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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
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「戦略」を論ずる前に「目的」について論ぜよ

2010-09-28 19:36:29 | 哲学・思想
「戦略」という言葉はどこかカッコいい。

「○○戦略室」「△△戦略会議」「□□戦略論」など。

知的だし、強そうだし、特別な感じもするし、とにかくスマートなイメージがある。

日本人は「戦略」という言葉が好きだ。

最近では政府を批判するのによく使われる。

「××戦略はあるのか?!」という形で。

しかし、「戦略はあるのか?!」と聞いている側の人々は

果たして「戦略」というものについて理解しているのだろうか。

そもそも、なぜ日本人は「戦略下手」なのか考えたことがあるだろうか。

なぜ、日本人は「戦略がない」「戦略はあるのか?」と永遠と言い合っているのかわかるだろうか。


答えは簡単である。

「戦略」というのは「政策目的」を達成するための「方策」のことである。

特定の目標を達成するために資源を総合的に運用する技術・科学だそうだ。

つまり、「戦略」というのは「政策目的」があって始めて意味を持つ。

逆に言えば、「政策目的」がないのに「戦略」が成立するわけがない。

これが、日本において「戦略がない」という議論が永久ループする原因である。

「目的」あっての「手段」なのに、「手段」の有効性のみが論じられる。

「手段の目的化」の最たるものなわけだ。

「戦略」について論ずる前に、まず「目的」を論ぜよ。

当たり前のことを当たり前に。

「外交」の問題も結局は「政治」の問題なのだなぁ

2010-09-28 13:34:50 | 政治
中国で内部統制が効きにくくなっていて、
親日派の胡錦濤国家主席も四苦八苦しているというのは以前より危惧されている。
胡錦濤の後継者争いで「反日」が利用されているというのもあるだろう。

独裁国家である北朝鮮ですら、三男を後継者として指名するのに大変な苦労を要するのである。
中国が共産党1党独裁政権だからといって政権移譲が楽なわけがない。

それもそのはずで、政権という国家権力とは「暴力装置」以外の何者でもないからだ。

「暴力装置」の扱い方を誤れば、とんでもない被害を受ける可能性があることを
"独裁政権ゆえ"によく理解しているともいえる。

「政権交代」が平和なセレモニー的な受け止め方をされる日本にいて、理解しがたいのはよくわかるが、
お隣の韓国に目を向ければ、政権交代が単なるセレモニーではなく「闘争」であることを理解できるだろう。

「暴力装置」を譲る側に立って見ても、譲られる側に立って見ても、
これは本当の意味での「死活問題」であるから切実な対応を迫られる。

日本がある意味で不幸で、そしてある意味で幸福なのは、
近代において政権移行に伴う大きな闘争をほとんど経験しなかったということだ。
明治維新では劇的な政変が迅速に行われたし、終戦時は米国の手による政変が行われた。
日本人は日本人らしさをよく発揮して、それらの政変を非常にスムーズに進めることができた。
他国につけいる隙を与えなかったという点において素晴らしい政権移行であるが、
おかげで国家権力に対する日本人の問題意識が低くなったということもいえるだろう。

日本人の多くは、「国家権力」=「暴力」という本質的な問題に気づいていない。
どちらかといえば、鳩山前首相のようにお花畑的平和主義、
(核密約で有名な)若泉敬曰く、
「経済的豊かさを追い求めるばかりで、国の安全保障問題に正面から向き合わない戦後の日本。愚者の楽園。」
でのうのうと生きる人が多いような気がする。(私も含めてだが)

若泉は「安保破棄」こそ日本人の意識改革に重要と考えたそうだが、
私は「安全保障」は非常に重要な問題なれど「政治」の問題に含まれるものだとも考える。
日本人の意識を改革したければ「安保破棄」などではなく、
いつも言うように「日本における民主主義の実現」これこそ重要なのである。
安保問題は戦後民主主義の副産物であり、安保問題が戦後民主主義を生んだのではない。
安保をどうするかもふくめて政治の問題なのであるから。

やはり、この問題は「日本民主主義の問題」として捉えるのが良いと思うのである。