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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

クリエーションの時代

2011-05-21 02:53:39 | ビジネス
夜中の適当エントリです。

「デジタル革命」なんて言葉は既に古いけれど、第2のデジタル革命はこれから訪れると思う。
クラウドの発展と無関係でない。
要は圧倒的なコンピューティング・パワーがどこに向かうのかという話だ。
むしろ、ようやくコンピューティング・パワーを活かせる時代になってきたという見方がより正しいかもしれない。
パワーとアルゴリズムがあっても、そこに入力する情報が不足していたのでは話にならないわけで、その情報がどこから来るかといえば、ハードが必要だ
ソフトの進化とハードの進化は切っても切れない関係なのだ。

で、私が考えるデジタルの本質は「クリエーション」だと思う。
創造できちゃうところ。
単純に考えると

「記録」→(クリエーション)→「再現」→(クリエーション)→「デコる」

の流れは起きると思う。
もちろん長期的にはもっと大きな変化は起きていくだろうけれど、これは中期的な話だ。

「それってバーチャルじゃないか」って指摘は正しい。
そうバーチャル。
デジタル×インターネットの時代に何が語られていたかというと、「バーチャルとリアルの融合」なんてことだった。
私は全くしっくりこなかったのだが、今になってようやくその意味がわかる。
「融合」の受け取り方を間違えていたのだ。

「融合」の意味は、「バーチャルとリアルの距離が短くなる」とか「(よく聞く無内容なワード)有機的な結合」なんてことではなかった。
「融合」=「バーチャルとリアルの区別の意味がなくなる」という意味だったのだ。

どういうことかちょっと説明する。

世の中的に、ずっとバーチャル・コミュニケーションは結局リアルを指向していると言われてきた。
結局さ、人間ってリアルが欲しいんだよってある種悟った意見が支配的だった。
だけど、今振り返ってみると、全然的外れな意見だと思わざるを得ない。
人が求めているものはバーチャルやリアルという次元では語れないものだったのだ。

韓流は流行るしアダルトサイトは消える予兆もないし、アイドルやゲーム、2次元ファンは腐るほどいる。
一般的な俗説は、そういうものは現実に合わせた妥協的産物なのであって、本当の欲求を誤魔化すためのものにあるとする。
馬鹿げた意見だ。
韓流アイドル追いかけている人が妥協でDVD買っているのか。
違うだろう。
それ自体が目的になっているのであり、リアルかバーチャルかなんて区別はどうでもいい話だ。

それもそのはずで、人間の脳の中で現実と仮想の区別はない。
全てが同じ次元の事象として認識されている。
「私は彼と本当は付き合いたいけれどコンサートで我慢しています。」なんて言う人いないだろう。
(私は妄想族なのですごくよくわかる。妄想族は妄想を現実としてみる。)

つまるところ、リアルもバーチャルもメディアでしかないのだ。
だからプリクラは進化して画像処理するまでになった。
プリクラを使う彼女らにとって写真が100%現実かどうかなんてことはさほど重要でない。
よく考えたらアイドルのグラビアだって画像処理されているのが普通だし、整形も一般的に行われている。
今のプリクラで撮った写真を交換すること考えたら、多分行き着く先はアバターだ。
こうなってくると実名か匿名かみたいな議論なんてあまり本質的でなくなってくる。
どっちでもない都合よく処理された自分を欲するようになるだろう。
そもそも人格すらペルソナ的観点で考えれば仮想なのだから、やはりリアルかバーチャルかなんて道具でしかないのだ。

この議論を突き詰めていくと、もうずっと前から人間って何に動かされて生きているの?っていう話になってくる。
世の中的には、生存欲求だとか種の保存だとか言われているが、そんなこと考えると生物学的な欲求に支配されていると言いたくなってきて、リアル指向にいってしまう。
多分、ここに分水峰があるのだろうと思う。
もし、生物の根源的欲求が生存欲求でも種の保存欲求でもなかったら?と考える。
リアル指向って実は手段でしかないのかもしれないという考え方の選択肢が出てこないだろうか。
私はもう何年も前から生存欲求なんか表面的なものとしか思っていないから、リアル指向的発想はとうに捨てているのだが、まぁ多くの人には受け入れがたいことなのかもしれない。
でもあえて言っておくと「知的好奇心」に勝る欲求はないのだ。
生きるのも子孫を残したいのも「知的好奇心」を充足させたいがためである。
まぁ細かい話はここでは避けるが、そう考えると、リアルもバーチャルもメディアであり手段でしかないという発想を理解できるのではないだろうか。

