進化する魂

フリートーク
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インプリが駄目でもコンセプトが駄目とは限らない

2009-10-29 23:26:49 | 経済
書きたいことが山ほどあるのですが時間と能力が足りず追いつきません。
今日のエントリは途中で終わっています。。
そんな私でも「勝間本」というやつを読むと改善されるのでしょうか・・?

「大きすぎて潰せない」の愚? (ウォールストリート日記)
http://wallstny.exblog.jp/11465813/

今更蒸し返す話題でもないかもしれないが、日本が歩むであろう行く末を考えるとき、使い古された議論を今一度登場させなければならなくなる。
リーマンショックが火をつけた資本主義論争であるが、ここで述べられているJohn Kay氏の認識が真っ当だと思う。


> 金融危機が、規制当局の手落ちで発生したと言う人がいるが、それは、犯罪自体の発生の原因を、警察の怠惰の責任に帰しているに等しい。

> 金融危機を防ぐために、規制当局が国内外で協調して対処することが必要だと言うが、その考えはおかしい。金融危機発生の責任は、一重に、自らの行動のリスクを理解していなかった、金融機関の貪欲で無能な経営者にある。

> 資本主義(市場経済)のアイデアの根本には、強者が生き残り、弱者が敗れるというものがある。そう考えると、Lehman Brothersの破綻は資本主義の敗北ではなく、むしろ勝利であった。同社の経営はお粗末で、従業員は給料をもらいすぎており、事業の社会貢献も極めて限定的であった。

> 「大きすぎて潰せない」という考え方は、金融機関の間でモラルハザードを引き起こし、リスク拡大を助長するばかりでなく、各社のリスクモニタリングへの関心自体を薄めてしまう。その結果、納税者は、コントロール不能で際限のないリスクに、さらされることになる。


日本では評論家や政治家、エコノミストの一部までもが揃いもそろって「新自由主義の終焉」や「市場原理主義の敗北」などを声高に主張しているが、そのように主張するのは彼らが「資本主義/市場原理」について理解していないことを示しており、ゆえにその主張が180度間違っているのは言うまでもない。
太字で引用した部分「Lehman Brothersの破綻は資本主義の敗北ではなく、むしろ勝利であった。」が正しい認識である。
持続不能なビジネスモデルが終焉したのは"市場原理が正しく機能したから"である。
敗北したのは資本主義ではなく、劣悪なビジネスモデルの方である。
(説明するのが面倒なので本エントリでは資本主義=市場原理とする)

細かい話なのだが、資本主義というのは概念であって制度そのものではない
規制当局が資本主義的な制度を構築することはできても、資本主義そのものを構築できるわけではない。
規制当局が行うのはもっぱら資本主義が成立するためのシステム構築である。
わかりやすくいえば、資本主義はコンセプトのことで、プラットフォームではない。(設計仕様書でもない)

規制当局が行うのはプラットフォーム開発の一つなのである。
今回、システミックリスクの問題として言われているのは、このプラットフォームの能力(不具合)の話である。
プラットフォームの不具合を、コンセプトに求めるのはわかりやすい議論だが、コンセプト自体に不具合があるという話をするためには超えなければならない一線がある。
ひょっとしたらコンセプトではなく、仕様書の問題かもしれない。
コンセプトを仕様書に落とし込む段階で入り込んだ不具合である可能性もある。
これは資本主義の理解・解釈の誤りである。
専門家の間で行われている議論がもっぱらプラットフォームもしくは仕様書を問題視しているのに対して、素人はいきなりコンセプトの話をしているのである。
(そのコンセプトの誤解が甚だしいのがもっと問題か)

いや、もちろんコンセプト議論が悪いのではない。
テクニカルな内容にならずとも議論はできるはずだ。
「資本主義が悪い」とされたらよろしい。
だが、リーマンショックを原因にしているのに、プラットフォーム・仕様書の問題をすっ飛ばして「資本主義が悪い」という議論をするのは無理というものである。
「リーマンショックで金転がして金を生み出すビジネスモデルは終わった!強欲資本主義は敗北したのだ!」という意見を聞くたびに、恥ずかしい気持ちになる。敗北したのは我々が築き上げたビジネスモデルでありプラットフォームであり、我々の知性だ。
足りぬのは我々の知恵である。

