進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

チーム4はどうすればいいのかな?

2012-03-29 20:40:42 | AKB48_軽ネタ
サプライズ手法に対する回答シリーズはまだ終わっていないのですが、ちょっと休憩。
すみません、集中が続かなくて・・。

  ε=( ̄。 ̄;)フゥ


たわいもない話なのですが、
SSAに行ってから毎日チーム4の『走れ!ペンギン』を聴いています。

チーム4は潜在力は高いと思うのに、いかせてませんね。
可能性は、AKB48内で随一だと思うのですが、はたして。

何かが足りない気がするのですが、う~ん。
経験?
違うな。

同期で集まり過ぎ?
それはあると思う。
仲良し感が良さでもあるんだけどね。

ベテランが必要かな。
う~ん、何か違う発想ができそうな気はするけど。

上がいて出番がない?
う~ん、作ればいいんだよね。
チャネルを。

何かと組むんだなきっと、何かと。
何がいいのかな。


チーム4推しの方はいらっしゃいませんか?
いろいろと教えてください!



それと、次の総選挙は投票したいのですが、あれ投票権だけ買いたいよね・・。
CDと投票権を抱き合わせにして複数枚買わせる気だなんて批判されるけど、一方でCDと抱き合わせになっていることが複数枚買いへの抑止力になっているのは間違いないよね。

10票くらいならほほいと入れたいけど、CD10枚もいらん・・

【AKB48】サプライズ手法に対する疑問に回答します(3) ~采配~

2012-03-29 12:31:10 | AKB48_オピニオン
やすす先生! 鬼になれ! そして前へ進み、河を渡るのです!
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/e757f5634174d9975a4874bed4b2e24e

↑こちらの記事にYossie kaさんから当Blogとは異なる立場での非常にいいコメントを頂けたので、これを基に議論を発展させていきたいと思います。
(コメントありがとうございます!)

本エントリは、第2弾。

サプライズ手法に対する疑問に回答します(1) ~直接的な情報発信~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/2b073e5db2ac14c7c2f3d4756030801e

サプライズ手法に対する疑問に回答します(2) ~「マクロ vs. ミクロ」の構図~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/fb8016295797abd4e6befdce2b362718

の続きです。

◆◆◆◆◆◆

3つめ。
AKBエース、象徴の卒業発表。
ネガティブサプライズはすべてここに繋がるのかと勘ぐらせてしまう、
全てが吹き飛ぶ激震です。
このタイミングは、前田敦子に委ねられていたのかもしれませんが
あまりに急です。

何を慌てているのでしょう。
確かに秋元氏は、今年は批判覚悟、痛みを伴う改革と断言しました。
今AKBは緩やかに下降を始めたと意識しており、改革は急務ですが、
それにしてもやり方が性急過ぎて鼻につきます。
劇薬投与にも用法・容量があるはずです。

この大切な場面をスマートに演出できなかったこと。
ぶっちゃけると「色んな意味で偏愛なサプライズだなぁ」という
感想しか生まれませんでした。

個人的に、ですが、この改革はドライに偏り過ぎです。
会社・社会組織を考慮する時、秋元氏の手腕、
スピード感は賞賛されるべき挙動だと思います。
が、型にはめるべきでないこともあります。


SKE48/NMB48からの2名のAKB48を兼務することが、前田敦子の卒業から端を発している、もしくは前田敦子の卒業は今なくても将来的には想定される事態ですので、この布石としての戦略だとすれば、これは運営が意図した「サプライズ」とは違います。

サプライズ手法に対する疑問に回答します(1) ~直接的な情報発信~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/2b073e5db2ac14c7c2f3d4756030801e

で述べたように、今回のことは情報共有であって、サプライズではないと私は思います。

驚かせようと、面白くしようと思って発表したのではなく、練り上げた今後の戦略を皆さんに共有しようと思って報告した。
これが正しい認識だと思います。

前田敦子の卒業だけでなしに、上位メンバーの卒業なり、中長期的なAKB48全体のことを考えると、多少なりともスピード感を持って備える必要があると運営は認識しているのだと思います。
このままでも短期的にはうまくいくかもしれませんが、秋元氏はあえてここで決断したと。

「スマートに演出できなかった」のは、その余裕が運営にはなかったと考えるのが適切な認識ではないかと思います。
誕生日プレゼントのように、サプライズを企画して盛り上げるだけの余裕がなかったのです。

