ、歩き方・・・かつて住んでいた家の隣人すら、彼女がネリーだと気付いたのに、何故夫は気付かないの?キスしてもわからないの?観ていて、もどかしさが溢れます。

夫が密告したことすら、都合の良いように置き換えて自分を納得させようとするネリーの心情が切ないです。そんなネリーに追い打ちをかけるようなレネの自殺。ネリーに宛てた手紙には、夫の裏切りを確信させる証拠が同封されていました。それはネリーが捕まる前に出されていた離婚届です。

夫の親族の前で「再会」を演じるネリーの空虚な目は彼女のある決意を示唆しているよう。
食事のお礼?に彼らの前で夫のピアノを伴奏に歌ったのはクルト・ヴァイルの「スピーク・ロウ」(1943年に発表されたジャズのスタンダードナンバー)です。それはネリーの大好きな曲であり、おそらくは夫婦の思い出の曲でもある筈。歌声を聴いて、彼女の腕に残る収容番号を目にして、遂に夫は目の前にいる女性が「収容所から生還した妻」であることに気付くのです。そして自分が取り返しのつかない過ちを犯したことにもね。静かに去っていくネリーの目には何が映っていたのかしら?
「スピーク・ロウ」の甘く切ない歌詞が二人の絶望的な終わりをいっそう際立たせています。

声楽家である妻の代役なのに、歌についての確認をしなかったこと自体、不自然に思えるのですが(収容所で喉を傷めたと誤魔化すつもりだったのかな)・・・いくら容姿が元通りではなくても、かつて愛した女性をここまで認識できなかったのは、彼の中の罪悪感が目と心に蓋をさせていたのだと思うのは甘いかしら?

ネリーを収容所から生還させたのは夫への愛だけど、その夫は自分が生き残ることに執着した。人の強さと弱さをこの二人に重ねて観るのもありかな。


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ボクは坊さん。

2016年07月06日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)

2015年10月24日公開 99分

白方光円(伊藤淳史)は住職だった祖父が突然亡くなったのを受け、24歳にして書店員から四国八十八ヶ所霊場第57番札所・栄福寺の住職に転身。この寺で生まれ育ったものの、専用のグッズや個性豊かな僧侶との出会い、檀家の人々との関係など、初めてのことばかりだった。さらに地域の顔役を務め、葬儀や結婚式で様々な人の節目に立ち会い生死に向き合う中で、思い悩むことも多々ある日々。そして住職になったばかりの身に何ができるのか、光円は試行錯誤していく。(Movie Walkerより)


愛媛県今治市にある四国八十八カ所霊場の第57番礼所・栄福寺の住職・白川密成氏が、糸井重里氏が編集長を務める「ほぼ日刊イトイ新聞」で連載し、後に書籍として出版もされた実話エピソードの映画化です。

へぇ~~お坊さんの大学があるんだ坊さん専用バリカンとか、お寺グッズの訪問販売なんてものもあるんだとトリビア満載なお坊さんの日常を垣間見ることができます

高野山大学で阿闍梨の位を得て(一般大学の卒業証書や国家資格のようなものか?)実家に帰ったものの、モラトリアムで書店に勤めた進君は、一般企業に就職した大学時代の親友の広太(濱田岳)や、実家の寺に入った大知とは、時々連絡を取っている他、幼馴染の真治(溝端淳平)や京子(山本美月)ともしょっちゅう会ってる、今時の普通の若者です。ところが、ある日突然住職である祖父が倒れたことで、自分が寺を継いでお坊さんになる決意をします。(元々そのつもりがあったからお坊さんの大学にも行ったんですもんね

ところが、名を光円と改め住職を継いでみると、知らないことが多くて戸惑うばかり。檀家の長老(イッセー尾形)はそんな彼を苦々しく思っている様子。それでも、周囲の期待に応えようと、頑張る光円の姿がユーモラスに描かれていきます。

京子に頼まれて彼女の結婚式を寺で挙げたり、坊主の野球チームに入ったり(長老率いる農家チームとの対戦がコミカル)、境内に檀家の人たちが利用できる建物を作ったり、引き籠りになった広太に初心を思い出させようと「お山=高野山」に連れて行ったり、様々な出来事を通して少しずつ成長していく姿は見ていて気持ち良いです。

ところが、出産を控えた京子が倒れて赤ん坊は生まれたものの植物状態になり、夫に離婚されるという悲劇が起こり、自分が何も力になれないことに打ちのめされてしまった光円までプチ鬱状態になってしまいます。(いや、こんな時こそ仏の教えに頼らなきゃ

そんな光円が再び自分を取り戻すきっかけになったのは長老の死。それまで光円の住職としての適性に懐疑的だった長老が、何事も一生懸命に進んでいく光円の姿を目にしてその適性を認める発言をしていたことを聞かされ、自分の進む道がこれでいいのだと気付くのね。

