月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

新緑の5月に。高野山の総本山金剛峯寺で阿字観瞑想

2019-05-28 23:35:38 | どこかへ行きたい(日本)


ある日。


5月の陽光をうけて輝く新緑の中に、光のような花弁をひろげてシャガの花がぽっかりと口をひろげ、群になって咲いていた。周囲は光の緑。真っ赤な箱型のケーブルカーが、ぐんぐん、高野山の山頂をめざして登っていく。











ゴールデンウィークの半ばなので、人出は多い。ハイカーのようにリックサックを背負った外国人の姿、子供連れの家族が目につく。
山頂にある高野山駅についたら、バスに乗り換えて「高野山真言宗 総本山金剛峯寺」まで行く予定だ。(約12分)


思いっきり急カーブの山道を、右に左にと揺れながら、杉の山を走っていく。急カーブ続きの山でもバスの運転手は慣れたもの。途中ガードレールがないところもある。真っ逆さまならどこまで落ちていくのだろう。
「女人堂」を過ぎたあたりで、道は平坦になった。ここが山の中であるのを忘れるほど。バスを降りたのは「千手院橋」。まっすぐに進めば「奥の院口」、反対に行けば「大門」となる。



降りるや、「金剛峯寺」を目指して、全速力の勢いで、走るようにすたすたと進む。
後方からYちゃんも遅れまいと一小走りになって付いてきてくれる。一昨年の瞑想の取材で訪れたのも、ちょうど5月だった。当時の景色と今を重ね合わせながらすたすたと歩く…。



そうとうに走ったと思うのに、いっこうに着かない。道の片側は商店が軒を連ね、もう片側は新緑の海。山裾までそう距離はない。さすがに、ちょっとばかり焦ってきた。バス停から「金剛峯寺」まで確か5分も歩けば到着する予定であった。



「おかしい…なんでだろ…。もしかしたら逆方向かもしれない…」。ついに、この言葉がついて出た。



心許ない声でぽつりといい、頭を90度に振り切ってYちゃんのほうをふり向いたら、彼女はスマートフォンとの距離が、5ミリ(GoogleMapを見ていた)。気迫いっぱいに、ガン見していた。そして、乾いた眼差しで苦笑した。


平謝りに頭を下げて、笑いあって近くの茶店 「丸万」にて精進料理定食を食べに入る。






店の外は、まぶしいほど明るく照りつける5月の日差しだ。
玄関口から軒下まで、10組ほどの人の列が重なっている。令和になって2日後。とびきりテンションの高いゴールデンウィークといった陽気である。

「金剛峯寺」の門前には、白い花弁をはらはらと散らす名残の桜が、思いのまま花を落としていた。







一方で、木の門の中程に咲いていたサツキやシャクナゲの花は、朝の澄みわたった高野の気を一心に吸い込み、その清々しい力で花を開かせたという勢いに満ちてみずみずしい。



「金剛峯寺」の玄関で靴をぬいで、古い木の廊下をいく。途中、ご朱印の受付がある。さらに奥へと進んだ。

天皇・上皇が登山された時に応接間としてつかわれた総金箔押しの壁、正四角形に重ねられた書院造りの天井が美しい「上壇の間」。別殿内部の襖絵の中では、いにしえの四季めぐり。格式高い日本画の中を楽しみながら歩き、大広間に向かう。


どっかりと座りお茶を飲む。
一番前で尼僧が手にマイクをもって説教をはじめた。終わった後でYちゃんは、「良かった。こんなにいい話しが聞けただけでも、はるばると山に登った甲斐があった」と来た時よりも機嫌がよく、ほっぺが上気していた。









奥の書院や別殿を囲むように造られた「播龍庭」。この庭、雲海の中で雌雄一対の龍が奥殿をぐるりと取り囲み、庇護するように位置されているという。白砂利は、人間の脳裏の余白のようでも、新緑をつつむ清浄な紗(清浄な空気)のようでもある。








そうして、播龍庭の奥にしつらえらえた一室で、阿字観瞑想を体験した。


「目は半眼です。あの世とこの世の両方に居るような気持ちで。そう。あぐらをくみ、左の腿の上に右の足を重ねてください。左より右が尊いの。元来のあなたの存在は左。右は御大師さまの力をもらった新しいあなたの姿です

次に頭の先を上からひっぱられるようにして、おしりの穴まで一本の線がとおっている、そんな風に意識をむけて座ってください」。


「今から、「阿」。を唱えるのです。
「阿」は宇宙の起源の始まりであり大自然のこと。あいうえをの「阿」で始まり。御大師さんを意味しますよ」。



「鼻から自然に息が入ると、3、5秒。止めて、「阿」「阿ーーーーー」と息をはきます。すべて吐き切ります。最後まで全部ですよ。おへその下にたまった全身の息を、すべて吐くことで、邪悪なものや負のもの、心の澱をすべて吐いていきます」。「阿——ー」。



「阿ーー」


僧の言葉に従って、「阿」の声にのせ、どんどん、どんどん。どくりどくりと、「阿」を吐いていった。途中、つらい、苦しいものや、一筋の光などが現れては、濁流となって流れていく。

誰かがいった言葉がぽかんと浮かんできたり、脳の片隅でしこりのようになっていた、ある日の、あるシーンがどろんと立ち現れては流れていく。

親戚の人や、母の表情が、陰影となって立ち現れ、「阿」を出し続けることが、途中、ものすごく苦しい時がある。背中に汗が吹き出して、このまま倒れるのでは、という恐怖にも包まれた。


いつまで、このように「阿」を出し続け、「阿」と対峙し続けるのだろう、と怒りがこみ上げてくる。

けれど、一昨年の僧とは違って今回の僧は全くの容赦なかった。

いつまでも、いつまでも「阿」は続いた。
「阿…………」「阿………」。
「阿…阿…」。



「今度は、阿を自分の耳の中で聞こえるくらいかの声で、『阿』を唱えてください」

僧の「阿」はそうはいっても力強い。低音で詠うにようにこぶしがまわる、いわゆる読経の「阿」だ。何分そうやって続けたのだろうか。

「今度は阿を、自分の心の中で唱え、瞑想の中へと入っていってください」。



やっと、許された。やっと、自分の姿や自然を、俯瞰で感じていいと許しを請うたと、思った。

ゆるい、自然な風とともに。この地の澄んだ空気をふと感じた。温泉の煙のような曇った白の世界。ようわからない世界。あ、私か。
20分の瞑想は終わった。


このあとは、新緑の波を分け入るようにして「壇上伽藍」まで。
「御影堂」「金堂」まで足をのばして、笑いながら写真を撮る。時計をみると、3時。こりゃいかん急がねば。奥の院行きのバスへ乗り込んだ。











箱根 「天山湯治郷」に行ってきました

2018-10-15 23:23:44 | どこかへ行きたい(日本)



前日の晩に、激しい口論をした。
先月、東京へ来て2日目の晩だ。

いくら、自分の血をひいた娘といえども、24歳の社会に出ている女性のプライベートを詮索しすぎてはいけないと、頭では理解していながらも。理に反していることをいえば、カッと血が上るのはどうしようもない。普段は、おだやかさが信条で、他人と揉めたことなど数えるほどであるのに、(人事として)客観的に物事をとらえられていない証拠だった。


朝。言葉を交わさず、スマホの画面ばかりみているN。家の習慣にならって、わたしはアールグレイティーをいれて飲む。それでも、テーブルの上には2つのカップを並べ、軽い朝食を一緒にとった。一言でも、どちらが発したなら、その後は勝手にするするとつながっていくのがやはり長年ともに暮らしたNとの関係性なんだろうと思う。



