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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

ブログ近況情報(2009/10/28)

2009-10-27 23:56:20 | ブログ情報(News Release)
不定期でお届けしているブログ近況報告です。

10/19にお届けした(ソニーは普通の会社になったのか ~前編~)にてついに一日500アクセスを記録しました。
(続編が遅れており、大変申し訳ございません。自分に課した宿題が溜まりすぎて処理できておりません・・)
池田信夫blogにトラックバックを貼らせていただいたことが主要因と思われます。
その後は池田信夫blogがgooブログからlivedoorブログに移行したことも手伝い、順調に下降トレンドです・・(笑)

現在、だいたい一日100アクセスほどで推移しております。
今のところ目標に掲げた一日1,000アクセスは夢のようでありますが、細々と地道でも継続して運営してまいりたいと考えておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

個人的な能力の限界で、エントリ作成にあまり時間を避けず、内容について質よりも量をとっている感もございます。
見苦しい点あると思いますが、ご了承ください。

>ttosiさん、はんてふさん、snowbeesさん
コメントいただきありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。

>みなさま
当Blogではコメント/トラックバックはエントリに関係のあるものである限りフリーで運営しております。
どなたでも遠慮なくどうぞ。
今のところ辛らつなコメントもなく、みなさまの善意に感謝しておるところであります。

PS.
前回、今後はスピリチュアルに力を入れていくとご報告させていただいたのですが、どうもスピリチュアルネタは受けが悪く、アクセス数が伸びません。
同じgooブログでも(伊勢ー白山 道)は大変人気なのに残念です。
思うに、スピリチュアル業界は格差が激しいような気がします。
個人的な感覚としては全くひけをとらない自信があるのですが・・時間がかかりそうです。
しかも、スピリチュアル方向にひた走るとアクセスが伸びない上に、政治・経済系の方がおろそかになり余計にアクセスが伸びないというジレンマに陥ってしまうと。
長期的視野が必要のようです・・。
その前に、そもそも何が目的でブログをはじめたのかというところが重要なのですが・・

以上です。

国民は政治家を育てるコストを負担すべきである

2009-10-27 23:23:19 | 政治
当ブログでは小泉進次郎氏を今後が期待される政治家として応援しています。

小泉進次郎氏、自民党のヤジに苦言…所信表明演説(スポーチ報知)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091027-00000049-sph-soci


小泉進次郎衆院議員(28)は、鳩山首相の所信表明演説中、ヤジを飛ばし続けた自民党の先輩議員たちに苦言を呈した。「今の自民党がやらなくてはいけないことは民主党を批判することではなくて、民主党を検証すること。そのための臨時国会だと思います」と話した。

鳩山首相の言葉に黙って耳を傾けていた進次郎氏は「言葉遣いは平易で分かりやすかったが、言葉の先にあるビジョンが分からなかった」と厳しく採点。遊説局長代理らしく、あくまでヤジらずに理路整然と指摘した。

 惨敗した参院補選を終えて、この日19日ぶりに再開した自身のブログには「民主党が進めようとしている政策が国益に沿うなら協力すべき」と記した。非難中傷合戦は28歳の新人議員の望むところではないようだ。


率直に見て現時点で彼が他の政治家に比して何らかの能力に秀でているとは思わないが、私は彼の資質に大きな可能性をみている。
保守的な日本人が実績を重んじるのはよくわかる。
(保守については日を改めて議論する)
役割に適した人材が必要なのは確かであろう。
しかし、役割が人を育てるという一面もまたある。
我々は未来への投資として、将来性のある若者に役割を任せるコストを受け入れるべきだと考えている。
(できる人を配するのは容易いが、できるよう人を配するのは難しい。)

このことは、内田樹のいう「教育=贈与論」ともつながってくる。

教育=贈与論(内田樹)
http://blog.tatsuru.com/2009/10/22_1155.php


教育の目的はただひとつである。
それは人を成熟に導くことである。
誰も人間を他動的に成熟させることはできない。
人間を成熟させるのは自分自身である。
そのためには主体の側に「成熟しなければならない」という強い決意が必要である。
ひとが「私は成熟しなければならない」と思う理由はひとつしかない、それは「成熟しなければ、理解できないことがある」からである。それが理解したいからである。
教育の「謎」は「どうしてこの人は私にこのようなものを贈与するのか?」という問いのかたちで構造化されている。
もし、その贈与が対価とつりあうものであれば、それはすこしも「謎」ではない。
なるほど、私がこれだけのものを支払ったのだから、これが手渡されたのだなということに納得がいけば、それは「謎」ではない。
それはただの等価交換である。
等価交換をどれほど積み重ねても人は成熟しない。
「私が今使っている価値の度量衡では計測できない価値」について知りたいと思うことはない。
私たちは、「それが何を意味するのかが、今の私には理解できない贈り物」が手渡されたときにのみ、その意味を解明するためには「成熟しなければならない」と思い始める。
教育はだから「教える側がまず贈り物をする」ところからしか始まらない。
教育を市場の言葉で語ることが虚しいのは、凡庸なビジネスマンたちはまず「ニーズ」が存在し、それに対して「サプライ」があるという継時的なかたちでしか需給関係を構想できないからである。
真に優れたビジネスマンは、経済活動においてさえ、その本質は「贈与」にあることを知っている。
「最初の一撃」はつねに「なんだかよくわからないものの贈与」としてしか始まらない。
あるいは、「なんだかよくわからないものを贈与された」という自覚(または勘違い)からしか始まらない。
そこから交換が始まる。
反対給付を動機づけるのは、「贈与された」という事実ではない。「なんだかわからないものを贈与された」という事実なのである。