京子役の山本美月ちゃんは「SUMMER NUDE」や「臨床犯罪学者・火村英生の推理」で窪田君と共演していた子だね。最近露出多いかも(というか、窪田君絡みで覚えた
伊藤淳史君もぴったり役にはまっていました。


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恋のロンドン狂騒曲

2016年07月02日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2012年12月1日公開 アメリカ=スペイン 98分

アルフィ(アンソニー・ホプキンス)とヘレナ(ジェマ・ジョーンズ)はおしどり夫婦だった。しかし、ある夜、ベッドで死の恐怖に襲われたアルフィが若さを取り戻そうと猛特訓に励み、ついに家を出て行ってしまう。ショックで憔悴したヘレナは睡眠薬で自殺未遂を起こし、一人娘サリー(ナオミ・ワッツ)の世話に。さらにクリスタル(ポーリン・コリンズ)という怪しい占い師の元に通い始める。サリーの夫ロイ(ジョシュ・ブローリン)は小説家だが、デビュー作以降スランプに陥っていた。子作りにも消極的なロイにサリーの苛立ちは募る。やむなくロンドン市内のアートギャラリーで働き始めたサリーは、オーナーで既婚者のグレッグ(アントニオ・バンデラス)に惹かれ、彼と歩む未来を妄想し始める。ロイは友人ヘンリーから初めて書いた小説を読んでほしいと頼まれるが、それは並外れた才能がみなぎるものだった。ロイは、向かいのアパートに引っ越してきたエキゾチックな美女ディア(フリーダ・ピント)を、窓越しに眺めることを心の慰めにするようになる。そんなある日、アルフィが自称・女優のシャーメイン(ルーシー・パンチ)という若い女性と再婚すると言い出す。実はシャーメインの正体はコールガールで、彼女を買ったアルフィが抜群のベッド・テクニックで骨抜きにされたのだった。ある雨の日、ロイはディアをランチに誘い出すことに成功し、恋人との結婚に不安を抱く彼女を口説く。仕事帰りにグレッグとオペラを鑑賞したサリーは、彼が妻と上手くいっていないことを打ち明けられる。クリスタルのインチキ予言に心酔するヘレナは、オカルト系ショップを営むジョナサン(ロジャー・アシュトン=グリフィス)と出会い、意気投合。やがて、シャーメインの浪費癖のためにアルフィは困窮し、グレッグが妻を捨てるというのはサリーの思い違いであることがわかる。また、ディアの結婚を阻止したロイは、交通事故に遭ったヘンリーの小説を自分のものにしようとして泥沼にはまり……。(Movie Walkerより)


登場人物の誰にも共感できない作品でした。良く言えば、皆が皆、自分の欲望に正直な人たちですが、傍からみたら、いい年して何やってんだ!!な連中。ウディ・アレン監督・脚本だもんな~~ほんと相性悪いわなのについ観てしまうんだよねアンソニーおじさまとかバンちゃんとか、好きな俳優さんが出てるんですもの

愚痴ばかりで、騙されやすく、妄信的で家族の誰よりめんどくさい女だと思っていたヘレナですが、最後に一番生き生きしているのが面白いです。一見主体性がないように見えても、実は彼女の心はタフなのかも信じ込んだら娘だろうが誰だろうが聞く耳持たずで突っ走るのはパワー要るもんね

アルフィがヘレナを捨てたのは、理由はともかくちょっとだけわかるような気もしました。それでも、身勝手なことに変わりなく、若い女に入れあげて体力・財力費やし消耗し、挙句の果てに浮気され・・・の展開はかなり愉快。だから言わんこっちゃない!という感じ。そういえば最近似たようなスキャンダルあったな~~

娘は娘で、夫との間の隙間風を妄想で埋めようという意識が働いたのか、グレッグが自分に気があると勘違い。その気にさせるような紛らわしいことしたんだからグレッグにも非はあるのですけどね。いつのまにか彼女の親友とくっついちゃってるのにショックを受け、思わず自分のことはどう思っていたのか聞いてしまうあたりはさすがヘレナの血を引いてると思ってしまいましたが、気持ちをリセットさせるためには正解かも

一番情けなかったのはサリーの夫(ヘレナの義理の息子)のロイ。自分の才能を正しく判断できず、過去に一発当てたことにしがみついてヒモ状態で暮らしているのに若い女に色目を使うなんてほんとサイテー。挙句、親友が交通事故で死んだと聞いて、彼の小説を自分のものにしてしまう。ディアの父(評論家)に絶賛され、婚約者がいたディアを振り向かせることに成功、サリーと離婚もするのだけれど、実は事故で死んだのは別人で親友は生きていて、意識も戻りそうな気配。彼の意識が戻ったら全てがバレてしまう絶体絶命の大ピンチに陥るのです。
婚約者がいたのに強引なロイの手管に流されたディアに同情はしないけど、彼らの未来はないね

