黄昏オーディオ

ちょっとだけオーディオ。

シシテナオ

2010-06-27 07:57:09 | 書籍・読書

またまた、古いオーディオ本を読んでます。五味康裕氏との確執で有名な?高城 重躬 氏の「レコード音楽論」。世田谷の図書館に所蔵がありましたが、保存庫にしまわれていたようです。
もともとは五味氏は高城氏に傾倒し、アドバイスに従い自宅にコンクリートホーンを作りますがその後、ハンマーで叩き壊してしまうという逸話が有名で、その後ことあるごとに衝突を繰り返していたようです。
この本でも、原音再生の条件というところで、次のように書いています。

私はもう二十年、いやもっと以前から原音再生を目指してきた。ところが多くの人は原音再生というとレコードからナマさながらの音を求めることだと誤解しているらしい。だから某著述業者などバックハウスのレコードをかけても自分の家のピアノを子供が弾く音とはまるで違う、ピアノがナマさながらに再生できるなどウソだといっていた。まことに愚かな話である。

某著述業者というのが、五味氏を指しているのは間違いありません。しかも作家でも、文筆家、でも著作家でも著述家でもなく著述業者としているところに、憎悪がにじみ出ていますね。
確かにオーディオ巡礼に、自分の娘がベーゼンドルファーで弾く音とレコードの比較の記述がありましたが、そこで書かれていたのは、再生音のことというより音楽としての比較だったように思いますが、すでにオーディオ巡礼は返してしまい、再度借りる気にはならないので…まあ、いろんなところで書き争っていたようなので、娘のベーゼンドルファーの音を取り上げて、原音再生についての批判をしてないとも限りませんね。双方、鬼籍の人ではあるが、言い争いは保存庫や書棚で残り続けるわけですね。

池田圭著「音の夕映」のなかで、あるアームの形を引き合いにオーディオにおける傾倒に関して次のような記述がありました。

けれどもそのアームの形を最良と信じ、熱愛し、それを唯一最高のものと敢て信じて疑わない。そうなるともう それは悪い意味での信仰である。盲信である。もしこの形のトーン・アームをけなす人があると、その人を憎み、果ては呪いをかけるようになる。何らかの形で 復讐を謀る。
こうなるともうオーディオの世界の話では無い。恐ろしい話である。


ブログランキング参加中です。応援のほどよろしくお願いいたします。
にほんブログ村 PC家電ブログ ピュアオーディオへにほんブログ村
にほんブログ村 その他生活ブログ 節約・節約術へにほんブログ村

最新の画像もっと見る

コメントを投稿