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昭和のプロレス:鬼はアピールが苦手

2024-06-07 06:29:29 | 日記
異常な刺激

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」では主役を盛り立てた脇役達を
振り返っています。
今週は「金網の鬼、ラッシャー木村」です。
 力道山が作った日本のプロレスは、シリーズ毎にやって来る強豪外人
選手と日本人エースの対決が基本線。
 その流れを打ち破ったのが1974年3月19日に行われたアントニオ
猪木対ストロング小林の一戦でした。
主力級の日本人同士が戦うことはタブーとされていた時代だけに、異常な
程の刺激をファンに与えて以降の日本のプロレスの流れをも変えてしまいました。

 しかしこの試合より少し前に、エース級日本人対決が行われたことは
余り話題になりません。
73年の7月9日に行われた小林と木村の対決です。
 当時の木村の代名詞は金網の鬼。
70年10月8日にドクターデスを相手に日本初の金網デスマッチを敢行
し見事に勝利。
オックス・ベーカー、ザ・クエスチョンなどを撃破してデスマッチ路線をひた走り。
 それと並行して意外な程、多くの大物日本人との戦いを行っていたのでした。

秘密兵器の披露

 75年6月29日には同じ国際所属の井上を相手にIWA王座を防衛。
その後は猪木が叶えられなかった相手とも対戦。
12月17日に全日マットでジャイアント馬場と対戦するもブッチャーの
乱入があって敗退。
翌年の3月28日にはメインでジャンボ鶴田と対戦しダブルフォールの引き分け。
 6月11日には猪木が対戦するよりも2年も前に上田馬之助と戦って負け。
78年2月18日に馬場と再戦しリングアウト負け。
79年8月26日には小林と再戦してリングアウトで雪辱。
 その間に同門の草津や全日所属のキム・ドクとも戦っています。
しかしこれらの試合はそれ程ファンの関心を集めません。
その原因のひとつに木村のアピール下手がありました。

 木村にとって対日本人戦の原点ともいうべき73年の小林戦ではアピール
下手を露呈してしまいました。
 試合に先立って行われた専門誌の取材で木村はふたつの秘密兵器を披露
しています。
足を絡めて前転して絞り上げる「回転足四の字」とベアハッグの態勢から
相手の腕をとりリバースフルネルソンに持ち込んで絞り上げる「風車吊り」
どちらも写真付きの特集ページで華々しく紹介されました。
 しかし小林戦では共に不発。
従来から使っていた人間風車や十字チョップ、パイルドライバーは繰り
出しますが秘密兵器は出す素振りすらみせません。
 そのためとは言いませんが試合は惜敗。
何の為の秘密兵器の発表だったのかとファンは訝るばかり。
 華々しい舞台でけれんみたっぷりに新兵器を披露していれば木村はもっと
注目された筈。
その後に行われた対日本人戦ももっと光を浴びただろうに、残念至極な
アピール下手でした。




コメント
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