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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

「日本の病」は「国民の総無責任化」

2010-09-08 14:59:41 | 政治

私は小沢を支持すると書いているわけではない。
小沢の政治理念を支持すると書いているのだ。


変わる小沢、変わらぬ小沢(池田信夫)
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51476033.html

基本的に私は池田信夫氏の意見に賛成です。

しかし、コメント欄を見ると、どうも小沢の理念を誤解している人々が多いので、
思い余ってコメントしてしまいました。

小沢を「古い政治家」という人がいるが、
私は、それは小沢の「政治手段が古い」のであって、
小沢の「目的が古い」わけではないと思うのです。

その内容をここに転載しておきます。
(いつもの繰り返しなのだが。)


誰もがこのままではまずいと思っていながら「焼け野原」に向かうのを止められないでいる。政治の話題にはもっぱら「美徳」や「筋」などが主なテーマとして掲げられ「問題の定義」や「解決への道筋」は置き去りにされがちだ。空気の病は今日でも健在だ。

これは誰も「責任」を取ろうとしないからである。過去の負の遺産の責任は、他の誰かのものであって自分のものではない。皆がそう思うからであろう。

だが、そもそも「責任とは何だ?」という問いに誰も疑問を呈さない。あたかも国民が国家や政治に対して責任を負っていないかのような幻想が日本を覆っている。

小沢が主張するのは、そんな幻想を捨てようということに他ならないと理解している。小沢が繰り返し述べるのは、戦後民主主義が日本人の精神性に与えた影響である。民主主義国家において、政治に対する最終責任は国民が負う以外に有り得ない。よく批判されるバラマキ政策であるが、これが政治の責任であるかのような嘘をマスメディアも国民も平気で言う。しかし、であるならばどうしてバラマキ政策を実施してしまう政治家が選挙を通して選ばれてしまうのか。

小沢が言うように「国民のレベル以上の政治家は生まれない」のである。

では、どういう仕組みがなければならないか。その一つが、民度を上げる仕掛けとしての、責任の所在の明確化である。人間は自己責任をもって初めて物事に真剣に取り組むことができる。国家に対する責任も、社会に対する責任も、その構成員たる国民が負っているという現実を直視する政治、この実現こそが小沢の目的である。小沢が政権交代を目指したのも、自民党の兵站を破壊しにいったのも、官僚依存からの脱却を訴えるのも、日本に民主主義を実現するためである。
特定の政策が正しいかどうかは小沢の関心ごとではない。政治の在り方こそが小沢が問いかけている本質的な問いなのだ。

Global View

2010-09-08 10:23:40 | ビジネス
グーグル、シンクタンク「Google Ideas」設立を計画--統括者は米国務省OB
http://japan.cnet.com/news/business/story/0,3800104746,20419665,00.htm

最近グーグルは政治との結びつきが強くなってますね。
「Google View」は「Global View」「Think Global」ですか。

戦略の前に政策、
政策の前にビジョン
ビジョンの前に理念が必要なのです。

そして理念のスケールが違いすぎる。

これまで歴史上の数多の偉人達が残してきた言葉の中に、

「人は見たいものしか見ない。」
「事実だと思いたいものを事実として見ているに過ぎない」

といった類のものがあります。
これは全くその通りなのですが、
「何を事実として見るか?」は、「視点」によって決まる問題です。
どの角度から物事を見るかによって見えてくるものは違いますね。
広い視点を持てば、より多くの側面が見えてくるはずです。

以前、当Blogの口癖だった言葉で終わります。


「事実」は「視点」によって創られ
「視点」は「信念」によって創られる。

安保闘争から考える「誇り」という難しい問題

2010-09-06 10:19:10 | 政治
昨晩、ふと寝る前に手持ち無沙汰な感じがしてTVを付けた。
ザッピングしてたらNHKで放映していた「ETV特集・安保とその時代(3)」で手が止まる。
安部元首相の祖父である岸信介が総理大臣として安保改定を強行した「60年安保闘争」の話だ。

60年安保闘争は、その名の通り1960年(昭和35年)に改定された安保を巡る闘争のお話。
番組内では、ブント(共産主義者同盟)や全学連の元幹部、活動に参加した一般の主婦などが当時を振り返りコメントをしていた。
ブントの元幹部は当時を振り返り、当初は安保そのものの否定のための活動だったが、市民なども加わり活動が大きくなるにつれ、途中から論点が反権力にすり替わったところを反省点として挙げていた
よって、60年安保改定と同時に岸が辞任し、池田勇人が所得倍増計画を打ち出すと、急に安保闘争の火が小さくなっていったと。