1時間後には、新宿から小田急ロマンスカーにのって「箱根」へ向かっていたのだった。





お昼には、富士家ホテルのダイニングでカレーを食べる、というのが1つの目的だったが、行く道中に調べたら現在は改修工事中で、あの立派なダイニングを擁するクラシックホテルにはお目にかかれないとのこと。ものすごく落胆する。
それで、小田急百貨店の地階で求めた、牛たん弁当を買って特急電車に乗った。

箱根湯本から、箱根登山鉄道、箱根登山ケーブルカーを乗り継ぎ、「早雲山」から、さらにロープウエイで「大湧谷」まで。












約3千年前の箱根火山最後の爆発でうまれた神山火口からは、熱いエネルギーで押し出された爆裂の隙間から白煙がしゅるしゅると、あふれ出ていた。もうロープウエイにのっている最中から、火山ガスと硫黄の匂いがたちこめていて、遠く自分が幼かった頃の記憶へとつむがれていこうとするのを、急いで押し払って山の絶壁の展望台に立つ。




火口と反対側に、富士山がみえた。

名物の黒たまごは食べなかったが、私は炭ソフトクリーム、彼女はたまごソフトクリームをなめながら、火口からの煙をみる。ゆで卵みたいな色をした火口付近には雑草の1本も生えていない。 地球内部の圧力が蓄えられたエネルギーが漲っている、外国人たちは、この光景をどんな風にとらえるんだろう。誰もが、大自然の火口を背景に、笑って写真を撮っていた。










強羅あたりで一泊したい、という気持ちを抑えて、ロープウエイ、ケーブルカー、登山鉄道へと乗り継いで、箱根湯本での日帰り温泉「天山湯治郷」へ。




ここは、とても素敵だった。タクシーで5分ほど走りぬけて小さな谷間へどんどん下っていくと、8千坪の敷地に、古い温泉旅館風の湯治場が。






すっかりと日は落ちて、あたりは旅館の灯ばかり。真っ暗。近くに聞こえるのに見えない川のせせらぎや社寺の鐘の音。それがかえって情緒があるように思える。
箱根の湯の歴史は奈良時代までさかのぼるという。
天山湯治郷の創設は昭和41年とある。
源泉は7つあり、日量は五十万トン。それも泉質が異なっていて、他所へ配湯せず、加水なし(源泉を薄めない)、加温はなし。源泉から直に全浴槽へと注いでいるすばらしさよ。


野天風呂「一休」。
黒々とした夜の波間に音はなく、風だけが箱根の山から流れてくる。自然の中に開け放たれた檜舞台のような桧風呂で湯浴み。
透明な湯はやわらかく、木と葉の香りにあふれた静かな湯だった。


湯から出た後は、ひがな湯治天山の食事所「山法師」で。羽衣御膳と渚ビールで。





それから、また天山の湯へとつかる。



闇の中に、大小の野天風呂があり、とても気に入った。洗場も野天だ。おさるになった気分である。それもただの野天ではなく、目をこらしていくとあちらこちらに、観音さま・仏様が鎮座されていて、裸のわれらをみておられる不思議なロケーションだ。
泉質もよい。白濁の湯。とろんとぬるく、やさしく体がだるくなるような湯。ちょうどいい清い湯。洞窟の中の湯。湯上がりに浸かる熱湯は44度とある。


帰りは、9時半すぎ。これ以上いたら終電を逃しそうだ。
JRの各駅停車で、小田原、藤沢、横浜、川崎とゆっくりと駅名をみながら2時間かけて東京へ帰った。肩にはタオルをのっけて。
本に目を落としながらも、その実、ずっと人ばかりみていた。夜中12時になるというのに、関東の人は元気だ。どの駅についても、よくしゃべる人たちが乗ってきて、活気いっぱいの車内。関西の電車のように下をむいて眠っていたり携帯電話をさわっている人よりは、おしゃべりをしながら笑っている人が多い。

蛍光灯の白さが、昼より明るくみえた箱根の帰りなのだった。







パワースポットで邪気を払い充電する

2018-08-07 13:40:13 | どこかへ行きたい(日本)

高校時代の友達のひとりに、パワースポット好きの友がいて、年に3、4回、その彼女(y)と出かける。

先月も滋賀の水郷めぐりの後で、日牟禮八幡宮へ参拝し、たねやで名物のつぶら餅入りの「冷ぜんざい」「黒糖氷」で一服してから、多賀大社に向かった。







多賀大社は、延命長寿の神さまだ。
「二柱の大神(いざなぎのおおかみ様、いざなみのおおかみ様)は、神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、日本の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられた。生命の親神様」であるという。


参道沿いには、宿場町のなごりの、みやげもの屋や飲食の店が軒をつらね、道中とは違う古い時間が流れていた。
「太閤橋」をぐるりと迂回して本殿のそばへ。

ちょうど夕方の祈祷がはじまっていた。
目をとじて、静かに手をあわせる。

「ご縁がありまして参拝させていただくことができました。ありがとうざいます」
そう心の中で唱えたら、その思いをしっかりと受けとってもらえた、となぜかよくわからないけれど、そんな手応えが返ってきたのだった。
ふと天をあおぐと、頭上でゆらりゆらりと、白地の夏らしい提灯が風に揺れている。






いくつも、いくつもぶらぶらと。くっきりとした白地に、墨文字と朱色のきれいな提灯。社の巫女さんのようなふくふくしいイメージだ。「お多賀さん」という呼び名にふさわしい。とてもあったかい感じのする提灯なのだった。

〝古い社に、ふさわしいなんてやさしい提灯なのだろう〟

それから友と、冗談をいいあって笑いながら、社務所そばの自動販売機でミネラルウォーターを買い、ごくりとのどを鳴らして飲み、ひと休み。気の置けない古い友達たちの存在は、ありがたいものである。


もう夕方の5時だというのに、すっきりと晴れた綺麗な青空が、もくもくとわきあがる入道雲と本殿の提灯の白をひきたたせている。セミが鳴いていた。木々も気持ちよさそうに風に揺れていた。あぁ気持ちいい。もう夏が始まった!(7月15日頃)と心からそう思えた。



それから、大津までもどって琵琶湖の湖岸を眺める。
夕景があまりにきれいだったので、大津の琵琶湖ホテルで一杯だけ、飲みましょうということに。


ガラス張りのむこうには「琵琶湖」という大絶景を前にして、冷えた白ワインとピザを。
赤ワインと、肉のサラダ、エビのアヒージョなどを食べた。
メーンラウンジからは、金色にライトアップした真っ白なミシガン(観光船)が湖の上をゆっくりと横ぎっていくのがみえた。

この光景とよく似ているところを知っている。









一昨年の冬。Nと一緒に「香港」へ旅した時も、黄大仙や金魚街を訪れ、
それから遠くに香港島、近くにビクトリアハーバーをみわたせるインターコンチネンタル香港である。
昼から夕方、夜へと移り変わっていく香港という街のエキゾチックな情景がすばらしくて2時間あまりにそこで過ごした。



そしてやはりそこは、とても晴れやかな気があふれているのだった。エネルギーが集まっているところだ。



友人のyと出かけたパワースポットは数知れない。
(奈良の霊山寺、春日大社。京都の日向神社、大阪のサムハラ神社…、メジャーな所もマイナーなところもいろいろと訪れた)
最初はちょっとくすっと笑っちゃうのような思いで同行していたのだが、いくつも、いくつも、たずねていくうちに、まぁそういうのも佳しかな、と思えるようになり、今はパワースポット巡りもそれなりに楽しんでいる。

