雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

邪馬台国徒然 2

2018-03-06 00:36:41 | 不思議
今、この国にある、
8千を超える沢山の神社の中で一番数の多い名前の神社があります。



その名前は———————————————



邪馬台国を巡る徒然なる空想物語はココから始まります。
次回へ続きます。(^^)




その神社とは「八幡宮(はちまんぐう)」です。
全国でもズバ抜けて多い神社名となっています。
総本社とされるのは大分県の宇佐神宮。
一般的には武の神である「八幡神」を主祭としている神社ですが、
その実は「応神天皇=ほんだわけのみこと=誉田別命」とも言われていて。
多くのところでは応神天皇の母親ともいわれている
「神功皇后(じんぐうこうごう)」と一緒に祭られていたりもします。
しかし、八幡神を応神天皇とする説は未だ明瞭な証拠も史実もなく。
これまでも多くの研究者が真実を探求してきたことでもありました。



......さて、八幡。はちまん。やはた。やわた。



お気づきでしょうか。



やはた......やまた。



やまたい。



こじつけ!?



そーかもしれません(^^)



では、今度は日本地図をグーグルマップあたりで眺めてみる事にします。



探すのは「八幡」という地名。



当然ですが、国だった場所を探すわけで、なので一番目立つ「八幡」を......



どこにあるかなぁ、、、と。



うーーーーーんんと、、、、



ありました。ここ、、



東北、岩手県、北部。
青森県と秋田県との県境でもある「八幡平」。
広大な地域。
秋田県の鹿角市にも八幡平市という市があるので、
昔はもっと広い地域が八幡平と呼ばれる地であったかもしれません。



この「八幡平」は「はちまんだいら」......
と読むのではありません。



正式に「はちまんたい」と読みますし、
古来よりそう呼ばれて来てもいます。



なぜでしょうか?



一部で坂上田村麻呂の伝承に基づく話もある様ですが、
実は、田村麻呂はこの地にまで北上したという記録はないのです。
突き詰めると昔からそう呼んでいる......と、
そうとしか言えないのが現状、本当のところの様です。



はちまんたい......八幡台.......やわたい......やまたい.......邪馬台......



広大な地域にまたがる、山々に囲まれた地域。



山々に囲まれた大国?



ヤマタイコク?



全国に散らばる八幡神社(はちまんじんじゃ)とは、



元は「やはたじんじゃ」であり、
邪馬台神社(やまたいじんじゃ)であって、



邪馬台国の地方行政府のようなものだったのか?



全国の場所を問わず、
八幡神社の数が飛び抜けて多いというのはそういうこと!?



ここで、こんな曖昧で馬鹿げた!?話は後回しにして。
邪馬台国の存在を決定づけている肝心の歴史書
「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」
の話に移る事にします。
歴史の教科書でも有名なこの書は、
実は中国の有名な史書「三国志」の中の一部分で、
「倭人=日本人」に関して書かれているところだけを抜き出して指す呼称です。
この本が書かれたのは3世紀末、
280年〜297年頃であるということは既に確証されているので、
邪馬台国というのはちょうどこの頃の日本にあった国だと言うことは
誰もが認める史実となっています。
そして、この本には現在も様々な学者の皆さんが研究や論争を続けている、
魏(ぎ=中国)から邪馬台国(日本)に渡る旅路が細かく書かれています。
ここまで詳細に書かれていて、それでも場所を特定できないとは......
ちょっと不思議なところもありますが、
そんな部分を抜き出して以下に記すと......



==================================
①倭人(わじん=日本人)は帯方(たいほう)の東南の大海の中に在り。
山島によって国邑(こくゆう)をなす。

(中略)

②始めて一海を渡ること数千里、対馬国(とまこく)に至る。

(中略)

③また南に一海を渡ること千余里、
命けて(なずけて)瀚海(かんかい)という。

④一大国(いきこく)に至る。

(中略)

⑤また一海を渡ること千余里、末廬国(まつろこく)に至る。

(中略)

⑥東南に陸行、五百里、伊都国(いとこく)に至る。

(中略)

⑦東南して奴国(なこく)に至る。百里。

(中略)

⑧東行不弥国(ふみこく)に至る。百里。

(中略)

⑨南投馬国(みなみとうまこく)に至る。水行二十日。

(中略)

⑩南、邪馬台国(やまたいこく)に至る。女王の都する所なり。
水行十日。陸行一月。

(中略)

