みなさま、いつもコメントありがとうございます。
次善策として、AKB48内に「恋愛禁止条例」について多様な考えが存在することを認めるのはどうだろうか
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/330dad703995c71eb0f1df312dffcf43
↑こちらのエントリにコメントで頂いている件です。
一つのエントリで伝えられることには技術的にも量的にも限界がありますし、過去何度か語っていることは前提にしたくなるもので、毎回丁寧に説明するのはなかなかしんどいものです。
ただ、誤解されたまま放置するのは本意ではありませんので、ここで改めて私の考えを述べることにします。
私は、ここで問題提起をしたいと思っています。
まず問題認識を合わせないと議論が深まりませんし、結果として問題を解決できないと思うからです。
対立や混乱よりも、解決こそが皆が望む未来だと思いますので、そこに向かって今一度、語り合うことにしましょう。
よろしくお願いいたします。
-------------------------
上記のエントリについて頂いたコメントから一部転載します。
異分子側を思い切ってAKBから隔離するような世論を盛り上げるのが、現実的だと思います。
異分子側を肯定的に解釈しようとして共存共栄を期待するのは画餅だと思います。
異分子を無理に理解しようとしても、真AKB側と世界観が違いすぎればサリンを撒かれて共倒れです。
異分子とその支持者にはAKB界隈から消し去ってもらうように世論を高めないと、理想論や期待論では前に進めない段階にAKBは来たと思います。
異分子を切って隔離した結果が「サリン」です。
迫害された(と受け取った)オウムは、人里離れた上九一色村にサティアンを構築しました。
そのサティアンでサリンは製造され、長野と東京でのテロに使用されたのです。
過去を振り返ってみると、人類は様々な時代で隔離政策を実施しています。
近代だけを見ても、江戸幕府がキリスト教を弾圧した「禁教令」、ナチスの優生学に基づく「ホロコースト」、旧ユーゴスラビアの「民族浄化」など、挙げればキリがありません。
しかし、隔離政策の結果はどうだったのかというと、一時の安定と引き換えに滅亡を呼び込んでいます。
これには理由があります。
エネルギー保存則は、カオスを隔離しても、その総量は変わらないことを教えてくれます。
AKB48論争の光と影 ~エネルギー保存則~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/480bba361b4ed29647474a3c41c48eb0
隔離してしまえば、問題は見えなくなるでしょう。
しかし、問題がなくなるわけではありません。
問題は地下に潜って残り続けるばかりか、集まればその力を増し、いずれ制御不能になる可能性もあります。
また、万里の長城のような長大な壁を作って、外と内を隔てることもできます。
しかし、内を守るために外を隔離すると、外の様子を把握することができなくなり、さらに外に対する影響力も失います。
その結果、内の力が弱まったときに、外的が侵略してきて滅ぼされる可能性が高くなります。
外的から身を守るために防壁を作ることによって一過性の安定を手に入れることができても、その壁に隔てられた外側に対する関心まで失ってしまえば、気づいた時には制御の難しくなった手遅れの問題に直面せざるを得なくなり、結果、己の破滅を招くのです。
これは、今この時代にも起きていることです。
つい最近も、アメリカ軍がイラクで味わいました。
アメリカ軍はイラク戦争での損失よりも、治安維持活動で失ったものの方がはるかに多いです。
ラムズフェルド国防長官が更迭された後、治安維持活動を地元密着型に戦略転換をしてようやく落ち着きました。
治安維持活動に苦戦した最大の要因は、アメリカ軍とイラク住民との関係が疎だったことです。
イラクの住民にとってテロリストは日常のものですが、アメリカ軍は頑強な防壁に囲まれた基地の中にいて、掃討作戦の時だけ外に出てきます。
住民は、アメリカ軍に協力すれば、アメリカ軍が基地に戻った後テロリストに殺されてしまいます。
安全が約束された中央で戦略を立てようとしても、複雑極まる現場の何を反映できるというのでしょうか。
そこいる人々の想い、息遣い、苦しみ、こういったものをわからずして、有効な戦略が立てられるわけがありません。
今、戦いは「非対称戦」へと主戦場を移しています。
我々が直面している問題は、弾道ミサイルと無人爆撃機で倒せる相手ではないのです。
誰もがターゲットに成り得る状況下で、事前にターゲットを明確に区別(隔離)して攻撃することなど、ほとんど不可能です。
それゆえ、当Blogではずっと「理念」としての「恋愛禁止条例」を主張してきました。
