陽だまりのねごと

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道頓堀の雨に別れて以来なり  田辺聖子

2007-08-14 17:45:12 | 
田辺聖子さんの小説ならスイスイ読めると思ったら
行きつ戻りつ
じっくりたくさん出てくる川柳に止まったり
期間限定の図書館で借リて読む本ではなかった。

副題に『川柳作家・岸本水府とその時代』とあるが
水府の川柳生活を語ることが日本の現代川柳の歴史物語となっていた。

川柳と言うと
俳句、短歌より1段低く見られる傾向は今でもある。
純粋なこっけいやおふざけ、駄洒落、下品な笑いを排除して
ちゃんと人が詠める物だと言う理解をずっと求めて来た中のひとりが
今でも全国にたくさんある『番傘』の水府だった。

とかく口やかましく感じた句会の人たちの口吻は
こういう歴史の流れの中で培われたものだったようだ。

広まって行けば、大きくなって行けばゆくほど
理解や見解の不一致から
反発や反目、離反が生まれ分裂が起こっている課程は
ここ10年足らずで少しづつ愛好家が増え、
組織が大きくなりつつある途上で
考えの不一致から分裂してきた五行歌にも似ていた。

川柳では『穿ち』と言うが
物事をどことなく斜に構えてユーモアで料理してしまうところが
私は気に入っている。
人の持っている哀しみや可笑し味のある物語を
たった17文字で伝えることができる。

駄洒落や下ネタも一緒くたで川柳と思われているところは
この本が書かれて10年経過しているけど
変わっていない気がする。

私の詠む駄川柳を文学とは言い難い訳で
末席汚しはデカイことは言えないけれど
お聖さんの川柳への愛情と
現代川柳への憤懣は充分に伝わってきた。

形式が自由であるもの程
短詩型の文学形式は正統な理解が得にくいものらしい。

ちょっと川柳に衿を正して
また好きになった。


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