思いつくままに書いています

間口は広くても、極めて浅い趣味の世界です。
御用とお急ぎでない方は、ごゆっくりどうぞ。

🔴 パソコンむかし語り -2 🔴

2023年09月28日 | 日記
 
パソコンむかし語り、
前回に続き、その2です。
 
繰り返しですが、初めて買ったパソコンは、NECのPC-9801VX(以下98と略)でした。

1988年のことです。
 
当時98といえば、MS-DOSのパソコンではダントツのベストセラー。
 
NECの一人勝ちでした。
 
当時はバブルの直前で、町工場でもOA化投資が急増、その切り札がPC-98シリーズでした。
 
それらの工場では今なお多くが使われていて、その維持と交換の需要を当て込んで、大量に98を在庫している業者があるとのことです。


でも、私のようなホビーユースでは、コスパ悪すぎでした。
 
今ならスマホで普通にできることが、できない。😅
 
デフォルトでは音楽も鳴らないし、画像をきれいに表示するだけでも別途グラフィックボードが必要とかね。
 
動画再生なんて、夢のまた夢。
 
インターネットは遅いアナログモデムのダイヤルアップ接続で、文字ベースでの通信がメインの、マニアックな世界でした。


それはともかく。
 
一応98には、ワープロは「一太郎」、お絵かきソフトに「花子」、表計算ソフトはMicrosoftの「Multiplan」を入れてました。
 
どれも当時の定番ソフト。
 
なんですが、私はあまり馴染めなかった。Multiplanなどは数回触って放置。😅

( ↓ Multiplanの画面イメージです。Wikipediaより)



ワープロは、もっぱら専用機のキャノワードを使っていました。
 
事業終了後、解散した事務所から引き揚げてきたものです。
 
当時のワープロは、みんな粗いビットマップフォントで、印字品質はお粗末でしたが、キャノワードは60ドットでダントツにきれいでした!
 
2年ぐらいでCRTが壊れたけどね。😆
 
 
戻った古巣の職場に、まもなく富士通の財務会計システムが導入されました。
 
当然パソコンは富士通製。
 
なのでワープロソフトも「OASYS」。FEP兼用です。
 
それまでOASYSはまったく馴染みがなかったけど、使ってみたらキャノワードと似ていて、使いやすかった。
 
で、私はキャノワードが壊れたあと、98で一太郎を渋々使っていたのですが(世間には「」とかもありましたが)、やがて
救世主登場!!
 
それがツァイトの「
Z's WORD JG」、通称JGでした。
 
もう神ソフト!!
 
真打ちは遅れてやって来る、みたいな。
 
MS-DOSで、MacみたいなDTPができるなんてね。もう夢のよう。
 
えっ、ご存じない? そうですか。😅💦
 
とにかく、アウトラインフォントが使えて、ポストスクリプトにも対応しているという優れものでした。(私には縁のない機能でしたが)


友人に存在を教えられたときは衝撃的でした。すぐハマりました。
(遠い眼 👀)


 
あと、表計算では、「Lotus1-2-3」ね。
( ↓ Lotus1-2-3の画面イメージです。Wikipediaより) 

 
財会パソコンにインストールされていて、使いやすくて、これにも
どっぷりハマりました。
 
Multiplan」の陰気なインターフェース(殴)とは大違いで、使えば使うほど馴染む傑作ソフトでした。


もちろんすぐ自宅の98にも入れました。
  
マクロが超便利だった。
 
ただ、栄枯盛衰は世の常。
 
いいことは続かない。
 
JGLotusも、Windowsの普及に対応できず、あっという間に凋落し、メーカーは倒産しました。
 
3.1は様子見していたWindowsも、Windows95になってなんとか使えるようになったので、私もとりあえず富士通のデスクトップを買ったのはいいけれど、JGが使えないとわかって、本当にガッカリしました。
 
うまくWindowsに対応していたら、今の「パーソナル編集長」みたいな存在になっていたでしょうね。


逆にしたたかだったのはMicrosoft。
 
Multiplanのかわりに、ちゃっかりLotusとの互換性を盛り込んだExcelを売り出して、今では一人勝ちですね。
 
もっともExcelのマクロは、Visual BASICと統合して、Lotusよりさらに使いやすいですが。
 
 
結局私のようなホビーユースでは、98のコスパは全然よくなかった。
 
でも、サイリックスのアクセラレータを使って改造(ただの悪あがきとも)した経験が、PC/AT互換機を自作する上で、敷居を下げたという意味では、価値があったといえるでしょう。(とでも思わないと、大枚はたいた甲斐がない)
 
98はとっくに処分したけど、それを置いていたパソコンラックは、今なお使っています。😅
 

 
そういえば、MS-DOSからWindowsへの対応に失敗したという例では、データベース言語のdBASEも同じでした。
 
データベースシステム構築で一世を風靡したdBASE、私も道路(市道)占用許可を処理するシステムをバージョンで勝手に作って、窓口で4年間使ってもらいました。
 
当時専属でそれを使って仕事をしてくれた職員さん(女性です)は、今も在職していて、ボランティアに行った際に時々出会ったりします。
 
本格的にプログラムを書いたのは、後にも先にもこれだけ。
 
趣味を仕事に見せかけるという・・・。(笑)
 
ド素人でも取っつきやすくて、プリンタなど周辺機器も制御できるいい製品でした。
 
でもそれも、Windowsに対応できず、やがてフェードアウト。
 
諸行無常です。
 


 




 

コメント (2)
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