「ルール」ではありません、「理念」です。
1人ひとりに「理念」が浸透することで、壁がなくてもガバナンスがとれるようになります。
だから「理念」は、1人ひとりが理解してこそ意味があるのであって、その理解を醸成するための組織力、土壌を養うことが大切なのです。
その観点から、反するものを隔離することは、「理念としての恋愛禁止条例」とは異なる考え方だと言わざるを得ません。
ここは誤解を生みやすいので、念のために補足しておきます。
「辞めさせる」ということと「辞める」ということは別の話です。
前者はクビであり、後者は「切腹」のことです。
わかりにくいと思いますが、意味が違います。
やるな増田
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/faca55009eae53e5ef4477ede8350c29
-------------------------
目指すべき個人と組織の関係性について、他で説明する時に使っている資料があるので、一部をここに掲載しておきます。
個人と組織との関係性で目指すべきものは、相乗効果を生み出す「Win-Winの関係」です。
認識のギャップを乗り越えて、向かう先を合わせなければ、お互いの努力を浪費をするだけです。
「Win-Winの関係」を構築するため、個人と組織が意識を合わせて行くために「恋愛禁止条例」という「理念」を使うことを考えたらどうでしょうか。



恋愛禁止条例 自己責任論に反対する
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/ea854ba7bd0c3c1f300f624ca48032a2
次善策として、AKB48内に「恋愛禁止条例」について多様な考えが存在することを認めるのはどうだろうか
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/330dad703995c71eb0f1df312dffcf43
↑こちらのエントリにコメントで頂いている件です。
一つのエントリで伝えられることには技術的にも量的にも限界がありますし、過去何度か語っていることは前提にしたくなるもので、毎回丁寧に説明するのはなかなかしんどいものです。
ただ、誤解されたまま放置するのは本意ではありませんので、ここで改めて私の考えを述べることにします。
私は、ここで問題提起をしたいと思っています。
まず問題認識を合わせないと議論が深まりませんし、結果として問題を解決できないと思うからです。
対立や混乱よりも、解決こそが皆が望む未来だと思いますので、そこに向かって今一度、語り合うことにしましょう。
よろしくお願いいたします。
-------------------------
上記のエントリについて頂いたコメントから一部転載します。
異分子側を思い切ってAKBから隔離するような世論を盛り上げるのが、現実的だと思います。
異分子側を肯定的に解釈しようとして共存共栄を期待するのは画餅だと思います。
異分子を無理に理解しようとしても、真AKB側と世界観が違いすぎればサリンを撒かれて共倒れです。
異分子とその支持者にはAKB界隈から消し去ってもらうように世論を高めないと、理想論や期待論では前に進めない段階にAKBは来たと思います。
異分子を切って隔離した結果が「サリン」です。
迫害された(と受け取った)オウムは、人里離れた上九一色村にサティアンを構築しました。
そのサティアンでサリンは製造され、長野と東京でのテロに使用されたのです。
過去を振り返ってみると、人類は様々な時代で隔離政策を実施しています。
近代だけを見ても、江戸幕府がキリスト教を弾圧した「禁教令」、ナチスの優生学に基づく「ホロコースト」、旧ユーゴスラビアの「民族浄化」など、挙げればキリがありません。
しかし、隔離政策の結果はどうだったのかというと、一時の安定と引き換えに滅亡を呼び込んでいます。
これには理由があります。
エネルギー保存則は、カオスを隔離しても、その総量は変わらないことを教えてくれます。
AKB48論争の光と影 ~エネルギー保存則~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/480bba361b4ed29647474a3c41c48eb0
隔離してしまえば、問題は見えなくなるでしょう。
しかし、問題がなくなるわけではありません。
問題は地下に潜って残り続けるばかりか、集まればその力を増し、いずれ制御不能になる可能性もあります。
また、万里の長城のような長大な壁を作って、外と内を隔てることもできます。
しかし、内を守るために外を隔離すると、外の様子を把握することができなくなり、さらに外に対する影響力も失います。