しかし、「不具合のないプラットフォームを構築しよう!」と言う人がいたらビックリするのは私だけではあるまい。
いつもいうように人間の知性が完全でない限り、我々が完全なプラットフォームを構築することは不可能だ。
だから、プラットフォームを構築する場合、不具合の発生を前提とするのが普通である。
問題は、起きる不具合をできる限り小さくおさめることと、影響範囲を小さくおさめることである。
その問題について、どのような方策がとれるかを専門家のみなさんは一生懸命考えているのである。

と、いうようなことを下記ように主張されているわけだ。


> 金融機関には、テクニカルな問題に対するリスク管理システムが存在するが、組織的な破綻に対応するシステムは存在しないのが問題でさる。その対策としては、社内と業界内で、業務間にファイアウォールを設置し、また巨大金融機関を小さく解体することで、一部分の破綻がシステム全体を危機にさらさないようにする必要がある。


他の部分で述べられている「大きくて潰せない」を「小さくして潰せる」ようにするというアイディアは、実装方法は別にして非常に有用であると思われる。
これについて個人的に連想するのは、スパコンからグリッドコンピューティングに移行するイメージだ。
コンセプトを実現するための知恵である。

すると、システム構築に関する根源的な問題に対してある程度の対応もできそうだ。
根源的な問題とは「システムそのものは、そのシステム自体が破綻することに気づけない」ことである。
説明すると、破綻することを理解できるシステムは破綻を逃れることができるので、破綻するということは破綻に気づけないということを意味している。
(「自分がいつ死ぬかは自分ではわからない」という問題だ。)
コンピュータシステムの話であれば、この問題についてはダブリングして対応するのが一般的だ。
スパコンや飛行機、宇宙ロケットなどに使われていて、複数の同様のシステムを同時に走らせて互いを確認する方法だ。
演算結果の誤りを防ぐため結果について多数決をとったり、他のシステムが死んでいないか確かめたりという形だ。
同様なことが、小さく潰せるようにすると同時に影響範囲を市場の狭い範囲に閉じ込めることができれば、複数の市場が並列することで可能かもしれない。


しかし同氏もまた、銀行を解体したとしても、レバレッジ(借り入れ)を使った投資を止めなければ、金融危機を本当に防ぐことは出来ないであろうし、借り入れ自体を禁止するということは、現実的でもなければ国民が欲するところでもないだろう、と言った内容でコラムをまとめています。経済活動が人間が行う行動である以上、完璧なシステムの構築は困難でしょうから、システミックリスク対策の議論は、まだまだ続くのだろうと想像します。


むむむ・・・。
私の知恵が足りないらしい(汗)

いや、ここでよく考えてみよう。
実はここまでが"まえおき"だ。(長い・・)

そもそも、「大きくて潰せない」のはなぜなのか
影響が大きいからだといわれているが、これは現実なのだろうか。
リーマンショック由来の金融危機に対する公的サポートは世界的にモラルハザードを引き起こしたわけだが、政治家も市民も、潰れることによる社会的損失が大きいとき、あらゆるロビー活動を総動員して潰すことを許さない。
しかし、我々は「潰さない」ことが「潰れる」ことを引き起こす可能性についてもっと真剣に議論すべきなのかもしれない。
これは適切な報酬のあり方議論にも繋がる話なのだが、潰れる可能性があるからこそ、我々は慎重になりリスク回避行動をとる。
リスク回避行動へのインセンティブが働くように環境が整えられていなければ、我々はリスク回避行動をとらない可能性があるのだ。

我々はどうなるかわからない未来を不安に思い、恐れ、逃げる
自分のやることの結果があらかじめ見えていたら恐れることはない。
自分のやることの結果がある程度想定できて、そしてそれが許容できることなのだとしたら、我々はリスクを選好するかもしれない。
借金を踏み倒せることがわかっているなら、我々はカジノで借金を使ってわずかな可能性に賭けるだろう。
周囲の人々がみなそうやっている中で、自分だけ我慢することができるのだろうか。
私は泡銭はいらないと言う人もいるかもしれないが、得する人が大勢いるような環境では、周りが豊かになるのではなく、自分が相対的に貧乏になるということだから、そう単純に我慢できる問題ではない。
追加的利益がなくなるのではなく、ゲームに参加しなければ損失を受けることになるからだ。

今日はここでしゅうりょう・・続きはいつかまた・・