雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

イチロー備忘録

2013-02-15 00:02:07 | 凄い
コレは「備忘録=忘備録」でしょうか......
先日、日本経済新聞社のインタビューに
イチローさんが登場していました。
以下は記事の全てではありませんが、
相変わらず完璧過ぎる言葉達で。
面白いです。



ヤンキースについて——————

「 “何かのために” は聞こえは良い。
でも時に思い上がっているようにも思える。
人間関係においても言えることだが、
誰かの “ために” やろうとすると厄介な問題になることがある。
しかし、誰かを “思い” 何かをすることには、
見返りを求めることもなく、
そこに愛情が存在しているから不幸な結果になることが少ないように思う。
昨年の3カ月だけだったが、
ヤンキースは “思い” を強く持たせてくれた組織だった」



努力について——————

「努力をすれば報われると本人が思っているとしたら残念だ。
それは自分以外の第三者が思うこと。
もっと言うなら本人が努力だと認識しているような努力ではなく、
第三者が見ていると努力に見えるが本人にとっては全くそうでない、
という状態になくてはならないのではないか」



プロフェッショナルについて——————

「子供の時の感覚で楽しくて好きでいたいのなら
プロになるべきではないだろう。
もちろん、違う種類の楽しみややりがいはたくさん生まれるが、
プロの世界では楽しい時など瞬間にすぎない。
ほとんどはストレスを抱えた時間だ。
しかしその “瞬間” のために、
ありったけのエネルギーを費やしていく。
その中で、人間構築をしていかなくてはならないと考えている」



言葉について——————

「今はまだ色紙に一言と言われても書けない。
大切にする姿勢や哲学はあるが
胸を張って一言残せるほどの自分ではない。
偉人の言葉を引用する年配の方がいるがあれはダサいと思う。
拙い表現でも将来自分の言葉で伝えられたらなと思う。
しかし結局、
言葉とは “何を言うか” ではなく “誰が言うか” に尽きる。
その “誰が” に値する生き方をしたい」



世界に出て再認識したことについて——————

「世界に出て再認識したこと。
そのひとつが日本語を大切にすることだ。
米国に行ってから、
日本語の深さや美しさを自分なりに感じるようになり、
日本語をきれいに話したいと思い始めた。
日本語でも自分の感覚や思いを伝えることは困難だと感じている。
それが外国語となれば、不可能に等しい。
英語で苦労する以前に、僕は日本語で苦労している」



高いモチベーションや壁について——————

「僕はずっとエネルギーを注いできたものに携わっている。
最も大変なことは自分が好きでもないことをやらされて、
それを好きになれと言われ、結果を求められることではないか。
それで壁を感じているならばすばらしい。
壁が出てきたということはそこに全力で向かっていく気持ちが存在し、
さらに労力を費やしてきた証しだと思う」



レギュラーシーズンだけでも日米通算で1万2000回以上も
バッターボックスに入った中で「思い出したくない」という打席......
2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の決勝、
対韓国戦。延長十回2死二、三塁で
不振が続いていたイチローが立った打席について——————

「敬遠ならどんなに楽だろうと思った。
そんなふうに思ったことは初めてだ。
この打席で結果を出せなければ、
今までの僕は全て消される、と思った。
恐怖に震え上がっていた。
今後、どんな場面があろうともあの打席以上はないのでは、
と想像している。
野球をやりながら “命を削る” という意味を初めて知った瞬間だった」



......完璧に研ぎ澄まされた答えが並んでいます。
すげぇーー......
流石というか、恐ろしいというか。
グウの音もでません。(@.@)ひょーーっ......



僕にとってのイチローさんは、
浮き世とは一定の距離を持って、
異界で厳しく生きる修行僧のようなイメージ。
山奥で一人、
己と大いなる自然とひたすら向き合う様な修行をしながら、
世界の真理や完隙のない答えを見つけていく......
的な......完璧さ。

凄い天狗さん?のよう。

あまりに完璧過ぎて、
取り付く島などは「微塵」も無いような感じ。

このブログのタイトルに入っている雲の完璧さとは
「また違った」完璧さ。
同じ完璧でも、個性、個体による在り方が違う。
それぞれの個体個性に沿った本質要素が達し得る領域にある完璧さ......
というコトでは同じか。

それと、きっと、「完璧」は「完全」と少し違う。

言葉も違うし。

僕にはイチローさんの完璧さと王さんの選手時代の完璧さとは
少し似ているような気もしていて。
巨人の監督時代の王さんもその延長にあったイメージ。
でもホークスの監督になった時からは、なんとなく、
その完璧な雰囲気が完全な雰囲気に変っていったように思えました。
今は王さんは僕には完全なる人のイメージ。

長島さんの現役は僕は見ていなくて分からないのですが、
監督姿から今に至る迄の長島さんは、
僕の中では「完全なる人」のイメージ。

巨人の原監督は選手の頃から完璧さは感じていなくて、
今の監督姿も含めて一貫して完全なるイメージ。

落合さんは選手の頃から監督に至る迄、
一貫してイチローさんのような完璧なイメージ。
だから落合監督のチームはとても好きだったけど、
なんとなくファンとして取り付くような部分、隙......
はあまり無かったような感じ。



いつか「イチロー監督」をみてみたいとの声について——————

「現時点でそれ(監督)を問われたら “ありえない” と答える。
ただ、王貞治氏に
“現役のときに監督をやることを想像していましたか”
と伺ったことがある。
”全く想像できなかった。自分が監督になるとは思っていなかった”
とおっしゃった。
それを聞いた時に自分の気持ちも将来、
どう動くか分からないとは思った。
ただ自分がその器でないことくらいは現時点でも分かる」



......イチローさんは、どうなんだろうか......
王さんのようなイメージで進むのかなぁ......
落合さんかなぁ。
興味、深々(´ー`)



時々、完璧!と思える時間に出会うことがあります。
うっすらと雪化粧した高台の露天温泉につかりながら眺める
甲府盆地の夜景と、
多くの星々と交代で昇り来る朝日。
そして夜の中から少しずつ姿を現して来る富士山。
上の古い携帯写真は
「ほったらかし温泉」というところのものですが......
個人的に思っている
「完璧」と「完全」の違いについての話しは......
またあらためて。(^^)


☆イチロー備忘録シリーズ☆
イチロー備忘録 2
イチロー備忘録 3


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