AKB48の前田敦子さん主演の映画「もしドラ」の主題歌『Everydayカチューシャ』の出荷予定枚数が200万枚だそうです。
(本当かどうか裏はとってませんが)
『Everydayカチューシャ』は2011年度の総選挙の投票券を内包しているため、2010年度の実績を鑑みると、かなりの数量の販売が期待されているようです。
CD1枚につき投票券1枚ついているわけです。
これに対して、以前より、このAKBのCD販売モデルが「ぼったくり商法」だとか「キャバクラ商法」だとして批判もされています。
一人のファンが推しメンのために何枚もCDを購入し投票することについてです。
中には100万円相当を1つの楽曲に費やしたり、これまで2000万円も注ぎ込んだ人もいるようです。
(2000万円そのまま推しメンの彼女に渡してあげた方がよいかもなと思ってしまいますが、それじゃ目的を果たせないんですよね・・)
新聞の投書欄に、孫がお小遣いの全てをはたいてAKBのCDを買うことについて悩んでいるおじいちゃんの話が載っていた時には失礼ですが笑ってしまいました。
私は、このいわゆる「AKB商法」についてかなり肯定的な立場をとっています。
もっと言うと、批判する人たちの根拠に全く説得力がないので、批判者に同調できないのです。
言いたいことは腐るほどあるのですが、語りすぎても実りが小さいので控えめに記載しておきます。
まず、第一に、AKB48の楽曲をCDパッケージで販売するにあたって、商品が「楽曲」"だけ"である必然性が全くありません。
CDにマスタリングされる「楽曲」はCDパッケージを構成する最低限の要素ではありますが、CDパッケージの構成要素が、それだけでなければならないというルールは存在しません。
批判者は販売されているCDパッケージを「楽曲」だと思っているので楽曲を視聴するのに複数枚購入する必要がないと思っているようが、購入者は「楽曲」だけとは思っておりません。
そもそもこのギャップが両者の意見の食い違いの根本的問題であると思います。
むしろ『Everydayカチューシャ』というCDパッケージが投票券を兼ねているなら、より多くの人に遍く配布でき、全ての人が思う存分に投票できる方が、投票結果に対する平等性や公平性をより適切に保持できると考えることもできます。
総選挙を主催する側として、投票したい人が誰でも投票できることを担保するために、より多くのCDパッケージを出荷する予定を立てることは、実に誠実な対応であろうと思います。
では、次の議題に移ります。
批判者の中には、さきほど述べた「全ての人が思う存分に投票できる方が、投票結果に対する平等性や公平性をより適切に保持できる」という意見に反対する人もいると思います。
一人が何票でも投票できるのに何が平等で公平だと思う人もいるのではないでしょうか。
しかし、こういう考えを持つのは、戦後の教育が悪平等主義だったことと無関係ではないと思います。
大昔は多くの国で投票権なるものが存在しませんでしたが、それが民主化プロセスの中で一部の貴族だったり、税金を一定額以上納めていたり、成人男性であったりと徐々に限定範囲を広げる形で広がり、それが男女平等、成人一人一票ということに変わっていったのです。
これは、国家の定義の変遷と無関係ではありません。
国家の役割が変わっていったから、投票権の形も変わっていったのです。
みんなが「国家というのは性差や階級、貧富に関係なく国民一人ひとりで平等でなければならない。」と考えたから、成人一人一票という形になっているのです。
では、AKB48はどうでしょうか?
AKB48には、AKB48が提供する商品を購入する人にも購入しない人にも平等に接しなければならない義務か何かがあるのでしょうか?
もちろん、ステージに立てばCDを買っていない人にも平等にパフォーマンスを見せてくれるはずです。
今は商品を購入してくれていなくても、将来購入してくれるかもしれない人たちへの営業活動も兼ねているからです。
しかし、購入した人と購入しない人で、よりAKB48を応援してくれる人とそうでない人で全く差がないというわけにも行きません。
小売業界でもポイントカードを発行したりしているじゃありませんか。
電気量販店のポイント還元制度なんて額が大きくて本当にすごいです。
ライバルと競争して生き残っていかなければなりません。
今ファンの人にはより深いファンに、今ファンでない人にはファンになって頂くようにしようと思うのが普通です。
より応援してくれる人にはより多くの投票権を与えたい!と思ったらCDパッケージに投票券を同封するのが合理的だった。そう考えるのも1つの考え方です。
よく考えてみてください。
ファンといっても千差万別です。
人生かけて応援したい人もいれば、少しだけファンという人もいるものです。
より深くファンになりたい人にはその道を用意するのも、ファンを想う上でもビジネスを考える上でも重要なことなのです。
いいですか。
ビジネスの理想はあらゆるステークホルダーとWin-Winの関係を構築することです。
AKB48メンバー、スタッフ、ビジネスサイド、ファン、etc.. みんながより深い喜びを分かち合える仕組みを用意し、それを持続的に回していく、こういうのをビジネスというのです。
みんなが既存のビジネスモデルに満足いかなくなり、誰もがエンターテイメント・ビジネスやアイドルに絶望していた時代だからこそ、AKB48がイノベーションでその構造を破壊し参入してきたことが受け入れられたと、私は思うのです。
いつも通り言葉足らずですが、説明を終わります。
以前にも何度かAKBネタで当Blog読者の方と議論してきたましたが、コメント歓迎します。
よろしくお願いいたします。
ちなみに私はAKB48の楽曲はモーラでダウンロードしているので私には投票権がありません。
