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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

AKB48『Everyday カチューシャ』のPVを視聴してみた

2011-05-25 12:50:39 | AKB48
遅ればせながら『Everyday カチューシャ』のPVを視聴してみました。

良いとか悪いとか、それは個人によって変わることですし、私は何かを代表できる立場にもおりませんので、作品の評価については棚上げさせて頂きます。
よって、これから述べることは、あくまで私個人的が感じたものを、極表面的に説明するものであり、いわゆる雑感です。
また、私はこのエントリを書く時点で、製作者側の意図を示す情報を全く掴んでおらず、ここに書かれているものは、完全に個人の妄想の範囲で書いたものです。
予めご了承いただけると助かります。

さて、私はこのPVを見て、まず率直に非常に難しい作品だと思いました。
「がんばり過ぎでは?」もしくは「メッセージを表現し過ぎでは?」と感じます。
単独の作品として見れば、初期のPVに比べれば遥かに優れた作品であり、言うことはありません。
ただ、ある程度製作者側の意図や戦略といったものに関して、連続性に着目してみると、理解するのが大変に難しいなと思いました。

まず、『Everyday カチューシャ』は『ポニーテールとシュシュ』の続編的なものと説明がなされていますが、確かに画のつくりはポニーテールとシュシュに非常に類似しています。
全体の構造としては、これまでのPVの構図を、ポニーテールとシュシュの画を使って表現しているといえるでしょう。
いわゆる「集大成」的なつくりになっています。

これが、まずわかりません。
あまりに多くの過去PVの構図を組み込むものだから、少してんこ盛り状態になっており、『Everyday カチューシャ』のPVとして何を伝えたいのかメッセージが曖昧になっています。
状況の展開が早く、製作者側の説明なしに理解することが難しい。
どの世界でも同様ですが、普通、表現者は有り余る表現したいメッセージをそのまま表現してしまっては受け手が混乱するので、わかりやすくする為に表現したいことの半分以上を諦めて、隠喩や暗喩を駆使して、作品を作るものです。
これはエンターテイメントでもビジネスでも同じなのです。
にも関わらず、何ゆえ、こんな集大成的なつくりにする必要があったのか。
なんでここまで欲張る必要性があったのか。

『ポニーテールとシュシュ』や『ヘビーローテーション』などの完成度が非常に高い作品を世に送り出した後、そして第3回総選挙用の楽曲で否が応でも注目されるこのタイミングで、こういう作品を出してくる・・。
これまでの実績を考えても、製作者側はプロです。
論理的に考えれば、これは"あえてこういうつくりを選んだ"と考えるしかない。
「斬新さ」や「わかりやすさ」などをあえて諦めて、他のもっと重要な何かを表現するためにこういう作りにしたと考える方が自然なのではないか。

それが何か?

これが全くわからない。
第3回総選挙の結果発表時に重大な発表がある?
世代交代の話か?
それとも憶測を呼ぶ状況を作るのが戦略か?
それは深読みし過ぎか?
各ステークホルダーからのVOCを調整し切れなかった妥協の産物か?
いや、それはない。
そんな選択をした時点でAKB48は終わりだ。
それは秋元康氏なら痛いほどわかっているはずだ。

この話題は一旦横に置くとしよう。
時期が来れば何かわかることもあるはずだ。

さて、私自身の『Everyday カチューシャ』評を最後に書くことにしよう。

以前書いた気がするが、やはりAKB48は今、最大の山場を迎えていると感じる。
組織として、最も難しい作業である。
それは、組織の在り方を発展させながら、組織の刷新を図るということだ。
AKB48そのものを発展させると同時に、世代交代をどうスムーズに行うか。

『Everyday カチューシャ』にはその苦悩が表れている。

あっ、大切なことを言い忘れましたが、出演しているメンバー達のパフォーマンスは大変にすばらしいと思います。
私はモーラでダウンロードなので誰にも投票しませんが。