[スピリチュアル対話シリーズ][01]事前ネタふり
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/902d99898c8f96d893ae1ce8cf6fe885
今回はスピリチュアル対話シリーズ第2回をお送りします。
対話を行うのは前回と同じく硬派ブロガーY氏と自称スピリチュアリストS氏です。
今回のテーマは事前ネタふりで取り上げた「こびとさん」についてです。
ではどうぞ。
よろしく。
前回は私が少し細かいところにこだわりすぎて、話が平行線になってしまった。
今回は理解を得るというよりも話を聞くことに少し力点を置いて議論を進めようと思う。
わかりました。
どうぞお手柔らかに。
今回は我々にインスピレーションを与えている「何か」についてお聞きしたい。
ここでは「こびとさん」と呼ぶことにしたい。
「こびとさん」ですか(笑)。
早速だが「こびとさん」とは何だろうか。
あなたは何だと思いますか。
それを知らないから質問したのだが。
あなたは、あなたが知らないことを私に聞いたのですか。
う~ん、いきなり「とんち」でもはじめようということなのか。
質問返しの意図をはかりかねるのだが。
「あなた」が知らないことを「わたし」が知っていると思うのはなぜでしょうか。
・・・。
あなたが知っているかどうかは知らないが、あなたが知っているようだったから質問をしただけだ。
あなたは知っているのか。
突然びっくりする質問をしてしまい申し訳ありません。
ですが、「この問い」こそがあなたの質問の答えに繋がっております。
どのように繋がっているのか説明してくれないか。
その前に、まずあなたに質問させてください。
あなたは「こびとさん」を知っているのではないですか。
知らない。知らないから質問をしている。
なぜ知らないと思うのですか。
「なぜ」と聞かれても答えようがないのだが・・・。
全く見当もつかないのが正直なところだ。
では質問を変えましょう。
あなたは、あなたが何らかのインスピレーションを感じるとき、それはどこから与えられるものだと思いますか。
率直に思うままお聞かせください。
どのようなものを「インスピレーション」と呼ぶのかは定義が曖昧だし、人それぞれなのだと思うが、私自身の経験からすると、たまに自分ではない何かからの力が働いているような気がする時はある。
自分だけではどうしようもない問題が運が良く解決された時や、何らかの因果を感じる偶発的な出来事、何かの作業中に感じる閃きなど、少なくても自分が意図していないけれど自分にとって意味のあることは起きる。
ただ、「そう感じる」というだけであって、それが何かの勘違いかもしれないし、偏見かもしれないと思う。
意味のない単なる偶然を「後付バイアス」と呼ばれる人間の習性で意味づけている可能性は否定できない。
私はそう考えている。
非常に率直にお話いただきました。ありがとうございます。
あなたはとても冷静にご自身のことを分析されているようです。
「自分の力だけでは物事を成し得ない」という謙虚さもお持ちです。
ですが、あなたは「あなた自身」のことをよく知らないようです。
なんだか騙されている気もするが、話の流れはわかった。
だが、「あなた」自身とは何のことをいっているのか。
意図をつかめていない。
あなたにとっての「私」のことです。
・・・あなたにとっての私?
