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進化する魂

フリートーク
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亀井入閣サプライズと郵政人事を結ぶ点と線

2009-10-27 04:51:54 | 政治
本エントリはSF(スコシ・フシギ)な物語である。

日本郵政の社長人事が暗示する財政の「Xデー」(池田信夫, Newsweek)
http://newsweekjapan.jp/column/ikeda/2009/10/post-73.php

元大蔵事務次官斎藤次郎・日本郵政社長(極東ブログ)
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/10/post-eb12.html

これらのエントリに触発されてなんらかの意見を述べたくなりました。

郵政の社長に元大蔵次官が天下ったということで大騒ぎが起こっている。
理由は大きく2つ。
一つは民主党が掲げた「脱官僚」「天下り・渡りの完全撤廃」に明らかに反すること。
もう一つは民主党が大増発するであろう国債の引き受けてとして郵貯を復活(財投復活)する懸念があること。
ここに少し補足すると、今回の人事に小沢一郎氏の関与が疑われること。
であるが、私は今回の人事についての騒ぎ方を間違っているように思う。

なぜか?

「人事」と言うのは世間が騒いでいるほど簡単なものではない
「人事」は組織の内部統制だけでなく組織の外部への意見表明としても大きな意味を持つため、簡単に決めれるほど単純なものではなく、特に大組織の社長人事のようなものは幾重にも要因が絡んで決定される。
「今回の人事は○○によって決めました。」というような一つの軸を期待して質問するのはナンセンスだ。
なぜなら回答は人によって異なることが想定されるからだ。
(取締役会の指名委員会がみな同じ考えであると想定すること自体がナンセンス)
思惑まで含めて全会一致で決まる人事なんていう事例がどれだけあるか知らないが、郵政のようにステークホルダーが多種多様な場合、まず無理だろう。
誰かは妥協し、誰かは意のままのつもりで、誰かは爆弾を仕込み、誰かは裏の人事を操るものだ
完全な解が欲しいならステークホルダー全員分のことを考えなければならない。

亀井氏的に今回の人事を見れば「(民間に)他になり手がいなかったから」だ。
財投うんぬんは副次的要因であって主要因ではない。
だが、他のステークホルダーにも理由がないわけではない。

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どのような組織においても(立場の違いが権限の違いである組織において)、「人事」というのは内部統制上最大の影響力を持つ武器である。
どのように経営システムを構築しようとも、経営の内部的表現は「人事」において示される。
どれだけ立派なスローガンだけ掲げても、人事を変えないで組織を変えようというのは無駄である。
なぜなら、組織は「人」によって構築されるものであり、「人」なくして成り立たないものだからである。
「バーチャル組織」「メタ組織」なるものが存在するとしても、構成員なくして存在せぬのである。
人が変わらねば組織は変われぬのである。
しかし、人を変えるために必要なものは、人に対する役割(枠組み)を変えることである。
わかりやすくいえば「あなたの仕事はこういう役割ですよ」と与える必要がある。
人に与える役割を変えずして、行う仕事を変えるのは無理である。
(日本では役割変えずに仕事を変えるよう求めることを「精神論」という。)
人は自由だというのは自由だが、その一方で人は与えられた枠組みの中で振舞おうとする習性がある。
(ここの説明は大変なのでかなり簡略するが)
役割が与えられなければ人は何者にもなれず、役割が与えられて人は初めて何者かになれる。
(結婚せねば夫になれないし、付き合わねば恋人にもなれない。学校に通わねば生徒にもなれない。etc...)
そして人は何者かになることで、何者かであることから学ぶ。
(G.H.ミードの社会的自我とユングのペルソナとをミラー・ニューロンで結びつけるのだ)
つまり、リーダーによって組織が変わるのは、与える役割の定義が上手/下手があるからだ。
もちろん、リーダーを変えずしてリーダーの役割を変えることも可能だろう。
しかし、その場合、長期的に維持されてきた長期的関係の破棄が同じ構成員で行えるのかという問題がある。
裏切り的要素のある行為を同じ構成員で正当化できる局面もあるだろうが、多くの場合かなり難しい。

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年功序列組織において次の課長を決めるのは簡単だが、そうでない組織において社長人事のような重大な人事を決めるのは容易ではない。
通常、一つの項目だけで社長を決定するようなことはせず、多くの項目において評価されて総合的に一人が選ばれる
(例えば、実績あるか、将来性あるか、専門性が生かせるか、部下との信頼関係築けるか、その他リスク、etc...)

