競争を良しとする風潮がいまだに強く続いているように思います。
何事にも長所、短所があるのは自明であり、 競争にももちろんメリットはあります。ほとんどすべての世の中の議論に見られる傾向ですが、中庸を求めず、極端な、原理主義的な議論が横行することが問題の根幹かと思います。
競争することがよいことだ、この世の中で生き残るには競争に勝ち残れるようにするしかない、と教えられてきたように思うし、今でもそのような言説が飛び交っていますが、そのデメリットが際立ち始めている状況にあるのでしょう。右肩上がりの社会での競争はまだしも、縮んでいる社会での競争は地獄ですね。
内田樹先生の「下流志向」を読むと、現代社会の病的な状況が手に取るように分かりますが、極端な競争の先にあるのは、ごく一部の勝者と、数えきれない敗者です。
信じられないほど、上昇志向を持たない人間、子どもたちが増えているようでして、だからこそ「下流志向」というような衝撃的なタイトルで内田先生は論じられるわけですが、これも社会全体が競争に洗脳された悲しい結果です。
競争しても、誰かは勝つだろうけど、その他大勢は勝てないことを本能的に察知している。そうすると、無駄なレースに参加しない方が自尊心が傷つけられない。だから上昇するための努力をしない。しないことで自尊心が辛うじて保たれる。基本的にはそのようなメカニズムです。
これは、卑近な例ですが、夫婦の関係でも学習できます。険悪な雰囲気に少しでもなった場合(仮に!)、相手に優しくしよう、という寛大な方も多数おられるとは思いますが、大多数の方々は、そうするよりは自分の殻に閉じこもるのではないでしょうか。その方が自尊心が保たれるからです。相手の目を見ないようにする。相手に話しかけない。そうすると、相手は自分に対する愛情が無いのだと思い、ますます冷たくなる。ネガティブスパイラル。誰でも経験することでしょう。
世の中の状況も同じです。Win-winの関係を目指してもよいのですが、それは多大な努力を伴うし、誰にでもできることではない。競争社会で一番簡単な勝つ方法は、相手の足を引っ張ることです。もしくは、競争に参加しない、ことが一番確実で満足できる解になってしまいがちです。
私が本能的に自分の本業で仕掛けていることも、無駄な競争はやめることです。みんなが幸せになる方法はあるはずで、それに皆を巻き込んでチャレンジしたい。何かを達成することが大事というよりは、そのチャレンジのプロセスが「生」そのものであることを一緒にチャレンジしながら学んでいきたい。それが私の本心からの願いです。
無駄でない競争ももちろんあり、適切な競争はどの分野においても必要と思います。ですが、競争がなじみにくい分野もあることをしっかりと理解して、とにかく原理主義的に物事が議論されないようにしたいものです。
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