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全共闘運動に参加した人々は、よく若者に向かってこういう。
私も何度か言われた。

最近の若者は元気がない。
我々の頃は若いときから政治的関心を持っていた。
今の日本にはデモクラシーがない。
政治的腐敗を市民レベルで解決しようとしていた。
平和ボケしたお子ちゃま。

私のようなヒネクレ者は、そんなこと言われる度に反論していた。

昔、若い人達が政治的関心を持っていたのは、他に考えることがなかったから。
そういうことを考える他に、自己アイデンティティを保つ術を持たなかったからに過ぎない。
あなた方が政治的関心を持って活動をしていたのは、
あなた方が優れていたからでも、また高次な精神性を持ち合わせていたからでも全くない。
そうではなく、単にそれ以外には選択肢がなかったというだけの話。
それを誇られても困る。

こんなことを言おうものなら、それは烈火の如く怒りだし、人格攻撃を受けるのである。
(もちろん実際にはもっと柔らかな表現を使っている。のにだ。)

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私は、全共闘運動の見方として内田樹氏の主張に納得している。
あれは遅れてやってきた「本土決戦」であったと。

全共闘運動は日本をどう変えたか?(内田樹)
http://blog.tatsuru.com/2008/07/06_1145.php

60年安保のときに運動を指導したのは当時20代後半から30代はじめ。つまり、1930年から35年生まれというあたりである。
敗戦のときに10歳から15歳。
国民学校で「撃ちてし止まむ」と教えられ、本土決戦に備えて竹槍の訓練をした少年たちは8月15日に「戦わない大人たち」を見て愕然とした。
彼らに軍国教育を施していた大人たちが一夜明けたら「民主ニッポン」の旗をにぎやかに振り始めたからである。
あの・・・・最後の一兵まで戦うんじゃなかったんですか。
「勝たずば断じて已むべからず」「生きて虜囚の辱を受けず」と起草した夫子ご本人が負けて「虜囚」の獄中にあるというのはどういうことなんでしょうか。
誰か説明してくれませんか。
誰も説明してくれなかった。
この「一夜にして大日本帝国の旗を下ろした先行世代」に対する「恥」の意識が60年安保闘争の底流にあると私は思う。
60年安保は反米ナショナリズムの闘争であるが、それは15年前に完遂されるべきだった「本土決戦」を幻想的なかたちで再生したものである。
ただ、その標的は今度はアメリカそのものではなく、「アメリカに迎合した日本人」たちに(具体的には戦前は満州国経営に辣腕を揮い、東条内閣の商工大臣の職にありA級戦犯として逮捕されながら、アメリカの反共戦略に乗じて総理大臣になった岸信介)向けられていた。

そして、「日本辺境論」で登場する日本人の精神的特長に由来する、この考え方である。
日本人は、反日を掲げる韓国や中国の人々に対して「現実逃避する厄介者」くらいにしか考えていないと思うが、それと同じ理由で日本人もまたこの「安保」問題を抱えていると私は考えている。
「日本人としての誇り」をどう保つかという問題を前にして矛盾を抱えているのと同じように、韓国や中国の人々も誇りの問題を解決できずにいるのだ。
どこの国も同じだ。