そうです。
あなたは「私」のことをどの程度知っていますか。
まだ意味がわからないのだが、私は私のことを十分には知っていないのかもしれないが、私のことは私が一番よく知っていると思う。
そういう意味ではありません。
あなたのいう「私」というのは何ですか。
・・・。
あなたが「私」と考える時、「私」というものをどのように定義していますか。
という意味の質問です。
なるほど。つまり「自我とは何か」という問いか。
そうです。
そんな哲学的、いや形而上学的なことを言われてもね。
それがわかれば今頃私は大哲学者になっているよ。
私は別に哲学的な話がしたいわけではありません。
あなたの質問に答えようとしているだけです。
なぜそんな回りくどい言い方なのかわからないが、自我論のような話をすることと「こびとさん」のことと何の関係があるのか。
あなたが「こびとさん」とは何かと質問されたので、その答えを述べているだけです。
ちょっと待ってくれ。
あなたのその論理に従うと「自我」と「こびとさん」とに関係があるということになるが、そういうことをあなたは言いたいのか。
さすがです。素晴らしい理解力ですね。
どういう関係があるというのか。
「こびとさん」は「あなた」です。
予想にも期待にも反する。その答えは。
「後付バイアス」のことを言っているのではないだろうな。
もちろん。違います。
あなた自称でもスピリチュアリストだろう。
そこは守護霊とか神とか言うべきではないのか。
お気を使っていただけるのはありがたいのですが、それではないとも言ってません。
あぁ・・相変わらず話が読めない。
単刀直入に言ってくれ。
「こびとさん」は何なのだ。
だから「あなた」です。
私は私自身にインスピレーションを与えている。
そういうことか。
そこは表現の難しいところですが、間違ってはいないと思います。
私にそのつもりはないのだが。
でも、インスピレーションを与えてもらった感じがしたことありますか。
言われてみると、誰かから与えてもらった感じはしないが、しかし自分ではない何かの力が働いている気もする。
単なる偶然のような気もするのだが・・・。
スポーツ選手が体調を整えるために、心身ともに充実することを目指すのはなぜでしょう。
心と体が関係しているからでは。
インスピレーションが誰かから与えられるなら、自分を磨く必要はないのでは。
それは違う。
インスピレーションだけで仕事するわけではない。
あくまでも自分自身の力を向上させて、基本的にはそこで勝負するのだと思う。
追加的なところでインスピレーションを期待しているのではないか。
それに、スピリチュアル的には「インスピレーションを受けやすいように器を磨くため」とか言ったほうがよいのではないか。
またまたお気を使っていただきありがとうございます。
しかし、あなたはさきほど無意識のうちに答えを口にしています。
「心と体が関係しているから」と。
インスピレーションを得るには関係をよくしておかないとですね。
なるほど。
あなたが「心」がインスピレーションの源だといいたいわけか。
それもまた表現として難しいところですが、間違っていないと思います。
近年、心身二元論は否定される勢いだが。
私が主張しているのは、心身二元論ではありません。
ついさっき、間違っていないと言っていたじゃないか。
「表現の難しいところ」とまえおきをしておきましたし、それにまだ心が何かについて何も言及していません。
では心とは何なんだろうか。
私は「心」に神秘的な構造があるとは思っていない。
その問いを解くには「自我」について考えなければなりません。
(...第3回へつづく)
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/902d99898c8f96d893ae1ce8cf6fe885
今回はスピリチュアル対話シリーズ第2回をお送りします。
対話を行うのは前回と同じく硬派ブロガーY氏と自称スピリチュアリストS氏です。
今回のテーマは事前ネタふりで取り上げた「こびとさん」についてです。
ではどうぞ。
よろしく。
前回は私が少し細かいところにこだわりすぎて、話が平行線になってしまった。
今回は理解を得るというよりも話を聞くことに少し力点を置いて議論を進めようと思う。
わかりました。
どうぞお手柔らかに。
今回は我々にインスピレーションを与えている「何か」についてお聞きしたい。
ここでは「こびとさん」と呼ぶことにしたい。
「こびとさん」ですか(笑)。
早速だが「こびとさん」とは何だろうか。
あなたは何だと思いますか。
それを知らないから質問したのだが。
あなたは、あなたが知らないことを私に聞いたのですか。
う~ん、いきなり「とんち」でもはじめようということなのか。
質問返しの意図をはかりかねるのだが。
「あなた」が知らないことを「わたし」が知っていると思うのはなぜでしょうか。
・・・。
あなたが知っているかどうかは知らないが、あなたが知っているようだったから質問をしただけだ。
あなたは知っているのか。
突然びっくりする質問をしてしまい申し訳ありません。
ですが、「この問い」こそがあなたの質問の答えに繋がっております。
どのように繋がっているのか説明してくれないか。
その前に、まずあなたに質問させてください。
あなたは「こびとさん」を知っているのではないですか。
知らない。知らないから質問をしている。
なぜ知らないと思うのですか。
「なぜ」と聞かれても答えようがないのだが・・・。
全く見当もつかないのが正直なところだ。
では質問を変えましょう。
あなたは、あなたが何らかのインスピレーションを感じるとき、それはどこから与えられるものだと思いますか。
率直に思うままお聞かせください。
どのようなものを「インスピレーション」と呼ぶのかは定義が曖昧だし、人それぞれなのだと思うが、私自身の経験からすると、たまに自分ではない何かからの力が働いているような気がする時はある。
自分だけではどうしようもない問題が運が良く解決された時や、何らかの因果を感じる偶発的な出来事、何かの作業中に感じる閃きなど、少なくても自分が意図していないけれど自分にとって意味のあることは起きる。
ただ、「そう感じる」というだけであって、それが何かの勘違いかもしれないし、偏見かもしれないと思う。
意味のない単なる偶然を「後付バイアス」と呼ばれる人間の習性で意味づけている可能性は否定できない。
私はそう考えている。
非常に率直にお話いただきました。ありがとうございます。
あなたはとても冷静にご自身のことを分析されているようです。
「自分の力だけでは物事を成し得ない」という謙虚さもお持ちです。
ですが、あなたは「あなた自身」のことをよく知らないようです。
なんだか騙されている気もするが、話の流れはわかった。
だが、「あなた」自身とは何のことをいっているのか。
意図をつかめていない。
あなたにとっての「私」のことです。
・・・あなたにとっての私?
