
2022年2月25日公開 イギリス 95分 G
世界中から年間600万人以上が来訪・2300点以上の貴重なコレクションを揃えるロンドン・ナショナル・ギャラリー。1961年、“世界屈指の美の殿堂”から、ゴヤの名画「ウェリントン公爵」が盗まれた。この前代未聞の大事件の犯人は、60歳のタクシー運転手ケンプトン・バントン(ジム・ブロードベント)。孤独な高齢者が、TVに社会との繋がりを求めていた時代。彼らの生活を少しでも楽にしようと、盗んだ絵画の身代金で公共放送(BBC)の受信料を肩代わりしようと企てたのだ。しかし、事件にはもう一つの隠された真相が・・・。当時、イギリス中の人々を感動の渦に巻き込んだケンプトン・バントンの“優しい嘘”とは−!?(公式HPより)
1961年に実際に起こったゴヤの名画盗難事件の知られざる真相を描いたドラマで、名画で世界を救おうとした男が、人々に優しく寄り添う姿が描かれます。監督は2021年9月に亡くなったロジャー・ミッシェルでこれが長編映画の遺作となりました。
ケンプトンは長年連れ添った妻ドロシー(ヘレン・ミレン)とやさしい息子ジャッキー(フィオン・ホワイトヘッド)と小さなアパートで年金暮らしをする老人です。戯曲を書くのが趣味のケンプトンは原稿をBBCに送付します。帰宅すると公共放送(BBC)の役人が受信料徴収にやってきます。当時、受信料を払わなければBBCを見られませんでした。(それってどこぞの国の現状と似ているような)彼はTVのコイルを抜いてBBCを見られないようにしているからと支払いを拒否して、刑務所に入れられます。お金も仕事もない高齢者にとって唯一の慰めであるテレビを受信料を払わなければ見られないことに憤る彼の信条からの抗議行動でした。
議員宅で家政婦として働いて家計を支える妻のドロシーは、そんな夫の行動が理解できません。義務は果たすべきという考えの所謂真っ当な市民なんですね。息子のジャッキーは父親の考え方に賛同を示し、両親の仲立ちをしていました。
出所したケンプトンは13年前に18歳で事故死したマリアンの墓を訪れます。彼が買い与えた自転車での事故で、ドロシーは悲しみのあまり墓参もせず、娘の死から目をそらしていて、夫婦の間でマリアンの話は避けられていました。娘の死の原因を作ったと自分を責めるケンプトンは悲劇の戯曲ばかり書いていました。
当時世間で話題になっていたのは政府とロンドン・ナショナル・ギャラリーが14万ポンドで落札したゴヤの名画『ウェリントン公爵』の肖像画です。ケンプトンは絵に税金を使うくらいなら年金老人や社会弱者の公共放送代金を無料にすべきだと怒り、息子も賛同します。
ケンプトンはタクシー運転手の仕事を得ますが、お喋りが過ぎる彼は乗客のクレームでクビになります。街頭で「テレビ受信料無料化」の嘆願書 を募ったことを知ったドロシーは怒ります。ケンプトンは「これが最後で二度と受信料の件で騒ぎを起こさない 」と頼み込んでロンドンに出かけます。戯曲の感想を聞こうとBBCを訪れますが門前払いされ、議会場で受信料無料化を訴えても取り合ってもらえず放り出されます。近くにはロンドン・ナショナル・ギャラリーがあり、ゴヤの名画の展示案内がありました。
夜、ギャラリーに梯子をかけて侵入する者の姿が・・翌日、『ウェリントン公爵』の肖像画が盗まれたと発表され、プロの仕業と分析され騒がれます。
ケンプトンとジャッキーは部屋で『ウェリントン公爵』の名画を見ています。二人はドロシーに見つからないよう絵をクローゼットの奥に隠し、絵と引き換えに年金生活者や高齢者の公共放送を無料にする要求を手紙に書いて送ります。
ケンプトンは、パン工場で働き始めます。売り物にならなくなったパンを持ち帰ってドロシーを喜ばせますが、工場長の移民の青年への差別に抗議してクビになります。妻には言えず、買ったパンに傷をつけてもらって持ち帰るケンプトンでした。
BBCからは「悲劇を題材にしたドラマは視聴者が限られる」 と戯曲を断られますが、ドロシーはそれで良かったのよと言います。
