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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
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公正報道が生み出す社会不平等、大局報道を指向せよ

2009-10-28 22:53:01 | 社会
ちょっと強引な理屈ですが、言いたいことは伝わるのかなと・・

“郵政改革の大転換”に見る日本の宿痾
~なぜ、焼け野原にならなければ改革できないのか (辻広雅文)
http://diamond.jp/series/tsujihiro/10088/

これにはシビれた
是非、ダイヤモンド・オンラインのようなマイナーメディアだけでなく、マスメディアで彼の意見を取り扱って欲しい。
彼の意見を知らねばならないのはビジネス・インテリ層ではなく地方の中高年層なのだから、アプローチしなければならないメディアは、日経以外の全国区の新聞と報道ステーションなどの報道番組、とりわけNHKである。

映像コンテンツが当たり前の時代なので気づきにくいが、メディアに文字だけでなく映像が加わったことは、人類史上で非常に大きな意味がある。(哲学なんかをやっていた人には極当たり前の認識なのだが)
映像ベースのメディアが人の心象に与える影響は、文字ベースのメディアとは比べ物にならないほど大きい。
第4権力といわれるマスコミのうち、TV局の果たす役割は、普段我々が意識しているよりも遥かに大きい。

NHKは報道において公平性を保たねばならないため政治的に中立であろうとする。
しかし、完全に中立を指向してしまうとストレートニュースのようになり、何のメッセージ性もないチャンネルになってしまう。
(もちろん、ストレートニュースでいいではないか、という意見も多々ある。)
政治的中立を見せ掛け上保ちつつ、これを避けるためには、どうしても弱者にスポットを当てるしかない。
弱者側の立場に立てば、どのような立場においても正論を主張できるからだ。
弱者救済を是とする限りにおいて。

おかげで国民には弱者バイアスが植え付けられる。
<私は弱者報道の価値が小さいという主張をしているのではない。
社会には数多の問題があり、我々はこの問題をより冷静かつ平等に評価すべきなのであるが、弱者バイアスは平等な評価を著しく阻害し、偏向させる
弱者は様々なところに存在するのに、一部の弱者のみにスポットがあたり、その弱者のみが救済され、そしてその救済によって他の弱者をより酷い環境に置き、また他の弱者を生み出すのだとすれば、それは「弱者救済」と呼ぶことができるのか。
その意味での問題提起である。

みな可能性的には「未来の弱者」なのであり、みなそれを恐れている。
本来、政策立案者は、社会の構成員はみな潜在的な弱者であることを前提にしなければならない

もちろん、全ての弱者にスポットを当てることも、あらゆる状況を想定して政策を立案することも不可能であるので、政策立案においてある程度の妥協を受け入れることは仕方が無い。
我々は自分達自身に不安を抱きながら悩みながらも手探りで政策を進めるしかない。
が、いかに我々が不完全な知性体であろうとも、我々自身の最善を指向して物事を考えることは、より多くの弱者を救済する意味で有用であると、私は信じる。

不完全な我々は失敗する。
10人より20人を救おうとして100人を陥れることもあるだろう。
だが、10人を救うことしか考えないで100人陥れるよりもずっとマシだ。
なぜなら100人を陥れた反省より、次は20人の救い方を変えることができるからだ。
そうすることでいつか100人を救うことができる。
(何も手を加えないことこそが最適だという意見もある。なんにせよ、より多くの人を救うためには何が最善かという話だ。)

私は、それこそが進化できることの素晴らしさだと考えている。
進化可能性(変容)」こそこの宇宙が相対的であることの重要な意味である。

だから、私が報道機関に求めるものは、公正さよりも、大局さである。
なぜなら、それこそが将来的な公正さを担保する最大限の努力の形だからである。