土地のエネルギーが集中している、良い気が満ちている場所、それがパワースポットだという。
そこに共通するのは、とてつもない気持ちよさ。
その場に、スポットライトが注いでいるように。ほんのワントーン明るいところ。空間には広がりがあり、ともかく開放的。外にむかって開けているということだ。
過去と未来が一直線にすっきりとつながっているような、いい空気が流れている。
だから、安心してそこで、考えごとをしたり、過去を振り返ったりと自由な思いをめぐらせることができるのだ。

わが家の空間も、1カ所でいいパワースポットのような場所があればと思うのだけど。
もう実はあったりして。

世界遺産「下鴨神社」みたらし祭、「さるや」氷室氷で夏の涼を

2018-07-30 18:40:24 | どこかへ行きたい(日本)




今年、3回目の京都 糺の森を歩いた。隣には珍しく、Nの姿があった。 

この日、気温は38度だが、原生林の森の中はさすがに涼しい。
糺の森は鴨川、高野川など大小6つの川が流れているそうだが、その中間地点あたりで数組の家族連れが川遊びにきていた。いわゆるアウトドアキャンプみたいに。神様の懐とはいえ、違和感たっぷり。
鴨川の河原でぜひ堂々と夏ピクニックをしてほしい、などと願う気持ちになったが今年は酷暑なので、そうもいかないのだろうか。










下鴨神社の本殿を参拝し、「みたらし祭」へ。










〝足つけ神事〟とよばれ、穢れを払い1年の無病息災を願う人々…。
皆、慣れていてスムーズに神事を執り行い、気持ちいい。聞こえてくるのは、京言葉。京の人は京都をどこより敬い、愛しているのだ。




境内の受付で、お供え料(300円)をお納めし、ろうそくと靴を手にもち御手洗池へ、浸水。ちょうど膝くらいまで水がくる。














太陽が照りつける正午にもかかわらず「ひやっ!」「冷たい!」と声がでるほど。地下からわきでる冷水は、芯から凍る冷たさ。
周囲の森と社の雰囲気にあいまって、このうえなく、わが身が清められるようだ。

御手洗社(井上社)前の祭壇にろうそくを献灯。

水からあがると、社のお方にご神水をいただき、ごくごくと喉をならし体の中を水が通っていき内側からも綺麗にする。そうして瀬織津比売命(せおりつひめおみこと)様の元へいき、神事のご挨拶してから、退出するのが習わしなのだった。















そして。今年お初の「さるや」(下鴨神社の休み処)だ。「宝泉堂」(和菓子店)が自信をもって供する鴨の氷室の氷である。

黒蜜白玉、練乳かけ。







空気を含んで細かくかいた氷室氷は、雪の結晶を口にいれるみたいに、細かく、淡く、優しい。

みたらし祭で頂戴したご神水と同じ、清く澄んだ水味だ。

このままでも、スプーンで雪をかいて口に入れるみたいで、十分においしいのだけど、
上質な黒蜜(沖縄産)を上からまわしかけると、雪の山が茶色にだらりと崩れ、そこをスプーンにすくって味わう。綺麗な甘さ。すっきりと暑気がひいていく。生き返るとはこのこと。






あぁと、満足な心地で糺の森を、砂利道も気にせずにサクサクと軽やかに歩く。

途中の露店で、鴨茄子と万願寺唐辛子を買う。








文月。祇園囃子に誘われて

2018-07-29 18:46:00 | どこかへ行きたい(日本)












7月某日

京都は千年の古都。自分が年を経るにしたがって、本当にそのとおりなのだと納得する。
京都を歩いていると、「今」という時のなかに、明治や大正期、そのずっと前など。過去の「色香」が、生ぬるい風に紛れて入りこんできたり、匂ってくる瞬間に出くわすことがある。
 
今週は、2度も京都へ出かけることができて、本当にうれしかった。

23日(土曜日)には後祭の宵山へ。
八坂神社を参拝して昨年の粽を3つ(実家と娘のも)お返しにあがる。夕方なのでセミが鳴いているだけの人影まばらな静かな境内の中を参拝した。


祇園祭へ行くと、川端康成の古都のシーンを思い出す。

もう30年近く、こうして祇園祭・宵山にはいそいそとでかけていくのだが、今年は妙にノスタルジックで寂しかった。


たくさん並ぶ鉾の明かりは、真っ赤に近い朱色だ。ふわりふわりと熱く湿った風に揺れる。薄墨の海にうかぶ花の舟のよう。
演奏のない時間は、過去の思い出みたいに、浴衣の人並みや町内会のおっちゃん、おばちゃん、祇園祭をみにくる大衆がそぞろ歩くなかに、美学芸術の粋をまとった鉾が、鉾頭を高く天につきあげて、停まっている。


大船鉾、鯉鉾、南観音山、北観音山、八幡山、浄妙山、役行者山、黒主山などを見て歩く。




















屏風祭。京都の町家の中の家と暮らしを見せていただだけるので、こちらもすばらしい。













甲高く歌う能菅(横笛)、 太鼓、鉦の祇園囃子がはじまれば、たちまちそこは京の都の宵になる。
それでも、例年の聞き慣れた楽曲ではなく、もっと調子が単調、なんだかさめざめと泣きたくなるような切ない楽曲だった。
そこへ、線香の消えいく細い煙みたいな古いにほひを、肌温度で感じた気がした。



京の土地と人が織りなす、営みと祭りの神事。

これから夏が始まるというのに。もう晩夏になるのではないかと思えたくらいだった。













近江八幡、葦の水郷をいく

2018-07-23 15:50:03 | どこかへ行きたい(日本)


この日は朝から何かが違った。
太陽の明るさが、いつもより明るい。

私たちは35年来の友人と、20年来の友人という妙な取り合わせで再会し、水郷めぐりの舟に乗船したのだった。

陽光に光る湖をすべる船は、小さく頼りない木製の手こぎ舟。日本一遅い、日本一優雅な乗り物である。船頭さんは、さっきまで田畑で作業していたばかりといわんばかりの、日に焼けた額にすげ傘、ヘインズ風の白のTシャツに作業ズボンというスタイルで。それでもどこか親しみがあるのは、母方の郷里で「こんにちは、お元気ですかぇーー」とやってくる田舎のおじさんにどこか似た愛嬌のある感じだったからである。(おじさんは、ずっと観光解説をしてくれていた、真面目でえらい人なのだ)












あぁ、アジア。水のリゾートへ、漕ぎ出そう。
滑り出しは、左右に激しく揺すれるので、風でもきたら、このまま湖に転覆してもおかしくないという不安定さ。それでも3分・5分とゆっくりと湖を滑り、ぐんぐんと速度がついてくると、悠々と湖面をすべる、そよぐ。
























この湖はわが道とばかりにすいーっと。涼やかに流れていく。
なんだろう。このわくわく感は。

私たちがこうして座っているのは近江の湖の上。目線がこのうえなく水面に近い。
だから、植物や生物たちの目線で、「水の上をいく」のが、きっとこんなに気持ちいいのだろう。