⑪女王国より以北、その戸数、道里を略載を得べきも、
その余の旁国は遠絶にして、詳(つまびらかに)することを得べからず。

⑫次に斯馬国(しまこく)有り。

⑬次に巳百支国(いもきこく)有り。

⑭次に伊邪国(いやこく)有り。

⑮次に都支国(ときこく?としこく?)有り。

⑯次に弥奴国(やなこく?いやこく?)有り。

⑰次に好古都国(ここつこく)有り。

⑱次に不呼国(ふここく)有り。

⑲次に姐奴国(ねなこく?つなこく?)有り。

⑳次に対蘇国(つそこく?つきこく?)有り。

㉑次に蘇奴国(そなこく?そやこく?)有り。

㉒次に呼邑国(こおこく)有り。

㉓次に華奴蘇奴国(かなそなこく)有り。

㉔次に鬼国(きこく)有り。

㉕次に為吾国(いごこく)有り。

㉖次に鬼奴国(きなこく)有り。

㉗次に邪馬国(やまこく)有り。

㉘次に躬臣国(きゅうしこく?くしこく?きしこく?)有り。

㉙次に巴利国(はりこく)有り。

㉚次に支惟国(しいこく?いきこく?)有り。

㉛次に烏奴国(うなこく)有り。

㉜次に奴國(なこく)有り。

㉝ここは女王の境界尽きる所なり。

㉞その南に狗奴国(くなこく)有り。男子を王となす。
==================================



さて、ここからは、
倭人伝の記述文言における幾つかのポイントを踏まえつつ、
上のNo.①から㉝までの古代國を現在の地域や地名に該当させてみようかと。
冒頭の①~⑥あたりは、もう見るだけでスグ!
お解りの方もいらっしゃるかと思いますが、
その辺りも含め、次回は
「無責任な妄想に妄想を重ねながら」
出来る限りのコトを記していこうかと思います。

「なぜ出来る限りなのさ!?妄想に妄想を重ねるなどと?」

と?......そりわ......今神様に確認をしてもらっているのでつ!

「( ̄▽ ̄;)どでしょーかぁー?」

などと。

ええ。ええ。

「この前、将門さんのトコロにも
命懸けで久保田の萬寿を持っていったのでぇぇ、、
どか、ひとつぅぅ、、」

って。ね。(*´ω`*)ええ。ええ。
出来うる限り、で。
この後も徒然なるままに記していこうかと思いまする。
もし国の記述に興味が湧いた方などがいましたら!?
是非、独自に探してみてもらえたら......なんて。
でも、その時のあなたは、
きっと立派な考古学者さんなのだと思うのです。(^ν^)ええ。
お話はもう少し続きます。



日本中央」「 2」「3」「4」という、
かなり前の記事でもチラリズム的に記していましたが、
邪馬台国に関しては、以前から

「はちまんたい(八幡平)あたりが怪しいのでは?」

的世界がミエテいた僕は、しかし、
その中心地まではなかなか絞り込めないでいました。
なんと言っても八幡平という地はタダタダ広いのです。
何度か足を運んで探索してみたりもしていましたが、
ちょっとメゲそうにもなっていました。
そんな暗中模索をしている頃に出会った印象的な本というのが上の写真、
「邪馬台国はどこですか?」
という作品。著者は「鯨 統一郎」さん。
当時の僕が考えていた事やミエテいた事に強い自信と確証を添えてくれた、
僕にとっては印象深き本です。

「ああ、同じだ。やっぱりそーなのか。。」

と、この本に出会った時は嬉しくなったことを覚えています。
一般的には鼻つまみで!?
相手にされていない様なシロモノかも知れませんが......
今回記した事と、次回記事の「半分」くらいの事までは、
こちらの本に細かい考察や史実データが「小説として」書かれていたりします。
特に「魏志倭人伝」における漢文読解の仕方などは、
微妙な言語表現の違いを見逃さずに感じとり、すくい上げもしながら、
小説と言えど興味深い推論を進めていっています。
そんな部分には歴史学者さん達とはまた違った、
作家さんならではの凄みもあり感心もしてしまいましたが、
この本は鋭いインスピレーションを持って書かれている様にも?
思えました。
著者の鯨統一郎さんは、もしかしたら?
邪馬台国で暮らしていた人のミタマを宿している方?なのか?
なんて気もして来てしまいます。
しかししかし、上にも「半分」と記したように、
邪馬台国の中心地と考えられる場所は、
そんな鋭い作家さんでも、学者さんでも、
ネットワーク上にある情報さん達でも、
これまでに未だ一度も言説に上げていない場所の話へと
進んでいく事となるのです。
そんなお話も含め、もしご縁などあれば是非一度、
鯨統一郎さんとは