日銀総裁人事の時の民主党のあり方をみれば、退官後何年経とうとも元官僚による天下りが許容できぬことぐらい誰でもわかる。
「財源」項目に最高点がついても、「民主党に対する信頼」項目に最低点がつくのである。
そのことが頭にあれば、民主党が立てた「脱官僚」の旗印を無視して「財投復活」的な選択をするのはリスクが高すぎて容易ではないことがすぐわかるはずだ。
そんなことをしてしまったら内閣が倒れてしまう可能性すらある。
相当頭がいかれていない限り、"民主党"にそんなリスクをとることはできない。
(世間は民主党の頭がおかしいと思っているようだが、そんな単純な話ではない。)
いや、正確にいえば"民主党"には無理だ.(ここ強調)

なぜか(トンデモと取られるのを恐れてか)誰も言わないが、亀井静香氏が重宝されている理由は実は簡単だ。
連立に対する世間の批判がわかっていながら亀井氏を重宝し続ける理由だが、「参院の議席が足りないから」だけではない。(理由は幾重にも絡んでいる)
汚い仕事は亀井の頑固じいちゃんにやってもらいたいからだ。
亀井氏が社会主義者であろうと革命家であろうとどうでもいいのだ
(これはむしろなめているのではなく、かっているのである)
いや、むしろその方がよいのである。
民主党にできないことを国民新党の亀井さんにやってもらって、次の参院選で責任をとらせておさらばするだけだ。
つまり、亀井氏が内閣の統制から逸脱しているように見えるのも、見せているだけである。
民主党の枠内で仕事してもらったら民主党の責任が追求されてしまうから、国民新党の唯我独尊で仕事してもらう必要があるのである。

だから民主とにしてみれば、今回の人事も鳩山首相や平野官房長官、原口総務相が直前まで知らず、亀井氏が独断先行で決めたところが重要なのである。
事前に民主党としての協議があって決められた人事では困るのだ。
(気づかないところでお膳立てがなされているはずだ。)
これは「公約破り」を民主党の「内部統制(ガバナンス)の問題」に振り向けるためには重要なシナリオなのである。
正直にいって一般的な日本人は内部統制の問題には疎いから、何が本質的な問題かを理解できないまま問題を理解してしまう。
(構造的な問題よりも表面的な事象に目がいってしまう。)

このシナリオの出来のよいところは、それだけではない。
何か問題があれば亀井氏を切ればいいだけの話である。
任命責任は問われるが、「連立のため仕方がなかった」という言い訳があるので痛みはやわらげられる。
少なくても自民党の低迷が続いているので、民主党にとって壊滅的な一撃になる可能性は低い。
民主党の「代わり」がいないから、国民は仕方なしに民主党を許容せざるを得ないだろう。
どちらに転んでも民主党のプラスになる可能性が高い。

現に経営者側に立たない労働者の味方であるマスコミは人事問題の表層をなでるだけで、本質を掴もうとしてない。
シナリオの物証はないから証明のしようもないから、トンデモ報道はできない。
実によく考えられているが、最も重要な最後のワンピースまでシナリオができているのか、私の興味はそこだ。
このシナリオが傑作か凡作かは、その時に評価されるであろう。

さて、話を最初に戻そう。
今回の郵政人事の理由。
それは、亀井氏と首相、民主党では違うのだ
単一の理由を求めても本質的なところには辿り着けない。
どれもが間違いであり、どれもが正しいのである。
こういうのをわかりきった上で企画する優れ者がいるのであるから、油断ならない。

彼らとて私利私欲のために動いているのではないだろうが。
いつの時代も「正義」と「正義」の戦いが一方を「正義」にし一方を「悪」にするのだ。
そのどちらも正しく、そのどちらも正しくないのだから。


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