三浦綾子原作の『銃口』と言う演劇を観た。
戦争にかりたてられ少国民を育成した学校のシーンは
70代のウチのオーナーが育った頃だ気が付いた。
『オーナーである自分の言うことを黙って聞け』
『ハイと言っておけばいいんだ』
自分の意見を言おうものなら頭から私に落ちた言葉は
暴力と共にその時代には当たり前だったのだ。
職場で一番イヤな時間が朝礼。
ずっとデイサービスの朝礼だから出ないできた。
連絡事項が私にまるで関係ない。
オーナー命令で出ることを強要されて2週間経つ。
オーナーが訓示を垂れてから
一日デイサービス流れが読み上げられる。
最後にみんなで直立不動で大声で唱和する。
『今日一日利用者の立場に立って介護いたします』
私は介護はしない。
『支援』をするわけで一緒に唱和する意味が分からない。
こんな言葉をスローガンにしているわりには
デイサービス内で
利用者をないがしろにした言葉が行き交っているのも苦々しい。
得心のいかない言葉を大きな声で言うことにものすごい抵抗を感じる。
時に私は言っていない。
言わないのが分かると『従わない』と言って怒鳴られる。
しかたないからモゴモゴと言う。
子供には意味の分からないキョウイクチョクゴ唱和。
ホウアンデンへの直立不動。直角に体を折る最敬礼。
まさに少国民を育成した国民学校のあの縮図。
オーナーは事業所のアラヒトガミでおわします。
考えれば、
『自分の考え持つことはいけない』
と育てられたかわいそうな人。
虐待親は元虐待児だったこともあると聞く。
日中の疲れから芝居が暗転なる度に瞼が閉じた。
4分の1は寝ていたかも?役者さんごめんなさい。
戦争にかりたてられ少国民を育成した学校のシーンは
70代のウチのオーナーが育った頃だ気が付いた。
『オーナーである自分の言うことを黙って聞け』
『ハイと言っておけばいいんだ』
自分の意見を言おうものなら頭から私に落ちた言葉は
暴力と共にその時代には当たり前だったのだ。
職場で一番イヤな時間が朝礼。
ずっとデイサービスの朝礼だから出ないできた。
連絡事項が私にまるで関係ない。
オーナー命令で出ることを強要されて2週間経つ。
オーナーが訓示を垂れてから
一日デイサービス流れが読み上げられる。
最後にみんなで直立不動で大声で唱和する。
『今日一日利用者の立場に立って介護いたします』
私は介護はしない。
『支援』をするわけで一緒に唱和する意味が分からない。
こんな言葉をスローガンにしているわりには
デイサービス内で
利用者をないがしろにした言葉が行き交っているのも苦々しい。
得心のいかない言葉を大きな声で言うことにものすごい抵抗を感じる。
時に私は言っていない。
言わないのが分かると『従わない』と言って怒鳴られる。
しかたないからモゴモゴと言う。
子供には意味の分からないキョウイクチョクゴ唱和。
ホウアンデンへの直立不動。直角に体を折る最敬礼。
まさに少国民を育成した国民学校のあの縮図。
オーナーは事業所のアラヒトガミでおわします。
考えれば、
『自分の考え持つことはいけない』
と育てられたかわいそうな人。
虐待親は元虐待児だったこともあると聞く。
日中の疲れから芝居が暗転なる度に瞼が閉じた。
4分の1は寝ていたかも?役者さんごめんなさい。
色濃くしみ込んでますね
みかんさんに賛同
当時、学校を終了して成人してた人たちは
(大正デモクラシーのリベラルな空気を知っているし)
軍国主義を丸呑みはしていなかったと思うんだけど
今の70代くらいって
軍国教育が見事に沁みてる人が多いように思います
思えば
1970年代~1980年代の管理教育を牽引したのも
今の70代くらいの元軍国少年たちでした
会社員など被雇用者だった人たちがやっと退職してくれて、やれやれ と思っても
政治家や経営者としては まだまだ声が大きいし
その人たちが引退する頃には
軍国主義の被介護者が増えてくるのでしょう
あの世代の人たちは
『日本人』ではなく
『大日本帝国』という別の国の別の民族なのだ
と思うことがあります
私たち『日本人』とは価値観が違って
なかなか仲良くはなれませんが
国を失った難民なのだと思って支えてあげるしかないのでしょうね
朝礼も私には意味不明訓話なんですが、
早朝からご利用の認知症のおふたりは
起立してオーナー身じろぎせず見つめ
ちゃんと職員のための朝礼に参加されています。
偉い人が話す時は無条件でそうする事が身についた
80代です。
おふたりは仕事に来ているおつもりなので
利用者でなく職員としての行動かも。
そういう意味では意義ある朝礼。
オーナーがオーナーであると威張りたいだけの儀式なんですが。
kururuさん
自衛隊が海外派遣される時に反対署名を集めて歩いたんですが、戦争体験者が一番署名して下さいましたよ。世論は派遣賛成に傾いていたんですが。
受けて身についた習性は軍国カラーの全体主義でも、
砲火を浴び飢えた戦争体験だけは
NOとはっきり言われる方が平和を願う方がほとんどだろうと思います。