話を戻す。

人間は結局リアル指向なのさと思うと「リアル指向のバーチャル技術」を考えてしまうけれど、私のようにそうでないと思う人は「リアルとバーチャルの区別をなくしていく技術」を考えるようになると思う。
リアルなんて指向しなくていいんだよ。
都合のよい自分で都合のよいコミュニケーションがとれればそれでいいんだ。

そういう観点からすると、これからはデジタル技術によるクリエーションの時代がくると思うんだ。


拡張現実というのはいい線いってる発想なのだけど、もともと人が認識している事象は拡張された現実で、それを技術の力でエンハンスしようって発想だとより正しい気がする。

技術が社会を規定する。
それは人の潜在的に閉じ込められた感性を技術が解放するからだ。

まぁ夜中の弱った頭で考えたかなり適当な論考なのだけれども。

悔しいが菅直人の術中に嵌らざるを得ない 浜岡原発議論停止

2011-05-12 18:50:54 | 政治
つぶやきを再構成してお送りします。

私は悔しい。
浜岡に関する議論をすればするほど菅直人の術中に嵌ることになるからだ。

浜岡原発の停止要請に見る、民主党の本質 - (常夏島日記)
http://j.mp/kArENx

[前略]

民主党は、目的が民意に沿うという決意をした場合には、民主的プロセスの中で法解釈を変え、あるいは情報を隠すことにためらいはない、そういう政党です。
「民意に沿う」ことを、全力で、手段を問わずやる政党、それが「民主」党です。

[中略]

いちいち関係者全員のコンセンサスを取っていては、抜本的な改革はできない。民主主義における最終目的は国民の幸せであり最終手段は国民の要請なのだから、為政者(経営者)がこれが正しいとおもうことを手段を問わずやって何が悪い。俺たちはそれで企業経営に成功してきた。とそういうわけです。

その意味において、民主党のやり方は必ずしも否定されるべきものではないわけです。むしろ、自民党的な、あらゆるところでコンセンサスをとりに行く方法が限界にぶち当たって、みんなの自由のわがまま放題を許したが故にみんなの幸せを見失って実現できなくなったからこそ民主党が政権に就いたとも言えます。


民主党が「民意」に根ざした民主主義政党だとしよう。この場合、民主党がどこを向いて「民意」を捉えようとしているかが民主党の在り様を知る上で重要だ。だが、もっと重要なのは基本的姿勢である。「民意」に対して「真摯」であろうとしているかという点である。「マネージャには根本的な素質が必要である。真摯さである。」と言ったのはドラッカーだ。

真摯さという素質を持つ者は、好かれている者よりも尊敬を集める。一流の仕事を要求し、自らにも要求する。基準を高く定め、それを守ることを期待する。何が正しいかだけを考え、誰が正しいかを考えない。真摯さよりも知的な能力を評価したりはしない。

真摯さは、とってつけるわけにはいかない。既に身につけていなければならない。ごまかしがきかない。ともに働けば、その者が真摯であるかどうかは数週間でわかる。部下たちは無知や無能、態度の悪さや頼りなさには、寛大たりうる。だが、真摯さの欠如は許さない。決して許さない。

真摯さという素質を欠く者は、いかに愛想がよく、助けになり、人付き合いがよかろうと、またいかに有能であって聡明であろうと危険である。

無能や無知が問題なのではない。なぜならそれらは何らかの形で補完できるものだからだ。しかし、真摯さの欠如は重大な問題だ。それは補うことができないものだからだ。ドラッカーが組織社会のマネージャの絶対条件として真摯さを挙げた理由は、その欠如を組織の力で無効化できないからである。

浜岡原発停止を「大英断」などと評価してる人は「英断」の意味を知らないのだから全く信用ならない。「英断」とは、大きな犠牲の上にそれでもある目的の為になされる決断を言う。それは「決断」という意味を考えればわかる。「決める」と「諦める」は同義語なのだ。諦める必要がないのであれば決める必要がない。何かを諦めなければならない状況に身を置くからこそ決める必要が出てくるのだ。よってあらゆる政治的決断には犠牲が付き物である。浜岡原発を停止することの犠牲についての説明はあったか。覚悟を持って決断をしたなら、何かを諦めたはずだろう。それは何か。

この諦めた部分の説明にこそリーダーの真摯さは如実に表れる。そこにその者の覚悟も読み取れるのだ。本気で浜岡原発を停止したいと考えたなら、どうして手続きを踏まなかったのか。手続きを踏もうとすれば潰されるからか。混乱を生むのがわかっていて緊急会見で要請しなければならなかったのは何故か。それが唯一停止を実現できる方法と思ったからか。何よりも真摯であろうとしたか。私が不感症だからなのか、菅総理にも枝野官房長官からも真摯さを読み取ることはできなかった。

