是枝裕和・映画監督が「祝意」を辞退した。その理由は、映画が国策や国益と一体化して大きな不幸を招いた反省の上に立つならば公権力から潔く距離を置くのが正しい振る舞いだということである。
https://www.asahi.com/articles/ASL68677QL68UCVL025.html
祝意は、首相とか首長のような為政者の政治的な意図が強く働きやすい。だから、公権力から距離を置くために祝意を辞退することは理解できる。しかし、是枝裕和・映画監督に対して「祝意を辞退しておきながら文化庁から助成金を受け取って映画を作成したとは何だ」式の的外れな批判・難癖が散見される。国とか地方自治体の祝意が補助金を受け取ることの要件というわけではないし、時の為政者の意向が強く働く祝意と法律に基づいて要件を満たしていさえすれば、適用される助成金の類と同列に置くことは誤りである。文化庁が制度に基づいて映画製作に対する助成金を交付することは、為政者が誰であるかに関わらず法律に基づいて行われる審査の結果として、お役所仕事として粛々と行われる事柄である。時の為政者に対して反抗的だからといって法律に基づいた補助金を受け取ることそのものが批判の対象になるようでは民主主義は成り立たない。文化面においても時の為政者に対して反抗的な人を国民から集めた税金で育成までしてしまうことにこそ民主主義政治の根本的な意義がある。それに映画支援を受ける手続きを完了させた人は収益報告など所定の報告などを要求される。また、収益が上がれば、その一部を芸術文化振興基金に納付することが要求される。文化を育成することで映画などを創作する人だけでなく育成する側も利益を得るというわけだ。
http://www.ntj.jac.go.jp/kikin/29440.html
芸術や文化に対する助成金は、憲法第13条(幸福追求権)や憲法第25条に依拠している。それは、人間が人間らしい生活を営んでいくためには、たんに生存していれば良いというのではなく文化に触れることなどを必要としているである。是枝裕和・映画監督が文化庁から法律に元づた手続きを経て受け取った助成金を映画製作に使ったことに難癖をつける人々は憲法に対する無知・無理解の程を自己暴露しているのである。