進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

失敗を許すのは容易であるが、人を許すことは難しい ~罪を憎んで人を憎まず~

2013-02-17 17:51:32 | AKB48_心の叫び

罪を憎んで人を憎まず


東洋にも西洋にも、同様の意味の諺があるという。

実に、深い言葉である。

ということを、今日は持論を述べたい。




起業家や識者が集まって「日本のイノベーション」について議論すると、

たいてい「日本はもっと失敗に寛容になるべき」という意見が出る。

新しいアイディアは「千三つ(千に3つくらいしか本当のことがない)」と言われるほどほとんど失敗する。

しかし、失敗することを恐れて誰も新しいアイディアに挑戦しなくなると、その3つに巡り会うことができなくなる。

だから、とにかく挑戦者を多くすることが重要であるが、

新しいアイディアは往々にして直感や慣習に反するものが多いし、何よりも既にモノを持ってる人にすれば新しいモノの必然性が見えにくいため、その活動が支援されないばかりか阻害されやすい。
(イノベーションのジレンマである。)

よって、社会や市場、企業には失敗を許容し挑戦者を多くしていく空気や文化が必要である。

という論理だ。


新しい道を切り拓こうとするドラマや映画などの物語では、寛容で太っ腹のリーダーが、理想のリーダー像として描かれる。

そうだ。

みんなが求めているのは

「失敗を許容する社会なり市場なり企業なりリーダーである!」


となる。

これにはほとんど人々が賛同するだろう。



しかし、これは本当の話だろうか?

私には、それが安っぽい論理に思えて仕方がない。

我々が失敗に寛容的ではないのは「失敗が憎い。」からではない、と私は思う。

そうではない。

我々が、失敗に怒れる時、我々は失敗そのものに怒っていない。

人は「失敗」自体を許すことは比較的容易にできるのだ。

しかし、その裏側にある人の「愚かさ」を許すのはなかなかに難しい。



誰かから何らかの損害を被ったとする。

例えば、「大切な人が傷つけられた。」「部下が結果を出せなかった。」「子供が言うことを聞かずしでかす。」「推しメンが嘘をついていた。」

その時、我々は何について怒るのだろうか。

「失敗」そのこと自体に怒るだろうか?

「大切な人が傷ついたこと」「部下が結果を出さなかったこと」「子供がしでかすこと」「推しメンが嘘をついたこと」に怒るのだろうか?

はじめはそうだろう。

まず、そのこと自体に傷つく。

しかし、間も無く「起きた事象の向こう側にある何か」が気になりだす。

「なぜ大切な人が傷つかなければならなかったのか?」「なぜ部下が結果を出せなかったのか?」「なぜこの子はわからないのか?」「なぜ推しメンは嘘をついたのか?」

それは、「あいつが救いがたい悪人だから」「あいつの能力が足りないから」「あいつの配慮が足りないから」「あいつは自己利益しか考えていない」etc...

我々は「浅はかさ」や「思慮不足」「能力不足」、こういったその人の「愚かさ」が許せないのだ。

だから、我々はいつも「反省」を求める。

同じ説教を「お前はわかっていない」と何度も繰り返す。

「対策」や「救済」ではなく、まず「謝罪」を求める。



しかも、この時、人は合理的に安易な方向に流れがちである。

情報が不足している状況では、事実関係を明らかにし結論を得るのに長い時間をかけるよりも、

限られた情報の中から事実を「仮定」できることの方が、有用な場合も多い。

だが、その結果、とんでもない袋小路にはまることもある。

「あいつが救いがたい悪人だから」「あいつの能力が足りないから」「あいつの配慮が足りないから」「あいつは自己利益しか考えていない」etc...

という「仮定」が許せなくなる。

「事実」ではない「仮定」を許せなくて怒るのだとしたら、これは不幸であろう。



だが、どうだろう。

なぜ我々はこれらを愚かしいものと考えるのだろう。

自分の想像を超える範囲での失敗かもしれないのにである。

それは、相手を自分よりも愚かしいと存在だと思うからである。

「わかっていない」から問題を起こすと考える。

だから、「失敗を許容する社会、市場、企業」こういったものが欲しかったら、

まずそれを構成する人々が知の不完全性を自覚しなければならない。

簡単に言ってしまえば「自分はバカだ」と思う人々に構成される組織体は、失敗に寛容である。

自分が知らないと思うから、何が起きたのか、何が起きているのか、知ろうとする。

何が問題だったのか、何が問題の再発を抑止するために課題となるのか、これらを知ろうとする。

逆に「自分は賢い」と思っている人々が多数派となるような組織体に進歩はない。

あらゆることを見下し、「仮定」して、怒るからである。



罪を憎んで人を憎まず


実に優れた知恵である。

格言とは、かくあるべきだろう。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