小幡さんの分析があまりにも核心を突いている。
浜岡について議論しようとしている時点で、私は菅直人のスキームにはまってしまっている。
悔しいことだ。

浜岡原発 天才菅直人(小幡績)
http://agora-web.jp/archives/1324290.html

菅直人が久々に政治家として力を発揮した。

彼ほど徹底したポピュリズムを目指し、かつ人気が上がらない総理は歴史上存在しないが、政治家としての面目躍如だ。

浜岡原発の停止要請は完璧なスキームだ。これを直感で決めたのなら、やはり彼は天才であるし、日本にとって彼は天災だ。

中部電力が抵抗すればするほど、経済界の重鎮が反発すればするほど、自民党や民主党内の良識派が玄人的な批判をすればするほど、彼は英雄になる。既成勢力と戦う革命的運動家として。小泉の手法を野党的に反社会活動家として応用したらこうなる。

これが本来の彼の姿だ。国家に対する反発、アナーキズム。体制というものは破綻させるためにあるのであり、やや混乱した社会における人々の閉塞感の波に乗り、さらに混乱させて権力と戦う英雄になる。

そのスタイルは権力を持っても変わらない。

中部電力も経団連も自民党も、日本経済を真に憂い、日本政治、日本社会の公正な運営を願う人々も、実体のない不安で膨らんだ原発反対ポピュリズムの前では、彼のこのスキームにかなわない。

プロセスを踏まず、総理自身が突然会見するのは、このスキームの最重要ポイントだ。総理一人が孤独に、果敢に戦う姿を大衆に見せ付けなければならない。社説も編集員もそれは既得権益の強いものたち、大衆の敵だ。彼らの批判は彼にとっての快楽だ。

だから、浜岡だけでいい。他の原発を止めれば大衆の生活が眼に見えて苦しくなり、不満が高まる。だからこれだけで必要十分なのだ。原発の安全性などどうでもいい。スリーマイルのような人為的な単純ミスでの事故は気にしない。それは電力会社のせいだから、もう一度、自分がそれを糾弾し英雄になるチャンスが増えるだけのことだ。人々が不安なのは、地震と津波。それだけを利用するのだ。

したがって、私は彼の人気を高めるようなまともな議論は浜岡に関してはしないこととする。

PASSPO(ぱすぽ) 女性グループ初の初登場首位デビュー

2011-05-11 12:15:10 | ブログ情報(News Release)
当Blogでも紹介した『PASSPO(ぱすぽ) を見て感じた生の重要性』が、なんとオリコンランキング週間1位をゲットしたようです!

【オリコン】CA風アイドル・ぱすぽ☆、女性グループ初の初登場首位デビュー
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110509-00000331-oric-musi

女性グループによるデビューシングル首位は、1998年3/30付のKiroro「長い間」(1998年1月発売)以来、13年2ヶ月ぶり。初登場での首位デビューは、1968年1月のオリコンシングルランキング発表開始以来、史上初の快挙となった


新生グループのプロモーションとしては、まずまずの出ではないでしょうか。
この1位が瞬間最大風速にならないよう、彼女らには継続的にがんばってもらいたいものです。

以下、過去の記事より。


私は古い人間なので「みなとみらい=コスモワールド」という図式が成り立つ人なので、飽きもせずコスモワールドにいたわけです。

すると、2週連続で「PASSPO」という旅をテーマにした10人組のアイドルグループのコンサート&握手会などをやっているじゃありませんか。
失礼ながら私は「PASSPO」なるグループを知らなかったのですが、実際コンサートが始まるとそのパフォーマンスのレベルの高さに驚きました。
歌やダンスの質の高さもさることながら、ステージの上に立つ彼女達が"表現者"としてプロフェッショナルであろうとし、そのために大変な努力をしているのであろうことが、彼女達のことを何も知らない私でもその場にいてすぐにわかりました。
細かい動きや視線、息づかい、場の雰囲気、またファン達ステージを見つめる人達への彼女達からの気づかいなど、TVやネットだけ見ていては気づけない、歌やダンスだけに還元できないそのアーティストの魅力というのが、実感として理解できました。

彼女達がブレイクするかどうかは別として、生で見る彼女達のパフォーマンスの質はプロだと思いました。
プロフィールを見るとまだ20歳以下ということがわかったのですが、自分が20歳の時などのことを考えると恥ずかしくなります。

それにしても、おそらく、TVやネットだけで「PASSPO」を見ていたら、私は彼女達に何の魅力も感じなかったでしょう。
現に、彼女達のオフィシャルサイトやブログを見ても、良さがいまいちわかりません。
他にもアイドルは山ほどいるからで、違いが出にくいのです。
だから、多くの場合は、どの程度プロモーションに投資するかによって大勢が決まってしまうものです。