ケンプトンが送った手紙は多数のイタズラの手紙に紛れて注目されずにいました。そこで彼は絵画の裏に貼られていた輸送タグを同封してデイリー・ミラー紙(労働者の味方の新聞)に送りつけやっと捜査当局も乗り出します。
家を出てパメラ(シャーロット・スペンサー )という人妻と同棲している長男のケニー(ジャック・バンデイラ )がやってきて、ドロシーは二人をケンプトンの部屋に泊めます。偶然絵を見つけたパメラは絵を売って金を山分けしようと持ち掛けます。困ったケンプトンは絵を返せば罪が軽くなると考えますが、絵を包んでいるところをドロシーに見つかってしまいます。激怒するドロシーに追い出されたケンプトンはギャラリーに絵を持って行って逮捕されました。
彼の弁護を引き受けたジェレミー・ハッチンソン弁護士(マシュー・グッド )は、ケンプトンが私益ではなく貧しい人のために行動を起こしたと知って驚きます。裁判は世間から注目され大勢の傍聴者が集まります。12人の陪審員が選ばれ、裁判長から「ロンドン・ナショナル・ギャラリーから80ポンドの額縁を盗んだか」「14万ドルの『ウェリントン公爵』の絵画を盗んだか」「『ウェリントン公爵』を見に来るギャラリーたちからその権利を奪ったか」との問いかけにいずれも無罪を主張します。
ここからネタバレ
夫への怒りのあまり、裁判を傍聴しようとしない母に、ジャッキーは「実は僕が盗んだんだ」と告白します。うんうん、そうだよね~~ハシゴをかけて侵入するなんて老人にはちょっと難易度高いものな~~。ジャッキーが恋人のアイリーン(エイミー・ケリー)と一緒に造船所?に潜り込むシーンも伏線になっていたのね。
父の考えに傾倒していたジャッキーは、ロンドンに出かけた際、行動を起こして、下宿で額縁から絵を外して持ち帰ったわけです。その際額縁をベッドの下に置き忘れてしまったので絵には額縁がなかったという。ケンプトンは息子を庇っていたのですね。
ジャッキーは母にマリアンの死から目を背けることを止めて父と向き合うよう訴えます。真実を知ったドロシーは、マリアンの墓参りをしてから夫の裁判の傍聴をします。
この裁判では、ケンプトンの飄々として人を食った受け答えにより毎回笑いが起こります。ケンプトンの目的が自分の利益のためではなかったことに驚き裁判の行方を見守る傍聴者の前で、検察側はなぜそんなことをしたのかと問い詰めます。するとケンプトンは14歳の時に海で流された話を引用して「私は1個のレンガであまり役に立たないが、多く集まれば世界が変わる」と言いました。ハッチンソン弁護士は芝刈り機に例えて「ケンプトンは絵を借りるつもりだったから盗人ではない」と主張します。
12人の陪審員は「額縁窃盗」については「有罪」、それ以外は全て無罪の評決を下します。3カ月の服役の後出所した彼をドロシーが迎えにきます。(額縁は結局発見されなかったそうです)
本作は軽妙な夫婦の会話劇も見所で、例えば「絵の代金を払ったのは我々納税者だ」という夫に「いつ納税者になったの?」と突っ込んだり、服役中に時間を無駄にせずに戯曲を2つ書いたと報告する夫に「シェイクスピアもたじたじね」と答えたり。
4年後、良心の呵責に耐えかねたジャッキーがアイリーンに付き添われて自首をしますが、当局は「起訴するためには当初の被告人ケンプトンをまた証言台に呼ばなねばならず、そうすると父上は世間をまたまた騒がせることになり、公共の利益に反する」と言って、二人に口止めをしたうえでお咎め無しとします。これ以上面子を潰されたくないと言うわけね。
テレビで放送された映画『007/ドクター・ノオ』にあの名画が登場しているのを見て、ドロシーと大いに盛り上がるケンプトン。そしてエンドロール・・
2000年にイギリスBBC放送では75歳以上の高齢者の受信料は無料になったとのクレジットと共にケンプトンの戯曲は1作品も上演されていないと。これもオチではありますね。
ケンプトンはやや独りよがりの気はあるけれど、確かに優しさと正義感を持った人物であり、そのお喋りは機知とウィットに富んでいます。初めはうざいほどだったけれど、裁判での彼の話術はとても魅力的でした。