夜中の適当エントリです。
「デジタル革命」なんて言葉は既に古いけれど、第2のデジタル革命はこれから訪れると思う。
クラウドの発展と無関係でない。
要は圧倒的なコンピューティング・パワーがどこに向かうのかという話だ。
むしろ、ようやくコンピューティング・パワーを活かせる時代になってきたという見方がより正しいかもしれない。
パワーとアルゴリズムがあっても、そこに入力する情報が不足していたのでは話にならないわけで、その情報がどこから来るかといえば、ハードが必要だ
ソフトの進化とハードの進化は切っても切れない関係なのだ。
で、私が考えるデジタルの本質は「クリエーション」だと思う。
創造できちゃうところ。
単純に考えると
「記録」→(クリエーション)→「再現」→(クリエーション)→「デコる」
の流れは起きると思う。
もちろん長期的にはもっと大きな変化は起きていくだろうけれど、これは中期的な話だ。
「それってバーチャルじゃないか」って指摘は正しい。
そうバーチャル。
デジタル×インターネットの時代に何が語られていたかというと、「バーチャルとリアルの融合」なんてことだった。
私は全くしっくりこなかったのだが、今になってようやくその意味がわかる。
「融合」の受け取り方を間違えていたのだ。
「融合」の意味は、「バーチャルとリアルの距離が短くなる」とか「(よく聞く無内容なワード)有機的な結合」なんてことではなかった。
「融合」=「バーチャルとリアルの区別の意味がなくなる」という意味だったのだ。
どういうことかちょっと説明する。
世の中的に、ずっとバーチャル・コミュニケーションは結局リアルを指向していると言われてきた。
結局さ、人間ってリアルが欲しいんだよってある種悟った意見が支配的だった。
だけど、今振り返ってみると、全然的外れな意見だと思わざるを得ない。
人が求めているものはバーチャルやリアルという次元では語れないものだったのだ。
韓流は流行るしアダルトサイトは消える予兆もないし、アイドルやゲーム、2次元ファンは腐るほどいる。
一般的な俗説は、そういうものは現実に合わせた妥協的産物なのであって、本当の欲求を誤魔化すためのものにあるとする。
馬鹿げた意見だ。
韓流アイドル追いかけている人が妥協でDVD買っているのか。
違うだろう。
それ自体が目的になっているのであり、リアルかバーチャルかなんて区別はどうでもいい話だ。
それもそのはずで、人間の脳の中で現実と仮想の区別はない。
全てが同じ次元の事象として認識されている。
「私は彼と本当は付き合いたいけれどコンサートで我慢しています。」なんて言う人いないだろう。
(私は妄想族なのですごくよくわかる。妄想族は妄想を現実としてみる。)
つまるところ、リアルもバーチャルもメディアでしかないのだ。
だからプリクラは進化して画像処理するまでになった。
プリクラを使う彼女らにとって写真が100%現実かどうかなんてことはさほど重要でない。
よく考えたらアイドルのグラビアだって画像処理されているのが普通だし、整形も一般的に行われている。
今のプリクラで撮った写真を交換すること考えたら、多分行き着く先はアバターだ。
こうなってくると実名か匿名かみたいな議論なんてあまり本質的でなくなってくる。
どっちでもない都合よく処理された自分を欲するようになるだろう。
そもそも人格すらペルソナ的観点で考えれば仮想なのだから、やはりリアルかバーチャルかなんて道具でしかないのだ。
この議論を突き詰めていくと、もうずっと前から人間って何に動かされて生きているの?っていう話になってくる。
世の中的には、生存欲求だとか種の保存だとか言われているが、そんなこと考えると生物学的な欲求に支配されていると言いたくなってきて、リアル指向にいってしまう。
多分、ここに分水峰があるのだろうと思う。
もし、生物の根源的欲求が生存欲求でも種の保存欲求でもなかったら?と考える。
リアル指向って実は手段でしかないのかもしれないという考え方の選択肢が出てこないだろうか。
私はもう何年も前から生存欲求なんか表面的なものとしか思っていないから、リアル指向的発想はとうに捨てているのだが、まぁ多くの人には受け入れがたいことなのかもしれない。
でもあえて言っておくと「知的好奇心」に勝る欲求はないのだ。
生きるのも子孫を残したいのも「知的好奇心」を充足させたいがためである。
まぁ細かい話はここでは避けるが、そう考えると、リアルもバーチャルもメディアであり手段でしかないという発想を理解できるのではないだろうか。
話を戻す。
人間は結局リアル指向なのさと思うと「リアル指向のバーチャル技術」を考えてしまうけれど、私のようにそうでないと思う人は「リアルとバーチャルの区別をなくしていく技術」を考えるようになると思う。
リアルなんて指向しなくていいんだよ。
都合のよい自分で都合のよいコミュニケーションがとれればそれでいいんだ。
そういう観点からすると、これからはデジタル技術によるクリエーションの時代がくると思うんだ。
拡張現実というのはいい線いってる発想なのだけど、もともと人が認識している事象は拡張された現実で、それを技術の力でエンハンスしようって発想だとより正しい気がする。
技術が社会を規定する。
それは人の潜在的に閉じ込められた感性を技術が解放するからだ。
まぁ夜中の弱った頭で考えたかなり適当な論考なのだけれども。
