月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

喪失感には慣れない

2020-10-22 00:44:00 | コロナ禍日記 2020
 
 
 

 

 

7月22日(水曜日)

 

ヨガ、瞑想20分。松浦弥太郎さんのグラノーラ(プレーン)(抹茶)をヨーグルトで。紅茶はウーフのダージリンにした。   

 
 

昼ごはんは、ポークチャップ、野菜サラダ、ニラの味噌汁。

夕ごはん、ステーキ肉に、ピーマン、パプリカ、万願寺唐辛子、もやしなどなどの付け合わせ。ポテトサラダ、京のおつけもの、みそ汁、デザートには冷やしパイン。

 

お昼3時にNが東京へ帰るので、車で駅まで送る。

 いつものことだが、なにもする気になれない。本を読んでもどうでもいい話しに思えてくる。ぼーーーっと何時間も、揺れているベランダの植栽をみて過ごす。

 今年4度の帰省だった。5月2回(約10日間)、6月(18日間)、7月(5日間)、

 

 ついさっきまでいた人の姿がないことの喪失感だ。ふわふわ明るく、笑っていたものが消えてしまった。わたしは、なんど経験してもこれになれない。いつも同じように、喪失感で身動きができなくなり、気が抜ける。

 夜、机の前に座って何か書き始めようとしたら、少こーし、落ち着いた。ここがあってよかった。就寝は1時30分。

 

 


リーガロイヤルホテル大阪「リーチバー」でカクテルを

2020-10-17 00:13:00 | コロナ禍日記 2020

 7月20日(月曜日)晴

 

14時まで仕事。

 ディーン・デルーカーで、グラノーラを買い、リーガロイヤルホテル大阪の「リーチバー」へ行く。来訪は2度目。

 

 陶芸家バーナード・リーチ氏が着想し、数寄屋建築が得意な建築家、吉田五十八が設計したというバーがある。1965年のオープンから改装はなく、デザインは当時もまま(?)というのが一番の魅力に思う。

 

 店内にはBGMはなし。あちらこちらから、聞こえる小さな笑い。声を落として語るひそひそとした話し方や、グラスの音、バーテンダーがシェーカーをシャカシャカとふる錫や金属音たちが反響し、なんとも静かなのが似合う空間である。コロナ禍なので3組か。入れる人数を半分に制限して営業していた。










 バーナード・リーチほか、棟方志功、河井寛次郎、濱田庄司らの作品が今も飾られているらしい。民芸という舟の中に(自分が小さくなって)揺られているような不思議な感じが、実によいのかもしれない。


多彩なのは壁面。

 細い竹を斜めに揃え嵌め込んである壁、葦材の額縁。また、ニスの塗られた木の床、イエローの球体が美しいロンデル窓も、空間に馴染んでいると思う。重々しいのに軽やかである。

 

 この日は夏らしくローランペリエのシャンバンを。ああ、好きな味。




 2杯目はパイナップルインフュージョンをいただく。あまりにおいしいので、作り方を聞くと、








「ごく普通のウォッカにバイナップルを長く漬け込んでいるだけです。ご家庭でも簡単にできますよ」とのこと。

 ウォッカの情熱的な味を甘酸っぱく締めるフルーティさ。これ1杯のむだけにここに立ち寄るのも粋…などと、想像を膨らませられる大人のカクテルである。

アテによく注文するのがレーズンバター。砕かれた氷の上に乗ってくる。

 

 こういう空間では、ぜひとも大人の話がしたい。Nの恋の話しでも聞き出そうかと持ち掛けてみたが、途中でやめにした。悪酔いするには勿体ない。高価でおいしいお酒なのだから。

 次は気のおけないのんべえさんと来たいなあ。誰でもいいというわけにはいかない。ちょっと好きな人としか使いたくない。

 

  






神戸の弓削牧場「ヤルゴイ」から「神戸森林公園」へ

2020-10-15 00:50:39 | コロナ禍日記 2020

  7月18日 (土曜日)晴れ

 

 

 風は葉の間をぬけて清々しい、暑い一日。今月のNの滞在は4泊5日という。朝起きると「一日たりとも無駄にはしたくない。ね、どこ行く」と朝食の間、3回は聞くのでとりあえず家族そろって車で出発した。

 

 スマートフォンから顔をあげて、道路標識へ目を移した瞬間に、あ! と閃く。うん、「弓削牧場」へ立ち寄ろう。六甲山の北側(神戸市北区)、標高400メートルにある(正式には箕谷酪農場)個人経営の牧場だ。ちょうどそのあたりを走っていたのだ。

 

 ラジオやテレビでおなじみのパーソナリティ、豊島美雪さんをインタビュアーに、神戸製鋼所の情報誌「smile」巻頭特集の連載(5ページ)を私が3年担当。「弓削牧場」の弓削忠生さん和子さん夫妻をふと思い出す。いまの季節、きれいに違いない、と思ったわけである。

 



 


 

 


 カラフルな家が並ぶ住宅街の角をいくつも曲がると、細い山道へ入る。風が、山の風へと変わった。おー!この景観だ!