その結果、内の力が弱まったときに、外的が侵略してきて滅ぼされる可能性が高くなります。
外的から身を守るために防壁を作ることによって一過性の安定を手に入れることができても、その壁に隔てられた外側に対する関心まで失ってしまえば、気づいた時には制御の難しくなった手遅れの問題に直面せざるを得なくなり、結果、己の破滅を招くのです。
これは、今この時代にも起きていることです。
つい最近も、アメリカ軍がイラクで味わいました。
アメリカ軍はイラク戦争での損失よりも、治安維持活動で失ったものの方がはるかに多いです。
ラムズフェルド国防長官が更迭された後、治安維持活動を地元密着型に戦略転換をしてようやく落ち着きました。
治安維持活動に苦戦した最大の要因は、アメリカ軍とイラク住民との関係が疎だったことです。
イラクの住民にとってテロリストは日常のものですが、アメリカ軍は頑強な防壁に囲まれた基地の中にいて、掃討作戦の時だけ外に出てきます。
住民は、アメリカ軍に協力すれば、アメリカ軍が基地に戻った後テロリストに殺されてしまいます。
安全が約束された中央で戦略を立てようとしても、複雑極まる現場の何を反映できるというのでしょうか。
そこいる人々の想い、息遣い、苦しみ、こういったものをわからずして、有効な戦略が立てられるわけがありません。
今、戦いは「非対称戦」へと主戦場を移しています。
我々が直面している問題は、弾道ミサイルと無人爆撃機で倒せる相手ではないのです。
誰もがターゲットに成り得る状況下で、事前にターゲットを明確に区別(隔離)して攻撃することなど、ほとんど不可能です。
それゆえ、当Blogではずっと「理念」としての「恋愛禁止条例」を主張してきました。
「ルール」ではありません、「理念」です。
1人ひとりに「理念」が浸透することで、壁がなくてもガバナンスがとれるようになります。
だから「理念」は、1人ひとりが理解してこそ意味があるのであって、その理解を醸成するための組織力、土壌を養うことが大切なのです。
その観点から、反するものを隔離することは、「理念としての恋愛禁止条例」とは異なる考え方だと言わざるを得ません。
ここは誤解を生みやすいので、念のために補足しておきます。
「辞めさせる」ということと「辞める」ということは別の話です。
前者はクビであり、後者は「切腹」のことです。
わかりにくいと思いますが、意味が違います。
やるな増田
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/faca55009eae53e5ef4477ede8350c29
-------------------------
目指すべき個人と組織の関係性について、他で説明する時に使っている資料があるので、一部をここに掲載しておきます。
個人と組織との関係性で目指すべきものは、相乗効果を生み出す「Win-Winの関係」です。
認識のギャップを乗り越えて、向かう先を合わせなければ、お互いの努力を浪費をするだけです。
「Win-Winの関係」を構築するため、個人と組織が意識を合わせて行くために「恋愛禁止条例」という「理念」を使うことを考えたらどうでしょうか。



恋愛禁止条例 自己責任論に反対する
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/ea854ba7bd0c3c1f300f624ca48032a2
ここまできたら、異分子側にサリンを蒔かせて、(貿易センタービルに飛行機突っ込ませて)、最終的にそういう異分子側のやり方への非難を結集させ、異分子を隔離する。
以下の展開を覚悟する段階かもしれないです。
勝手に国の秩序を乱した異分子とその支持者は、AKB国から隔離(追放)する
↓
異分子とその支持者はaKBから追放された恨みから、サリン事件やNY多発テロのように、AKB側に報復攻撃を行う
↓
良識社会は、そのような報復を行った異分子とその支持者を、最終的には抹殺する(テロとの戦い=良識社会の最終勝利)
↓
良識社会は再び理念を取り戻す
異分子やその支持者を隔離追放し、異分子側から報復を受けたとしても、それは一時の報復(テロ・戦争)だと割り切る。
このブログで皆様が主張されているような思想的展開に進めばベストだと思いますが、上記展開もベターとせざるを得ない次元に進んでいると思います。
異分子やその支持者を内包したまま、いつまでも気を遣っていては、国家体力が疲弊する。北朝鮮とまともに対話して意味があるでしょうか?中国と分かり合えるのでしょうか?時間と労力のムダではないでしょうか?
対話を信者(指オタ)に求めてどうなってきたか。アンチは去れ!教祖様を批判する奴は抹殺するぞ!と、そんな異分子とまともに理念を構築する価値はあるのでしょうか?