手遅れになる前に布石を打っておかなければならないということの優先順位が圧倒的に高かった。
だからあらゆることの調整が未にも関わらず、方針をまず出した。
準備が出来てからでは遅いのと、準備をしている途中で利害関係の調整が難しくなって動けなくなるのを回避するために。

◆◆◆◆◆◆

と、ここまで書いてググタスでやすす先生の投稿が。




やはり、前田敦子の卒業は最後まで本人に委ねられていたようですね。

すると、運営(やすす先生)は、いつ来るかわからない前田敦子の卒業に備えて、将来の不確実性に備える必要があって急いだ。

急いだことが良いことなのか、悪いことなのか。

私は、やすす先生の判断を評価します。
なぜなら、私がやすす先生の立場だったら、やすす先生のような決断ができたかというと、できなかった可能性が高いです。

まず、最終判断を前田敦子、本人に任せた。
これができない。

辞めるかどうかわかっていないし、卒業して欲しくないから根回しのしようもない。
やすす先生の胆力は、さすがとしか言いようがない。

それでいて、そのための布石を打っていおいた。

中日ドラゴンズの監督、落合博満さんの『采配』の言葉が、思い出されます。

自分の采配を「正しかったか」
それとも「間違っていたか」
という物差しで考えたことがない。

ただあるのは、
あの場面で最善と思える決断をした
ということだけである。


どんな局面でも、采配というものは結果論で語られることが多い。
采配の是非は、それがもたらした結果とともに、
歴史が評価してくれるのではないか。
ならばその場面に立ち会った者は、
この瞬間に最善と思える決断をするしかない。


決して完璧な決断ではありません。
しかし、その瞬間において最善と思われる決断を積み重ねている。

言い訳に聞こえるかもしれませんが、私はそう思います。

【AKB48】サプライズ手法に対する疑問に回答します(2) ~「マクロ vs. ミクロ」の構図~

2012-03-29 10:58:22 | AKB48_オピニオン
やすす先生! 鬼になれ! そして前へ進み、河を渡るのです!
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/e757f5634174d9975a4874bed4b2e24e

↑こちらの記事にYossie kaさんから当Blogとは異なる立場での非常にいいコメントを頂けたので、これを基に議論を発展させていきたいと思います。
(コメントありがとうございます!)

本エントリは、第2弾。

サプライズ手法に対する疑問に回答します(1) ~直接的な情報発信~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/2b073e5db2ac14c7c2f3d4756030801e

の続きです。

◆◆◆◆◆◆

2つめ。
タイミングです。
今回はこれまでにない新しい波が来ている最中での
イベントでした。
SKE48が控えた4月単独コンサート。
NMB48の新公演。

そして、ぐぐたす選抜。

大切な、新しい芽です。
しかしこれらの淡く新鮮な期待感を、
「ファンにとっては」ネガティブな発表で
一気に蔑ろにされた感があります。

ぐぐたすのあの盛り上がり、何だったんでしょうね?
素晴らしい歌、衣装、見た事も無い選抜の組み合わせ。
しかし残ったのは、これからどうするの?という
不安だけです。今の所。


みんなが一生懸命に積み上げたモノをあっさりとぶち壊す秋元氏の手法への憤り、だと受け取ってよいでしょうか。
(違ってたらコメントください!)

気持ちは非常によくわかります。

ただ、今回の人事に関する理解の全般に言えることなのですが、
これはもう「立場の違い」としか言いようがありません。

政治の世界に見られる「マクロ vs.ミクロ」の対立構造と同じものです。
けっこう前に似たような主旨のエントリを書いたことがあるのでリンクを張ります。
民主党が政権交代を果たした2009年当時のものです。
(読みにくいこと極まりない文章ですが・・当時はこのBlogも堅苦しかった・・)

亀井金融相が浮き彫りにする「マクロvsミクロ」の構図
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/67d8a60006790b69fa7762872c8aaf29

政治的紛争を解決するためには、皆がもう少し「マクロvsミクロ」という構図に着目すべきだと思っている。

今回の案件についてもいえることだが、いわゆるマクロ重視派は合理的な全体最適を指向しているが、ミクロ重視派は全体最適よりも個別最適を指向しており、両者の意見は一致することがほとんどない。

政策が個別的案件に深化すればするほど全体最適から遠のく可能性が高いからだ。

両者の違いの理由は簡単で、前者は何らかの特定の物事に利害関係を持たないので全体最適指向を持つことができるが、後者は利害関係を持っているので個別最適指向になりがちだ。

