愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

「イゲラの聖エルネスト」と呼ばれた革命家

2011年12月25日 19時43分55秒 | 現代に活きる Che Guevara の志

 ラテンマニアな人ならば知っている人も少なくないでしょう、Che Guevara (チェ・ゲバラ)というキューバ革命の英雄を。チェ・ゲバラが1967年ボリビアで処刑された後、いつの日からか「赤いキリスト」、「イゲラの聖エルネスト」と呼ばれるようになっていることを。



 ビートルズのジョン・レノンはチェ・ゲバラのことを「あの時世界で一番格好いい男だった」と言ったことは知る人にはよく知られていることです。



 私には、特定の個人を神格化するような考え方はありません。それどころか、個人を神格化することは、民主主義に反するので反対です。それにもかかわらずボリビアの一部地域においてチェ・ゲバラが聖人扱いみたいになっているのは彼自身の生き方とこれに帰結した死に方によるのでしょう。

 キューバ革命後にチェ・ゲバラはキューバ代表で国連の舞台に立ち、第3世界の立場で大国に対しても臆することなく、大国の横暴に対して世界の誰よりももっとも厳しく徹底した対決姿勢を見せました。

 植民地支配の影響などによって貧しい境遇にある発展途上国において社会進歩のために奮闘している人々にとって国連におけるチェ・ゲバラの姿は希望だったにちがいありません。




 チェ・ゲバラは、キューバ革命後に工業大臣の要職に就きますが、後に政府要職からはなれてキューバの市民権を返上して再びゲリラ戦士として戦いの地に赴きます。そして、1967年の9月にチェ・ゲバラはボリビアで政府軍に捕らえられて裁判にかけられることもなく銃殺されます。

 チェ・ゲバラは、キューバ革命政権における要職を離れて市民権を返上した後にコンゴとボリビアへ戦いに行きます。いずれも、歴史が示すとおりに失敗に終わっています。コンゴとボリビアでは歴史的背景などが違いますが、共通していることは「革命の輸出」です。それぞれの民族の運命を決めるのはその民族です(民族自決権)。「革命の輸出」は民族自決権擁護の点で非常に問題がありました。コンゴにしてもボリビアにしても現地の戦士の要請に基づいてチェ・ゲバラが軍事顧問として臨むならばまだしも現地から見て外国人であるチェ・ゲバラが司令官として戦っていたということに間違いの根本があります。

 詳細な点はともかくとして、革命論におけるチェ・ゲバラの誤りの概要については今更論争するまでもないことです。誤りは誤りとしてはっきりさせておくべきです。

 革命論としてチェ・ゲバラの戦い方に誤りが含まれていてこれが1967年のボリビアにおける悲劇の根源だったことは間違いありません。それにもかかわらず、チェ・ゲバラがボリビア政府軍によって処刑されてから40年後が経過した時のボリビア大統領選挙において当選を果たしたエボ・モラレス氏が大統領就任演説において「この戦いはゲバラに続くものだ!阻害されさげすまれてきた私たちの歴史を変える」とこぶしを振り上げたのは、後にチェ・ゲバラが本当は誰の味方だったのかということについて時の経過とともに、政治変革のために戦ってきた人々の手によって知れ渡ってきたからでしょう。

 ボリビアの宗教文化をふまえるとチェ・ゲバラの死に様がキリストが処刑された姿と重なったのかもしれません。このことが、チェ・ゲバラに対して「赤いキリスト」とか「イゲラの聖エルネスト」と呼ばれることに繋がっていったと、私は見ています。




 私自身は行ったことがありませんが、キューバには上の画像のビルがあって夜になるとライトアップされるそうです。

 キューバでは「チェのように生きよう!」とうのがスローガンのようになっていると聞いたことがあります。チェ・ゲバラは、歴史上の人物の中で見ても、世界の中で虐げられてさげすまれてきたような人々の味方として生きて戦ってきたということではもっともブレない人物と言えるでしょう(だからジョン・レノンがチェ・ゲバラを「あの時、世界で最も格好いい男だった」と評したわけです)。ですから、キューバにおいて「チェのように生きよう!」というのは、世界で最も弱い立場にある人々の味方になって生きようという意味です。

 私は、キューバでの現状のすべてを肯定的に見ているわけではありませんし、チェ・ゲバラの行ったことのすべてを肯定的に見ているわけでもありません。それでも、私がキューバ革命やチェ・ゲバラの志に連帯の気持ちを持っているのは、誰も見捨てられることのない政治と社会をつくることにあります。

 日本はもちろん世界を見渡しても貧困と格差が広がっています。アメリカの丹生ーヨークのウォール街においてごく一部のそれも全体の1%に過ぎない人が富を独占的に有しているのは不条理だということを主張した「占拠」運動が始まり、これが拡大しつつあります。一般市民に運動が拡散しつつあるようです。運動に参加している個別的な人々が意識しているのかしていないのかとうことはともかくとしてニューヨークのウォール街「占拠」運動は、貧困と格差を拡大してこれに対して解決能力を有しない資本主義経済そのものへの抗議としての意味合いを持つといえます。

 現在の日本国は、私が思うに棄民国家としか言いようがありません。3月11日に起きた東に本題震災と福島第1原発事故への政府の対応を見ていると住民の生業再建に政府が責任をもって本気で取り組もうとしていません。福島第1原発事故についても政府が住民の生命と健康を放射性物質から守ろうと真剣な姿勢を持っていません。それどころか、菅政権後に発足した野田内閣は「財界・アメリカ使い走り」内閣としての様相を呈しています。2009年の総選挙において民主党自身が掲げたマニフェストをかなぐり捨てて国民の期待を裏切りひたすらアメリカと財界にご機嫌を伺う民主党・野田内閣はいったい誰のための政府をつくろうというのでしょうか。

 キューバの真似をしようということではありませんが、これからの日本のあり方として「国民を一人も見捨てない政府」づくりを展望すれば、キューバ革命の精神とチェ・ゲバラの志に改めて私は連帯の意思を持ち続けようと思います。


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