 

 

 

 牛舎にチーズ工房、牛や羊の小さな放牧場、ハーブの畑、果樹園。こんな緑の里山が神戸から車で20分たらずとは。

 

 弓削さん夫妻の経営されている山小屋風の人気レストラン「ヤルゴイ」へ。コロナ禍、4組の来客がいた。通常なら、予約がとれないくらいの混雑と言ってらしたが、このとおり。外のテラス席もいいが、きょうは日差しが強い。

「おすすめランチセット」と、「マルゲリータピザ」を注文。

 



 




 



 

 前菜である3種のフロマージュ、深い生乳のコク。いきているミルクを食べているような感覚。湿気のある神戸の風土が育む丘陵に咲くハーブや山野草のニュアンスさえ、感じられる。

 ハーブで焼いたチキン、フロマージュフレ(原乳を絞ってから2、3日でできる熟成前の生チーズ)、ホエーのシチュー、チーズたっぷりのピザ、ブルーベリーのアイスクリームなどを味わった。

 店内には馬の鞍が飾られていた。朝ドラ「エール」の馬具職人の仕事風景が頭をよぎる。おそらくご主人の忠生さんのものなのだろう。南アメリカのカウボーイ的な鞍、ログハウスに調和している。

 

 食事のあと、Nはヤギにクローバーを食べさせていた。

 

 牛舎から出て、ひなたぼっこをしている牛たち。日差しが暑そう。ここの牛たちは競りにかけられて神戸霜降り肉になるのではなく、乳を搾る牛だというところで、安心して見ていられる。居心地がよいとみえて、ぼーと考えごとをしているつぶらな眼の牛や親牛に甘えている仔牛もいた。ふんの上で脚を45度に折り曲げて眼をつむっている仔牛もいる。

 







 

 

 ここ「弓削牧場」から車で15分も走れば、神戸森林公園だ。6月、Yちゃんとアジサイ散策をしたばかり。

花は若干、弱っているがあじさいが残っていた。あじさい園から、長谷池のスイレンをみにいく。葉の表面が半分化粧をしているように白い「半夏生」が幻想的でよい。

 







 






 

 特別天然記念物のニホンカモシカをみる。名前はさちこ、という。山の神といってもいい威厳。じっと立ち止まって岩のところから人間を観察していた。なにを思っているのだろう、人間と共生し、見せ物になるべく動物ではないという気がする。雄々しい角のせいだ。あぁ、宮崎駿監督の映画「もののけ姫」のシシ神の顔立ち。有り難いものに出会えた。なんとも不思議な気持ちになった。

  





 

 そこから、最短距離で「うさぎの国」を目指して森林の中15分〜20分近く歩く。鬱蒼とした森林の空気。もはや遊歩道ではない。人を隠してしまおうとする山の強い気を感じる。足があがらない。無言で黙々と歩いた。へとへとに疲れて、うさぎの国へ到着(Nの強い希望で)。思わぬ登山になる。

 檻にいれられたウサギの群れ。かわいそうに、こんな大自然の中にいて(鍵のかかった小動物園)閉じ込められ、つまらなそうにじっとしている。やることがないので幾つもの穴々を掘っていた。40羽はいただろうか。可愛いなど、思わない。餌は固いカボチャが転がっているが、食物に飛びついて食べているウサギは一匹たりともいない。観覧者のいない、置き去りにされたウサギたち。こんな山の中でひっそりと飼われて、冬はどうしているのかと気になった。神戸森林公園、またゆっくりと野鳥ウォッチングに出かけたい。

 

 

 

 


月が見ていた

2020-10-10 00:17:00 | コロナ禍日記 2020





  

7月17日(金曜日)晴れ

 

ヨガと瞑想5分。

ヨーグルトにジャム。トースト、紅茶。

 

朝1時間だけ原稿をかいて、すぐに取材へ出た。約1年かけて仕上げる(予定)のブックライティングのための取材第1回目。

 

電車にのっている最中。携帯電話を忘れたことに気づいて、慌てた。四六時中、SNSをみるタイプでもないので問題はないが、きょうはNが帰省するので、連絡を取り合う必要があった。困った。どうしたら連絡をとれるか。同行のディレクターから連絡をとってもらう、Nの友人に連絡をとり(人の携帯をつかって)携帯のないことを知らせてもらう、などあれこれ考えるが、どれも具体的にはならない。もはやギブアップ。

 

取材終了が3時半。スタートとしてはまずまず、面白い取材となる。次回はもう少し、心情面を掘り下げて(根堀葉堀)聞こう。

久しぶりの大阪の人出は多い。きょうは東京で298人の感染確認。

全国的にコロナ禍がひろがっている。大阪も60人。

GO TO ペーンが今月22日からスタートするそうだ。(ただし首都圏は除外)。取材後はお茶も飲まないで、イカリスーパーで買い物をして帰宅。

 

15時半着。疲れたので水素ガスを吸入して、本(昨晩の続き)をよむ。Nは14時の飛行機にのるはずが、19時になったとのこと。

もう1本仕事をしたいところだが、疲れてどうも机に座る気にならない。コロナで家にいることが多いので体力不足なのだろう。

 

のろのろと夕食準備をする。きょうは酢豚と、蒸し野菜料理(ブロッコリー、ジャガイモ、パプリカ、キャベツ、ニンジン)お味噌汁。

Nを駅までむかえにいき、夕食とする。

 

仕事はやはりできない。お茶とお菓子のじかん。1時間。あとおしゃべり。寝室へパソコンを持ってはいるが、Nがすぐやってきてたまっていた17日分についてしゃべりだし、あいづちのつもりが、返事を返して12時に。