箱根湯本で安保について考える(内田樹)
http://blog.tatsuru.com/2010/02/11_0751.php

「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」という条約6条の「極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するために」という一文が欺瞞的なものだと知るだけで十分だと思っていた。
誰のための「平和」なのか、何のための「安全」なのか。
ベトナムで人々が殺されているという事実は、どういう理路をたどれば「日本国の平和と安全の維持に寄与」することになるのか。
この問いに対して、私を説得できる答えをしてくれた人は安保支持派の中に誰もいなかった。
6条の文言は現実的には「極東におけるアメリカ合衆国の平和及び安全の維持に寄与するために、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」という以外の解釈の余地のないものであり、それは端的には「日本はアメリカの軍事的属国である」ということを意味していた。
それくらいのことは誰でも知っていた。
安保条約は本質的には日本がアメリカの軍事的属国として「下働き」をし、その代償として、アメリカの核の傘で「守ってもらう」という契約であった。
私たちが安保条約に反対したのは、条約「そのもの」に国際法上の整合性がないという理由からではない。
「アメリカの核の傘での日本の平和」がまったく国益に資さないという理由からではない。
国際法上には瑕疵がないのかもしれないし、軍事に投ずべき予算をアメリカに負担してもらうことはむしろ国益に資するという判断も合理的かも知れない。
「日本は戦争に負けたので、これからはアメリカの軍事的属国になる以外に選択肢がないのだ(その悲しみと恥を国民的に共有しよう)」といういちばん常識的な言葉だけが、左翼によっても、右翼によっても、誰によっても口にされなかったからである。
私たちはそのことに苛立っていたのだと思う。
安保条約は「リメンバー・安保条約」というかたちで、「国民的な恥の記憶」とともに心に刻み込まれなければならない種類の屈辱的な条約であった。
そのとき、日本はそのような屈辱的な条約を甘受しなければならないほどに国際的に弱い立場だった。
戦争に負けたのだから、それは仕方がない。
弱い国は弱い。
シンプルな事実だ。
誰かに、はっきりそう言って欲しかった。
その事実をまっすぐにみつめなければ、そこから這い上がることはできない。
だから、安保条約反対闘争が国民的規模で拡がったのだと思う。
反対闘争の目的は、ひとことで言えば、「日本は屈辱的な地位にいる」という平明な事実を「国民的常識」に登録しようという提案だった。
その事実認知からしか戦後日本の再建という遂行的事業は始まらない。
この50年は「日本はアメリカの属国である」という世界中の人々が知っている教科書的事実を、私たち日本人だけが「知らないふり」をしてきた50年間である。
もちろん「知らないふり」ができるのは、そのことを「知っている」からである。
それを意識に前景化させまいと、つねに抑圧が機能しているから「知らないふり」ができるのである。
その抑圧の機制については、これまでも何度も書いてきた。
それは敗戦後の日本人は「自分が『弱い』ということを認めることさえできないほどに弱っていた」からである。
自分の弱さを認めることができるためには、ある程度の強さが必要である。
その「強さ」が1960年の日本人にはまだ足りなかった。1970年の日本人にも足りなかった。
それはたぶん「アメリカが強すぎた」からである。
2010年の日本人は「私たちは弱い」ということを冷静な言葉で語れるほどには、それにうなずけるほどには「強く」なったであろうか。
少しはなれたのではないかと思う。
ただそれが「日本が強くなった」ことによってではなく、「アメリカが弱くなった」ことによってもたらされた望外の帰結ではなかったのかという一抹の不安がぬぐえない。

安保については『中央公論』の今月号でもインタビューに答えています。
こっちの方は「平和憲法と安保条約の同時廃棄」こそが日本国民の見果てぬ夢であるという、さらにめちゃくちゃな論を展開(読んでね)。

末法の世?

2010-09-03 13:05:52 | 社会
いいか悪いかは別として、自由恋愛市場は大きくなっていくだろう。

この手の話は世論を二分する。
厄介なのは、「道徳」を持ち出す以外に有効な反論ができないことだろう。
しかし「道徳」には実態がないため、同じ価値観を共有しない間柄で
「道徳」をキーとして分かり合うのは難しい。

単純に想像されるのは、
道徳教育に力を入れるべきだとする保守派が大きくなると思われる。

まぁ、いわゆる末法の世だ。
「宗教(道徳)」の威光は朽ち果て、人々は新しい「教え」を求め彷徨い、
「分化」と「結合」を繰返し、「コミュニティ」が生成され、
それぞれのコミュニティは特定の方向への純度が増していく。
散逸だ。

人々の移動を伴うものではなくて、これは精神的なものだ。
人々は精神的な自治を求める。
これに抗うのが国家。
グローバルな存在になったコミュニティを国家が規制できるのか。
よくわからない。

・・・ついつい、つまらない妄想をしてしまった。

「愛人契約」を考える(投資十八番)
http://stockkabusiki.blog90.fc2.com/blog-entry-1146.html

愛人を作った。
http://anond.hatelabo.jp/20100831230511


今年で43歳。12年前に離婚し子供もいない。結婚する気もなく、家などを買うこともなく安アパートで12年を過ごした。酒もタバコもギャンブルもやらず、車もない恋人も8年いない。年収は650万で人並みなので金が貯まる一方なのだ。

今年の春先「俺の人生これでいっちょ上がり」と思ったら無性に寂しくなり。なぜか「愛人が欲しい」と思った。

 サイトで募集し、35歳の人妻から16歳の高校生まで応募があり何人かと面接した。

 19歳の「ぷちアイドル」(??)の人に決めた。黒髪で見た目AKBっぽくって、おしゃべりでスタイルがイイ!

