脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

どなたか・・・・

2010年05月28日 | 心の葛藤

ここを訪れてくださっている方の中で、
私と同じように、自分にはまったく落ち度のない交通事故での
発症の方、いらっしゃいませんか?

なおかつ、脳脊髄液減少症の病名判明まで、事故から10年も20年もかかった人は
いらっしゃいませんか?


「脳脊髄液減少症」を発症しながら長い間それとはわからないまま、放置され、
医師や周囲の無理解の中、10年以上孤独に苦しみ続け、
それでも必死になんとかがんばりぬいて、無理に無理を重ねて、なんとか社会に適応しようとして生き抜いてきた方、いらっしゃいませんか?

やっと最近になって、「脳脊髄液漏れ症だった」とわかって
治療にたどりついても、

病名判明までの10年以上の長い時間の間に、
医師や家族や社会の誰にも症状の苦しさを理解されなかったために、

心に深い傷を負ったまま、
今も回復することのないその「深い心の傷」や「人間不信」に
苦しんでいる方、いらっしゃいませんか?


これらのすべてを満たす患者様、
いらっしゃいませんか?

ネット上では、患者のなりすましもできるけれど、
そうではなく、

本当に私と同じように病名判明まで10年以上かかった人はいらっしゃいませんか?

脳脊髄液減少症の早期発見が遅れることで引き起こされる
さまざまな恐ろしさを知っているのは、

少なくとも10年以上、
脳脊髄液が漏れたまま、

病名もないまま放置され続けた人たちだけだと
私は思っています。

病名もないまま10年以上生き抜いて、
今「脳脊髄液減少症」の病名や治療にたどりついた人たちは
「サバイバー・(生存者)」だと私は思っています。


私は、今、同じ「サバイバー・(生存者)」に出会いたいのです。

どなたか、
私と同じような経験をお持ちの方いらっしゃいませんか?


今、私はさまざまな葛藤が心に渦巻き、
とても苦しいのです。


今の私を救ってくださるのは、

私と同じか似た経験をされた

患者様だけだと思うのです。

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24 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
もし・・・いらっしゃったなら、 (ゆめ)
2010-05-28 23:55:31
こちらへ・・・どうぞ。
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脳脊髄液減少症 (ひろ)
2010-05-29 16:38:11
追突事故からこの病気になりました。ただ事故から半年で髄液漏れは分かりました。この病気の患者さんは 漏れが止まっても苦しんでる患者さんは一杯います。 漢方薬・鍼灸等で回復を目指す他 ないと思います。
返信する
最低でも10年以上 (ゆめ)
2010-05-29 18:48:07
病名がわからず、
被害者なのに
適切な支援を受けられなかった方
どなたかいらっしゃいませんか?

返信する
もうすぐ8年ですが・・・ (ぶたうさぎ)
2010-05-30 16:35:32
渋滞中に追突され、もうすぐ8年です。当然、症状固定で示談も終わり、弱者の泣き寝入りだと思っていたころに脳脊髄液減少症の名前を知りました。症状はぴったりなのですが、医療を受ける費用が用意できません。
仕事もできず、家事も十分にできません。諸々の症状が後を追うように出、来年はどうなってしまうのだろうと不安ばかりです。
返信する
Unknown (ちー子)
2010-05-31 02:47:16
私は、17年前に事故にあい、寝たきりになり、4年前に検査し、BPしてもらえなくて1年放置され、激悪化し、3年前に初BPで、その後、また、怪我し、ひどい状態になり、またBPし、まだ、今後もBP予定です。
返信する
同じ症状 (kapitan)
2010-05-31 11:57:56
停車中激突される玉突き交通事故の中球。

43時間後、診察待合中に一気に呼吸困難脱力痺れ、それからあらゆる症状の生き地獄の「むち打ち症」発症。

そのまま109日入院。事故以来8年と7ヶ月になります。 入院中、退院後にわたり夢さんと同じ体験をしています。

ですからゆめさんの体験、また、まだ言われていないことまで想像できます。

同じ症状のむち打ち症患者がいるはずだと、毎日毎日「むち打ち症」HPを一つ一つ消去しながら、退院後10日目に「むち打ち症患者支援協会」のHPにたどり着きました。

ゆめさんと同じような方が沢山おられ、ゆめさんのHPで癒され元気付けられています。 がんばりましょう。
返信する
みなさん・・・ (ゆめ)
2010-06-01 13:37:33
コメントありがとうございました。

でも、やっぱり10年も20年も30年も前の事故での脳脊髄液減少症の方は
ネット上にはあまりいないみたいですね。

いるんでしょうが、事故当時
運転していて30歳代の方は
30年たった今は60歳代、

事故当時40歳代の働きざかりだった方は30年たてば今70歳代、

当時50歳代だった方は30年たった今なら80歳代

となっていますから、

サバイバー患者様がいても、ネット上には現れにくいものと考えています。

今から30年前、幼児だった人、学童だった人、
青年期だった人で親や誰か他の大人の運転で同乗していて事故にあって、脳脊髄液減少症を発症しながら生き残っている人がいても、

20年30年たっても、

自分のずっと続いている不調が、
脳脊髄液漏れという事故の後遺症だと気づくことができないままの人たちも
数多くいると思います。
返信する
40年近いひとが・・・ (ぶたうさぎ)
2010-06-01 15:46:58
ご近所の80歳近いおばあさんが、40歳で追突事故にあい、「むちうちは一生つらい」と励ましてくれます。
鎮痛剤は離せず薬でのトラブルも多く抱えてます。当時姑に「なまけ病」とののしられたとも。少し家事をしては耐えられずに横になる暮らしをしながら、
「まだ、あの世からお迎えが来ないということは、こっちで頑張らないと仕方ない。でも生きてるからいいこともきっと何かあるから、まだ10年経ってないのにまだまだ<ヒヨコ>ちゃん」と私に言います。
脳脊髄液減少症の話をすると、「これで『なまけ病』と言われなくて済むねと嬉しそうでした。
返信する
はじめまして (YOSHHK)
2010-06-01 20:10:51
はじめまして。いつもゆめさんのブログを読ませて頂いています。脳脊髄液減少症の患者の気持ちを伝えていると感じます。
私も交通事故被害で脳脊髄液減少症になりました。事故から、脳脊髄液減少症と診断されるまで8年掛かりました。それまでの間、家庭は崩壊寸前でしたし、非常に辛い思いもしました。
2回のブラッドパッチを受けて症状が良くなりましたが、週1回の水分補給点滴をしないと、日常生活、社会生活が過ごす事が出来ないです。
見た目に健康そうに見えるので、健康な人と比べられたりして、体調により出来ない場合は怠け者と見られたりするのが社会生活を送る上で非常に辛く、無理を承知で仕事をしなければならない現実があります。
脳脊髄液減少症の知名度UPにつながる様にホームページやブログに記入していますけど、お互いに少しでも進展する様に頑張って行きましょう。
返信する
ちー子さん・・・ (ゆめ)
2010-06-01 21:02:43
そうでしたか・・・

私と同じ10年以上の病名なしの
しかも医療から放置組の
お仲間ですね。

お互いつらい思いをしましたね。

でも、つらくても生きてきたからこそこうした出会いもあるのですね。

仲間が見つかってほっとします。
私ひとりじゃないって思えて孤独感が少しやらわぎます。

コメントありがとうございました。

それ以外の短期組の皆さんも
コメントありがとうございました。
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