原稿はあきらめ、本をよみながらNの話しを聞く。寝室のカーテンを閉めようと空を見上げると月と眼があう。思いのほか吸い込まれそうな月のエネルギーよ。

夜1時半に就寝。

 


例年なら京都 祇園祭の宵山

2020-10-09 00:55:00 | コロナ禍日記 2020

 

 

7月16日(木曜日)

 

遅い時間に目覚める。二度寝をするときまって強烈な夢をみる。登場人物が30年前の面々で、わたしは彼ら彼女らに必死に語り、説得をしようと声を荒らげていた。起きてすぐ書き出さないと、秒針が進むごとに記憶が失われる。潜在意識が示すところのメッセージを考えていた。

 

ヨガ、瞑想を10分。朝食にはヨーグルトに、リュバーブのジャム。紅茶。

昨晩の日記を書いて、昨晩の原稿の推敲。提出。

 

2本めの仕事に取りかかり、資料収集をし、なんとか最後まで原稿をアップ。

3日かかる仕事の場合なら、一昨日、昨日、きょうと、少しずつでもブラッシュアップし、それによって推理小説の謎が解けるように少しでもよいものに近づけることがうれしい。自分が成長していると感じられる。

 

7時半。暗い幕がおりるまえのほんのひととき、散歩にでる。いつもの通りをくるっと歩くも、あれ? 空気がかわった。昨晩と違う。虫の気配が強い。あ! 例年なら祇園祭の宵山へでかけているところだ。どうりで、だ。すぐに真夏がくると悟る(祇園祭の山鉾巡行が終わればきまって関西は夏が来るのだから)

 











散歩から帰宅後。明日の取材準備。これまでの資料をよみかえす。

 

きょうはパパさんの出張なので、簡単にチキン1枚を焼き、タマネギのソテー、パプリカやブロッコリーをオリーブオイルで調味して頂いた。掌にすっぽりおさまる南米のグラスに赤ワインを1杯。

 

少し本を読む。このところ千早茜さんの「透明な夜の香り」の終盤にさしかかっていて、少しのすきま時間も読んでいる。1章1章を貴重に。もうわたしの頭の中では調香師小川朔の研究所(洋館)の情景が手にとるように記憶されている。

 

 

明日の取材準備。これまでの資料をさーっと読み返す。


11時からふたたび原稿にかかり、1時まで書く。そのまま倒れるように就寝。

 

 


溺れそうでも泳ぐのだ

2020-10-06 21:29:00 | コロナ禍日記 2020

 

          (画像は、東京ステーションホテル「とらや」のあんみつ)

 

 

ある日。7月15日(水曜日)曇り

 

いつものシリカウォーターを飲み、昨晩の日記。

そのあとヨガ、瞑想。少しだけ本を開く。

 

きょうも時間がない。スケジュール帳にかかる時間を書き入れて、朝から3時まで書く。

(お昼は、卵焼き、ごはん、きゃべつの酢漬け、味噌汁)

 

次の原稿に入るまえに、昨日玄関先の雑木林の入り口のところにある、土の上においたセミが、まだのたのた敷地にいるのだろうかと見に行く。本当は恐い、干からびて死んでいるのではないか、それともカラスか野鳥に食べられて、無惨な姿(片身など)ではないか、と思いながら怖々みる。

 

勇気をだして目をあける。が、姿はなし。あれ。一心不乱に目を土のところまで近づけるがなし。ホッとして喜ぶ。跳べた!飛びたった! (本当か?)ただ自分より強いものに食われたのではないか。

それとも、ここ数日の大雨で羽がびしょぬれだったから飛べなかっただけで、土の上で休息したら、好きなところへ移動できたのかもしれないと良いふうに思おうとも努める。どちらにせよ、自然に還っていったのだから。セミにとってはよかったのだと、言い聞かせる。部屋にかえってもセミのことが頭から消えない。セミの一生に思いをめぐらせた。

 

 

3時半から19時まで、月刊雑誌の原稿を書く。

昨日は難航していておぼれそうだったが最後までなんとか上がる。

ちゃんと、取材相手のいう心の奥の深いところまでとらえながら、彼が(対象者)いっている言葉を整理し、関連の資料にあたれば、そう難しくはない。自分の自信のなさがよけい難しくしていたに違いないのだ。

 

自分への褒美に、セブン−イレブンまでテクテク階段を下りて、歩いて、ハーゲンダッツのアイス(新作のパインマスカルポーネ)を買いに。雨上がりの散歩が心地いい。

 

夕ご飯は、カレーライスとサラダ。

夜は別の原稿を書く。夕方の原稿の推敲。

10時50分からNHKのネコメンタリー最終回(井上荒野さんの回)をみる。いい番組だったなーー。最終回とは。頭を真っ白にして猫と小説の暮らしのドキュメンタリーに見入っていた。しあわせな時間。エッセイを映像にしたようなある作家の時間。

 

12時からお風呂で本をよみ、布団の上でヨガをして就寝。


雑記 仕事のちセミの観察

2020-10-06 00:32:00 | コロナ禍日記 2020

 



 

 

7月14日(火曜日)曇りのち晴れのち曇り

 

朝6時半に起きる。

ヨガと瞑想のあと、日記。しばらく本をよみ、Uf-fu(ウーフ)ダージリンでゆっくり。きょうはパパさんが4日ぶりに出勤し、芯からリラックス。

11時から3時まで1つめの原稿。3時半から資料読み。夕方5時から深夜1時まで2つめの原稿に。

 

