脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

笑顔では脳脊髄液減少症の過酷さは伝わらない!

2021年10月18日 | 心の葛藤
笑顔で、脳脊髄液減少症の話をしても、
それを聞いた人は、脳脊髄液減少症はたいした事のないものだと思う事てしょう。
そして、脳脊髄液減少の抱える問題点には全く気付こうとしないと私は思う。

たとえば、
原発事故の被害者が、故郷を追われて見知らぬ地の仮設住宅で暮らした苦労を「笑顔」で話しても、
笑顔の写真で記事になっても、
その記事を読む人にその悲しみや悲惨さは伝わらないと思う。

たとえば、
我が子や家族を理不尽な交通事故で失った人が、
笑顔でその無念さを話したとしたら、
交通事故の悲惨さや、残された遺族の悲しみも辛さが、
世の中の人に伝わるだろうか?

私は伝わらないと思う。

たとえば、
津波で、命からがら助かった人が、その一部始終の過酷な体験を「笑顔」で話しても、
その緊迫した状況が人に伝わるだろうか?

私は伝わらないと思う。

脳脊髄液減少症についても、
どんなに的確な記事でも、世の中に問題定期する記事でも、

患者の「笑顔」写真と共にの記事では、

多くの脳脊髄液減少症患者が今も抱える
何年経っても改善されない医療難民問題は、深刻さを持っては伝わらないと私は思う。

その記事を読む人は「治って良かったね」ぐらいにしか思わないでしょう。

お願いです。

もし、脳脊髄液減少症について、実名、顔出しで取材に応じる人たちは、
「笑顔」ではなく、
せめて、「真顔」で取材に応じてください。

「笑顔」の脳脊髄液減少症患者の写真は、同じ脳脊髄液減少症患者にとっては、回復への希望につながるでしょう。

ですが、
脳脊髄液減少症の抱える問題点を何も知らない人たちにとっては、

患者の笑顔は
脳脊髄液減少症の深刻さを伝えるよりも、
読者に
「たいした事のない病」
「そう、治ってよかったね。」で終わってしまうと私は感じました。

私は脳脊髄液減少症は、回復しても今もなお、とても笑顔では話せません。

それは、
MRIも普及していなかった時代の発症で、
今の若い患者が生まれる前の時代から、脳脊髄液減少症に苦しみ、
「そんな病気ない。」とされた過酷な時代を生きぬいてきたからです。

平成の終わりごろから、令和になる4年まえごろ発症の、
脳脊髄液減少症が「そんな病気ない」と言われなくなった最近の
脳脊髄液減少症患者とは比べ物にならないくらい、
医師や周囲の無理解に苦しみ、診断まで長く放置されて苦しんだからです。

お願いです。

笑顔ではなく、
真顔で伝えてください。

脳脊髄液減少のこと。


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