前者は学者に多く、後者には政治家や弁護士、活動家などに多い。

これは、それぞれの立場(役割)から必然的に導かれる特徴であり、単純には正誤をつけられる問題ではない。

完璧な政策を立案できない以上、両方のバランスをとるのが最適解だろうと個人的には考える。

[中略]

全体最適の方が効果は高い。

だが個別最適を無視した形で政策を進めることもまた難しい。

この両方のバランスをとることが、政治そのものなのである。


「マクロvsミクロ」の解決に向けて
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/5503aed405c498d34b4f339527cbe914

結論としては、「マクロvsミクロ」の問題を乗越えるためには、ミクロ重視派の動機となる部分の「生存本能」と「自己投影」に十分に配慮した上で、最大の要因である「限定合理性」の部分に解決策を提案することである。


↑という玉虫色の結論になっているのですが、中長期的な観点で全体の為にも個人の為にもなると考えられることが、短期的な要因でうまくコトが進まない、ということは往々にして起きる問題です。

その最たるものが「教育」ですね。
今勉強しておくべきなのに、ついつい後回しにすることが起きたりします。

人には「非時間整合性」という特性があって、同じことについて考えるにしても、今と未来とでは考え方が変わってきます。
人の知性は不完全だという「限定合理性」の問題が潜んでいるからです。

また、この不確実な世界では、未来のことを確定できる人はいないため、それがうまくいくというアイディアもまた、信念に基づくものであって、完璧な論拠を提示することはできません。

だから、ひたすらに、中長期的にその方がうまくいくという発想を信じるかどうか、という問題なのです。

AKB48の場合は、多くの人々が秋元康氏の考えを信じるという行動原理を示していると思います。
資本関係もないAKB48をとりまくステークホルダーが、秋元康氏の号令をひたすらに受け止めるのは、自分達よりも、彼の信念、経験、能力を信じた方がよいと思うからです。

もちろん、秋元康氏の判断がいつでも正しいわけでもありません。
だから彼は「悩む前にやってみて試す、だめならやめればいい。」をモットーにしているはずです。
(イノベーションはこういうところから生まれるものです。)


彼を信じることができない人は、彼の判断に反対するでしょう。
しかし、反対する人がいても不思議ではありません。
政治の世界ではよく見られる、それこそ毎日のように見られる話です。
立場の異なる人がいれば、意見対立が起きるのは極自然なことです。

では、どうすればよいか。

答えはありません。
それは政治の世界をみればわかります。
かつて様々な政治哲学者が挑んてきたこの問題に、答えは出ていません。

全体最適の方が効果は高い。

だが個別最適を無視した形で政策を進めることもまた難しい。

この両方のバランスをとることが、政治そのものなのである。

だから言えることは、たった一つ。
運営は、ファンの「気持ち」を大切に想う、しかないということです。

ここに答えがあれば、それこそマイケル・サンデルより有名になれますよ。

HKT48 宮脇咲良 の被災地訪問に関する投稿がよくできてる

2012-03-29 06:00:34 | AKB48_メンバー
名前が間違っているのは大目にみてやってください。
(横山由依,仲俣汐里,竹内美宥)











被災地を訪問した岩田華怜と宮脇さくらの投稿に感動した(AKBまとめんばー)
http://akb48matome.com/archives/51812218.html


中学生で小論文(作文?)コンテストやったら入賞する内容ですね。
国語できるんだろうな~。
(私は国語が苦手でした・・)

子供なりの知的さがすごい出てると思います。
それだけで、ものすごい好感が持てるものです。

文章全体の構成もいいし、「きらきら」の表現が特にいい。
「さくら咲け」は毎投稿の最後に入れてるようなのですが、今回の内容にすごいはまってる。
最後に「桜」と自分の名前である「さくら」がかかっていて、すごい暖かい気持ちになりました。



なんにせよ、文章を書く力は、すごく大事なものです。

文章を書くテクニックもそうなのですが、
そもそも、書く内容がないといけませんので、
普段から視点を持っていないといけませんし、
その視点から入力された情報を、
自分の内面にあるものと突き合わせて理解する力もないといけませんし、
その解釈したものを形のあるものへ変換する表現力が必要です。

これは人間にしかできない、すごい知的作業なのです。

書く力というのは、広い意味での人間力なのですね。