月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

文月。祇園囃子に誘われて

2018-07-29 18:46:00 | どこかへ行きたい(日本)












7月某日

京都は千年の古都。自分が年を経るにしたがって、本当にそのとおりなのだと納得する。
京都を歩いていると、「今」という時のなかに、明治や大正期、そのずっと前など。過去の「色香」が、生ぬるい風に紛れて入りこんできたり、匂ってくる瞬間に出くわすことがある。
 
今週は、2度も京都へ出かけることができて、本当にうれしかった。

23日(土曜日)には後祭の宵山へ。
八坂神社を参拝して昨年の粽を3つ(実家と娘のも)お返しにあがる。夕方なのでセミが鳴いているだけの人影まばらな静かな境内の中を参拝した。


祇園祭へ行くと、川端康成の古都のシーンを思い出す。

もう30年近く、こうして祇園祭・宵山にはいそいそとでかけていくのだが、今年は妙にノスタルジックで寂しかった。


たくさん並ぶ鉾の明かりは、真っ赤に近い朱色だ。ふわりふわりと熱く湿った風に揺れる。薄墨の海にうかぶ花の舟のよう。
演奏のない時間は、過去の思い出みたいに、浴衣の人並みや町内会のおっちゃん、おばちゃん、祇園祭をみにくる大衆がそぞろ歩くなかに、美学芸術の粋をまとった鉾が、鉾頭を高く天につきあげて、停まっている。


大船鉾、鯉鉾、南観音山、北観音山、八幡山、浄妙山、役行者山、黒主山などを見て歩く。




















屏風祭。京都の町家の中の家と暮らしを見せていただだけるので、こちらもすばらしい。













甲高く歌う能菅(横笛)、 太鼓、鉦の祇園囃子がはじまれば、たちまちそこは京の都の宵になる。
それでも、例年の聞き慣れた楽曲ではなく、もっと調子が単調、なんだかさめざめと泣きたくなるような切ない楽曲だった。
そこへ、線香の消えいく細い煙みたいな古いにほひを、肌温度で感じた気がした。



京の土地と人が織りなす、営みと祭りの神事。

これから夏が始まるというのに。もう晩夏になるのではないかと思えたくらいだった。