そうです。
あなたは「私」のことをどの程度知っていますか。
まだ意味がわからないのだが、私は私のことを十分には知っていないのかもしれないが、私のことは私が一番よく知っていると思う。
そういう意味ではありません。
あなたのいう「私」というのは何ですか。
・・・。
あなたが「私」と考える時、「私」というものをどのように定義していますか。
という意味の質問です。
なるほど。つまり「自我とは何か」という問いか。
そうです。
そんな哲学的、いや形而上学的なことを言われてもね。
それがわかれば今頃私は大哲学者になっているよ。
私は別に哲学的な話がしたいわけではありません。
あなたの質問に答えようとしているだけです。
なぜそんな回りくどい言い方なのかわからないが、自我論のような話をすることと「こびとさん」のことと何の関係があるのか。
あなたが「こびとさん」とは何かと質問されたので、その答えを述べているだけです。
ちょっと待ってくれ。
あなたのその論理に従うと「自我」と「こびとさん」とに関係があるということになるが、そういうことをあなたは言いたいのか。
さすがです。素晴らしい理解力ですね。
どういう関係があるというのか。
「こびとさん」は「あなた」です。
予想にも期待にも反する。その答えは。
「後付バイアス」のことを言っているのではないだろうな。
もちろん。違います。
あなた自称でもスピリチュアリストだろう。
そこは守護霊とか神とか言うべきではないのか。
お気を使っていただけるのはありがたいのですが、それではないとも言ってません。
あぁ・・相変わらず話が読めない。
単刀直入に言ってくれ。
「こびとさん」は何なのだ。
だから「あなた」です。
私は私自身にインスピレーションを与えている。
そういうことか。
そこは表現の難しいところですが、間違ってはいないと思います。
私にそのつもりはないのだが。
でも、インスピレーションを与えてもらった感じがしたことありますか。
言われてみると、誰かから与えてもらった感じはしないが、しかし自分ではない何かの力が働いている気もする。
単なる偶然のような気もするのだが・・・。
スポーツ選手が体調を整えるために、心身ともに充実することを目指すのはなぜでしょう。
心と体が関係しているからでは。
インスピレーションが誰かから与えられるなら、自分を磨く必要はないのでは。
それは違う。
インスピレーションだけで仕事するわけではない。
あくまでも自分自身の力を向上させて、基本的にはそこで勝負するのだと思う。
追加的なところでインスピレーションを期待しているのではないか。
それに、スピリチュアル的には「インスピレーションを受けやすいように器を磨くため」とか言ったほうがよいのではないか。
またまたお気を使っていただきありがとうございます。
しかし、あなたはさきほど無意識のうちに答えを口にしています。
「心と体が関係しているから」と。
インスピレーションを得るには関係をよくしておかないとですね。
なるほど。
あなたが「心」がインスピレーションの源だといいたいわけか。
それもまた表現として難しいところですが、間違っていないと思います。
近年、心身二元論は否定される勢いだが。
私が主張しているのは、心身二元論ではありません。
ついさっき、間違っていないと言っていたじゃないか。
「表現の難しいところ」とまえおきをしておきましたし、それにまだ心が何かについて何も言及していません。
では心とは何なんだろうか。
私は「心」に神秘的な構造があるとは思っていない。
その問いを解くには「自我」について考えなければなりません。
(...第3回へつづく)