面接のあと「愛人になってくれますか」というと「まじっすか!やったー!!」と喜んでくれた。アイドルのオーディションに受かったような喜びようだった。

 最初にサイトを通じて提示した条件は月に3-4度会って15万円。愛人の間は彼氏を作らない。彼女の部屋に泊まれる。(俺の部屋は安アパートなので無理。妻がいるという偽設定を使っている。)


小沢一郎の改心

2010-09-02 11:03:43 | 政治
やはり小沢は老いたのか・・。
政権交代が実現して気が抜けたのか、それとも心臓病が彼を追い詰めているのか。
残りの人生を鑑みて、何か焦っているのではないか。
それとも私の勘違いでしかないのか。

【菅・小沢共同会見】(1)小沢氏「政治家の責任で政策決定を」(1日夕)
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100901/stt1009012140031-n1.htm


あえて立候補する決意をいたしました」

「その理由は、今日の日本の社会を見てみますと、戦後の民主主義というものは、必ずしも十分に正確に理解されないままに今日に至ったということが1つの大きな日本社会の精神的な構造の一因をなすものだとは思いますけれども


ここまでは常日頃私も同感する部分なのだが、
続きの部分について、私はその理路を理解することができないでいる。
行間が広すぎるのか、それとも論理的におかしいのか、よくわからない。


特に今日の政治経済の不透明化、危機的な状況の中で、日本の社会は卒業しても就職できない若者たちやら、あるいは自殺者が絶えません。また親殺し、子殺しの連日のニュースもございます。そういう日本の社会が崩壊しつつあるのではないかという強い認識の中で、それを立て直し、あらゆる意味で、特に経済を再生させていくためには、国民主導の、政治主導の政治を実現しなくてはいけないというのがわれわれの主張であり、昨年の総選挙において、国民の皆さんにお約束し、そして政権を委ねられたのだと思います」


「それを立て直し、あらゆる意味で、特に経済を再生させていくためには、国民主導の、政治主導の政治を実現しなくてはいけないというのがわれわれの主張であり、」
なぜこんな論理展開が可能なのかわからない。
小沢が説明しなければならないのは、「『国民主導・政治主導の政治の実現』によって実現されるものが何か?」その一点だ。


「私はそういう意味において、もっと政治家が自らの責任で政策決定を、予算の決定をすることのできるような、そういう体制をつくらなければならない。」


その根拠を聞きたいのだ。
これは私の勝手な希望なのだが、
小沢一郎から「国民主導・政治主導で経済が再生する」なんて言葉を聞きたくなかった。
そんな妥協の産物の言葉では、誰の心も掴むことはできない。

そうではないだろう。
小沢がずっと言い続けてきたのは、
国民が政治にリスク(責任)を負う仕組みを実現する必要性だろう。
「政治の責任」などと言って国民の怠惰心につけ込んで政治家の仕事を作ってきた、
そんな政治を辞めるべきだとそう言ってきたのではなかったのか。

「民主主義制度の下では国民のレベル以上の政治家は生まれない」

民度を向上させるために、国民主導・政治主導の政治が必要なのだろう。
どうした小沢一郎。

理念なき者は理念に吸い込まれる

2010-09-01 17:01:20 | 政治

何度も言うが、私は小沢を支持しているが、小沢の取巻きまで含めて支持したつもりはない。
私には理念のない者達に群がられて小沢が可哀相に見える。

本来なら、小沢を倒す政治家が出現して世代交代が行われるべきなのだ。
理念や政策に関する新陳代謝が進まないことが、どれだけ日本の政治に悪弊をもたらしているか。

政治家に小者が多すぎるのだ。
理念なき政治家が当選してしまう。
理念なき人間は、理念に吸い込まれて我を失う。
この人間の本能的習性は非常に危険だ。
「多数派同調バイアス」がかかっていたたまれない状況を生み出す。
いわゆる「数の暴力」が生み出される温床になる。

マスコミも国民もわからない。
なぜ政局を嫌いながら、その政局を生み出す環境を変えようとしないのだ。
不思議でならない。


ただし「理念なき理念」も理念だ。
「無理念」とは違うことに注意して欲しい。