当ブログのいつも主張の繰り返しなのだが、この宇宙に存在する限りトレードオフから逃れることはできない
当然、教育にもコストがかかる。
そのコストを誰かが負担しなければならない。
政治家を育てるコストは、政治家が社会的存在であるという性質上、社会的な存在として位置づけられた国民が負担すべきものだと私は考える
(本来的な意味で政治家が必要か?みたいな話までいけばまた異なる意見にはなるが)

隣の小泉進次郎(山本一太)
http://ichita.blog.so-net.ne.jp/2009-10-27-1


隣の席には小泉進次郎衆院議員。 少し会話を交わしただけで、スグに分かる。 この若手政治家はただものではない、と! ブランドも、能力(中身)も、容姿も、若さも、オーラも持っている。 14年間も政治家をやっているが、ちょっと見たことない、な。 こんな20代の政治家!!(ワクワク)


小泉純一郎氏を嫌いな人たちは進次郎氏のことをよく見ていないだろうが、山本一太氏の表現は彼について誰もが思う率直な意見だと思う。
(山本一太氏の表現はいつも大げさだけど)
確かに今は物足りないかもしれないが、可能性を感じるのだ。

亀井入閣サプライズと郵政人事を結ぶ点と線

2009-10-27 04:51:54 | 政治
本エントリはSF(スコシ・フシギ)な物語である。

日本郵政の社長人事が暗示する財政の「Xデー」(池田信夫, Newsweek)
http://newsweekjapan.jp/column/ikeda/2009/10/post-73.php

元大蔵事務次官斎藤次郎・日本郵政社長(極東ブログ)
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/10/post-eb12.html

これらのエントリに触発されてなんらかの意見を述べたくなりました。

郵政の社長に元大蔵次官が天下ったということで大騒ぎが起こっている。
理由は大きく2つ。
一つは民主党が掲げた「脱官僚」「天下り・渡りの完全撤廃」に明らかに反すること。
もう一つは民主党が大増発するであろう国債の引き受けてとして郵貯を復活(財投復活)する懸念があること。
ここに少し補足すると、今回の人事に小沢一郎氏の関与が疑われること。
であるが、私は今回の人事についての騒ぎ方を間違っているように思う。

なぜか?

「人事」と言うのは世間が騒いでいるほど簡単なものではない
「人事」は組織の内部統制だけでなく組織の外部への意見表明としても大きな意味を持つため、簡単に決めれるほど単純なものではなく、特に大組織の社長人事のようなものは幾重にも要因が絡んで決定される。
「今回の人事は○○によって決めました。」というような一つの軸を期待して質問するのはナンセンスだ。
なぜなら回答は人によって異なることが想定されるからだ。
(取締役会の指名委員会がみな同じ考えであると想定すること自体がナンセンス)
思惑まで含めて全会一致で決まる人事なんていう事例がどれだけあるか知らないが、郵政のようにステークホルダーが多種多様な場合、まず無理だろう。
誰かは妥協し、誰かは意のままのつもりで、誰かは爆弾を仕込み、誰かは裏の人事を操るものだ
完全な解が欲しいならステークホルダー全員分のことを考えなければならない。

亀井氏的に今回の人事を見れば「(民間に)他になり手がいなかったから」だ。
財投うんぬんは副次的要因であって主要因ではない。
だが、他のステークホルダーにも理由がないわけではない。

-<>-<>-<>-<>-<>-

どのような組織においても(立場の違いが権限の違いである組織において)、「人事」というのは内部統制上最大の影響力を持つ武器である。
どのように経営システムを構築しようとも、経営の内部的表現は「人事」において示される。
どれだけ立派なスローガンだけ掲げても、人事を変えないで組織を変えようというのは無駄である。
なぜなら、組織は「人」によって構築されるものであり、「人」なくして成り立たないものだからである。
「バーチャル組織」「メタ組織」なるものが存在するとしても、構成員なくして存在せぬのである。
人が変わらねば組織は変われぬのである。
しかし、人を変えるために必要なものは、人に対する役割(枠組み)を変えることである。
わかりやすくいえば「あなたの仕事はこういう役割ですよ」と与える必要がある。
人に与える役割を変えずして、行う仕事を変えるのは無理である。
(日本では役割変えずに仕事を変えるよう求めることを「精神論」という。)
人は自由だというのは自由だが、その一方で人は与えられた枠組みの中で振舞おうとする習性がある。
(ここの説明は大変なのでかなり簡略するが)
役割が与えられなければ人は何者にもなれず、役割が与えられて人は初めて何者かになれる。
(結婚せねば夫になれないし、付き合わねば恋人にもなれない。学校に通わねば生徒にもなれない。etc...)
そして人は何者かになることで、何者かであることから学ぶ。
(G.H.ミードの社会的自我とユングのペルソナとをミラー・ニューロンで結びつけるのだ)
つまり、リーダーによって組織が変わるのは、与える役割の定義が上手/下手があるからだ。
もちろん、リーダーを変えずしてリーダーの役割を変えることも可能だろう。
しかし、その場合、長期的に維持されてきた長期的関係の破棄が同じ構成員で行えるのかという問題がある。
裏切り的要素のある行為を同じ構成員で正当化できる局面もあるだろうが、多くの場合かなり難しい。