 
前方に見えるのは、先端が三角にとがった前をいく木舟。
ちゃぽん。ちゃぷん。すーっ。快い水の音。

視線をあげれば、八幡山が緑のゆるやかな低い稜線を描き、
水彩絵の具で描いたような水色の空に、入道雲がぼっかりと浮いていた。



風は前から横から、自分たちなどいないように、すいすいとすり抜ける。
セミが鳴き、ウグイスがきれいに唄うなか、冒険に行くみたいなのだった。



葦の群生。葉擦れの乾いた音。虫の羽音、鳥たちのおしゃべり。


同じ風景はなにひとつなく、水と葦と風と、太陽。そして生き物たちの気配だけ。

葉と葉がこすれる音は、なにかをささやくようでも、おしやべりをしているようでも。

「日本三大水郷めぐりってご存じですか?群馬の利根川、福岡の柳川とありますが、 一番手つかずの風景が味わえるのは、ここ近江水郷めぐりですよ」と、のどかな船頭さんの声でいう。

笑いかけて、冗談をいいあうのは気心のしれた古い友人ばかりだ。

アジアの水の国にタイムスリップしたみたいだった。


タイの水上ボートや、バリ島でも鶏と猫の住む小さな島へ辿りつくために船に乗船したけれど。
当時の、ずーっと昔の記憶といつのまにか重なって、一瞬ここがどこかわからなくなったほどだ。


近江の水郷めぐりは、手つかずの自然、質素で色がない。その何もないのがいい。
水の空気の流れがきれいであった。

途中で小さな祠があるのも、近江らしくて、古い時間が馥郁と。
60分で一周したらすっかり我ら浄化され、水の神様にお会いしてきたと思えたほどで。
自然の懐で、水のゆらぎと葦、生物たちの世界で、一緒に遊ばせてもらったという厳かな気持ちになった。
















湖上からあがったら向かったのは、日牟禮八幡宮だ。
瓦ミュージアムなどを散策して、予約していた駅前のイタリアンでランチをした。








雲海を下へみて空を行く、前へ

2018-06-30 12:38:05 | どこかへ行きたい(日本)






 本を読んでもシネマをみても、散歩にいっても。その快感にことごとく溺れ、旅に出たい、ここではないどこかへ身をおきたいと思うのに。いざ、明日から旅だとなれば、毎日過ごしてきた「居場所」を離れるのにとても後ろ髪ひかれ、本当は行きたくなかったのに、と家出娘の心境になるのは、今回もやはり同じだった。


 伊丹空港までは、3泊分の荷物を詰め込み、強く頬にあたる雨粒をかわすこともできず、傘を斜めにさして歩行するには、どう考えても自分の力量にたらず重い——。
 今回の「旅」はひとりではなく、東京で暮らす 娘のNと夫の3人での親睦を深めるものだ。ほんの一昨年までは、こうして家族で時間を供にするのが平凡な日常風景であったのに、今、私たちは3人で過ごすという「非日常」を楽しむために、「旅」という機会を利用して楽しもうとしているのだった。


 青い翼にのって機上の人となれば、自分を培ってきた重力がほんの数十キロほど軽くなる。絶対にこうでなければならない、などという偏見やこだわり、昨日までの責任感が音をたててガクンと外れ、私の魂とオブラードのようにとりまく生への執着心だけを引き連れて、空に舞い上がっているようである。
 雲海を下にみて。飛行機の機体が、激しいまでのスピード感でもって、前へ、前へとひた走るあの感じの乗り物としての心地よさが、何度体験しても、やはりとても愛しい。気圧が低く、空気の薄い中で寄り添う搭乗者との、もの言わぬけれど交わされるささやかな交流の糸と、どこか不安定な孤独感も含めて。


 羽田に到着したのは、五時を過ぎていた。
京急線から東急線に乗り換えて、ほんの数十分。
 
 江戸の空気は関西とは全く違う。もっと雑然としていて台湾や韓国に通じるアジア的な色濃さと国際都市としての立ち居振る舞いの中に、東京よりもっともっと東の田舎地味た空気が入り交じった、ぬるさみたいなものがあるのだ。それにしてもいい街だ、東京。

 晩ご飯は、恵比寿に出かけた。













年始は雪の温泉と社寺を巡る 雑記(2)

2018-01-13 00:40:46 | どこかへ行きたい(日本)







4日から5日には、家族と実家の母、Nも東京から合流して、
神戸の有馬温泉へ。
せっかくなので一泊して親睦を深め合ったのだった。

お正月に温泉旅行(有馬グランドHに宿泊)とは、ほっこりと縁起のいいスタートである。
年末年始に、親族の変わらない笑顔に出会えるというのは、
何より安泰。平和の証ではないだろうか。

有馬の湯は、あいかわらずの
どっしりとした赤茶で、塩分や鉄分、硫黄などが豊富。
「太古の地層に蓄積した海水が地のエネルギーを豊潤に含み高濃度の温泉を今も噴き出している」のだと
以前取材で(「金の湯」の支配人から)聞いたことがある。

さて。
本当は、その地に古く根ざした小さな温泉宿が自分好みなのだが
この宿の地下2階の風呂(スパ)が好きで、
3度訪れてもやっぱり好きなので、
家族たちにもぜひ共有してほしくて、今回はこの宿を予約したのだ。





広々とした日本間でお茶をのんだら、
ひとまず、最上階の六甲山系がみわたせる展望風呂へ。




寒さで凍り付いた体を温めて、
冬のキーンとした清浄な空気を全身に吸い込んだ。


「夕食のあとは、ラウンジで歌を聴きにいこうよ」

「誰が唄うの?知らない人だとつまらないんじゃないの?」

「お風呂と食事以外はすることもないのだし、行こう行こう♫」

「あぁー、部屋で飲むお酒を仕入れてくるんだったな」

と、どうでもいいことを気兼ねなく言い合えるのが、こういった旅の間のひとときなのだ。

昨年に引き続いて、実家に一人暮らししている母を温泉旅行につれていくことができた、
それが何よりも今は嬉しい。

1階の洋食でコース料理を頂いて、










それから
1階(ロビー横)ラウンジに移動し、
懐メロ的フォークソング(「22歳の別れ」「精霊流し」など)を聞いて、マンゴージュースやビールなど各自で好きな飲み物を飲み、
再び地階の温泉処「紗の湯」を訪れた。








それほどの高級旅館でもないので、
肩肘張らない気楽さがいい。
露天風呂は、竹林を背景とした金泉。
奥の浴場は太柱をつかった天井と照明器具がほどよくマッチした癒やし系のゆったりとした温浴施設だ。
(見方によってはインフィニ浴場に見えなくもない)。

なぜか、不思議なのだけど
バリ島のホテルスパを思い出してしまうのが自分でも笑ってしまう。

半屋内の露天風呂から、空を見上げると黄色い月がぽっかりみえた。


翌朝。
朝食前と朝食後にもう一度風呂に入った。
地下2階の金泉の露天風呂は誰もいなくて
カエルのようにすぃーっと1本泳ぎたくなってしまったのは
塩分濃度の濃い金泉ならではの泉質のせいだ。

天井と空の隙間から、(昨日は月明かりがみえた位置に)
細かい雪が、沸き上がるように下から上へ、軽やかに舞っている。なんとも幻想的で美しい。
この光景に出会えただけでここへ来た甲斐があったと、そう思えたほどに本当に美しかった。

お正月の10日までは、城崎と有馬温泉、天然湧湯・吟湯湯治聚落へ。

そして鷲林寺と越木岩神社、西宮えびすと、今年は近場ばかりの社寺を参拝。

温泉とゆかりの社寺を、ぐるぐると巡る年末年始…。
新しい年と日本の社寺と団らん。そういった人と人の織りなす交流・光景を毎年のように偏愛している。

さて。新しい仕事の案件も、本日3本と舞い込んできたし、そろそろ
正月気分には、終止符!!というところなのだろう。






有馬グランドホテルのアクアテラスで夏を惜しむ

2017-08-24 13:59:47 | どこかへ行きたい(日本)