聴きたいから聴いているだけです。
(本当かどうか裏はとってませんが)
『Everydayカチューシャ』は2011年度の総選挙の投票券を内包しているため、2010年度の実績を鑑みると、かなりの数量の販売が期待されているようです。
CD1枚につき投票券1枚ついているわけです。
これに対して、以前より、このAKBのCD販売モデルが「ぼったくり商法」だとか「キャバクラ商法」だとして批判もされています。
一人のファンが推しメンのために何枚もCDを購入し投票することについてです。
中には100万円相当を1つの楽曲に費やしたり、これまで2000万円も注ぎ込んだ人もいるようです。
(2000万円そのまま推しメンの彼女に渡してあげた方がよいかもなと思ってしまいますが、それじゃ目的を果たせないんですよね・・)
新聞の投書欄に、孫がお小遣いの全てをはたいてAKBのCDを買うことについて悩んでいるおじいちゃんの話が載っていた時には失礼ですが笑ってしまいました。
私は、このいわゆる「AKB商法」についてかなり肯定的な立場をとっています。
もっと言うと、批判する人たちの根拠に全く説得力がないので、批判者に同調できないのです。
言いたいことは腐るほどあるのですが、語りすぎても実りが小さいので控えめに記載しておきます。
まず、第一に、AKB48の楽曲をCDパッケージで販売するにあたって、商品が「楽曲」"だけ"である必然性が全くありません。
CDにマスタリングされる「楽曲」はCDパッケージを構成する最低限の要素ではありますが、CDパッケージの構成要素が、それだけでなければならないというルールは存在しません。
批判者は販売されているCDパッケージを「楽曲」だと思っているので楽曲を視聴するのに複数枚購入する必要がないと思っているようが、購入者は「楽曲」だけとは思っておりません。
そもそもこのギャップが両者の意見の食い違いの根本的問題であると思います。
むしろ『Everydayカチューシャ』というCDパッケージが投票券を兼ねているなら、より多くの人に遍く配布でき、全ての人が思う存分に投票できる方が、投票結果に対する平等性や公平性をより適切に保持できると考えることもできます。
総選挙を主催する側として、投票したい人が誰でも投票できることを担保するために、より多くのCDパッケージを出荷する予定を立てることは、実に誠実な対応であろうと思います。
では、次の議題に移ります。
批判者の中には、さきほど述べた「全ての人が思う存分に投票できる方が、投票結果に対する平等性や公平性をより適切に保持できる」という意見に反対する人もいると思います。
一人が何票でも投票できるのに何が平等で公平だと思う人もいるのではないでしょうか。
しかし、こういう考えを持つのは、戦後の教育が悪平等主義だったことと無関係ではないと思います。
大昔は多くの国で投票権なるものが存在しませんでしたが、それが民主化プロセスの中で一部の貴族だったり、税金を一定額以上納めていたり、成人男性であったりと徐々に限定範囲を広げる形で広がり、それが男女平等、成人一人一票ということに変わっていったのです。
これは、国家の定義の変遷と無関係ではありません。
国家の役割が変わっていったから、投票権の形も変わっていったのです。
みんなが「国家というのは性差や階級、貧富に関係なく国民一人ひとりで平等でなければならない。」と考えたから、成人一人一票という形になっているのです。
では、AKB48はどうでしょうか?
AKB48には、AKB48が提供する商品を購入する人にも購入しない人にも平等に接しなければならない義務か何かがあるのでしょうか?
もちろん、ステージに立てばCDを買っていない人にも平等にパフォーマンスを見せてくれるはずです。
今は商品を購入してくれていなくても、将来購入してくれるかもしれない人たちへの営業活動も兼ねているからです。
しかし、購入した人と購入しない人で、よりAKB48を応援してくれる人とそうでない人で全く差がないというわけにも行きません。
小売業界でもポイントカードを発行したりしているじゃありませんか。
電気量販店のポイント還元制度なんて額が大きくて本当にすごいです。
ライバルと競争して生き残っていかなければなりません。
今ファンの人にはより深いファンに、今ファンでない人にはファンになって頂くようにしようと思うのが普通です。
より応援してくれる人にはより多くの投票権を与えたい!と思ったらCDパッケージに投票券を同封するのが合理的だった。そう考えるのも1つの考え方です。
よく考えてみてください。
ファンといっても千差万別です。
人生かけて応援したい人もいれば、少しだけファンという人もいるものです。
より深くファンになりたい人にはその道を用意するのも、ファンを想う上でもビジネスを考える上でも重要なことなのです。
いいですか。
ビジネスの理想はあらゆるステークホルダーとWin-Winの関係を構築することです。
AKB48メンバー、スタッフ、ビジネスサイド、ファン、etc.. みんながより深い喜びを分かち合える仕組みを用意し、それを持続的に回していく、こういうのをビジネスというのです。
みんなが既存のビジネスモデルに満足いかなくなり、誰もがエンターテイメント・ビジネスやアイドルに絶望していた時代だからこそ、AKB48がイノベーションでその構造を破壊し参入してきたことが受け入れられたと、私は思うのです。
いつも通り言葉足らずですが、説明を終わります。
以前にも何度かAKBネタで当Blog読者の方と議論してきたましたが、コメント歓迎します。
よろしくお願いいたします。
ちなみに私はAKB48の楽曲はモーラでダウンロードしているので私には投票権がありません。
聴きたいから聴いているだけです。