AKB48と全く関係ない話で恐縮ですが、竹内さんの投稿を読んだらあることを思い出しました。
当Blogの読者に学生の方がいらっしゃるかわかりませんが、少しだけ語らせてください。
めちゃくちゃ大したことない話なので、時間のある人だけ読んでください。
(何も知らないくせに!と言われるかもしれないけど・・)
きっと竹内さんは優秀な方なのでしょう。
パッと見、知的な人にも見えます。
でも、竹内さんは100点を取ろうとしたんじゃないのかな?と思いました。
それが原因じゃないのかなって。
100点を取れないのは。
100点を取ろうとしてる内は、100点は取れないのです。
100点を取りたかったら、120点を狙わないとだめなのです。
テストの話だけではなく、全てにおいてね。
そんなことを考えていたら、学生の時のことを思い出しました。
大学1年の時、「実験」に関する授業がありました。
内容は、チーム活動なのですが、測定したい何かを自分達で決めて、その測定方法を自分達で考えて、実際に計測器をゼロから作るというものでした。
1テーマについて、たしか2週間程度でレポートに仕上げて、それを授業のある期間中に何回も繰り返すのです。
始めは、チームメンバー各自が持ってる既存の知識をベースに、測り方を知っているネタをやるわけです。
測定するテーマを先に決めるのではなく、測定方法を知っているテーマからはじめるということです。
ところが、幾つもテーマをやるので、そのうちネタが尽きるわけです。
(ここは授業の狙い通りなわけですね。)
そうすると、調査や議論しながら、自分達でテーマを捻り出さねばなりません。
これが辛いのです。
毎日徹夜でした。
(それが楽しかったのですが)
この知的訓練によって身につく技術にはいろいろあるのですが、その中でも長短のある技術が「自分が納得していないテーマでもレポートを仕上げる技術」があるかと思います。
体裁を整えて、わかった風に考察を並び立てて、それらしく見せる技術です。
この技術は社会人になると役立ちます(笑)
で、この授業ではレポートを指導教員に手渡しで提出するのですが、その場で採点されるのです。
採点者と作成者がその場で議論しながら点数を決めるシステムなわけです。
何回目かのレポート提出時に、ひとしきりレポートを読み終わった指導教員はこう言いました。
ずるいなー。
減点するところがないわ。
点数を付けると100点になる。
だが、つまらん!
面白くもなんともない。
そう言うと、ため息交じりに、少し軽蔑したような視線で私達を見つめたのです。
私は、その時に悔しいというより、恥ずかしいに近い感情に襲われました。
私達のチーム(主たる執筆者であった私)が、中身がないのにカッコつけようと100点を取ろうと狙っているのがバレバレだったのです。
お前、何100点狙ってんだよ。ガキがっ! よっ!おぼっちゃん。
と言われた気がしてなりませんでした。
わかっている、わかっているのだ。
私だって、そうしたくて、そうしたんじゃない。
満足のいくネタが尽きて仕方がなく、そうしたんだ。
だが、指導教員が何を言いたいのかもよくわかっていた。
私は、最後まで120点を狙ってチャンレジしようとしなかった。
所詮は授業だからと、100点を狙いにいったのだ。
だが、その一方で、失敗したって何の痛みもない授業程度のことで、何を恐れて100点を狙いにいったのか?
最後の最後まで、120点を狙って知恵を振り絞る作業を怠ったのはなぜか?
失敗したところで何のリスクもないのに、何を恐れたのか。
100点を取ろうとするよりも、120点を取ろうとした方が得るものが大きかったはずなのに。
自ら成長の可能性を捨てたのだ。
カッコつけたかった、それだけのために。
よく考えてみれば、何に対してカッコつけたかったのかもよくわからない。
たぶん、いい点数をとらないとダメだと思った。
それが敗因だ。
点数だよ。
何のために?
◆◆◆◆◆◆
私は、テスト勉強なんてくだらないと思ってる。
学習というのは、自分を変える(成長)ためにあると思っているから。
テスト結果なんてものは、日常的なものの結果でしかないし、それ以上のものを望んでテスト勉強なんかしてみても、何も実態を映さないから。
だから、私は昔から、獲得した点数に一喜一憂したりしない。
点数が自分を変えてくれることはないのだから。
100点取ったら100点取った自分がいるだけだし、30点取ったら30点取った自分がいるだけだ。
点数をとるために勉強するなんて馬鹿ばかしい。
自分を変えたかったら、生活習慣を変える努力をした方がいい。
それでもテストを1つの機会として、自分を高めたいと思うなら、100点ではなく120点を目指すべきだ。
勉強とは自分を変えることなのだから、自分自身をテストに規定する必要はない。