お盆休みは15日頃まで仕事があり、墓参りをするために実家を2往復した以外は、さして夏らしいことはなにもしなかった。
それでせめて、、、、と出掛けたのが先週末の有馬グランドホテルだ。



「日本に、京都があってよかった。」というJRの広告があるが、まさに
「ご近所に、有馬があってよかった。」の心境だ。

これまで、御飯のおいしい小さな宿。が好きだったはずが
このホテルは大型ながら設備の快適さと、従業員の接客が素晴らしい。
空間全体に心地いいブレス(気)が通り抜けるよう。
お風呂もロビーも、椅子の置かれている小さなコーナーや廊下ひとつとっても、気持ちいいのである。


5月の時は、娘のNとともに日帰り入浴メーンで、入浴付館内共通券平日3650円を購入して、
2000円はロビーでのお茶とお寿司(にぎり寿司)に使い、
大変に満足した。







普通ホテルや旅館の日帰りといえば、
宿泊者優先で夕方6時には退散しないといけないが、
ここは浴場(B2紗の湯)が22時30分まで利用可能。
夜になると、ロビーの隣に位置するバーで生演奏や唄があり、
普段はストリートミュージックも素通りするのに、この日は地元三田出身の歌手が熱唱する、
「22歳の別れ」に感激しながら旅情気分でクリーム珈琲を飲んで聞き惚れた。







今回は「アクアテラス&スパ」をメーンに、浴場(B2紗の湯)と軽食で利用した。(休日4200円)
中学生以下は入場できないので子供たちの騒ぐ声はないし、人が少ないのでゆっくりできる。

サウナはラドンミストサウナや岩塩ドライサウナ、岩盤カウチサウナなど5種。
水中浮遊歩行プール、フィットバスに浸かりながらリゾート気分をかきたてるシアター映像もある。

















けれど、私の心を捉えたのは、なんといっても小さな小さなオープンエアプール!
アクアテラスの屋外インフィニティプールである。



写真はホームページから↑



庇が深いので日焼けはしないし、
目前には森さながらの有馬の深緑が。
空をあおげば、入道雲をうかべた空がすぐ近くにひろがり、
気持ちいい風がスーッと過ぎゆく。

バリなどいかなくても、ここで十分だ。

私は浴場でほてった体を冷やすため、有馬の金泉とインフィニティ・プールを2往復して堪能した。
生まれて始めて背泳ぎをちゃんと教わって、
夕刻時にカラス達が10羽くらい群れになって巣へ帰っていく姿をぽかーんと口をあけてみながら、背泳ぎしながら、真っ平らでとろんとした有馬の水と遊んだ。
これ塩水ならいうことないわね、そんな風に心の中でささやく。
私達以外は誰もいないプール、それも 小さいけれど気持ちいいインフィニティ・プールを泳げる至福なんて、ここ以外にあるかしらん。

夏が過ぎていく。でも夏が恋しいとはそれほど思わないのは、何年ぶりなのだろう。
年齢を重ねた証拠なのかな。
いつも私の傍らで、当たり前のように笑っていた娘のNの姿はそこにない…。




祗園祭フィナーレの晩

2015-07-24 21:56:08 | どこかへ行きたい(日本)


祗園祭のフィナーレを飾る「後祭」に昨晩出掛けました。

今年、京都は初参戦。(信じられないけれど)。


まずは八坂神社に、昨年の「長刀鉾」「菊水鉾」をお返しにいき、それから、一度いってみたかった安井金毘羅宮に
参拝。

ドロドロの気持ちも少しばかり清められて、夏の京の宵を歩く。

だんだん愉しくなってきた。
いい調子、いい調子。

友達と、明日は土用の丑だから、鰻を食べようと誘い、
「祗園 う」へ。






店を出ると
闇は一気に広がっていた。
祭だ、祭! 



















夜9時、烏丸界隈は若者が引き上げた後で、すっかり大人仕様。

深い夜の海のなかに、鉾の提灯や日本美術の装飾品や絵巻が幻想的にふわり、ふんわり、と紅色に浮かび上がり。
屋台もなく、人通りもまばらな名残のお祭り。

時折、思い出したように10基の鉾から古典的な祗園囃子の楽曲が奏でられては、闇に消えいる。

風がすっーと自分を流れて過ぎる、こんな古都の風雅は、
私にとって平成の祭のようではなく(もののあわれ)感じられ、逆に心に響いてきました。

大船鉾、南観音山、北観音山、八幡山、
役行者山、黒主山、鯉山、浄妙山、と、、、ほぼ全ての鉾を間近で眺められたのもよかった。

やはり日本の彩は美しい。日本の音も心に沁みる。

団扇の古美術や町内の屏風祭も
観覧できて、男衆たちは酒を飲み交わしている。
「八幡山」のところでは、浴衣姿の子どもたちの「ローソク1本いりますか」が
聴けた。

絵巻物のような幻想的な海を歩きながらも、私の心はある人の事がずっと頭から離れなかった。
むしろ鮮明に、寄り添ってきていた。ああ不条理、切ないなぁ。


さあ、明日からいよいよ夏がスタートする。



















生命を輝かせた最後の華、京の紅葉と寺院のイルミネーション

2014-12-13 02:30:27 | どこかへ行きたい(日本)



木枯らしの舞う季節だ。いよいよ師走となった。
年内に印刷アップする制作物に追われている毎日。

こんな時でも、ふとある瞬間、今年1年をやっぱり振り返ってしまう。
そして思う。うん、良い1年ではなかっただろうかと。
毎年決まってそう思うのは、私の思考が総じて楽観的に出来ているからなのだろうな。
心配症であるにも関わらず、脳はポジティブである。未来は今日よりもきっと良い、と。この年齢になってもまだそう思えるというのは、
打たれても打たれても、懲りない性分なのだ。



さて、寒い木枯らしのなか、今年の「紅葉」を書くといえば笑われそうだけど、
とりあえずメモ代わりにアップする!

「群がって見事なトンネルをつくる紅葉を美しいと思うか。
たった1本の紅葉、1枚の葉に心を奪われるか、その時の心次第である。
京都を訪れるたびに、ひとつの寺か、ひとつの場所を訪ねることにしている」。

作家の下重暁子さんが、確か雑誌「クロワッサン」のエッセーで書いていらしたように記憶する。

1本の紅葉に心奪われる自分でありたいもの…。まだまだ、である。

奈良の紅葉も素晴らしかったが、
やはり鯛は明石と作家谷崎がいうように、京都の紅葉を観ないでは、秋が過ぎていかないのである。







先月のこと。
1人娘が携わっていた京大祭のイベント(サークルの出し物)を見に行くという小さなオマケ付きで、
学生時代の友人と紅葉散歩へ出掛けた。



まず、ランチを目的に立ち寄ったのが、以前から行ってみたかったカフェ「茂庵」(娘のオススメカフェ)。
吉田山の頂上付近にある民家風の佇まい。





小さいのや大きいのや、沢山のどんぐりが落ちている山道をダラダラと駆け足で上がること15分。

銀閣寺道から、少し入っただけで山の空気を存分に味わうことができるとは、ナンテ素敵。



ウエイティングは少し長かったが、ようやく入店。
格子戸に填められた自然に歪曲したガラス窓と、真っ赤な椅子がかわいい店内。
窓からは京都市街と比叡山までの景色が一望でき、
胸のすくような素晴らしい絶景だった。
大文字の舟のマークを発見。
窓越しのカウンター席が一番上席のようである。









