出張、特に海外出張の場合、一人の時間が増えるからか、日常と違うミッションを帯びるからなのか、自分を見つめ直す機会になることが少なくありません。
今回も、多くの方々とコミュニケーションしましたが、自分の役割について考える良い機会となりました。
自分で自分自身の適性など分からない、他人(でよく物事を見通せる人)の方が逆に自分の適性のことを理解している、ということを言う方がいます。そういう面もあると私も思います。20年前に、私の今のような品質・耐久性確保の産官学協働の取組みに熱中している姿は、当時の私には想像もつきません。でも、旧知の知人(先輩)に言わせると、「昔からそうだったよね(人間の気質的には)」と言われたことがあります。でも、30年前の中学生のときにさかのぼると、今の私は想像がさらに付きません。
要は、自分の現時点での想像には限界がある、ということです。
私も自分の人生で多くの出会いがあり、たくさんのことを教えてもらい、自分でも考え、少しずつ今の自分になってきました。
五十にて天命を知る、との言葉の通り、私が自分の生涯をかけて成し遂げるべきことは、実はまだ見えていないのかもしれません。
世の中を善くしていくためには、「システムが大事だ」と今回の学会中にも、国際的なシステムの構築等で日本の代表選手の一人として牽引してきた先生に言われました。「世の中を本当に善くしていきたいと思うならば、仕事のやり方を少し変えていった方がよいと思うぞ」とも言っていただきました。
もちろん、反論しました(ポジティブに)。人間にはそれぞれの特技があり、システムを構築するのが得意な人もいれば、システムだけでは十分でないと思う人もいます。私は、システムだけでは世の中は善くならないと思っており、マネジメントに力を入れます。そう私が言うと、「マネジメントも含めたシステムだ」と言われるわけですが、私の言うマネジメントは、「情熱」でもあり、「人」です。
私にもシステム構築の仕事は(one of the playersとして)できるのだろうと思いますが、本当に向いているとは現時点では思えません。国際的な活動も、不向きだとは全く思いませんが、自分の生涯をかけてやるべき仕事だとは、今は思えません。
土木史の講義も始まり、今年もまた、200名以上の学生のレポートと毎週向き合う日々が始まりました。
私の初回のイントロダクション(10月10日)だけで、早くも覚醒しようとしている学生も少なくありません。10月17日には、私の不在の間に、贅沢にも、高崎哲郎先生に代打で講義していただきました(廣井勇がテーマ)。そのレポートも届いており、学生たちはたった2回の講義でかなり揺さぶられたようです。10月24日からは私が戻って講義を再開します。
システム構築もよいけれど、極めて大切なのも分かるけれど、私はこの何百名もの学生たちの意識を覚醒させ、今後の日本および国際社会に力強く貢献してくれる人財育成の方に力を注ぎたい。
まだ6年近くありますので、天命を知るための努力を重ねたいと思います。