2009年8月8日公開 イギリス=アメリカ
第二次大戦下のドイツ。探究心旺盛で純粋な少年ブルーノ(エイサ・バターフィールド)にとって、ナチス将校の父(デヴィッド・シューリス)の昇進により大好きな家と友だちから離れて田舎に行くことは嬉しい出来事ではありません。周囲には遊べる友達もいないし、お姉ちゃんのグレーテル(アンバー・ビーティー)は若い将校に夢中だし、使用人ときたら「パジャマ」を着たまま仕事してるし・・。部屋の窓から見える「農場」に行くことも裏庭から外に出ることも禁じられていたけれど、好奇心溢れる少年にとっては禁じられたら覗いてみたくなるのは自然な成り行きでしょう。
その結果、ブルーノは「農場」のフェンス際で同い年の友だちを得ます。その子シュムール(ジャック・スキャンロン)も何故か縞模様のパジャマを着ていたけれど・・。二人の間に徐々に育っていく友情がとても微笑ましいけれど、互いに自分の置かれている立場を理解していない二人の会話は時に噛み合いません。やがて、ブルーノはシュムールが「危険な」ユダヤ人だと知ります。
ドイツの歴史を熱心に教える家庭教師の先生はユダヤ人は悪人ばかりだと言ってます。でも・・・シュムールは何も悪いことしてないんじゃないの?台所で芋を剥いてるおじいさんは元はお医者さんだったって言ってたけど、どうして今は違う仕事をしてるんだろう?
それにどうしてこの頃パパとママ(ヴェラ・ファーミガ)は喧嘩ばかりなんだろう?
グラス磨きの手伝いに来たシュムールにお菓子を上げたところを恐いコトラー中尉(ルパート・フレンド)に見つかったブルーノはシュムールが勝手に食べたと言ってしまいます。友だちを裏切ったことを悔やみ、何度もフェンスのところに行くけれど、やっと会えたシュムールの右目は殴られて酷く腫れあがっていました。だけど彼は一生懸命謝るブルーノを許してくれました。この事件がより一層二人を強い友情で結んだのです。
ところが、パパは子供たちにここを離れるように言います。シュムールに別れの挨拶をしに行ったブルーノはシュムールのパパが行方不明と聞かされ、一緒に探してあげる約束をします。フェンスの下に穴を掘り、シュムールの持ってきた「パジャマ」に着替えて「農場」に潜り込んだブルーノを待っていたのは・・・。
ホロコーストを描いた映画は沢山あるけれど、これは8歳の少年の視点で捉えた異色の作品です。年齢的には、もう少し物事がわかる年頃じゃないの?なんて疑問は今の情報化時代に生きる者の驕りかもしれません。
曇りのない少年の目に映る奇妙な農場の人々はやがてユダヤの囚人たちだと判明します。
軍の作ったまやかしの「収容所生活」映画を盗み観た彼は、パパに対する疑いを払拭し、「農場」の人たちも生活を楽しんでいるんだと思い込んだのですが、縞模様のパジャマを着て潜り込んだそこは、彼の想像を粉々にし、彼の命まで奪ったのです。
演じる二人の少年の大きく澄んだ瞳と無邪気な表情が現実の酷さをより一層突きつけてきました。彼らがしっかりと手を繋いで恐怖に向かう様は切なくて涙が溢れてきました。
ブルーノの母は、夫の昇進を初めは素直に喜ぶのですが、収容所で何が行われているかを知って苦悩します。彼女はその行為も、夫がそんな仕事を受け入れていることも耐えられず、子供たちを連れて家を出ようとした矢先に、その悲劇は起こったのです。息子に何が起こったかを察した父母の悲痛な叫び(それは別々の場所で発するのですが)はしかし、彼らが見て見ぬふりをしていたことへの神が与えた罰のようでもありました。
無垢な子供と違い、大人は「知らなかった」では済まされないということなのですね。
知らないこと、見ないことも罪なのだと、この作品は訴えているようです。
観終わって改めて胸に熱いものがこみ上げてきました。