この日はお昼がまだだったので、
「ピタパンサンド(スープ、豆のマリネ付、 1260円)」を注文。

きんぴらごぼうのサンドと、トマトとモッツァレラチーズからチョイス。

調理時間は少しかかったが、ヘルシーだし、ソースの味も濃すぎず、満足な味だった。





それから駆け足で、
「真如堂」の夕景を観に。
赤、黄、オレンジの紅葉が境内一面を覆い尽くす様は圧巻。
黒々とした三重塔や墨色をした寺の深い庇と大きな灯籠。釣り鐘。
それらの重厚な古めかしさと、自然の色の対比が実に美しい。
オレンジ色のカエデ、境内に降り積もる黄色のイチョウの落ち葉、どの場所どの角度からみても美しい紅葉を拝観する。





















夜は、青蓮院門跡の夜間拝観へ。
ここは、高い楠の木が覆い茂る天台宗の寺院。
蝉しぐれが鳴いて青々として楠が傘のように空に広がる、そんな夏のイメージの寺院。
うす暗い黒の境内から、陰翳礼賛的な角度で南側の庭を見るというシチュエーションをたまらなく思い出すが、しかし当日は晩秋の夜なのであった。





山門をくぐって宸殿(しんでん)を上がると、宸殿南側に庭園。
海の底に潜っているようなブルーの光が、ゆっくりと点滅を繰り返す。
墨のような黒からブルーの蛍が飛ぶように光り、そして緑の木々が表れ、紅葉が紅に光る演出。
紅葉は命あるものの、最後の華。ここでもそう思う。

ひときわ大きな木が赤に映りこんだ瞬間に、ブルーのライトは消える。
滝のある庭園や竹藪の林や、庭をそぞろ歩くのが趣もあって素敵であった。
































秋ナラの絶景。「談山神社」「大神神社」コース。

2014-11-30 23:39:16 | どこかへ行きたい(日本)



2014年の紅葉も、いよいよクライマックスに入ってきたので、
そろそろアップしなければ。

仕事の合間を縫いまくって、今年も紅葉散策を実は密かに実施していた。
私が全く秋の山々や社寺を歩かないわけはない。
最初のモミジは大好きな「奈良」からのスタートでした。

青モミジの大海に、黄や朱色が混じりはじめた11月初旬、
古い友人を訪ねて、弾丸で桜井市まで行ってきました。

曲がりくねった山道に寄り添って走る、細い川のせせらぎ。
落葉樹で湿った土の匂いまで清々しい。

山は鬱蒼と深く、神々しくて。
そこに佇む小さな桜井の町は、温かくも牧歌的で、哀愁すら感じる昔の山里なのでありました。

時間がサラサラと流れてはいるけれども、決して過ぎ去りはしないところNARA。
草原(くさはら)をぐるぐる、ぐるぐるとゆるい風が流れては舞い戻ってくる、まほろば。
時代に迎合しない、小さな里山でありました。

最初に訪れたのは、「談山神社」。
一の鳥居は、こんな村の中の原っぱの空き地に出現しているのです。





そこからずっとずっとハイカー気分で上がっていくと(車で約10分)、談山神社の麓に。

木の門跡をくぐると参道は、くねくねの山の道。
歩くこと15分。






藤原鎌足をお祀りする本殿、室町建立の十三重塔が見えてきます。
緑の葉っぱの匂い。朱の葉っぱの匂い。黄色の葉っぱの匂い。

江戸時代に建立した本殿は、厳かな森の中にありました。





源氏物語ゆかりの絵巻や、百味の御食も。

帰りは、端正な木のような、佇まいの美しい檜皮葺きの塔(十三重塔)を仰ぎ見て。










沢山のドングリや杉の森や紅葉の谷、苔の石にも
生命の息吹を感じながら、またテクテクと山の路を下っていきます。






そして、三輪山に抱かれた「大神神社」へ。

二の鳥居をくぐると神の神々に招かれるようにして、
境内に近づいていきます。
砂利をキュッキュッと鳴かせながら社殿の奧に。






全山が杉と松とヒノキに覆われた三輪山は、太古より神が静まる聖なる山と仰がれた聖地という。
大国主神が自らの魂を大物主大神(おおものぬしのおおかみ)の名で鎮めたことが、神話に記されている社なのです。

拝殿に参拝し、「巳の神杉」にも参拝(三輪の大物主大神の化身の白蛇が棲むことから名付けられたご神木)。
頭上のはるか上から木々がカサカサ、サワサワと音で手招き、
三輪山におわす神々しい強い視線と、崇高な気配すら感じてしまいます。
















知恵の神様である「久延彦神社」を参拝。




山辺の道をつらつらと。無心にひたすら歩きます。
野にすっくと立つ、柿の木の美しいこと。きれいな葉っぱの彩。
クスクスッと笑っているような葉や木々たち。









気持ちいい~。
朴訥とした秋色の風景に、ただただ心和ませながら歩く幸せ。


社寺に誂えられた展望台から眺める、清々しいまほろばの夕景。雲間からは光が何筋に差し込み、これもまた奇跡のような絶景に。




ふと頭を横切ったのは、堀辰雄の「大和路」。

こうやって、約半月1人で山辺の道や飛鳥路を歩いたのだな~と、そう感慨深く思い起こしながら、
黙々と。
ひたすら歩きます。




すると、ひょっこりとお見えになったのが、
こんな小さな仏さま。誇らしいお顔。その可愛いらしいこと。
こうやって、偶然、お目にかかれるのが、小さな旅の醍醐味ですね~。







それから、三輪の神様の荒魂を祀る「狭井神社」にも。
万病に効くという薬水が湧き出る井戸でおいしいお水を飲み、三輪山登拝口を仰ぎ見て。




たっぷりと、山辺の大和美を味わった後には、
テクテクと元来た道を歩いて帰ります。






途中には卑弥呼ゆかりの
はしたか古墳へも足をのばして。








途中に立ち寄ったのは今西酒蔵。ここで純米酒と甘酒をお土産に。
それから、名物の「みむろ」本店で、おぜんざいをいただきます。
購入した「みむろ」。
あんこの甘さが濃く、薄皮が風のように軽く、おいしい!







宵になると、三輪山から近くの肴のおいしい居酒屋でビールと純米酒で一献。




そして2軒目は、スペイン風のバーカウンターでワインをクイクイーーッ!と。3杯ほど。
ほろよいの、心地よさのなかで。
奈良の夜は更け、近鉄電車に揺られて帰路にーー。
私にとっては忘れられない快復の想いが凝縮した1日なのでありました。






大阪→高松 弾丸出張。ざるうどんの「川福本店」で一献

2014-10-31 12:09:21 | どこかへ行きたい(日本)




ようやく手持ちの原稿をほぼ出し終わり、あと昨日の取材1本だけになったので、ちょっとだけ休憩。

先週末は香川県に取材出張だった。
ここの仕事は営業さんやカメラマンさんとは現地集合だったので、
本もたっぷり読め、新幹線の車窓からの風景も独り占め。

新神戸から約25分で岡山到着。
そこから、JRのマリンライナーで高松駅へ。
取材のシミュレーションをしながら、質問事項や資料に目を通す。
再び本を読む。
チラリとコンパクトをのぞいてお化粧を確認しながら、
日本のJRというのはどこもそう変わりはないな、などと思っていると、ふと突然に現れた。