お昼は昨晩の残りのジンギスカンに目玉焼き、京都のおつけものでサッと食べる。

 

夕ごはんは、夜9時から1人でとる。ピーマンと万願寺唐辛、たまねぎ、牛肉などを中華味に炒め煮にした。大葉入りゴマ油と醤油のトマトサラダも猛スピードでつくる。

なんども、ソファのところでちょこちょこ読書をし、息ぬきをした。そのせいでもないと思うが、提出の原稿が2本目3分の1までしか仕上がらない。雑でもよいのでラストまで一気に書く習慣をつけたいと節に思う。

このところ気になるセミについて。

 

(一昨日)

 大雨の日のことだ。玄関を出てすぐコープの宅配の発砲スチロール(白)に細い糸のような脚を震わせてかろうじて捕まっていたセミをみた。ようやく地上にでられたのに雨ばかりで羽が乾かないのだろうか。からだがよわいのか。全くうごかない。最初、ごきぶりかと思ったほどだから。

 ウォーキングのあともう一度同じセミを探す。発砲スチロールを下向きの直線につかまっていた。おーー動けたではないか。死んでいなくて良かった。

 

(昨日)

 翌朝、玄関のドアを開くもセミはみあたらない。あれ?と思うまもなく、すぐ足下に雨にびしょびしょになり白い腹をむけてころがっている。あーーやはり死んでしまったのだと思う。夜。寝る前にセミを見に行く。あまりのどしゃぶり、同じ姿勢で大雨の洗礼をうけている・・・。

 

(きょう)

 今朝、ようやく晴れ上がったので弔ってやるつもりでシャベルで救いあげると、なんと触覚も脚もぴくぴくと動く。反射神経かな。動いているまま土にうめるのもなんだかと思い、そのまま(敷地のなかの)土の上にそっと置く。

  夕方。ウォーキングから帰ってくると、あれ、土のうえにくたばっているセミがいない。目を近づけてみたら、そこから数センチの水栓のところでとまっていた。わずかものさしにして5センチほどだが、自分の脚で歩くことができたのだと、すごい!と歓声をあげたいほどの気持ちになり、その場をさった。夕方7時半のことである。

 


果てしない砂丘に埋まってしまわないように

2020-10-02 01:00:00 | コロナ禍日記 2020







 

7月13日(月曜日)雨のち曇り

 

朝8時に起きる。

ここ2週間くらい起き抜けには、eedunのシリカミネラルウォーターを飲む。(ここしばらくお白湯はおあずけ)


ニュージーランド生まれの軟水でとろりとした甘みが感じられる水でなめらかに喉をすべる。体に必要なケイ素が補えるし、おいしい。

ベランダへ出て、ヨガと瞑想をした。朝の空気は新鮮だ。お香を炊いて、ケヤキの木を仰ぎみながらする。けやきには目があり、自分をみていてくれるような確信を覚える。

 

本を広げつつオールブランのフレークと、岩手のプレミアム湯田ヨーグルトで朝食をとる。すぐに締め切りの原稿を推敲、2度、こまかいところに訂正をかける。キャッチフレーズがどうもうまくいかない。

 

昨日の夜ほぼこれでいこうと思っていた原稿も、全く見当違いな表現をしている箇所をみつけて、恥ずかしい。パパさんがリビングで仕事中なので、寝室の部屋と仕事部屋を何度か行き来して、その都度あたらしい目で、みて書く。

 

提出後、お昼ごはんの準備。きょうは簡単に。昨晩のかぼちゃの煮つけ、目玉焼きとレタス、納豆に大根のすりおろし (以上)

 

 

午後から取材。昼1時から17時まで大阪へ。

帰宅後、ようやく休憩して、1時間半、朝書きかけの原稿についておもいをめぐらせ、続きを書く。

 

夕食は、ジンギスカン鍋とビールにした。仕事がある日は飲まないが、これからは大丈夫か。

 

20時半から深夜1時まで、明日から書き上げていく原稿のテープおこし。

長野のジビエ振興協会さんの会長さん、フランス料理を営むオーナーシェフが語ってくれていて、野畑をあらす鹿や猪を長野ならではの名物料理に仕立てる話など非常に興味深かった。

 

ただ4案件の原稿を並行するのは疲れる。大いに疲労。テープ起こしをしていながら、主題を模索し、今日は自分がどこか(果てしなく広い乾燥した砂漠だ)埋まりそうになる。充実にもいろいろだ。明日はもっとコントロールして、軽くいこう。気をぬくのではない精神を軽く、だ。力が湧く仕事、力を吸い取られる仕事をバランスよくおきたい。

集中力がないから、こうなるのだ。ぐっとのめりこめば面白くなれるはず。

 

2時に就寝


コロナ禍での仕事と生活

2020-09-29 11:46:00 | コロナ禍日記 2020






7月12日(日曜日)晴

 

10日、11日、12日の3日間で、仕事のリズムが規則的になりコロナ前に戻ってきたのかと錯覚するほど。

 

朝起きて、ヨガと瞑想。朝一番は、一から創り上げる仕事を2時間集中的にする。お昼ごはんをはさみ、朝ドラをみて、本を読んだり、紅茶を飲んでふらふらと少し遊び、切り替えたら、特急依頼の月刊雑誌の原稿をつくる。夜9時くらいまでにどうにか終わらせる。かかった時間、作業の詳細をノートに記録する。