これから先も指原様とその支持者は、毎日のように炎上発言を意図的に繰り返し、それがまとめサイトやyahooのAKBニュースに取り上げられ、AKB国家を蝕み続けるでしょう。
その言動に、価値や理解を求めて、最終的にwin-winになればベストですが、異分子がwin、正統派がloserとなるくらいなら、テロとの戦いも辞さない段階に来た気もします。異分子側からテロを受ければ一時の痛みを伴いますが、それによって正統派の正義、異分子側の暴挙が世論に明示されれば、正統派側の概ね勝利です。
回りくどいですが、端的にいえば、理想論を論議する段階はもう通り越して、異分子側に対しては感情論(国家秩序を乱す潰して排除せよのスタンス)で対応せざるを得ない段階に来たかと思います。
たかがAKBですが、AKBを国家に例えるなら、AKBの国家憲法(憲章)が崩壊しつつある状態であり、国家存続の危機に陥りつつあります。
異分子に理解を求めても無理だから、正統派は武力行使も辞さない、それもやむを得ないのではないでしょうか?
常に運営やヲタより幾つも上の視点から問題を見てる。
それに加えて単なる提案じゃなくて、これでいこう!という意思と現場感がある。
叩上げで成り上がった徳の高い経営者みたい。
一体どんな仕事されてる人なんでしょうか。
意味のないコメントですみません。
でも現実の社会は、管理人さんのような理解ある賢者は1%、残りの99%は愚者です。
異分子とAKBが共存共栄できれば、確かに理想でしょう。
でもこのまま異分子の暴走を理解しようと苦慮したところで、AKBは良い方向に進む可能性は、残念ながらゼロに限りなく等しいでしょう。
カルト宗教化して聴く耳を持たなくなった異分子とその信者に対しては、どんな理念を説いても響かないものです。
隔離・追放に世論を導くやり方はベストではないにしても、現実的選択として、最もベターだと思います。
報復に対する覚悟を決めないでください!(笑)
「(笑)」つけちゃいましたが、よしりんファンさんのマジを笑うつもりなのではなく、純粋に面白いなと思いました。
いい加減な喩えですが、バッターボックスでカーブを待っていたらシュートが来て思いっきり空振りして倒れて笑っちゃった感じです(笑)
自分の周りにはそういったシュートを投げる人がいないので、いい機会です。
是非、よしりんファンさんの考えを学ぼうと思います。
ただ、その前に、私の考えを。
>異分子とAKBが共存共栄できれば、確かに理想でしょう。
>
>でもこのまま異分子の暴走を理解しようと苦慮したところで、AKBは良い方向に進む可能性は、残念ながらゼロに限りなく等しいでしょう。
>
>カルト宗教化して聴く耳を持たなくなった異分子とその信者に対しては、どんな理念を説いても響かないものです。
>
>隔離・追放に世論を導くやり方はベストではないにしても、現実的選択として、最もベターだと思います。
犠牲を前提とした戦略を選ぶのは最後の手段だと思います。
戦略立案過程で安易に犠牲を容認すると、戦略を練り上げるプロセスを飛び越してしまいがちだからです。
たとえば、太平洋戦争における特攻隊がそれです。
効果性の低い戦略で、尊い人財が失われてしまいました。
特攻に向かう若者たちは、気高く、高潔な精神の持ち主だったでしょう。
だからこそ、その気高い精神を最大限に活かし結果に繋げるべく、戦略を練るのが指揮官たる者の務めです。
本文で説明している「Win-Winの関係」ですね。
「何かを成し遂げたい。」「こうあるべきだ。」「どうしようもなく好きだ/嫌いだ」など、人間は生来的に感情を持つ生き物です。
この部分、おっしゃる通りです。
しかしながら、だからといって感情だけでものごとを決めることはなりません。
上で述べた通り、全体に責任を持つ者なら、その感情を、個人と全体の利益に繋げなければなりません。
それが人間が社会的動物であり、社会的に上に立つ者が存在する理由ではないでしょうか。
「全体」をどこまで広げられるか、「個人と全体の利益」をどこまで高められるか、これは上に立つ者の力量によって決まるのです。
その観点から、全体を小さく見積もってはならないと思います。
量子論が示唆するように、部分と全体は不可分で分離できるものではなく、全ては相互依存関係にあります。
もちろん、コントロール可能な部分に専念することは方法論としては重要ですが、認識としては出来る限り全体を見なければなりません。
事態は切迫しているという認識なのだと思いますが、戦略のレベルが高めるために、覚悟を決めるのは一旦保留しましょう!
