久しぶりに本気出して書いてみました。が、書いた後に読み返してみたらヒドイ文章ですね。後で文章校正するかもしれません。
内容について気になる点やおかしな点、議論したい点などがあればご指摘頂けると嬉しいです。
違いが災いの元ではなく恵みであるためには、交換がためである。
分業は資本主義の基本的メカニズムと言われているが、この分業を可能にするのは交換だ。
交換できなければ、生きるための全てを賄わねばならず、特定の仕事に特化することができない。
交換を可能とする技術は時代とともに進化してきた。
池田信夫氏が言うように原始の時代に物々交換が存在したかどうかはわからないが、ドルや円の前にも、古くは絹や米などが貨幣として交換手段になっていたし、今では電子マネーやら電子決済という形態など様々な形での交換も可能となっている。
そして、今、IT技術の進化が、この交換にまつわる状況を急激に変化させ、社会的構造を大きく揺るがしている。
モバイル技術やクラウド技術の進化が不偏的な情報アクセスを可能にし、Webが、映像、音声、テキストなど電子化できるあらゆる情報へのアクセスコストを限りなく0に近づけているのだ。
さらに、BlogやSNS、とりわけTwitterなどのサービスは情報を細分化・断片化し、その断片化された情報を収集し、編集し、整理し、再構成することも技術の力で容易にした。
端的に言おう。
あらゆる情報が断片化され、交換可能になっているのだ。
これがどのような社会的変化をもたらすだろうか。
本エントリの初めの文章に戻ればわかるだろう。
違いが災いの元ではなく恵みであるためには、交換がためである。
あらゆる情報が交換可能となれば、違いが恵みとなり分業が進む。
つまり、このような社会においては、「違い」が先鋭化するということだ。
これは現在進行形で起きている変化だ。
そして、もう1つ見逃せない変化がある。
情報へのアクセスコストが限りなく0に近づくと、情報が自分のところにある必要がなくなる。
外部に整理された情報があり、その情報にいつでもアクセスできるのであれば、自分のところで解釈し整理する必要がなくなるのだ。
自分が整理したいと思う情報のみに専念し、他は外部から調達するのがよい。
交換技術の進化によって、ここでも分業が進むのだ。
この分業は非常に興味深い社会的変化をもたらす。
比較的に大きな物語や文脈といったものを練り上げるためには、ある程度の総合的な知見が必要であり、"専業化したい人々"には苦しい作業になる。
こうした専業化したい人々が、外部から大きな物語なり文脈を調達するようになるのだ。
そして、自分たちは自分たちの専念したいことに取り組む。
これがソーシャル・ネットワークにおいて、数多くの文脈のない言葉たちが生まれるメカニズムである。
発信者の意思(情報)はネットワーク上に偏在しており、発信者の意図を読み取るには、ネットワーク上に偏在している情報を統合する"Key"が必要である。
外側にいる人は、それらの情報を統合する"Key"を持っていないため、文脈のない情報に見えるのだ。
それはまるで暗号のように。
しかし、ソーシャル・ネットワークの世界では情報は都市化され城壁に囲まれているため、Keyは外側には見えない。
この問題は、これから、いや既にはじまっている新しい時代の要点となるであろう。
城壁を超え都市と都市をまたぐKey、今は、その可能性を探る長い旅の始まりだ。
★★★★★★
これまでの時代は、どちらかといえば大きな物語を皆で共有する時代であった。
人々は情報の交換手段として、マス・メディアのような大きな情報しか扱えないメディアに依存していたからだ。
また、マスメディアには双方向性や直接的なアクセス手段がなかったため、人々が手にすることのできる情報は限られていた。
これがIT技術の進化、インターネットの普及によってEnd to End、そして小さな情報を扱えるようになると、様相は大きく変わる。
人は、内面的作業の充実に飢えている。
その機会をより多く得るために、情報の交換手段の進化は福音だ。
人々は、この交換手段に飛び乗った。
自分だけの物語を紡ぐのに、現在ほど恵まれている時代は無い。
この進化した情報の交換手段を獲得した人と、そうでない人の間には、深い文化的な溝ができている。
前者は進化した新文化人であり、後者は旧文化人である。
新文化人にとってIT革命はイノベーションであり、人類はブルーオーシャンを見つけたわけだが、旧文化人にとってのIT革命は文化の破壊に見えるであろう。
ITは人類にとっての破壊的イノベーションなのである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます