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昭和のプロレス:熱い観客

2023-04-21 06:29:59 | 日記
初の国内タイトル

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」では主役を支えた脇役達を振り
返っています。
今週登場するのはたった1回の来日ながらプロレス史に名を刻み込んだ
「ハンス・シュナーベル」。
それは決して誉められた功績では無いのですが。

 アメリカマットを転戦していた力道山とハンスは幾度か闘っています。
1952年7月までの戦績は引き分け続き、力関係が変わったのは8月
19日のサンフランシスコでの試合でした。
ここでハンスは初めて力に敗北を喫しています。
 2年後の54年8月6日に太平洋岸タッグ王者としてルー・ニューマン
と共に来日。
9月21日の最終戦まで全36戦が組まれた「国際試合シリーズ第2弾」の
目玉外人でした。

 6日の開幕戦は力道山・駿河海組の負け、7日は力道山がシングル戦で
ハンスに勝利。
8日は力・遠藤組が負け。
この3連戦はいずれも東京体育館で行われ、連日15000人の札止めを
記録しています。
 おおいに盛り上がったハンス組との対戦は9月10日の試合で決着をみます。
1本目は遠藤が反則勝ち、2本目に力がハンスを押さえ込んで日本組の
ストレート勝ち。
力道山の初の国内タイトル奪取が記録されました。
 でもハンスがプロレス史に残した出来事とはこれのことではありません。

NHKと日本テレビ

 試合に興奮した観客が騒ぎ出すのはプロレスではままあること。
日プロでは62年の力道山と豊登対リッキー・ワルドー、ルター・レンジ
戦で結果に不満の観客が暴れ出して警官隊が出動。
66年11月21日の東京プロレス板橋大会は観客が会場に放火。
72年11月27日の国際プロレスでは小林・草津組とブルーザー・
クラッシャー組の金網デスマッチの結果に怒った観客がリングを囲み、
機動隊が出動。
87年の新日では3月26日と12月27日の2回、観客が暴動を起こ
しています。
 プロレスの歴史には他にも多くの暴動が記録されていますが、記念
すべき初の暴動騒ぎを引き起こした犯人はハンスでした。

 3連戦の最終日、8月8日の試合は1本目に力がニューマンを体固め。
2本目はハンスが遠藤を体固め。
決勝の3本目は外人組が遠藤の髪を引っ張り力と交代させずに二人がかり
で攻撃を続け、ハンスがボディスラムを連発して押さえ込み。
この結果に怒った観客が暴徒化し史上初の暴動騒ぎが記録されました。
 ちなみにこの試合、NHKと日本テレビが生中継をしたという今では
信じられない記録も残しています。

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