やすす先生! 鬼になれ! そして前へ進み、河を渡るのです!
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/e757f5634174d9975a4874bed4b2e24e
↑こちらの記事にYossie kaさんから当Blogとは異なる立場での非常にいいコメントを頂けたので、これを基に議論を発展させていきたいと思います。
(コメントありがとうございます!)
本エントリは、第2弾。
サプライズ手法に対する疑問に回答します(1) ~直接的な情報発信~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/2b073e5db2ac14c7c2f3d4756030801e
の続きです。
◆◆◆◆◆◆
2つめ。
タイミングです。
今回はこれまでにない新しい波が来ている最中での
イベントでした。
SKE48が控えた4月単独コンサート。
NMB48の新公演。
そして、ぐぐたす選抜。
大切な、新しい芽です。
しかしこれらの淡く新鮮な期待感を、
「ファンにとっては」ネガティブな発表で
一気に蔑ろにされた感があります。
ぐぐたすのあの盛り上がり、何だったんでしょうね?
素晴らしい歌、衣装、見た事も無い選抜の組み合わせ。
しかし残ったのは、これからどうするの?という
不安だけです。今の所。
みんなが一生懸命に積み上げたモノをあっさりとぶち壊す秋元氏の手法への憤り、だと受け取ってよいでしょうか。
(違ってたらコメントください!)
気持ちは非常によくわかります。
ただ、今回の人事に関する理解の全般に言えることなのですが、
これはもう「立場の違い」としか言いようがありません。
政治の世界に見られる「マクロ vs.ミクロ」の対立構造と同じものです。
けっこう前に似たような主旨のエントリを書いたことがあるのでリンクを張ります。
民主党が政権交代を果たした2009年当時のものです。
(読みにくいこと極まりない文章ですが・・当時はこのBlogも堅苦しかった・・)
亀井金融相が浮き彫りにする「マクロvsミクロ」の構図
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/67d8a60006790b69fa7762872c8aaf29
政治的紛争を解決するためには、皆がもう少し「マクロvsミクロ」という構図に着目すべきだと思っている。
今回の案件についてもいえることだが、いわゆるマクロ重視派は合理的な全体最適を指向しているが、ミクロ重視派は全体最適よりも個別最適を指向しており、両者の意見は一致することがほとんどない。
政策が個別的案件に深化すればするほど全体最適から遠のく可能性が高いからだ。
両者の違いの理由は簡単で、前者は何らかの特定の物事に利害関係を持たないので全体最適指向を持つことができるが、後者は利害関係を持っているので個別最適指向になりがちだ。
前者は学者に多く、後者には政治家や弁護士、活動家などに多い。
これは、それぞれの立場(役割)から必然的に導かれる特徴であり、単純には正誤をつけられる問題ではない。
完璧な政策を立案できない以上、両方のバランスをとるのが最適解だろうと個人的には考える。
[中略]
全体最適の方が効果は高い。
だが個別最適を無視した形で政策を進めることもまた難しい。
この両方のバランスをとることが、政治そのものなのである。
「マクロvsミクロ」の解決に向けて
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/5503aed405c498d34b4f339527cbe914
結論としては、「マクロvsミクロ」の問題を乗越えるためには、ミクロ重視派の動機となる部分の「生存本能」と「自己投影」に十分に配慮した上で、最大の要因である「限定合理性」の部分に解決策を提案することである。
↑という玉虫色の結論になっているのですが、中長期的な観点で全体の為にも個人の為にもなると考えられることが、短期的な要因でうまくコトが進まない、ということは往々にして起きる問題です。
その最たるものが「教育」ですね。
今勉強しておくべきなのに、ついつい後回しにすることが起きたりします。
人には「非時間整合性」という特性があって、同じことについて考えるにしても、今と未来とでは考え方が変わってきます。
人の知性は不完全だという「限定合理性」の問題が潜んでいるからです。
また、この不確実な世界では、未来のことを確定できる人はいないため、それがうまくいくというアイディアもまた、信念に基づくものであって、完璧な論拠を提示することはできません。
だから、ひたすらに、中長期的にその方がうまくいくという発想を信じるかどうか、という問題なのです。
AKB48の場合は、多くの人々が秋元康氏の考えを信じるという行動原理を示していると思います。
資本関係もないAKB48をとりまくステークホルダーが、秋元康氏の号令をひたすらに受け止めるのは、自分達よりも、彼の信念、経験、能力を信じた方がよいと思うからです。
もちろん、秋元康氏の判断がいつでも正しいわけでもありません。
だから彼は「悩む前にやってみて試す、だめならやめればいい。」をモットーにしているはずです。
(イノベーションはこういうところから生まれるものです。)
彼を信じることができない人は、彼の判断に反対するでしょう。
しかし、反対する人がいても不思議ではありません。
政治の世界ではよく見られる、それこそ毎日のように見られる話です。
立場の異なる人がいれば、意見対立が起きるのは極自然なことです。
では、どうすればよいか。
答えはありません。
それは政治の世界をみればわかります。
かつて様々な政治哲学者が挑んてきたこの問題に、答えは出ていません。
全体最適の方が効果は高い。
だが個別最適を無視した形で政策を進めることもまた難しい。
この両方のバランスをとることが、政治そのものなのである。
だから言えることは、たった一つ。
運営は、ファンの「気持ち」を大切に想う、しかないということです。
ここに答えがあれば、それこそマイケル・サンデルより有名になれますよ。