改めて、自分のスキルと癖を日々確認するためだ。

 

このごろ、またパパさんが自宅にいらっしゃる。金曜から火曜日まで5日間。コロナ禍、感染拡大の影響で週に半分は在宅テレワークのよう。

人がいると、どうしても主婦としての役割が重くなりがちで「奉仕」の領域を超えたり超えなかったり。この考えを振り払い、ペースを崩さないようにしないと、このところのスケジュール、締め切りの波に乗れない。やりたいことも後回し。悪循環にならないように強引に前をみる。

 

友人がブログで、鷺沢萌さんのことを書いていた。

わが家には、鷺沢さんの本は2冊あった「海の鳥・空の魚」「愛してる」。改めて読む。あの頃の、1970年から80年代の、ふつふつ、朦朧とした中にあって必死でなにかを追い求めていた時代の空気がこぼれだし、平易なことばの中に、心臓を矢でぬかれるような真実(衝撃)が描かれていた。なんともいえない余韻。奇をてらわない、本物の才能。





いつも夕方から散歩にでるのだが、この日は5月にNと白摘草(クローバー)を摘んだ原っぱまで足をのばしてみた。たったの2ヶ月前なのに、白摘草は半分に縮んでしまった。泥で汚れていた。探すけれど、1本もみあたらない。みつからないような気が最初からしていた。10分も奇跡の葉を探せなかった。

 

ふと、あの子はどうしているのだろうか。なぜ、白摘草をたったひとりで黙々と摘むのか、住宅街になだれのように緑が続く原っぱを前にその心理を考えていた。

 

 

きょうの昼ごはんは、トマトソース味のナスのスパゲティ。グリーンサラダ。

夜は、枝豆をフライパンで蒸し焼き(こんがりしておいしい)、焼きナス、韓国産のごま油をかけて。かぼちゃの煮物、塩さけの焼き物。みそ汁。デザートにはさくらんぼ。

 

 

夜。明日締め切りの原稿を推敲。原稿を修正する。

11時30分。お風呂のなかで数ヶ月前にかいた日記をよみかえす。本を少し読む。足の裏から指を念入りにマッサージした。上がったあと栄養クリームを刷りこんで休む。就寝は1時半。

 

 


テレワーク中のふたりの場合

2020-09-26 22:31:00 | コロナ禍日記 2020

 

 

7月10日(金曜日)

 

朝8時に起きる。Nの部屋へ行き、ヨガと瞑想。

朝食。芦屋ビゴのフランスパンに、チーズ(キリ)とジャムをつけて食べる。さくらんぼ、すももをつまんだ。

 

家のリビングは約28畳。隣室の仕事部屋に近い位置にでかいテレビがどーんと鎮座している。広い部屋で、ひとり雨の音など聞いて自由に過ごしたり、仕事したり、家族団らんタイムなどは最高だが、仕事リラクゼーションをしている人と戦闘態勢中の人が同居するのは、あまりよろしくない。


(わたしの仕事部屋は、リビングの隣、建具一枚で仕切られた6畳和室。普段はリビングと続きの間として開放している)

 

テレワーク中のパパさんに、勇気を振り絞って、

「仕事中にリビングの真ん中でテレビを終日つけっぱなしにしているのをやめて」「膝の上でパソコンを抱えて、テレビをみるか、仕事をするかどちらかにして」と訴える。

案の定、口論は難航して、いろいろな方向へと飛び火。積み重なってきた案件と提出日が迫ってきていて、わたしもイライラしていた。

 

パパさんは、なぜテレビをかけながら、案件のほかコンペやプロポーザルのプランニング(もしくはデザイン)できて、こうも結果を出し続けられるのだろう……!(才能の問題か?)

 

「うん。テレビをちら見して必要なニュースを入れたり、ネット記事をみたりしながら、仕事のことを考えてる。遠くから近くから、俯瞰してつくっている」のだという。

 

ホントかなーー? ふむ。でも時にカオスのような状態の時にすごい集中力を発揮しているのをみたことがある。単にタイプの違いなのか!

結果。この日は、わたしの切羽つまった話し方に相手がひるみ、原稿をかいている最中にはテレビを消し、家事の間と食事中だけ、テレビをつけてくれていた。

 

・午前9時〜13時40分。

・16時から20時。

・22時から24時50分。

 

きょうは、3種類の原稿を書き分ける。やはり、長年のいつもの仕事場が落ち着く。雨の音も山の霞のかかり方も、葉がさらさらと波のように鳴くことも。特別で、やさしくて。癒されながら仕事をした。テレビを消してくれたことがありがたかった。

 

商業的な原稿と、創作的なものと、行ったりきたりして、よい刺激を与え合いながら、うまくバランスをとれたらこれほどうれしいことはないけれど。

 

昼ごはん。小松菜とツナの炒め物。トマトと青じそのサラダ。お味噌汁。

晩ごはん。万願寺唐辛子とピーマン、豚肉の中華炒め。シュウマイ。沖縄産もずく、おつけもの。お味噌汁。

 

きょうは、好きな本の活字を読むことをできなかった。お風呂にもはいらず、風がゴーー!とうなる音を聴きながら布団に入る。

眠れない。結局、スタンドライトをつけて、30分だけ本をよんで寝る。

AM2時15分に就寝。

 

 

 

 

 

 

 

 


多忙の折のツイッターから

2020-09-23 10:18:00 | コロナ禍日記 2020





 

7月9日(木曜日)

