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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

【AKB48】 AKB48ファミリーの年齢分布図と、地方アイドルの経済モデルの確立

2011-10-23 22:55:52 | AKB48
やはり図にするとわかりやすい。



個人的には、HKT48の平均年齢が13.8歳というところが趣き深い。
これは、AKB48がそうであったように、育てる期間を多くとるということではないか。
NMB48は大阪が大都市圏ということもあるし、東京(AKB48)と対抗し得るライバル性ということもあって、最初からマス展開を視野にいれたグループであったが、当初から心配されたように、その路線が裏目に出ている部分も多く見られている。
よって、HKT48は時間をかけて地道にいくような気がしている。
日本国内で考えると、都市圏での競争は激化していくので、今後は地方圏の市場をしっかり固められるかが重要となるからだ。

そのためにも、支持される基盤、とりわけ地方アイドルの経済モデルを確立することが重要である。
でないと結局、都市圏での競争に巻き込まれることを意味し、パイの取り合いになるだけだからだ。
都市圏経済に依存しないビジネスモデルを構築できるかが鍵であり、HKT48は、それに挑戦するグループなのだと、とりあえず考えておくことにする。

IT革命がメディアの特性を強調し、社会に変化を与えている

2011-10-23 22:49:36 | 哲学・思想
前回のエントリを少し補足しておきます。
IT革命による社会的イノベーションの本質  ~新文化人と旧文化人~

メディアとはメッセージである。


これはマーシャル・マクルーハンの有名な言葉だ。
マクルーハンはメディアを情報密度の高い「熱いメディア」と、情報密度の低い「冷たいメディア」とに定義した。
これは抽象的な概念で、この定義に厳密にこだわることに意味は無い。
(どのメディアが熱くて、どのメディアが冷たいかという事を真剣に考えるのは時間の無駄だ。)
ただ、この定義が言わんとしていることには大きな意味がある。
彼はこう言う。


ラジオのような「熱い」(hot) メディアと電話のような「冷たい」(cool)メディア、映画のような熱いメディアとテレビのような冷たいメディア、これを区別する基本原理がある。熱いメディアとは単一の感覚を「高精細度」(high definition)で拡張するメディアのことである。「高精細度」とはデータを十分に満たされた状態のことだ。写真は視覚的に「高精細度」である。漫画が「低精細度」(low definition)なのは、視覚情報があまり与えられていないからだ。電話が冷たいメディア、すなわち「低精細度」のメディアの一つであるのは、耳に与えられる情報量が乏しいからだ。さらに、話される言葉が「低精細度」の冷たいメディアであるのは、与えられる情報量が少なく、聞き手がたくさん補わなければならないからだ。一方、熱いメディアは受容者によって補充ないし補完されるところがあまりない。したがって、熱いメディアは受容者による参与性が低く、冷たいメディアは参与性あるいは補完性が高い。だからこそ、当然のことであるが、ラジオは例えば電話のような冷たいメディアと違った効果を利用者に与える。


つまり、こうだ。
情報密度の高い熱いメディアの場合は、受け手側で情報の補充なり補完なりをする必要がないので、受け手側の参与性が低い。
反対に冷たいメディアの場合は、受け手側が情報の補充なり補完をする必要があるので、受け手側の参与性が高い。
この2つのメディアに関する違いは、受け手側にに異なる効果を与える。

これは直感的だ。
新聞やラジオよりテレビの方がイメージを与えるのには適している。
百聞は意見に如かずではないが、文字や音声だけで説明されるより、映像で見たほうがイメージは持ちやすい。
逆に、何かの数値や手順といった詳細情報などは、映像よりも文字であった方が漏れが無く伝わりやすいだろう。
どちらが優れているかではなく、特性の違いである。

しかし、世の中の一般的な考え方はこうだ。

冷たいメディアより、熱いメディアの方が進んでいる。
だから時代は、冷たいメディアから熱いメディアへと移行していくのだ。

これはある側面では真実だ。
冷たいから熱いへの移行は、技術の進歩と関連している。
新聞 → ラジオ → テレビ → ハイビジョン・テレビ という流れは技術の進歩によってもたらされた変化だ。

だが、ここでも注目すべきIT革命による社会的な変化がある。
それは、Webの広がりによって、冷たいメディアである文字情報がメディアの主役に返り咲いたということだ。
勘の言い方はもうおわかりだろう。
そう、この変化は「マスの崩壊」とも関連している。
最近皆が「ごり押し」と感じることにも。

前回のエントリでも述べたことにつながっているのだ。
前エントリでは、情報の交換技術が進化し、情報が断片化されたことで、違いが先鋭化されたと説明した。
マクルーハンの言葉で言えば、受け手側の参与性が高いメディアが、IT技術によって力を得て、人々に自分だけの物語をつむぐ余地を作り出したということだ。
人々が扱う主要なメディアが変化したこと、そのメディアの性質によって、社会全体に変化が起きているというイメージを、ここで少しでも共有できれば幸いだ。