でも、生で見てみると、わからなかった魅力に気づくものです。
他との違いではなく、そのものの価値や魅力に気づけるのです。
TVやネットでは伝えることのできない魅力がそこにあるからです。
(だから直接行って感じる例えば旅行もなくなりはしない)

逆にTVやネットでは、そのものの価値や魅力に気づけないからこそ、他との差分が非常に重要になってしまいます。

TVやパッケージメディアが凋落し、ネット全盛の時代と言われますが、そういう状況だからこそ、こういう生の情報を伝えていくか、マーケティングでは、これを考えていく必要があるでしょう。
生の感覚を得る機会をどうやって増やしていくか、そういう意味ではAKB48のビジネスモデルは間違っていないと思うわけです。

まぁ結論はありきたりな話になってしまいましたが、人間というのは不思議なもので、こういう人の努力を感じると少し応援したくなるものです。

福島の放射線量の推移と、その考え方について

2011-05-08 08:52:55 | ブログ情報(News Release)
つぶやきを再構成してお送りします。

基本的に二元論は低レベルな議論。例えば20mSvを巡る議論も基準値を上回るか下回るかという二元論に終始するから基準値をどう設定するべきかのような非生産的なものになる。下回ろうが被曝線量を出来うる限り抑える努力はすべきだし、上回ったからといって即座に退避して既存生活を壊すべきでない。

二元論は想像の世界にしか存在しない。この世には純粋な白も黒も存在しないのだ。存在するものは全て相対的だ。だから二元論が有用なのは論理の単純化が必要な場面でのみだ。しかしそれは実態を表すわけではない。20mSvかどうかにこだわることが真に重要な事なのかよく考えた方がいい。

まず、現状認識として、基本的に環境放射線量がどう推移しているかについて、岡山大学大学院の北脇知己氏の『(5/7版)放射線量変化モデルによる、積算放射線被曝量と今後の放射線量の推定』から抜粋する。

要点としては、

当初の予測通り、放射線量は短中半減期の影響はほぼ収束している。
(これは、3/15の大量の放射性物質の放出以降、大きな放射性物質の放出がないことを示している。)
一方、現在は長半減期(Cs137由来と考えられる)の放射線量が残っている状況であり、現時点での放射線量が大きな地域では、今後の放射線量の減少は期待できず、長期的に大きな影響が残ると考えられる。
このため、現時点での放射線量が大きな地域では、今後の放射線量の飛来がないとしても、これからの放射線量の減少は期待できず、長期的に大きな影響が残ると考えられる。


で、実際にどう推移しているか図にすると







100日間の積算値は、飯舘で13.17mSv、福島で6.07mSv。
(飯舘でCT検査2回分、福島でCT検査一回分の放射線被曝量程度。)
年換算すると、飯舘では 27.6mSv/年、 福島では、13.0mSv/年 の被曝が予想される。

論点は幾つかある。
現時点では、短中半減期の放射性物質の影響が収束しているので、これから現地に滞在しても積算値は大きいものにならないが、3/15当時から福島に滞在している人たちの積算値は高い。これをどう考えるか。問題の20mSvはあくまでも積算値であるので、放射線量の推移についての認識を持たずして議論するのはナンセンス。
(箇所によっては強い放射線量を残す部分があるかもしれないが、現地入りした測定部隊の結果を待つしかない。)
長期半減期の影響が残るので現地での被ばく線量のベースラインは長期的に他地域に比べて高くなるが、低放射線量の影響は確定的な科学的根拠は無く、影響があるともないとも言えない。言えば嘘になる。これをどう考えるか。

時間がないので、簡単に個人的見解を述べる。
安全方向に判断基準を倒して、避難すべきとしても、その時期と、その間の対応策についてより具体的な計画が必要だ。以前にも当ブログで取り上げたが、長期被曝について考える時、まずは放射線量を抑止・低下させる施策を早急に実施すべきだ。例えば、長期被曝の場合、放射性物質が降ったことによる土壌汚染の影響がほとんどなので、表土を取り除くと効果が出ることはわかっている。実際に効果がわかるデータもある。
あくまで私見だが、退避するなら3/15時点でしていないと意味が無かったので、今更持ち出しても心理的影響を除けば、コストがベネフィットを上回ると思う。よって、どうやって生活環境を改善するかに頭を使った方がよいと思うし、政府も事故当初の対応の遅さや誤りを認めて、そう説明すればある程度の納得を得られるのではないだろうか。


表土を取り去るのは本当に効果的
福島学校測定から1ヶ月の変化率