水彩絵の具の水色を溶いたような青い青い空と
全く同じ色調の海の絶景が目に映ったのだ。









鉄橋の欄干で見え隠れするが、
マリンライナーは海に添ってどこまでも走り続ける。
思わず、iPhoneから写真撮影。
それでも海は続く。
緑の小島が浮かんでいる。ぽかん、ぽかんと。
秋の清浄な空気と明るすぎる太陽に照らされた海の絶景は、温かくて眩しくて、平和そのものであった。
いつまでも15分以上続くので、目が離せなくて
後半はずっと車窓を流れる青い景色を目のなかに映して走っていた。



取材は撮影も含めて、2時間強ほど。
中国四国地区でNO.1のシェア率を誇るという広告代理店さんを訪れ、5人の方々にお話を伺った。

取材を終えると、カメラマンさんの車で駅まで移動。
普通はそこで「お疲れ様でした」といって岡山まで帰るところなのだが、え!もう帰るのという心境。せっかく海を渡ってきたのに。

営業さんたちは、岡山でもう1本仕事があるという。

そこで、駅前をうろうろっとして本屋へ飛びこみ、
昨日、調べた駅前3軒のうどん屋さんがほぼ閉店になっていることを確認した。駅近で軽くやる、という選択肢もあるなぁと想いながら、
タクシーに飛び乗って繁華街へ繰り出した。



夕方に取材を終えると、せっかくうどん県にやって来たのだから。そして夜12時まで営業している「川福本店」へ。




カウンターに陣取って、名物のざるうどんをオーダー。
天ぷらものが食べたくなって「かき揚げ」を追加注文。
もちろん、生ビールも。








これが、想像以上。うどんの川福は大阪・心斎橋にも店を構えていて、大昔は時々通ったものだが、さすが本場。
麺の粘りが違った。
もっちもちでツルツルの麺に感動し、気をよくしてビールを飲み、
ちょっとだけ本を読みながら30分。
だんだん、気分が高揚してきたので、おでんの玉子や厚揚げも追加。
こういった地方の1人カウンターというのは、なんだか逆に安心する。カウンター内にいるおじさんも気を使って、2言、3言しゃべってくれて、あとはぼっちに。
思いっきり店内の雰囲気を観察できるというわけだ。

1時間くらいいて、店を後にしてブラブラと夜の商店街を歩く。













自転車で過ぎていく、地元の若い会社帰りのサラリーマンやおばちゃんたち。
近くに「かりんとう屋さん」とか、いい味を出している「あんみつ屋さん」があった。
寿司屋も、串カツ屋も。牛タン屋も。よさそうな店があったが、今夜は素通りして、
循環バスに飛び乗って、高松駅までかえった。


帰路は、高速バスで三宮駅まで。
隣に、松山行きのバスが止まっていて、
思わず、乗りたい!という気持ちを鎮めて、三宮までの乗車券を買った。(翌週までの手持ちの原稿が、本取材以外にもあって押している)
「朝は道後温泉で湯浴みして、それから帰る手もある」と乗車券をみつめながら、まだ独り言。



深夜バスは安い。それにゆっくりとモノコトが考えられるのがいい。
行きに読んでいた本も6割くらい読めてしまった。
ふと、心がものすごく敏感に立ち働いている自分を客観する。
感性の花が目を覚まし、どんどん開いていくのを発見。
家にいるのとどこが違うんだろうか。
やっぱり手に持っているのが小さな鞄1つというのが大きいのだろう。手ぶらに近い。あれもこれもしなきゃあ!と私はいつもいろいろな要件や人への想いや、感傷を体に身につけて
重い状態で生きているんだなということに気が付いた。

今は家族のことも、何も手放して、ただ1人自分とだけ向き合っているのだと思った。
まるで、2年前子宮全摘出手術で入院していた時みたいに。




夜10時。淡路大橋から見る神戸の夜景が、信じられないくらい、奇跡のように輝いて目に映った。 
光の楽園。今自分が暮らしている街がこんなにきれいだなんて。

ナンテ素晴らしいところに自分は帰っていけるのだろうと、
祈るような気持ちで夜景を眺めていた。
時々はこんな風に日常の生活からリセットして、自分の今を、俯瞰で見つめることも必要なのかも。
贅沢な、ほんのひとときの小さな旅の時間。
四国は想像よりも、ウンと近かった!

また行こう!旅の中へ。






秋のドライブ。「福井県小浜市」へ行ってきました。

2014-09-19 20:46:54 | どこかへ行きたい(日本)



少し前の話になるけれど、直近の3連休のことを。
9月。この連休も仕事漬けにする予定だったが、そのうち1日は若狭までドライブした。

「若狭へ行こう」!そういわれても最初はピンとこなかった。若狭って何県?そんな塩梅だ。

たずねたのは、福井県小浜市。
「秋の海はきれいに見えるし、それに今の時期は「ぐじ」が旨いよ」、という言葉を聞いて、ちょっぴり行って見たくなり、家族3人で出掛けた。
1本仕事を途中でほったらかして。


若狭おばまお魚センターへ。
ここは、水揚げされた新鮮な魚介類がトロ箱に沢山積まれていた。
前には道の駅的な物産店が建ち並ぶ、お買い物スポット。
この日は、「ししゃもの玉子ときくらげを合わせた常備菜(昆布)」「おぼろこんぶ」などを買った。

昼は、市場のなかにあるお造り類がおいしい店で。
魚介類のお造り定食や海鮮丼が市場価格でいただけるという。
写真は、1400円。お造りがナンと6・7種盛られていた。





隣のウニ丼を美味しそうに食べているおじさんを、さりげにのぞくと、これまた羨ましくなる。
淡路島で食べたウニを箱詰めにした寿司屋を思い出す。



そこから、「福井県立若狭歴史博物館」に。





ここはパパが展示設計などを統括し、最近オープンした施設らしい。
普段は自分が担当した案件など、あまり連れていく人でないのに
(仕事の話は一切しない人)不思議だなーーと思いながら付き添うと、館内に入ってみて、なるほど、と思った。




「若狭のみほとけ」の常設展示には、木造阿弥陀如来、千手観音菩薩など、主に平安時代の仏像がていねいに展示されていて、なかなかの見応えである。
仏像の美しさを引き出す照明など、奈良の興福寺国宝館の展示を少し参考にしたのだという。





そのほか若狭の祭と芸能。王の舞と村々の神事。
室町時代や江戸の舞面が厳粛なまま、ユーモラスさも交えながら展示されていて、じっくりと見入ってしまう。





奈良時代に若狭が塩の大生産地であったこと、
サバ街道の起点としての道筋や
遺跡や木簡、書、絵など…。
古いモノたちから漂う圧倒的な力にただただ感心しながら、吸い寄せられ、アッという間に1時間半。
自分が歴史をくだってしばしのタイムスリップしたような心地に。
想像以上に愉しめた歴史博物館であった。








そういえば、奄美大島の自然史系やら徳島の人形浄瑠璃やら、坂の上の雲ミュージアム、滋賀の琵琶湖博物館…
ほんの15年ほど前はパパが展示設計を担当した博物館をちょっとだけ訪ねて、その界隈を旅行したもの。
幼稚園くらいの娘のNのそばには、祖母が傍らにいた。
昨今は、新神戸の「竹中大工道具館」がオープンしたとか。



夕日の沈む前には、「エンゼルハイウエイ」へ。

せっかくなので、最上の展望台まで上がる。
車をどんどん上に走らせていると、街が遠のいていって、
ちょっとだけ飛行機に乗っている気分に。
若狭の9月は紺碧の海。陸の形状が緑できれいに縁どられている。
肌をさす風が冷たい。海は寂しかった。








