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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

数として見た時には行動しない。ひとつの例を見た時には行動するのだ

2010-09-18 00:39:10 | 社会
小さいで生きてきた人類からすれば、数で表現される世界や、規模の大きいものを理解でいない方が当たり前なのである。

統計よりも「1人のストーリー」が有効な理由(WIRED VISION)
http://wiredvision.jp/news/201009/2010091722.html


統計データの難点は、われわれの道義的感情に訴えかけないことだという。厳しい現実を数字で見せられても、われわれの心は動かない。

人間の心は、そこまで規模の大きな苦しみを理解することができないのだ。

われわれは、ひとりの子供が井戸に落ちたら心配で目を離せないが、清浄な水が無いことで毎年何百万人もの人が死ぬことには関心を持たない。

雑誌の表紙に載ったひとりの戦争孤児には何千ドルもの寄付が行くが、ルワンダやダルフールで大虐殺が起こっていても無視される。

マザーテレサの言うように、「数として見た時には行動しない。ひとつの例を見た時には行動する」のだ。



しかし、このような違いがなぜ出るのだろうか。

それは、慈善行為というものが、つまるところは人間の同情心に根ざしたものであり、論理的かつ実利的な計算に基づくものではないからだ。



チリの鉱山事故で閉じ込められた労働者たちを、どんな方法を用いても救出しようとするのが間違いだというわけではない。

そのような気持ちに駆られることは、人間の最も気高い衝動のあらわれだ。

しかし、「身元の分かる被害者効果」が存在することは、同情の気持ちが自然に涌いてこないとき、つまり、1人1人を特定できないほど多くの被害者が出ているときにこそ、われわれは余計に思いやりの心を働かせる必要があることを示している。