 

このところ、依頼原稿の仕事が重なってきていて、ゆっくりとポメラを開くこともできていない。昨日に続いて今日も、新規の仕事がはいる。そして結構なことなのだが。なぜか落ち込む。

密かに書きかけているものも、今だ先がみえてこないし、このところ妙な不安に苛まれていた。

 

その日のTwitterのタイムラインに「あなたは本当に書きたいものをかけているのか」というようなライターさんの問いかけがある。

書きたいものを書く、のは、ある種のエゴではないのか。自己欲求でものを書いても、つまらないと思っていた自分がどこかにいたから。コピーライター時代が長かったせいか、自分が書きたいものではなく、何が求められるのかを、どう書けば正解なのか、〝面白がられる〟か、ひたすら考えてきていた。むしろ、世の中のニーズがあってこそ、書くべきだという気もしていた。

 

ただ最近、よくよく考えてみると、個人的に書きたいモノ、伝えたいことが明確であればあるほど、情熱がほとばしり、結果として人が本当に求めているよいものが仕上がるのかもしれない。(なにをいまさら……)。このライターさんのいうことはあたっているのだとも。

絶対に書きたいという気持ちが、他の人には書けないものを書かせる力になるのかもしれない。

そう書きたいものを書くということは自分を甘やかすのではなく、自分の心をはだかにして素直になること、そして心から自分が面白いと思えるものでないと書くべきではないのかもしれない…などと。この締め切りまみれのなか、思いあぐねていた。(あほだ)

 

朝からテープおこしをしていて7時までに2本。原稿書きの前の資料収集など。

急にエスケープしたくなり、この日までの映画を観に梅田まで出る。

 

電車の中「透明な夜の香り」(千早茜さん)の本に集中していて、乗り換えをせず、途中で気がついて北新地駅で下車。

「ストリートオブライフ わたしの若草物語」




小学校の頃から若草物語ファンなので、何度か映画化された作品は観ていたが、やはり気になって、最新作もみたくなってしまった。

回想シーンでは、原作での描写も描かれ、時代背景や時間の流れをカメラで追いかける。わたしの頭の中に潜んでいた、4人姉妹とは少しだけ違うが、現代版の若草物語だった。ただ衣装やセリフなども、よかった。ジョーは、感受性豊かで優しく、繊細で、自分に正直。勇気をもって、いちど自分の頭に靄のようにふりかかった疑問点に立ち向かっていく。ジョーの、内面の孤独と葛藤、女性らしい一面などをみられたことは大きかった。凄まじい集中力で、4人姉妹の日々を書き上げていくシーンは息を飲む。永遠にジョーは素敵。影響された。

 

みてよかった、と思いながら帰宅、仕事の続きをする。(確か、小学校の頃はジョーではなくベスが好きだった。4人姉妹自体にあこがれる)

 

多忙に翻弄されながらも、観たいモノ、やりたいこと、書きたいものは見失ってはいけない。なぜ、引っかかるのか。第六感を大事に守ってやりたいと思う。

 

 


夢はなにを示唆するのだろう

2020-09-18 23:31:00 | コロナ禍日記 2020
 
 


 

7月4日(土曜日)曇

 

夢をみた。途中、3時半と、朝方にも、ゴーゴーと風の強い音が聞こえていたのでこんな夢をみたのだ。それとも、寝る前に読んでいた本の影響だろう。夢は何を示唆するのか。と朝、放心状態で考える。

 

貴族のような人が登場し、大事にしてきた家宝を焼き払わなければならないと宣告される。メラメラと火が近づいてきて、人々が泣いている夢だ。もうすぐ国に洪水がくる。濁流にのまれるくらいなら焼き払うほうがいいと。(わたしはなにを焼こうとしているのだろう)

 

いつも夢に出てくる町が現れ、わたしも周りの人々も皆が逃げていた。地下鉄の中にもどんどん濁流が押し寄せてくる。わたしは処分すべきものを全てしたのだろうか、と考える。原稿。そう原稿だけはひとまず、すべて処分した。家にかけてある絵や、アクセサリーのたぐいも、処分した。けれど、まだ忘れているものがある、と思案している。

 

地下鉄の電車の天井まで、水がきた。どこへ行こうと自分は走っているのか。家の状態はどうなっているのだろうと不安になりながら、走る。エレベーターの中にも水が押し寄せている。危ない! というところで目が覚めた。

 

壮大な夢……。夢はなにを伝えたがっているのだろう。

 

 

きょうも一日中、雨が降っている。

 

かのウイリアムモリスはこういっている。

「仕事そのものに喜びを感じないのであればその仕事は為す価値がない。役にたたないものや、美しいと思わないものを家に置いてはならない」

 

家を心だという解釈もあるらしい。わたしも、シンプルに美しいと感嘆するもの、必要なもの以外とは暮らしたくないとこの頃、よく思う。

いろいろなモノに翻弄され、振り回されたくない。

モノには魂があるそうだから、モノを家(モノのための場所)に戻すこと。ガラクタは捨てる。場は人をとても影響するものだから、である。

 

体にとってやさしく、安心で、わたしがおいしいと感じる、自然なものだけを食べて暮らしていきたい。添加物と化学薬品まみれの加工食品やお菓子のたぐい、家人がテレワークになってから家にいろいろなものがあふれている、つい手を出すスナック類。例えば、家人が買ってきた「なとりのやきかまぼこ」「かっぱえびせん」「ポテトチップス」など(本当は好き)誘惑の手にのってしまうから。