「デジタル革命」なんて言葉は既に古いけれど、第2のデジタル革命はこれから訪れると思う。
クラウドの発展と無関係でない。
要は圧倒的なコンピューティング・パワーがどこに向かうのかという話だ。
むしろ、ようやくコンピューティング・パワーを活かせる時代になってきたという見方がより正しいかもしれない。
パワーとアルゴリズムがあっても、そこに入力する情報が不足していたのでは話にならないわけで、その情報がどこから来るかといえば、ハードが必要だ
ソフトの進化とハードの進化は切っても切れない関係なのだ。
で、私が考えるデジタルの本質は「クリエーション」だと思う。
創造できちゃうところ。
単純に考えると
「記録」→(クリエーション)→「再現」→(クリエーション)→「デコる」
の流れは起きると思う。
もちろん長期的にはもっと大きな変化は起きていくだろうけれど、これは中期的な話だ。
「それってバーチャルじゃないか」って指摘は正しい。
そうバーチャル。
デジタル×インターネットの時代に何が語られていたかというと、「バーチャルとリアルの融合」なんてことだった。
私は全くしっくりこなかったのだが、今になってようやくその意味がわかる。
「融合」の受け取り方を間違えていたのだ。
「融合」の意味は、「バーチャルとリアルの距離が短くなる」とか「(よく聞く無内容なワード)有機的な結合」なんてことではなかった。
「融合」=「バーチャルとリアルの区別の意味がなくなる」という意味だったのだ。
どういうことかちょっと説明する。
世の中的に、ずっとバーチャル・コミュニケーションは結局リアルを指向していると言われてきた。
結局さ、人間ってリアルが欲しいんだよってある種悟った意見が支配的だった。
だけど、今振り返ってみると、全然的外れな意見だと思わざるを得ない。
人が求めているものはバーチャルやリアルという次元では語れないものだったのだ。
韓流は流行るしアダルトサイトは消える予兆もないし、アイドルやゲーム、2次元ファンは腐るほどいる。
一般的な俗説は、そういうものは現実に合わせた妥協的産物なのであって、本当の欲求を誤魔化すためのものにあるとする。
馬鹿げた意見だ。
韓流アイドル追いかけている人が妥協でDVD買っているのか。
違うだろう。
それ自体が目的になっているのであり、リアルかバーチャルかなんて区別はどうでもいい話だ。
それもそのはずで、人間の脳の中で現実と仮想の区別はない。
全てが同じ次元の事象として認識されている。
「私は彼と本当は付き合いたいけれどコンサートで我慢しています。」なんて言う人いないだろう。
(私は妄想族なのですごくよくわかる。妄想族は妄想を現実としてみる。)
つまるところ、リアルもバーチャルもメディアでしかないのだ。
だからプリクラは進化して画像処理するまでになった。
プリクラを使う彼女らにとって写真が100%現実かどうかなんてことはさほど重要でない。
よく考えたらアイドルのグラビアだって画像処理されているのが普通だし、整形も一般的に行われている。
今のプリクラで撮った写真を交換すること考えたら、多分行き着く先はアバターだ。
こうなってくると実名か匿名かみたいな議論なんてあまり本質的でなくなってくる。
どっちでもない都合よく処理された自分を欲するようになるだろう。
そもそも人格すらペルソナ的観点で考えれば仮想なのだから、やはりリアルかバーチャルかなんて道具でしかないのだ。
この議論を突き詰めていくと、もうずっと前から人間って何に動かされて生きているの?っていう話になってくる。
世の中的には、生存欲求だとか種の保存だとか言われているが、そんなこと考えると生物学的な欲求に支配されていると言いたくなってきて、リアル指向にいってしまう。
多分、ここに分水峰があるのだろうと思う。
もし、生物の根源的欲求が生存欲求でも種の保存欲求でもなかったら?と考える。
リアル指向って実は手段でしかないのかもしれないという考え方の選択肢が出てこないだろうか。
私はもう何年も前から生存欲求なんか表面的なものとしか思っていないから、リアル指向的発想はとうに捨てているのだが、まぁ多くの人には受け入れがたいことなのかもしれない。
でもあえて言っておくと「知的好奇心」に勝る欲求はないのだ。
生きるのも子孫を残したいのも「知的好奇心」を充足させたいがためである。
まぁ細かい話はここでは避けるが、そう考えると、リアルもバーチャルもメディアであり手段でしかないという発想を理解できるのではないだろうか。
話を戻す。
人間は結局リアル指向なのさと思うと「リアル指向のバーチャル技術」を考えてしまうけれど、私のようにそうでないと思う人は「リアルとバーチャルの区別をなくしていく技術」を考えるようになると思う。
リアルなんて指向しなくていいんだよ。
都合のよい自分で都合のよいコミュニケーションがとれればそれでいいんだ。
そういう観点からすると、これからはデジタル技術によるクリエーションの時代がくると思うんだ。
拡張現実というのはいい線いってる発想なのだけど、もともと人が認識している事象は拡張された現実で、それを技術の力でエンハンスしようって発想だとより正しい気がする。
技術が社会を規定する。
それは人の潜在的に閉じ込められた感性を技術が解放するからだ。
まぁ夜中の弱った頭で考えたかなり適当な論考なのだけれども。