夜は小浜の放生祭を見物。生き物の命をいただいて生きてる私たちが、その命に感謝し、おまつり(捧げ奉る)するものらしい。










地方のお祭りって、懐かしくって、ほわっと生ぬるくって。
雑誌「太陽」の1頁1頁を眺めているよう。
そんな不思議な感じがある。
目につくのは、浴衣姿のティーンエイジャーたち。

無垢な顔をして男女で連んで、少し照れながら、ちょっと突っ張って。祭を歩いている光景をみるのが非常に愉しい。
地方の子どもたちは都会の子と違う。
映画のセリフでも吐いてくれそう。
無邪気で危なっかしくて、均整がとれていなくて。
じっと目をこらして見てしまう。会話を聴いてみたくなる。
なぜかな、小さな希望や情熱みたいなものが、まだまだ開いていなくて。どこかに何かを隠し持っているような、そんな佇まいに見とれてしまう。

小浜のお祭りでは、回転焼きと日本酒を購入した。
奧越前 名水仕込み、純米酒・米しずくと書かれたあった。
花垣有限会社のお酒だった。


京都・嵯峨野の夏緑を追いかけて。

2014-09-07 00:21:39 | どこかへ行きたい(日本)
夏の想い出(その1)


またまた雨が降る週末となった。
先ほど、宝塚の図書館へ車で行って、TSUTAYAでビデオを借り、
カフェで珈琲を飲みながら、借りてきた本を読む。
それにしても、9月は、人恋しい季節だ。

車に乗って走っている最中も、
ヘッドホンをしてウォーキングしている最中も、
人恋しい感情が湧いてきて、離れてくれない。
机にいたらいたで、夏の旅のことなどをふつふつ思いだし、
原稿がちっとも進まない。しまいに大焦り、大慌てで仕上げる始末…。

それにしても涼しいなぁ~。あまりの過ごし良さにぼんやりとしてしまう。
さあ、少しづつシリーズで夏の想い出を書いてみることにいたします。

集中豪雨が続いた夏の後半。
ゆく夏を惜しんで、京都嵯峨野の夏みどりを愉しんできました。
夏の太陽の下で輝く夏の楓を随分前から見たかったのですが、
いよいよ決行である。

渡月橋からみる黄土色の河は、タイでみたチャオプラヤー川を思わせる、どーどーと大量の川の水。
もう少しで橋を乗り越えそうな勢い。生き物みたいに。
こんな力強い川の流れを始めてみた気がした。
ここはアジア!と改めて思う。


阪急の嵐山駅から、渡月橋をわたって、周囲をみながらテクテク歩いて、
まず向かったのは和菓子の老舗「老松」。


カンカンの暑さだったので、しばし休憩して計画をたてる。

小さいながら品のいい店で、散策前の立ち寄りには絶好の場所だ。
ここの「夏柑糖」(夏みかんと本葛でつくる涼味)が好きで
梅雨が終わると毎年のように食べたくなるのだが…。この日は、夫婦連れの客、それか中年のグループが多い。
ほとんどの人が名物の「わらび餅」か、夏柑糖」のグレープフルーツバージョンの「晩柑」をオーダーしている。

私は、「みつ豆」。連れは名物の「わらび餅」。






コリコリッとした固めの寒天。
求肥はもっちもち。
蜜は甘くはなく爽やか。お豆も歯ごたえを残して固めに仕上げた、実に和菓子屋さんらしい、上品なみつ豆だった。



それから一気に大覚寺まで行く。




ここは嵯峨御所といわれるだけあって、
静かで趣のある寺院。
なにが好きかって、寺を支えている躯体の存在感。それに村雨の廊下から見える寺院の小さな庭がきれい。
黒光りするほどに磨かれた廊下、黒くうねった華奢な柱、深い庇。
何度ここを訪れただろうか。









歩くたびに廊下の床は「キィキィッ!」鳴いて
そして、舞台装置さながらに美しいみどりを沢山、見せてくれる。松の緑、明るい苔の緑、桜の葉…遠くには夏の山々。
掃き揃えられた玉砂利の広縁。

寝殿、御影堂、正寝殿を見て歩き、襖絵を丁寧に見て、
うぐいす張りの廊下を、1歩1歩、味わうようにして渡っていくうちに汗がひいて、静かな心情になっていく。







夏の寺院はやっぱり壮大だ。
趣のある古木と眩しい太陽、そして鮮やかな明度の高い緑。
とても、とても上等なものを間近でみるような緊張感がある。

この日は、大沢池が見渡せる舞台で、「茅の輪くぐり」をしていた。
京都ほか近隣の方ならご存じのとおり、茅の輪をくぐるこによって、半年間の汚れを祓い清めて無病息災等を祈願するもの。

池のほとりにいるだけで、なめらかな風が頬をなでる。気持ちいい!
京都の夏なのだな、、、としみじみ思う。全身で木々の色を感じる。








それから、歩いて25分という祇王寺へ…。
この日は、タクシーを使った。

祇王寺は、竹林に囲まれた参道と、苔庭、草庵、吉野窓など。
こぢんまりとしたなかに見どころの多い寺だ。

いつも思うのだが、まず迎え入れてくれる寺門までのアプローチがとても好き。








一面ふっかふかの苔の庭には、まだ新芽のものもある。
小さな葉を擦り合わせてサラサラと揺らす楓、楓、楓…。夏はもみじではなく楓と呼びたい。
この青々とした楓が覆い被さってくるように自分の存在を包んでくれている。
まるで小宇宙だ。
しかし、こんなにめまいがしそうな美しい光景のなかにいるのに、
孤独、、、寂しさの空気が充満していて、胸が締め付けられて痛くなってくる。そんな不思議な草庵である。

祇王の哀しみが、この地と草の1本1本に沁みているようだ。

このゆかりの寺。
『平家物語』にも登場し、平清盛の寵愛を受けた祇王が清盛の心変わりにより都を追われるように去り、母と妹とともに出家、入寺した悲恋の尼寺。

嵯峨野全体が、こういった伝説を残す地なのであるが。ここをキャッキャッといいながら歩く気には私はなれない…。

どうしても明るい気持ちになれない時、
ただ無心に1人静かに
自然の風景を対峙したい時には、
野趣あふれる田舎っぽい空気が漂う嵯峨野(平日、閑散期)が良いのかもしれないと思う。









それからテクテクと、
祇王寺から、あだし野の念仏寺まで歩く。
ますます寂しい小道が続く。山が近くなる。濃い森の緑が近くなる。
山と野の、素朴な匂いに癒される。

帰り際に瀬戸内寂聴さんがいらっしゃる寂庵も少しのぞかせていただいた。瀬戸内と大きな文字で書かれていた表札が印象的だった。
もちろん、中には入れなかったが帰り畑の庭や茅葺き屋根の農家をみながら小道を歩いている時、






風に流れて、とても美しいクラシック音楽が聞こえてきた。
オペラ?
なんだか、寂聴さんが聴いていらっしゃるのではないかしら、と1人勝手に想像をめぐらせる。



それから。本当はお土産など買うつもりはなかったのに、
小さな窯元があったので、日本酒をつぐ杯をひとつ買った。
外側は金色にも似た土の色、内が瑠璃の杯になっている。

夜は、念願の廣川でうなぎ料理。
これまで3度も予約したのに、いずれも席を確保できなかった店だ。
この日も5時50分頃~8時近くまで待ってようやく入店できた。





(京都ごはん、へ続く)