「一緒に美味しいビールでも!」

なーーーんて思ったりなんかしています(^^)かしこ。


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8 コメント

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邪馬台国 (青鈴猫)
2018-03-06 02:28:35
こんばんわ♪
1枚目の写真は仙台の大崎八幡宮でしょうか?
見上げると首がグキっとなる位大きな鳥居でした

未だに何処にあったのかは謎の邪馬台国!
お話楽しみです

返信する
青鈴猫さんへ。 (amenouzmet)
2018-03-06 09:36:29
鋭い!(^^)っす。そうですー。良いところですよね。
返信する
Unknown (kiha)
2018-03-06 10:00:21
こんにちは!平泉ですれ違った、岩手の愛です。(*^^*)金華山でM子さんに、私が神功皇后、息子が応神天皇と言われてテンションあがりました!(*≧∀≦*) 更に主人は仲哀天皇だったらしいです…(^^;

弘前八幡宮の近所で育ち、盛岡八幡宮は子授け祈願・安産祈願等で何度かお百度参りしているので八幡さま大好きです!✨このシリーズ楽しみにしています!😌
返信する
kihaさんへ。 (amenouzmet)
2018-03-06 10:24:25
すいません。なんだか、目立っていた様で......
地味にしてるんですけど。いつも......(´-ω-`;)ゞすんすん......
今度会ったら是非声かけてくださいねぇぇ♪多分イイ奴ですのでぇぇ!?
返信する
Unknown (Lica★)
2018-04-16 08:38:45
八幡…。
念願のラ・コリーナへ行ってきました。
藤森さんの建築はもちろん、食べ物、風景、配置、心遣い、素晴らしかったです。
けど、私が一番感激したのは、水脈でした。
ちょうど田植えのための土に水を入れ、土台を作る時期だったので、水の流れ方がよーく見えました。
水の流れを基準にどこに何を配置するかを考えたのかな?と思い、感激しておりました。
畑になる場所には蓮華と菜の花が咲き乱れ、きっと畑にする時には一緒にすき込んで土の栄養になるのだな…とか。
「無駄がない」全てを利用し循環させ、生み出していく理念が素晴らしいなと思いました。

行きのバスがうまく捕まえられず、たまたまタクシーに乗ったら、タクシーのおじ様からお祭りの情報をいただき、何も知らずに参加してきました。
偶然にも日牟禮八幡宮のお祭りに参加でき、燃え上がるたいまつの火や人々の熱気、やっぱりある素敵な川や町並み、大事にされている神様を感じる事が出来て、本当に濃密で喜びに溢れる旅となりました!
そして近江八幡の力を大いに感じる旅となりました。さすがのたねやさんでした…圧巻。

先月にはたまたま、大分県に旅する運びとなり、
宇佐八幡宮へ行っていました。
私の住む町は宇部といいます。
氏神様の神社は、琴崎八幡宮という宇佐に関わる八幡様です。
宇部から宇佐、近江へと八幡の旅が続きました。
姫神様方を感じていました。
IさんやM子さんのブログに出会っていたからこその、感慨深い旅でした。
ありがとうございます^_^
長くなってすみません!
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Lica★さんへ。 (amenouzmet)
2018-04-16 13:56:46
良かったです。水羊羹好きですものね(^^)
宇部ですか。
未だキチンと回ったことのない土地なので、今度伺ってみます。
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Unknown (Lica★)
2018-04-16 20:30:21
わぁ!覚えてくださっていたのですね!
すごく嬉しいです^_^

宇部は特に何も無い町ですが、
「中津瀬神社」は是非オススメです。
瀬織津姫様が祭られる神社です。
小さいけれど柔らかく気持ちの良いほわほわした神社で、ライオンが出迎えてくれます◎
ザ・スサノオ様系の神々様が沢山です。
道路の向かいには奇跡の宝くじ売り場があります。笑

私は本当に気持ち良いとか、あたたかいとか、こっちな気がする…とか、勘しか無い人間ですから信憑性はありません。。
なので私のような者がと思いなかなかコメントしづらいです。汗
そして一度書き出すと溢れちゃいますね、
すみません(^_^;)
けれど最近のM子さんやIさんのブログを読んでいると、少しほわほわして欲しいな…と、勝手に思っています。いつも、お勤めご苦労様です!
感謝しかありません
返信する
Lica★さんへ。 (amenouzmet)
2018-04-16 23:02:18
ホワホワワ〜(*´ω`*)
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