 

美しい言葉で書いている文(本)を読みたい。暴力的で、汚らしい言葉を使い、人を批判し、見下したオチをつける活字を見つけてしまいたくない。WEBの中にも。見つけたらつい読んでしまい、あとで生気を吸い取られ、自分自身が落ち込むことになる。

 

おそらく、いまこの年齢だから、そんなことを思うのだろう。若い時には、よいもの、そうでないものも、いろいろなものを味わってみればいい。体力があるのだから。いちいち落ち込むことはないし、失敗しても立ち直れる。善と悪、本物、偽物、よいモノ、よくないものを知ることも大切で、両方にふれることは、自らを知る登竜門になる。

(ユーモアを抱き寄せて歩きたい)

 

さて、この日の夕方。芦屋のグランドフードホールへ、買物へいった。特別栽培米の島根県古賀町産のお米、eedunシリカウォーター、赤花そば、京のあさいち漬け、岩手湯田ヨーグルトプレーン、赤ワイン、ハニーロストナッツ。帰り際に、ビゴのバゲットも買う。

 

 







 

アメリカのバリアー二のオリーブオイルは、4千円(450ml)もしたが価値があった。新鮮さを保つポリフェノールの辛み、スパイシーでパンチもきいて、青々とした草のような香りがする、非常に満足のいくオイルだった。

 

夕ごはんは、赤うしのステーキ、キャベツとレタスとにんじんのサラダ、おみそ汁、京のあさいち漬け、赤ワイン。

 

12時に就寝。

 


ある日雨の家で

2020-09-14 22:46:00 | コロナ禍日記 2020

 

 



 

7月3日(金曜日)雨

 

朝8時に起きる。きょうはパパさんがテレワークで家にいる。

朝食には、オールブランと京都スマートコーヒーの珈琲。和歌山産のもも。山形さくらんぼ

 

リビングを清掃、片づけをしばらくする。

Nの部屋でヨガと瞑想15分。

 

ジュンパ・ラヒリさんの小説に続いて、エッセイを読む。「べつの言葉で」。たちまち引きこまれ、読み飛ばさないように1章ずつ大切に、大切に読む。

 

 

 お昼ごはんは、いかすみのスパゲティにした。にんにくをみじん切りにして、たまねぎとともにオリーブオイルで炒めて、冷凍していたスープをいれ、白ワイン、スパゲティのゆで汁、いかとエビを少しいれる。いかすみのペーストをいれて、おしまいに塩こしょうをして味をみる。盛りつけたあとにレモン汁、オリーブオイルをまわしかけてテーブルに。

 

Nが東京へ帰ってしまったので静かな生活がふたたび戻ってきた。

 

午後。原稿をかいていて眠くなり、するするっと布団のなかに入り込み、30分の仮眠のつもりが、1時間半も寝ていた。

おかげですっくきりして、存分に原稿を書く。少し進んだ。

寝室の鏡台のうえで、書いていたが盛大な雨が、雨音とともに強く衝動的に叩きつけカーテンをゆらゆら揺らすので、仕事部屋にパソコンを移し替えて、8時半まで3時間。

仕事中、原稿を書いている時には、耳のことなどさして気にも留めていないようでありながら(それは気のせい)、どうやら雨音の中では、気持ちが落ち着いて原稿を書く集中力が持続することに、きょう、気づいた。(雪が降っていればもっとはかどる)

 

目とともに耳も働いていて、三半規管が癒やされて、精神の調整役をかって出ているのである。

 

夕ごはんには、鶏肉のからあげ。(にんにくとたまねぎをすりおろして、しょうゆと酒をいれてつけた、揚げたもの)。万願寺とうらがらしの素揚げ。

きゃべつの千切りとトマトのサラダ、新たまねぎドレッシングで。納豆。もづく酢。一番小さな一番搾りの缶ビールを、厚めのワイングラスに入れて飲んだ。

 

夜は、寝室で雨音をききながら日記を書き、本を読む。

おやつには、水無月を。今年2回め。

夜中。過去の日記を1本アップ。お風呂の湯をためて、本をもって入る。

2時に就寝。

 


ひとり時間の、つぶやきみたいなもの

2020-09-11 13:04:24 | コロナ禍日記 2020
 
 


 

 

 

7月1日(水曜日)

 

朝5時におきる。ベッドの中で少しネットをみて、ベランダにヨガマットを広げてヨガ10分。瞑想20分。そっと目をひらいて飛び込んできたのが、水色の空に雲がながれる清々しさ。

さらさらと海か川のようなせせらぎの音を私に運んでくれる大きなケヤキだ。木は、動かないが、きっと目があるんじゃないかと常々思う。視線を感じて真後ろをふりかえった時に、ばっちり目が合ったのを感じたから。(少なくとも霊感はあると思う)

気持ちが通じたといえるだろうか。一瞬、音が消え、時がシンと止まった。

 

昨日は一日中、どしゃぶりで風もピューピュー !ゴーゴー! とすごい音を響かせて、近所の木々の枝も折れるほどの勢いだった。今朝には混沌とした濁りが一層されて美しい朝がはじまったようだ。

 

お昼ごはんには、ゆでたコーン。グリーンサラダ。塩さばを焼き、味噌汁。

 

