月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

原点回帰。

2015-01-09 23:48:47 | 春夏秋冬の風



新年あけましておめでとうございます。

ようやく、この新春の寿ぎを伝えることができた。今はそれだけで、ホッとしている。

例年なら、やれ年賀状だ、おせち料理だ、正月準備、初詣と
次から次へとお正月の行事を、波乗りの心地で乗りこなすうちに、
もう1月半ば?というのが常であった。

それが、今年は昨年(2月)祖母が103歳で亡くなったこともあって、
年末ギリギリになっても、
年賀状を作る気になれず。

お正月準備をしないで、大掃除だけなんとか済ませて
大晦日には兵庫県の北の果て、私の実家に帰省した。

心と体にぽかーんと隙間があったのだろか。
こともあろうに、1月1日(木曜)朝、布団から出た時すぐ咳が「コホンコホン!」と飛び出したのだ。
まあ、古い日本家屋の大広間に寝ていたのだから、致し方ないわ。
と最初は気にも留めていなかったのだが。

日が進むにつれて、本格的な風邪に。
3日の夜には熱が38度5分。
早々に西宮の自宅にひき戻って、生まれて初めての寝正月というのを味わった。

熱があるときはと、荒療法的に、熱々の風呂に長時間浸かったりしたのも、
これまた、あまり良くなかった。
ますますひどくなって、もうこれは…と諦めてぐっすりと寝込むことに。

「浄化、浄化!」
そう思いながら、焦ることもなく、なんにも考えずにお正月の第1週を
正々堂々ぐうたらに過ごしたのである。



それでも、もう9日か。いよいよ復活せずにはいられない…。

今日は前髪を自分で眉の上まで切り揃えて、
昼っからお風呂とシャワーを普段どおり1時間半くらい使って十分にとる。体は2回洗って、顔は3回洗った。頭も2回流した。

そして、ご近所の友達の家に白菜やら昨年読んだ本やらを届けて、
15分くらいおしゃべりをすると、ようやくまともな人間らしい生活が
戻ってきたようである。
1月の5時の空気。
まだこれから夕方がやって来るというのに、すでに真夜中の冷凍庫のように乾燥しまくった冷気が郊外の住宅地には横たわっていた。



さぁて!!
今年は、一体何をがんばろうか。
年齢を経るにつれて、どうにも守りの体勢に入っている自分を感じずにはいられない。出し惜しみ、というのか。いつのまにかセーブして生活をしている今日の私なのである。

今年は、とことん!やる!を目標にしようかな。
どうせ、ガムシャラに生きても1年は365日しかないのだから。
そうして、10年も生きたら、もう結構な年齢になってしまうのだから。
それとも、こうやってのらりくらりと目標など決めずに、淡々と生きていこうか。




ここに2枚の写真がある。









娘のアルバムをひっくり返すことはあっても自分のそれを探すことはなかったから、それこそ必死で探したら、こんな自分が登場したのだ。

誰? それはまぎれもない私の姿なのだった。
(1番左側)


「ありのままに」というメロディが流行っていた昨年、
年に3回通っている、コーチングのワークショップで、
自分の5歳くらいまでの写真を見つめながら、その当時の自分(ありのままの自分)をしゃべるというトレーニングがあったのを、ふと思い出す。
元々の自分が、いろいろな環境下のなかで変わっていくことは必然であり、
決して悪いことでもないし、それがまたもう一つの自分自身だと教わった。

ただ、元々の自分を決して忘れてはいけないというような、話があったように記憶している。




ものすごい勝ち気で、ぎょろりとした大きな瞳で世の中を見渡している、生意気な小娘がそこにいたのである。
明らかに隣のかわいらしい女の子とは違っていた。
決して、素直なタイプじゃない。
大人たちがあれこれとささやく会話を、斜めから傍観しているような、気の強い子。

幼い私は、山陰地方の旅館の1人娘として、おませで大人びて、
お客さんが大勢いる前で、堂々と、山本リンダを大熱唱するほどの、
根性のある、そしてサービス精神旺盛な子供だったのである。
すっかり忘れていた。

そして、一番はまった文学(文学に目覚めたのが)小学校5年、
フランソワーズ・サガンの「愛と同じくらい孤独」




それからは、よくわからないままに小学時代にサガンやリルケやゲーテを読破した、ほんまにマセまくったいけすかないガキだったのだった。

いつからだろうか。
優しい、人の良い、
ぼんやりとした個性のないよく微笑んでばかりいる女性になったのは、いつ頃からだったのだろうか。
中学の高学年くらいからかなぁ。それとも大学時代かなぁ。

濃いオレンジやひまわり色、エメラルドグリーン色が好きな私が、ベージュや薄黄緑色や、
うすいパープルを身にまとう女性になったのだろうか。

原点回帰、ではないけれど、
ありのままの自分を、ひょっこりと、思い出してもいい頃なのかな。
そのために、そのために。今年は昨年よりも、もっと孤独でいる必要がある。