私は何者でもありません。
単なる妄想族の一員です。
誰が言ったかではなく、何を言ったかでご判断くだされば幸いです。
そう評価される方向に走って、アイドル礼賛の具現対象者に祭り上げられているメンバーの支持者の方が、カルトに見えます。なお、小林よしのりはショービズのプロレスラー。
ドロすすって、パンツ見せ集団言われ、粉浴びて、パイを浴びせられて、富士山登らされたり軍隊に入隊させられたり、酷い目に遭っても自分さらけ出して、見てもらって、汗臭く自分を創っていくのが48。チームKやSKEを称賛する趣旨ではなく、汗臭く感じなくても、制汗デオドラントの香りがするメンバーこそが48(汗かいたんだから)。
AKBが正統派アイドルや王道だったことなどかつて一度もないはずだ。指原は48を体現する代表の1人です。
それを否定する人たち、正当アイドル論にこだわり続ける人には、なぜそう思うのか聞いてみたいですね。
私が言いたいのは、メンバーやヲタが重視する価値観が多種多様で、主義が分かり合えないんだから、それを前提に思考してはどうでしょうか。主さんがそうではないという意味では全くありません。
包容力と他者を理解できない人間の主張や言論など、寂しさゆえに遠吠えている夕方の番犬と変わりがない。理解できなくても、理解しようともせず諦めるとか
ましてや、個人の言論ブログのコメント欄で、名前をその時々の気分でコロコロ変えて、ハンドルネームすら2chレベルの匿名に走りながらいろいろな記事に似たような主張している人が居れば、そんな態度の人の主張は説得力がないなあとも思います(感想)
いやいや、発言自体は運営の検閲を受けたもののはず。
運営側最精鋭の大統領警護隊ぐらいに例えてもらってもええんちゃうのん?
以上ネタ書き込みでした。
よしりんファンさんの価値観において指原がAKBに仇なす存在と位置づけているのは理解できますがルールもなしに感情によって人を裁くことはできません。
テロとの戦に絡めてお話されていましたが、テロに逆上して暴走して失敗したのがアメリカだと僕は認識しています。
まさによしりんファンさんは僕から見てそういう暴走を煽動しているようにしか見えません。
自分が正義であると声高に主張されればされる程に聴衆は胡散臭さを感じてしまいます。
はっきり言ってしまえば独善的です。
こういう極端な考えが出てくる原因の一つには恋愛禁止条例=理念という間違った認識があるからだと思います。
恋愛禁止条例は理念を体現するための手段であるべきです。
戦略ではなく、戦術。
憲法ではなく法律と位置づけるべき。
恋愛をしないこと自体がAKBの存在価値ではないでしょう。
指原がAKBに存在することを僕が肯定する理由は恋愛禁止条例の一段上に存在する理念に指原は即していると考えるからです。
実際にそれを曲解して自分の都合に合わせて利用されているように思います。
理念とするには恋愛禁止条例が何故に制定されたのかとう文脈を皆が共有していて始めて成り立つものだと思います。
前提とされている部分、即ち自己実現(夢)に全力を注ぐという部分を言葉として掲げた上で恋愛禁止を語るべきだと考えます。
その部分を端折るべきではないです。
指原を除けってのはわかるけどそのファンも一緒くたっていう論理がすごいなと思う。
指原ヲタはAKBを好きじゃない、壊したいと思っているという前提?
オカロヲタは?
優子ヲタ、ゆきりんヲタ、にゃんヲタ、みぃヲタは??
スキャンダルを出したことのないヲタが正義で他のヲタは悪??
少なくとも自分の推しが指原とわちゃわちゃ楽しそうにやっているのを見るのは好きです
よしりんと指原のラーメン屋対談も楽しく見ました
そして、それ以上の何かをAKBに求めていませんし、そういうホッコリした感じをAKBに求めている人が可愛いだけのアイドルじゃなくてAKB、そして指原を選んでるんじゃなかろうかと思うのですがどうでしょう?
そしておそらく、そういう人が多数派だから15万票をゲットしたと思う。
>よしりんファンさんへ
純粋な真AKBなるものが有るとしてそれが果たして支持されるのだろうか??