月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

あ、季節がかわった

2020-03-04 00:40:00 | 春夏秋冬の風


3月3日(火)

 深夜1時頃。お風呂に原稿をもって入り推敲するつもりがあまりの気持ちよさに、体を投げ出して手足をのばし、鼻から吸い込む湯気の感触をたのしんでいた。このところ、1月後半から仕事がある一定量つまっていて、こんなにくつろいだ気持ちは久しぶりだった。


 はぁーーと息を吐いたあとで、赤ボールペンを右手でにぎるとこんなことを書いた。
 「わたしの幸せとは」。最近よく反芻する。幸せってなんだろう。自分はどうしたら、心から幸せを感じるのだろう? 
 と自分の胸に手をあてて考察しようとするところがある。それから、原稿の推敲を止めて、「ある幸せな一日」というタイトルを書き出し、
 つらつらと原稿の裏に、箇条書きに書いてみた。


 おそらく、わかりきっていることを書き出す。朝7時、からはじり、深夜1時まで私の幸せな一日を書ききった。
 あれ? これって……。わたしが普段過ごしている日常となんて似ているのだろう。ある1点、2点は違うものの、そこをのぞけばちゃんとやれている時の自分だといってもいい。なんだ、こんなことだったのか。

 
 それなら、そう心配する必要もないのか。とたんに安堵した。同時に、自分の身の丈とやらが、えらく現実的で。こぢんまりしたところに纏まってしまっていることにも失望する。ちいっちぇな、というところだ。



 3月がはじまった。あ、季節がかわった。起きた瞬間、カーテン越しにこぼれる光の強さと明度をみて、思う。
 風も違う。寒々しさが、違う。夕方の空の色や木々の間をぬう靄の広がり方が、2月とは確実に違う。


 それでとても大好きな小倉遊亀さんの1・2月のカレンダーを勢いよくべりっとめくった。






 たのしかったな1・2月。少し後ろ髪ひかれて哀しかったけれど、3月、4月の暦の花もとてもよくて、いっぺんに新しい月が好きになる。

 
 すぎさっていくカレンダーは、忘れていく時間だ。限りないほどの日々への「ありがとう」。誰かがいっていた、時間をどう過ごすか=いのちの刻み方だと。1月中旬あたりから、日々の仕事が忙しくなって、日記もまともにかけていない。が大丈夫。人はいつからでも、やり直すことができる。自分が思うほどやれていなくても、大丈夫。いまから、また始めればいい。諦めなければ、必ずやれる。自分が知っている、それを。だから大丈夫なのだ。