間が悪いと言うかいきなりの電話。
『困った時にしかかけなくてごめん』
こう切り出されて聞けばかなりの緊急性を要する内容だった。
まだバリバリで仕事をする気でいたら、
休日だろうが飛んで行って相談に乗っていたところだ。
病院の処遇が納得いかないから
まだ治療途中で父親を連れ帰ったものも途方にくれての泣きだった。
なんと早計なとあきれもしたけれど
自分も怒りにまかせて仕事を辞めることになった身。
人の事は言えない。
介護保険でなんとか賄える部分もありそうであり
現役の人に繋いだ方がよさそう。
了承を得て、最近親交が厚い独立介護支援事業所を紹介。
私が介入しないほうが良いだろうと降りた。
困り電話の彼女とは子どもたちが幼稚園の時からの付き合い。
同級生の娘同士は未だに帰省すると必ず出会うという仲良し。
上に自閉症の兄を持つと言う共通項だけでなく
幼稚園から気が合っている。
母同士も付かず離れず。
9月からフリーなのだ。
息子が感覚統合訓練のために通院する時、
夕暮れ迫る家に小3の娘をひとり置いていけなくて
彼女の家に預かってもらった過去がある。
相身互い。
私に役立つことがあれば自由な立場で手伝うことが出来る。
ケアマネジャーとしてお役に立てなくても
友達としてなら何か出来るかも?
そう思ったら気持ちが軽くなった。
亡夫が一般病棟で散々な扱いを受けて
緩和ケア病棟へ転院してなくなるまでを
亡くなって1年目に書いた小さな手記を取り出した。
あの時のいらだちやら極限状態やら思いだした。
多くの友が力になってくれた。
私ときたらなんの恩返しもなく今に至っている。
思い出のいろいろを整理した100円ファイルに手記はつっこんでいた。
ファイル中に茶色くなった新聞投稿の切り抜きがパラパラ出てきた。
彼女からあの時も怒り電話をもらったと思い出した。
この地域では小学生に制服がある。
冬の寒空にその制服は合っていないのではないかとう医師の投稿から
制服必要論が出て、
彼女が小さい時からおしゃれ心は必要と反論を投稿。
すぐに貧しい人もあるのにこどもにおしゃれとはと反論が出た。
彼女から『くやしい。』ちゃんと思いが伝わっていないと電話がかかってきて
彼女への援護射撃投稿を私が書いた。
制服が没個性を産み、自分と違う人への差別観産むと言う
大上段に構えた今思えば赤面ものの援護投稿だった。
一連の新聞投稿紙面のやり取りを
何でも捨てる私にしては珍しく取っていた。
子供たちが制服もなく自由な幼稚園から一気に画一的な小学校に通うようになり
お互いに憤懣やるせないものがあったもう20年近く前の話。
夜、その話をしようと電話をしたら
朝とはうってかわって声が落ち着いおだやかだった。
紹介したケアマネジャーにゆっくり話を聞いてもらえ
信頼して今後の方針も見えてきたらしい。
ケアマネジャーも彼女も私も偶然におないどし。
54年も生きているといろいろあったよね。
老いの道は我らが続く道でもある。
お互いのこれからどうなる?切れずによろしく。
『困った時にしかかけなくてごめん』
こう切り出されて聞けばかなりの緊急性を要する内容だった。
まだバリバリで仕事をする気でいたら、
休日だろうが飛んで行って相談に乗っていたところだ。
病院の処遇が納得いかないから
まだ治療途中で父親を連れ帰ったものも途方にくれての泣きだった。
なんと早計なとあきれもしたけれど
自分も怒りにまかせて仕事を辞めることになった身。
人の事は言えない。
介護保険でなんとか賄える部分もありそうであり
現役の人に繋いだ方がよさそう。
了承を得て、最近親交が厚い独立介護支援事業所を紹介。
私が介入しないほうが良いだろうと降りた。
困り電話の彼女とは子どもたちが幼稚園の時からの付き合い。
同級生の娘同士は未だに帰省すると必ず出会うという仲良し。
上に自閉症の兄を持つと言う共通項だけでなく
幼稚園から気が合っている。
母同士も付かず離れず。
9月からフリーなのだ。
息子が感覚統合訓練のために通院する時、
夕暮れ迫る家に小3の娘をひとり置いていけなくて
彼女の家に預かってもらった過去がある。
相身互い。
私に役立つことがあれば自由な立場で手伝うことが出来る。
ケアマネジャーとしてお役に立てなくても
友達としてなら何か出来るかも?
そう思ったら気持ちが軽くなった。
亡夫が一般病棟で散々な扱いを受けて
緩和ケア病棟へ転院してなくなるまでを
亡くなって1年目に書いた小さな手記を取り出した。
あの時のいらだちやら極限状態やら思いだした。
多くの友が力になってくれた。
私ときたらなんの恩返しもなく今に至っている。
思い出のいろいろを整理した100円ファイルに手記はつっこんでいた。
ファイル中に茶色くなった新聞投稿の切り抜きがパラパラ出てきた。
彼女からあの時も怒り電話をもらったと思い出した。
この地域では小学生に制服がある。
冬の寒空にその制服は合っていないのではないかとう医師の投稿から
制服必要論が出て、
彼女が小さい時からおしゃれ心は必要と反論を投稿。
すぐに貧しい人もあるのにこどもにおしゃれとはと反論が出た。
彼女から『くやしい。』ちゃんと思いが伝わっていないと電話がかかってきて
彼女への援護射撃投稿を私が書いた。
制服が没個性を産み、自分と違う人への差別観産むと言う
大上段に構えた今思えば赤面ものの援護投稿だった。
一連の新聞投稿紙面のやり取りを
何でも捨てる私にしては珍しく取っていた。
子供たちが制服もなく自由な幼稚園から一気に画一的な小学校に通うようになり
お互いに憤懣やるせないものがあったもう20年近く前の話。
夜、その話をしようと電話をしたら
朝とはうってかわって声が落ち着いおだやかだった。
紹介したケアマネジャーにゆっくり話を聞いてもらえ
信頼して今後の方針も見えてきたらしい。
ケアマネジャーも彼女も私も偶然におないどし。
54年も生きているといろいろあったよね。
老いの道は我らが続く道でもある。
お互いのこれからどうなる?切れずによろしく。