エンフォースメントに関する補足--池尾和人(アゴラ)
http://agora-web.jp/archives/763918.html#comments
上記サイトのコメント欄がヒートアップしていたので、議論を落ち着かせるために、勇気を出して私もコメントしてみたのだが、まるで反応がなかった・・。
いや、私のコメントのレベルが低いから反応なしなのかもしれないけれど、それにしても残念です。
コメントで書いたことをこちらにも転記しておきます。
借り手が高金利でも借りるのは資金需要があるからではありますが、その内訳として一過性の資金繰り危機への対応よりも、延命的な(その後の成長可能性の少ない)資金繰りのためが多ければ、上限金利の引き下げは経済活動に本質的な影響を及ばさないという指摘には説得力があります。
話を単純化しすぎかと思いますが、高速道路の法定速度を無制限にすべきか100kmか150kmか、というような議論と類似していると思います。
(隠れて飛ばす人もいますし)150kmで得する人もいますが代わりに事故も増えます。
損失を被る人がいても皆が安心して走れる速度として100kmにしようとする行為は多少社会主義的でも納得できればよいと思います。
(エクイティとの住み分けもありますし)
得する人も損する人もいますが、そこはトレードオフ前提で答え出さなきゃいけませんから。
どのようにバランスをとるかで対立軸を明確化するためか二元論的な議論が目立ちます。
経済規模を見せ掛け上大きくみせるよりも、持続可能性の低い資金繰りを可能な限り抑制することは、淘汰を推し進めるという意味で環境さえ揃えば実はマクロ的にみて正の効果を期待できはしないのでしょうか。
そもそも、なぜ多重債務者が存在するかといえば、これは金利によるものだけではなく、無理な延命せざるを得ない状況が発生しているからです。
つまり資金繰りせざるを得ない環境に個人が置かれてしまうことが根本的な問題です。この問題に対する解決策は、月並みな意見なのですが、債務不履行に伴う倒産コストの引き下げと効率的な破綻処理の構築になるかと思います(再起機会の構築はここでは省略)。
ただ、これは言うは易く行うは難しの問題で、「良いリタイア」のモデルの構築はまだまだ模索段階にあるという認識です。
特に日本の場合は破産すると無形の人的・生活ネットワークも破壊されるという悲惨な状況に身を置くことになります(一方でタコツボ社会のメリットもありますが)ので、余計に難しいというのもわかります。
そういう中で、現状として上限金利の引き下げは、一つの方策として有り得るのだと思います。こういう考えがスピード狂の心に響かないのも知っていますが。
誤解を恐れず言えば、私の主張は「みんな無理してがんばり過ぎずにダメな時はリタイヤしようよ。」ということです。
延命措置ばっかりして生き延びることにどれだけの意味があるのか、それはここでは明確にしないけれど、「新たな命を生きようよ。」私はただそれだけなのです。
ちょっとくだけた表現をしましたが、この問題は、本質的に雇用柔軟化と同じものです。
守ろうとすればするほどシステムは硬直化し失敗者は弾かれるが、守ろうとせずに開放すればシステムは柔軟化し失敗者を許容できる環境が生まれるのです。
多重債務者が多重債務者になる前に解放してあげましょうよ。
他人の作った借金で苦労させられたり、娘を風俗にいれてまで借金返したり、借金返せないから自殺とか、そういうの止めるために必要なのはさ、亀井さんの徳政令なんかじゃなくて、失敗を許容する広い心をもった社会なんだと思います。
もちろん、貸し倒れ増えるかもしれませんね。
貸して責任は今よりも増すことになります。
住宅ローンなんかも金利高くなるかもしれません。
死ぬ気で借金返す日本人の姿見れなくなってしまうかもしれないから。
貸し渋りも増える懸念もありますが、倒産増える分だけ起業が増えれば新陳代謝で経済が活発化されるのではないかと期待もできます。
そうするとエクイティ・ファイナンスが増えるのではないかと思います。
株式会社の本来の意味も問い直されるはずです。
人間は失敗をしてしまう生き物です。
日本社会はタコツボ型社会といわれ、失敗を極力抑制する仕組みを重視してきました。
これは病気をしないように生きるのと同じです。
しかし、病気にならないのは不可能です。
うまく病気と付き合っていくことが重要なのです。
同じように、人間社会は失敗とうまく付き合っていくことが重要なのだと思います。
日本は、失敗を極力抑制する文化から、失敗を許容する文化へと大きく舵を切るところに来ているのだと私は思うのです。
