私は小沢を支持すると書いているわけではない。
小沢の政治理念を支持すると書いているのだ。
変わる小沢、変わらぬ小沢(池田信夫)
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51476033.html
基本的に私は池田信夫氏の意見に賛成です。
しかし、コメント欄を見ると、どうも小沢の理念を誤解している人々が多いので、
思い余ってコメントしてしまいました。
小沢を「古い政治家」という人がいるが、
私は、それは小沢の「政治手段が古い」のであって、
小沢の「目的が古い」わけではないと思うのです。
その内容をここに転載しておきます。
(いつもの繰り返しなのだが。)
誰もがこのままではまずいと思っていながら「焼け野原」に向かうのを止められないでいる。政治の話題にはもっぱら「美徳」や「筋」などが主なテーマとして掲げられ「問題の定義」や「解決への道筋」は置き去りにされがちだ。空気の病は今日でも健在だ。
これは誰も「責任」を取ろうとしないからである。過去の負の遺産の責任は、他の誰かのものであって自分のものではない。皆がそう思うからであろう。
だが、そもそも「責任とは何だ?」という問いに誰も疑問を呈さない。あたかも国民が国家や政治に対して責任を負っていないかのような幻想が日本を覆っている。
小沢が主張するのは、そんな幻想を捨てようということに他ならないと理解している。小沢が繰り返し述べるのは、戦後民主主義が日本人の精神性に与えた影響である。民主主義国家において、政治に対する最終責任は国民が負う以外に有り得ない。よく批判されるバラマキ政策であるが、これが政治の責任であるかのような嘘をマスメディアも国民も平気で言う。しかし、であるならばどうしてバラマキ政策を実施してしまう政治家が選挙を通して選ばれてしまうのか。
小沢が言うように「国民のレベル以上の政治家は生まれない」のである。
では、どういう仕組みがなければならないか。その一つが、民度を上げる仕掛けとしての、責任の所在の明確化である。人間は自己責任をもって初めて物事に真剣に取り組むことができる。国家に対する責任も、社会に対する責任も、その構成員たる国民が負っているという現実を直視する政治、この実現こそが小沢の目的である。小沢が政権交代を目指したのも、自民党の兵站を破壊しにいったのも、官僚依存からの脱却を訴えるのも、日本に民主主義を実現するためである。
特定の政策が正しいかどうかは小沢の関心ごとではない。政治の在り方こそが小沢が問いかけている本質的な問いなのだ。