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陽だまりのねごと

♪~思いつきひらめき直感~ただのねこのねごとでございますにゃごにゃご~♪

像の背中

2009-05-04 06:27:09 | 終末医療
象の背中 スタンダード・エディション [DVD]

ポニーキャニオン

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ひとり暮らしは音がしないから
時々、意味もなくTVをつける。
役所広司が出ていてなんとなく途中から見始めた。

   末期ガン余命半年宣告。

夫の場合、末期というか『完治はむつかしい転移ガン』という告知は受けたが
余命については原発ガンの主治医も緩和ケアの主治医も
「ひとそれぞれなので明言できない」と言った。

きっぱり治療をしない選択の勇気は簡単ではないと思う。
少し長く生きていれば有効な治療がその間に見つかるかもしれないと希望を持つ。
今の悪玉細胞をやっつける薬は健康な細胞にもダメージを与えるみたいで
ガン治療はとんでもなく辛い。
通院で事を済ます今の方法は入院治療が主流だった一時前よりも苦痛が大きく見える。
患者の不安も大きい。

治療しなければ元気で普通に過ごしている妹の乳癌治療は半年通院で続く。
ガンの様子を見ながら抗がん剤と放射線と…頭髪は抜け落ちたまま。
同居の母は元気になったり薬の副作用で苦しんだりする頼りの娘の様子にすっかり不安となり
完全に認知症となってしまった。
妹は「8割の安心が9割になる」との医師からの説明で治療を開始した。
リンパ節へ転移してゆく怖いガンだから不安は少しでも解消するつもりだった。
理系息子から副作用がきつい母へ
「延命か?」とすっぱり言われて傷ついた。
甥っこは母の辛さを見ていられなくて口にしたようだ。
連休に帰省などしたことのない子が今回は帰省している。

私が定年になる5年後に一緒に旅しようと言ったら
「5年後に生きているかしらん?」
と、妹は言った。
治療が同じ病の通院患者より過酷であることから悪玉の状態を読みとっているのだ。
妹の過心配だと思いたい。
最近、あれだけきつい性格だった妹がすんなり母の認知症を受け入れ
すっかり二人の関係は良くなっている。
母は妹を頼りきり天真爛漫さが増した。
病も悪くない。
連休明けから週1のペースで抗がん剤治療が再開。
この平穏は保たれるだろうか?

映画の話に戻るが
最後のホスピスはきれい過ぎやしないか?
窓から砂浜が広がる病室はまるで我が家のようにキッチンまである。
夫の居た緩和ケアも一般病棟よりゆったり作られていたけどあそここまで豪華じゃなかった。
思わず保険効かない?とゲスの勘ぐり^^;

何人ものナースに寝たままの湯できれいにしてもらった夫の最後となった入浴の後、
元来のんべぇの夫は『ビールが飲みたい』と言った。
主治医が「おくさん、早く買ってらっしゃい。」
あわてて買いに走って、夫はほんの一口。
残りは息子が引き受けた。

  『なんだか家に居るみたいだ。』

うまくいっている痛み緩和の中で夫はそう口にした。
ほんとうの家みたいは気持ちの在り方でもあるらしいとその時、緩和ケアを選択してよかったと思った。
確かに映画の病室は家みたいだった。映像にしてみればそういうことになるのかな?

その夜、意識混濁。痛みと覚醒が薬でコントロールされていたが、
大腿骨転移で歩けない身を忘れてトイレに歩いてゆくと暴れた。
上半身には強い男の腕力が残っていた。
翌朝、覚醒する薬が止められた。胆管にも転移していた。
薬が止められた瞬間からもう夫は物言わぬ人になった。
寝息ばかり。大きな口を開けて舌が沈下してもう二度としゃべることができなくなった。
口が乾かないようにスポンジ棒で口を湿らせるのが私の唯一の仕事。
耳は最後まで残って聞こえていると医師が言うから

 「ありがとう。おつかれさま。もう眠っていいのよ。楽になろうね。」

なんどもおかげで良い人生だったと繰り返した。
やがて痛みコントロールのモルヒネ抜かれ、水分点滴だけが最後まで残った。

妻以外の人を愛していた事実は墓まで黙って持って行くべきだろう。
愛人に会いたいと言ったり分骨まで兄に依頼する死場面は死んでゆくことですべてが許されると勘違いしていないか?
愛人と妻との対峙場面は淡々として逆に不気味だった。
夫婦として生きてきたことがまるで虚構だった事実を胸に妻は夫を心から悼むことができるだろうか?
寡婦となった後々まで嫉妬の業火が消えない人をケアマネの仕事で何人も見た。

がんに対するひとつの見方として警鐘に値するテーマだったけれど
イマイチきれいごとに作りすぎていないか?
1時間前に飲んだ睡眠薬が私に効いてしまって
意識が途切れて気がついたら終わっていたけれど、
たぶん、やすらかな最後に作られていたと思う。あの流れなら。

がん死は事故死や急病と違って、治療法も自分で選択して残された時間に何か出来る。死に支度が出来るのだ。
それは良いことなのか?悪いことなのか?

残された者としては充分な見送りが出来て、その事に悔いはない。
愛人が我が家では出てこなかったんで、きれいな思い出だけ残されている?

事故や突然死でいきなり逝かれて寡婦になった人より
ほのあたたかい夫との死への序走タイムがワンクッションになっているらしく
死のショックに大きな差を感じることがある。

うっかりガン死を考える休日になってしまった感じ。


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