-<>-<>-<>-<>-<>-

年功序列組織において次の課長を決めるのは簡単だが、そうでない組織において社長人事のような重大な人事を決めるのは容易ではない。
通常、一つの項目だけで社長を決定するようなことはせず、多くの項目において評価されて総合的に一人が選ばれる
(例えば、実績あるか、将来性あるか、専門性が生かせるか、部下との信頼関係築けるか、その他リスク、etc...)

日銀総裁人事の時の民主党のあり方をみれば、退官後何年経とうとも元官僚による天下りが許容できぬことぐらい誰でもわかる。
「財源」項目に最高点がついても、「民主党に対する信頼」項目に最低点がつくのである。
そのことが頭にあれば、民主党が立てた「脱官僚」の旗印を無視して「財投復活」的な選択をするのはリスクが高すぎて容易ではないことがすぐわかるはずだ。
そんなことをしてしまったら内閣が倒れてしまう可能性すらある。
相当頭がいかれていない限り、"民主党"にそんなリスクをとることはできない。
(世間は民主党の頭がおかしいと思っているようだが、そんな単純な話ではない。)
いや、正確にいえば"民主党"には無理だ.(ここ強調)

なぜか(トンデモと取られるのを恐れてか)誰も言わないが、亀井静香氏が重宝されている理由は実は簡単だ。
連立に対する世間の批判がわかっていながら亀井氏を重宝し続ける理由だが、「参院の議席が足りないから」だけではない。(理由は幾重にも絡んでいる)
汚い仕事は亀井の頑固じいちゃんにやってもらいたいからだ。
亀井氏が社会主義者であろうと革命家であろうとどうでもいいのだ
(これはむしろなめているのではなく、かっているのである)
いや、むしろその方がよいのである。
民主党にできないことを国民新党の亀井さんにやってもらって、次の参院選で責任をとらせておさらばするだけだ。
つまり、亀井氏が内閣の統制から逸脱しているように見えるのも、見せているだけである。
民主党の枠内で仕事してもらったら民主党の責任が追求されてしまうから、国民新党の唯我独尊で仕事してもらう必要があるのである。

だから民主とにしてみれば、今回の人事も鳩山首相や平野官房長官、原口総務相が直前まで知らず、亀井氏が独断先行で決めたところが重要なのである。
事前に民主党としての協議があって決められた人事では困るのだ。
(気づかないところでお膳立てがなされているはずだ。)
これは「公約破り」を民主党の「内部統制(ガバナンス)の問題」に振り向けるためには重要なシナリオなのである。
正直にいって一般的な日本人は内部統制の問題には疎いから、何が本質的な問題かを理解できないまま問題を理解してしまう。
(構造的な問題よりも表面的な事象に目がいってしまう。)

このシナリオの出来のよいところは、それだけではない。
何か問題があれば亀井氏を切ればいいだけの話である。
任命責任は問われるが、「連立のため仕方がなかった」という言い訳があるので痛みはやわらげられる。
少なくても自民党の低迷が続いているので、民主党にとって壊滅的な一撃になる可能性は低い。
民主党の「代わり」がいないから、国民は仕方なしに民主党を許容せざるを得ないだろう。
どちらに転んでも民主党のプラスになる可能性が高い。

現に経営者側に立たない労働者の味方であるマスコミは人事問題の表層をなでるだけで、本質を掴もうとしてない。
シナリオの物証はないから証明のしようもないから、トンデモ報道はできない。
実によく考えられているが、最も重要な最後のワンピースまでシナリオができているのか、私の興味はそこだ。
このシナリオが傑作か凡作かは、その時に評価されるであろう。

さて、話を最初に戻そう。
今回の郵政人事の理由。
それは、亀井氏と首相、民主党では違うのだ
単一の理由を求めても本質的なところには辿り着けない。
どれもが間違いであり、どれもが正しいのである。
こういうのをわかりきった上で企画する優れ者がいるのであるから、油断ならない。

彼らとて私利私欲のために動いているのではないだろうが。
いつの時代も「正義」と「正義」の戦いが一方を「正義」にし一方を「悪」にするのだ。
そのどちらも正しく、そのどちらも正しくないのだから。