第二次大戦下のドイツ。探究心旺盛で純粋な少年ブルーノ(エイサ・バターフィールド)にとって、ナチス将校の父(デヴィッド・シューリス)の昇進により大好きな家と友だちから離れて田舎に行くことは嬉しい出来事ではありません。周囲には遊べる友達もいないし、お姉ちゃんのグレーテル(アンバー・ビーティー)は若い将校に夢中だし、使用人ときたら「パジャマ」を着たまま仕事してるし・・。部屋の窓から見える「農場」に行くことも裏庭から外に出ることも禁じられていたけれど、好奇心溢れる少年にとっては禁じられたら覗いてみたくなるのは自然な成り行きでしょう。
その結果、ブルーノは「農場」のフェンス際で同い年の友だちを得ます。その子シュムール(ジャック・スキャンロン)も何故か縞模様のパジャマを着ていたけれど・・。二人の間に徐々に育っていく友情がとても微笑ましいけれど、互いに自分の置かれている立場を理解していない二人の会話は時に噛み合いません。やがて、ブルーノはシュムールが「危険な」ユダヤ人だと知ります。
ドイツの歴史を熱心に教える家庭教師の先生はユダヤ人は悪人ばかりだと言ってます。でも・・・シュムールは何も悪いことしてないんじゃないの?台所で芋を剥いてるおじいさんは元はお医者さんだったって言ってたけど、どうして今は違う仕事をしてるんだろう?
それにどうしてこの頃パパとママ(ヴェラ・ファーミガ)は喧嘩ばかりなんだろう?
グラス磨きの手伝いに来たシュムールにお菓子を上げたところを恐いコトラー中尉(ルパート・フレンド)に見つかったブルーノはシュムールが勝手に食べたと言ってしまいます。友だちを裏切ったことを悔やみ、何度もフェンスのところに行くけれど、やっと会えたシュムールの右目は殴られて酷く腫れあがっていました。だけど彼は一生懸命謝るブルーノを許してくれました。この事件がより一層二人を強い友情で結んだのです。
ところが、パパは子供たちにここを離れるように言います。シュムールに別れの挨拶をしに行ったブルーノはシュムールのパパが行方不明と聞かされ、一緒に探してあげる約束をします。フェンスの下に穴を掘り、シュムールの持ってきた「パジャマ」に着替えて「農場」に潜り込んだブルーノを待っていたのは・・・。
ホロコーストを描いた映画は沢山あるけれど、これは8歳の少年の視点で捉えた異色の作品です。年齢的には、もう少し物事がわかる年頃じゃないの?なんて疑問は今の情報化時代に生きる者の驕りかもしれません。
曇りのない少年の目に映る奇妙な農場の人々はやがてユダヤの囚人たちだと判明します。
軍の作ったまやかしの「収容所生活」映画を盗み観た彼は、パパに対する疑いを払拭し、「農場」の人たちも生活を楽しんでいるんだと思い込んだのですが、縞模様のパジャマを着て潜り込んだそこは、彼の想像を粉々にし、彼の命まで奪ったのです。
演じる二人の少年の大きく澄んだ瞳と無邪気な表情が現実の酷さをより一層突きつけてきました。彼らがしっかりと手を繋いで恐怖に向かう様は切なくて涙が溢れてきました。
ブルーノの母は、夫の昇進を初めは素直に喜ぶのですが、収容所で何が行われているかを知って苦悩します。彼女はその行為も、夫がそんな仕事を受け入れていることも耐えられず、子供たちを連れて家を出ようとした矢先に、その悲劇は起こったのです。息子に何が起こったかを察した父母の悲痛な叫び(それは別々の場所で発するのですが)はしかし、彼らが見て見ぬふりをしていたことへの神が与えた罰のようでもありました。
無垢な子供と違い、大人は「知らなかった」では済まされないということなのですね。
知らないこと、見ないことも罪なのだと、この作品は訴えているようです。
観終わって改めて胸に熱いものがこみ上げてきました。