うまくいっていた筈の家族が、一皮剥けばエゴのぶつかり合い。これぞブラックユーモア

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アリス・イン・ワンダーランド 時間の旅

2016年07月01日 | 映画(劇場鑑賞・新作、試写会)
2016年7月1日公開 アメリカ 113分

父の形見のワンダー号の船長として、3年にわたり大航海を成功させてロンドンに戻ってきたアリス(ミア・ワシコウスカ)。だが、彼女を待ち受けていたのは、父の愛した船を手放さなければならないという厳しい現実。途方に暮れる彼女の前に、突然青い蝶アブソレム(声:アラン・リックマン)が現れ、友達のマッドハッタ―(ジョニー・デップ)の危機を告げる。アリスはハッタ―を救うため、鏡を通り抜けて再びワンダーランドへ。そこには死んだはずの家族の帰りを待ち続けるハッタ―がいた。白の女王(アン・ハサウェイ)たちは、ハッタ―の家族を蘇らせるため、アリスに過去を変えて欲しいと頼む。そのためには時間の番人タイム(サシャ・バロン・コーエン)が持つ、時を操れる<クロノスフィア>が必要だった。クロノスフィアを盗んだアリスは、タイムの追跡を逃れながらワンダーランドの時間を遡り、仲間たちの子供時代へ。だが、アリスは知らなかった。それがワンダーランドの”始まりの”真実を知る禁断の時間の旅となることを!果たしてアリスはハッタ―を救うことが出来るのか?そしてワンダーランドの運命は・・・?


ティム・バートン監督による「アリス・イン・ワンダーランド」の続編です。今回バートンはプロデューサーとして参加。ジェームズ・ボビンが新たに監督を務めていて、今年1月に他界したアラン・リックマンの遺作となりました。

冒頭シーンは「POTC」を思わせるような海賊船を振り切るアドベンチャー顔負けのシーン。そりゃ、ディズニーだしジャック船長、もとい、ジョニーもいるけどさ・・・それって何だか違和感
3年ぶりに陸に戻ってみれば、元求婚者ヘイミッシュの意地悪な報復が待っていて、アリスを取り巻く現実はなかなか厳しいものがあります。特に自立心溢れる女性は当時の社会では異端者ですものね。
愛する父から譲られた船も取り上げられそうになり、途方にくれるアリスの前に現れたアブソレムに導かれ、彼女は再びワンダーランドへ。

初めて作った帽子の切れ端を見つけ、過去に囚われてしまったハッタ―を助けるため、時間を遡ろうとするアリスをタイムは追い返しますが、そこで諦めるようならアリスじゃない強引にクロノスフィアを奪って時間の旅へと出発!でもね~~冷静に考えたら正しいのはタイムなのよねしかもタイムとクロノスフィアは連動しているのだから彼にとってはまさに命を奪われるようなもの。
タイムの城?で働く機械のキャラがユーモラスで可愛いです。

実はタイムは赤の女王(ヘレナ・ボナム=カーター)にベタ惚れで、それを利用して赤の女王も過去を変えようとしています。そもそも赤の女王の頭があんなに膨らんだのは、子供の頃に白の女王が赤の女王に濡れ衣を着せたからだという真実が明らかに
他にもアリスを追って三月ウサギのお茶会の場に現れたタイムがハッタ―たちにからかわれた仕返しに時を止めてしまったことなどが判明し、前作での疑問が一気に解消してスッキリ。赤の女王の冷酷さは愛されない寂しさ悲しさの裏返しであり、ブリブリな良い子ちゃんの白の女王にも決して知られたくない弱さがあったのね姉を救おうと必死の白の女王の姿こそが本当の彼女なのだと思いました。元に戻った姉に昔の自分の罪を告白した妹に、姉は「その言葉が聞きたかっただけなの」と応えます。けっこう感動的な場面です

ハッタ―はアリスに「僕を信じて」と訴えますが、アリスは初め受け入れることができませんでした。しかし時間を遡るうち、彼の話が真実であることに気付くの。再び戻った信頼関係がハッタ―を救い、二人はまた力を合わせて敵に立ちむかうのです

原作本「鏡の国のアリス」は未読なので、違いはわからないけれど、映画版の二作には確かな繋がりを感じることができました。

本作では、時の番人タイムとの戦いが大きなテーマですが、愛する父親を亡くしたことで時を泥棒であり敵だとみなしていたアリスが、この旅の中で時間は奪うだけでなく多くのものを与える存在であることに気付く物語でもあります。

現実社会に戻ったアリスは、過去に囚われるのではなく未来へ歩きだす決意をします。アリスの母がヘイミッシュの提案を蹴って娘と共に新しい人生へと歩きだすのもです。

とにかくキッチュでカラフルな物語世界を単純に愛でるのも、アリスの行動から勇気と強さをもらうのも

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