Nを最寄り駅まで車で送迎(東京に帰る)その足で、近くのケーキ屋でビクトリアサンドイッチのケーキ、リュバーブのジャム、ココナッツチョコのクッキーを買う。

 

帰宅後すぐ、紅茶(ダージリン)を丁寧にいれて、親指と日差し指でツンとはさみ、リュバーブのビクトリアサンドイッチのケーキを食べる。

きび砂糖だけのやわらかい甘さに、リュバーブの酸味があい、とたんに気分のよくなるデザートだ。もう、飛行機は羽田に到着した頃だろうか。

Nのことは、頭から離し、遠いかなたまで飛ばしてしまおう、と念じる。

 

3時から、夜の12時まで仕事をして過ごす。2本、交互に書き進める。

 

静かだ。

Nは、わたしがポメラを叩いていようと、仕事部屋でパソコンを開いて、うんうん、イライラしていてもお構いなし。コトリともさせないで現れて、わたしの隣に堂々と立つ(集中してると心臓が止まるかと)あるいは、側でごろごろとして雑誌のページをめくるか、スマホをいじっている。遠慮など、知らんよという顔。

 

まるで猫のようなしたたかさで、ひょいひょいと現れて、共にまみれようよ、遊ぼう! と誘惑する。幼い頃からそうだったが、15年経ってもちっとも変わらない。むしろ、小・中学生時代は、おとなしくリビングで電気もつけず、眠って待っていたりしたけれど。いまは、東京、兵庫と離れているので、全く容赦なく、近くにやってくる。

それが、お風呂の中だろうと、堂々とにっこりとかわいい顔をして笑って入ってきて、わたしを笑いの渦に誘い込もうとする。不思議な娘だ。ことし26歳。

「 いや、わざとサービスしてくるているんだよ」(パパさん談)

 

深夜1時。そんなことを想いながら、お風呂の中でポメラのキーボードもたたかずにいて、湯気の中で、思いを巡らせていた。あがって軽く筋トレをして2時過ぎに就寝。本はほとんど読めていない。

 


開業から1週間の宝塚ホテルを初見

2020-09-10 00:17:05 | コロナ禍日記 2020

 

ある日。

6月30日(火曜日)雨すごい風

 

 眠っている時から、雨の音がずっと耳に張り付いているみたいだった。起きても一日中、雨、風がピューピューと鳴きわめいている。すごい音。家の近くの木々の緑が、嵐の海を奏でる。

 ベランダの鉢がいくらか、動いている。いつもやってくる雀や野鳥が、一羽も飛んでこない、一体どこで息を潜めているのだろう。

 

実家の母に電話した。

「どう?すごい風なんだけど。昨年の台風を思い出すわ」

「そんなに降っていないよ、こっち」という。

「あら、よかったじゃない。こっちは雨と風ともにすごい。駅前や下の街の橋あたりは、もしかしたら水が浸いてしまうかもしれないわ」といった。

 

 一日中。大荒れだったが、夕方(6時半)になってようやく風が収まってきた。

 

 当初の予定どおり。明日、東京に帰るNへのエールをこめて、今年3月に閉鎖し、別地に移転した宝塚ホテルの開業(6月21日)を見に行くことにする。

 1926年(大正15年)、阪神モダニズムを形容する先進的な洋館ホテルとして開業した旧宝塚ホテル。急勾配の切妻屋根とアールデコ洋式を取り入れたクラシック調ホテルで、樹齢約130年のクスノキが中庭に面した大理石張りのロビーから、客室からよく見えた。元々古いホテルがすきなのだが、とりわけ思い入れが多い、思い出あふれる良いホテルだった。ちなみに、六甲山ホテルは宝塚ホテルの別荘というコンセプトで、同じ古塚正治氏の手によってほぼ同時期に建設されたそう。そんなことに、思いを馳せながら電車に乗っていた。そして…。


 あら? おもいのほかホテルは小さい。

 外観はヨーロッパの古城のようで素敵だが、ロビーに入った時、なにか想像とは違う違和感というか、うすい印象を感じた。オープンから1週間のせいか、調度品がほとんどない。大理石張りのロビーから深紅の絨毯が敷き詰められた大階段、そしてアールデコ調の手すり(芯は合板)。よく似ているのだが、おもちゃみたいな気がする。最近の新築マンションみたいなホテルだと正直、見えた。まだ格式が、伝統がないからだろうか。慣れないスタッフの問題か。

 1階からは期待していた武庫川に面した景観も見当たらない。これから、、、かな(笑)。







 

 まぁ。最初に感じた微妙な違和感も、何度か足を運ぶうちにきっと払拭されてだんだんと慣れてしまうのだろう。好きだったものを買い直して新調したときみたいに。

 

 2階のダイニングルーム、アンサンブルで簡単な洋食のコースをいただく。

 ここは近代的で広々とし居心地がよかった。胸をなでおろす。






 

 コーヒーとデザートをよいです、とストップしてもらい、1階のラウンジ「ルネサンス」でサマーカクテルを飲んだ。

 マンゴーをベースにした、ココナッツシロップとパイナップル味を重ねたフルーティーなカクテル。それほどお高くはないし、おいしかった。

 Nはバラが浮かんだ、ライム&ミント入りの「ローズモヒート」。

 

 嵐の日の訪問なので、大人の目をぬすんで出かけている悪い子みたい。ちょっとだけ後ろめたい、修学旅行を抜け出して来たような冒険みたいな気持ち。夜9時、急いで電車で自宅に帰る。