http://agora-web.jp/archives/763918.html#comments
上記サイトのコメント欄がヒートアップしていたので、議論を落ち着かせるために、勇気を出して私もコメントしてみたのだが、まるで反応がなかった・・。
いや、私のコメントのレベルが低いから反応なしなのかもしれないけれど、それにしても残念です。
コメントで書いたことをこちらにも転記しておきます。
借り手が高金利でも借りるのは資金需要があるからではありますが、その内訳として一過性の資金繰り危機への対応よりも、延命的な(その後の成長可能性の少ない)資金繰りのためが多ければ、上限金利の引き下げは経済活動に本質的な影響を及ばさないという指摘には説得力があります。
話を単純化しすぎかと思いますが、高速道路の法定速度を無制限にすべきか100kmか150kmか、というような議論と類似していると思います。
(隠れて飛ばす人もいますし)150kmで得する人もいますが代わりに事故も増えます。
損失を被る人がいても皆が安心して走れる速度として100kmにしようとする行為は多少社会主義的でも納得できればよいと思います。
(エクイティとの住み分けもありますし)
得する人も損する人もいますが、そこはトレードオフ前提で答え出さなきゃいけませんから。
どのようにバランスをとるかで対立軸を明確化するためか二元論的な議論が目立ちます。
経済規模を見せ掛け上大きくみせるよりも、持続可能性の低い資金繰りを可能な限り抑制することは、淘汰を推し進めるという意味で環境さえ揃えば実はマクロ的にみて正の効果を期待できはしないのでしょうか。
そもそも、なぜ多重債務者が存在するかといえば、これは金利によるものだけではなく、無理な延命せざるを得ない状況が発生しているからです。
つまり資金繰りせざるを得ない環境に個人が置かれてしまうことが根本的な問題です。この問題に対する解決策は、月並みな意見なのですが、債務不履行に伴う倒産コストの引き下げと効率的な破綻処理の構築になるかと思います(再起機会の構築はここでは省略)。
ただ、これは言うは易く行うは難しの問題で、「良いリタイア」のモデルの構築はまだまだ模索段階にあるという認識です。
特に日本の場合は破産すると無形の人的・生活ネットワークも破壊されるという悲惨な状況に身を置くことになります(一方でタコツボ社会のメリットもありますが)ので、余計に難しいというのもわかります。
そういう中で、現状として上限金利の引き下げは、一つの方策として有り得るのだと思います。こういう考えがスピード狂の心に響かないのも知っていますが。
誤解を恐れず言えば、私の主張は「みんな無理してがんばり過ぎずにダメな時はリタイヤしようよ。」ということです。
延命措置ばっかりして生き延びることにどれだけの意味があるのか、それはここでは明確にしないけれど、「新たな命を生きようよ。」私はただそれだけなのです。
ちょっとくだけた表現をしましたが、この問題は、本質的に雇用柔軟化と同じものです。
守ろうとすればするほどシステムは硬直化し失敗者は弾かれるが、守ろうとせずに開放すればシステムは柔軟化し失敗者を許容できる環境が生まれるのです。
多重債務者が多重債務者になる前に解放してあげましょうよ。
他人の作った借金で苦労させられたり、娘を風俗にいれてまで借金返したり、借金返せないから自殺とか、そういうの止めるために必要なのはさ、亀井さんの徳政令なんかじゃなくて、失敗を許容する広い心をもった社会なんだと思います。
もちろん、貸し倒れ増えるかもしれませんね。
貸して責任は今よりも増すことになります。
住宅ローンなんかも金利高くなるかもしれません。
死ぬ気で借金返す日本人の姿見れなくなってしまうかもしれないから。
貸し渋りも増える懸念もありますが、倒産増える分だけ起業が増えれば新陳代謝で経済が活発化されるのではないかと期待もできます。
そうするとエクイティ・ファイナンスが増えるのではないかと思います。
株式会社の本来の意味も問い直されるはずです。
人間は失敗をしてしまう生き物です。
日本社会はタコツボ型社会といわれ、失敗を極力抑制する仕組みを重視してきました。
これは病気をしないように生きるのと同じです。
しかし、病気にならないのは不可能です。
うまく病気と付き合っていくことが重要なのです。
同じように、人間社会は失敗とうまく付き合っていくことが重要なのだと思います。
日本は、失敗を極力抑制する文化から、失敗を許容する文化へと大きく舵を切るところに来ているのだと私は思うのです。