ある日。
5月の陽光をうけて輝く新緑の中に、光のような花弁をひろげてシャガの花がぽっかりと口をひろげ、群になって咲いていた。周囲は光の緑。真っ赤な箱型のケーブルカーが、ぐんぐん、高野山の山頂をめざして登っていく。
ゴールデンウィークの半ばなので、人出は多い。ハイカーのようにリックサックを背負った外国人の姿、子供連れの家族が目につく。
山頂にある高野山駅についたら、バスに乗り換えて「高野山真言宗 総本山金剛峯寺」まで行く予定だ。(約12分)
思いっきり急カーブの山道を、右に左にと揺れながら、杉の山を走っていく。急カーブ続きの山でもバスの運転手は慣れたもの。途中ガードレールがないところもある。真っ逆さまならどこまで落ちていくのだろう。
「女人堂」を過ぎたあたりで、道は平坦になった。ここが山の中であるのを忘れるほど。バスを降りたのは「千手院橋」。まっすぐに進めば「奥の院口」、反対に行けば「大門」となる。
降りるや、「金剛峯寺」を目指して、全速力の勢いで、走るようにすたすたと進む。
後方からYちゃんも遅れまいと一小走りになって付いてきてくれる。一昨年の瞑想の取材で訪れたのも、ちょうど5月だった。当時の景色と今を重ね合わせながらすたすたと歩く…。
そうとうに走ったと思うのに、いっこうに着かない。道の片側は商店が軒を連ね、もう片側は新緑の海。山裾までそう距離はない。さすがに、ちょっとばかり焦ってきた。バス停から「金剛峯寺」まで確か5分も歩けば到着する予定であった。
「おかしい…なんでだろ…。もしかしたら逆方向かもしれない…」。ついに、この言葉がついて出た。
心許ない声でぽつりといい、頭を90度に振り切ってYちゃんのほうをふり向いたら、彼女はスマートフォンとの距離が、5ミリ(GoogleMapを見ていた)。気迫いっぱいに、ガン見していた。そして、乾いた眼差しで苦笑した。
平謝りに頭を下げて、笑いあって近くの茶店 「丸万」にて精進料理定食を食べに入る。
店の外は、まぶしいほど明るく照りつける5月の日差しだ。
玄関口から軒下まで、10組ほどの人の列が重なっている。令和になって2日後。とびきりテンションの高いゴールデンウィークといった陽気である。
「金剛峯寺」の門前には、白い花弁をはらはらと散らす名残の桜が、思いのまま花を落としていた。
一方で、木の門の中程に咲いていたサツキやシャクナゲの花は、朝の澄みわたった高野の気を一心に吸い込み、その清々しい力で花を開かせたという勢いに満ちてみずみずしい。
「金剛峯寺」の玄関で靴をぬいで、古い木の廊下をいく。途中、ご朱印の受付がある。さらに奥へと進んだ。
天皇・上皇が登山された時に応接間としてつかわれた総金箔押しの壁、正四角形に重ねられた書院造りの天井が美しい「上壇の間」。別殿内部の襖絵の中では、いにしえの四季めぐり。格式高い日本画の中を楽しみながら歩き、大広間に向かう。
どっかりと座りお茶を飲む。
一番前で尼僧が手にマイクをもって説教をはじめた。終わった後でYちゃんは、「良かった。こんなにいい話しが聞けただけでも、はるばると山に登った甲斐があった」と来た時よりも機嫌がよく、ほっぺが上気していた。
奥の書院や別殿を囲むように造られた「播龍庭」。この庭、雲海の中で雌雄一対の龍が奥殿をぐるりと取り囲み、庇護するように位置されているという。白砂利は、人間の脳裏の余白のようでも、新緑をつつむ清浄な紗(清浄な空気)のようでもある。
そうして、播龍庭の奥にしつらえらえた一室で、阿字観瞑想を体験した。
「目は半眼です。あの世とこの世の両方に居るような気持ちで。そう。あぐらをくみ、左の腿の上に右の足を重ねてください。左より右が尊いの。元来のあなたの存在は左。右は御大師さまの力をもらった新しいあなたの姿です
次に頭の先を上からひっぱられるようにして、おしりの穴まで一本の線がとおっている、そんな風に意識をむけて座ってください」。
「今から、「阿」。を唱えるのです。
「阿」は宇宙の起源の始まりであり大自然のこと。あいうえをの「阿」で始まり。御大師さんを意味しますよ」。
「鼻から自然に息が入ると、3、5秒。止めて、「阿」「阿ーーーーー」と息をはきます。すべて吐き切ります。最後まで全部ですよ。おへその下にたまった全身の息を、すべて吐くことで、邪悪なものや負のもの、心の澱をすべて吐いていきます」。「阿——ー」。
「阿ーー」
僧の言葉に従って、「阿」の声にのせ、どんどん、どんどん。どくりどくりと、「阿」を吐いていった。途中、つらい、苦しいものや、一筋の光などが現れては、濁流となって流れていく。
誰かがいった言葉がぽかんと浮かんできたり、脳の片隅でしこりのようになっていた、ある日の、あるシーンがどろんと立ち現れては流れていく。
親戚の人や、母の表情が、陰影となって立ち現れ、「阿」を出し続けることが、途中、ものすごく苦しい時がある。背中に汗が吹き出して、このまま倒れるのでは、という恐怖にも包まれた。
いつまで、このように「阿」を出し続け、「阿」と対峙し続けるのだろう、と怒りがこみ上げてくる。
けれど、一昨年の僧とは違って今回の僧は全くの容赦なかった。
いつまでも、いつまでも「阿」は続いた。
「阿…………」「阿………」。
「阿…阿…」。
「今度は、阿を自分の耳の中で聞こえるくらいかの声で、『阿』を唱えてください」
僧の「阿」はそうはいっても力強い。低音で詠うにようにこぶしがまわる、いわゆる読経の「阿」だ。何分そうやって続けたのだろうか。
「今度は阿を、自分の心の中で唱え、瞑想の中へと入っていってください」。
やっと、許された。やっと、自分の姿や自然を、俯瞰で感じていいと許しを請うたと、思った。
ゆるい、自然な風とともに。この地の澄んだ空気をふと感じた。温泉の煙のような曇った白の世界。ようわからない世界。あ、私か。
20分の瞑想は終わった。
このあとは、新緑の波を分け入るようにして「壇上伽藍」まで。
「御影堂」「金堂」まで足をのばして、笑いながら写真を撮る。時計をみると、3時。こりゃいかん急がねば。奥の院行きのバスへ乗り込んだ。