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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

小沢一郎の改心

2010-09-02 11:03:43 | 政治
やはり小沢は老いたのか・・。
政権交代が実現して気が抜けたのか、それとも心臓病が彼を追い詰めているのか。
残りの人生を鑑みて、何か焦っているのではないか。
それとも私の勘違いでしかないのか。

【菅・小沢共同会見】(1)小沢氏「政治家の責任で政策決定を」(1日夕)
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100901/stt1009012140031-n1.htm


あえて立候補する決意をいたしました」

「その理由は、今日の日本の社会を見てみますと、戦後の民主主義というものは、必ずしも十分に正確に理解されないままに今日に至ったということが1つの大きな日本社会の精神的な構造の一因をなすものだとは思いますけれども


ここまでは常日頃私も同感する部分なのだが、
続きの部分について、私はその理路を理解することができないでいる。
行間が広すぎるのか、それとも論理的におかしいのか、よくわからない。


特に今日の政治経済の不透明化、危機的な状況の中で、日本の社会は卒業しても就職できない若者たちやら、あるいは自殺者が絶えません。また親殺し、子殺しの連日のニュースもございます。そういう日本の社会が崩壊しつつあるのではないかという強い認識の中で、それを立て直し、あらゆる意味で、特に経済を再生させていくためには、国民主導の、政治主導の政治を実現しなくてはいけないというのがわれわれの主張であり、昨年の総選挙において、国民の皆さんにお約束し、そして政権を委ねられたのだと思います」


「それを立て直し、あらゆる意味で、特に経済を再生させていくためには、国民主導の、政治主導の政治を実現しなくてはいけないというのがわれわれの主張であり、」
なぜこんな論理展開が可能なのかわからない。
小沢が説明しなければならないのは、「『国民主導・政治主導の政治の実現』によって実現されるものが何か?」その一点だ。


「私はそういう意味において、もっと政治家が自らの責任で政策決定を、予算の決定をすることのできるような、そういう体制をつくらなければならない。」


その根拠を聞きたいのだ。
これは私の勝手な希望なのだが、
小沢一郎から「国民主導・政治主導で経済が再生する」なんて言葉を聞きたくなかった。
そんな妥協の産物の言葉では、誰の心も掴むことはできない。

そうではないだろう。
小沢がずっと言い続けてきたのは、
国民が政治にリスク(責任)を負う仕組みを実現する必要性だろう。
「政治の責任」などと言って国民の怠惰心につけ込んで政治家の仕事を作ってきた、
そんな政治を辞めるべきだとそう言ってきたのではなかったのか。

「民主主義制度の下では国民のレベル以上の政治家は生まれない」

民度を向上させるために、国民主導・政治主導の政治が必要なのだろう。
どうした小沢一郎。