今年早々に友人が出場する草野球全国大会を千葉マリンスタジアムで観戦した時のことだった。その試合は準決勝であったが、レベルは元プロ野球選手が出るほどの高いものだった。しかし決着がつかず時間切れ引き分けになった。そこで決着を付けるのになんとジャンケンとなり、幸い友人のチームが勝ち決勝戦に進んだ。
野球にジャンケンなど初めて聞く話だが、日本有数のスタジアムを使用するため時間制限があってやむを得ない措置であった。しかしこれに参加チームが異議を唱えたという話は聞いていない。これも「時の運」と納得して球場を後にしていく。
思えば、このジャンケンは日本固有の優れた文化であり、非常に合理的だと思う。日本では善悪を白黒はっきりさせる絶対者をつくらなかった。たとえば江戸時代、天皇は権威があり、武士には権力があり、商人は財力があって、それが力関係を拮抗させていた。まさにジャンケンの関係だ。この関係が、決定的で深刻な対立を避ける風土をつくってきた。
あるいは喧嘩両成敗という言葉あるように、対立する同士が意見を主張しつつもお互い痛み分けしようという自制の論理が働く。間を取り持つ人間も絶対者にはなりえずあくまでも調停役にとどまる。どうしても決着を付けなくてはならない時はジャンケンのような人智の及ばない運命に委ねる。双方が納得し後は恨みっこなしだ。
最近、来る総選挙で日本維新の会とみんなの党が地方区の選挙協力を巡り紛糾した。橋下代行が「ジャンケンんの決着」を提案したが、渡辺代表が強く反発し協力関係に赤信号が灯りだした。世間的には橋下代行の提案を無責任と批判する声が強いが、公示が間近く早急に候補者を決めなければならない時にはこれが最適だと思う。「最良」とはいえないかもしれないが、少なくとも「最適」だろう。詳しい実態はわからないが、おそらく両党が押す候補者が新人で余り政治の実績がなく地元選挙区の知名度もさほどの差はないように思う。
こんな慌ただしい時期に一つの選挙区の人選に時間をかけて白黒つける暇はない。たとえ出来ても後にしこりを残す。ここはジャンケンをして両党恨みこなしにする。おそらく多数の選挙区で候補者が競合しそうなので、ジャンケンに負けた政党は次にぜひ候補者を確保したい選挙区を今度は譲ってもらう。次は最初のジャンケンで勝った政党という風にすれば、さほど両党が紛糾するとは思えない。
時間が限られていてしかも対立よりも協力を優先するならば、「ジャンケン」こそ有効な手段だと考える。橋下代行が「ジャンケンは理屈でなく、まとまろうという強烈なメッセージだ」「それぐらいのことを理解できない人が国家運営にあたっているというのは、不安で恐ろしい」と反論しているのはもっともな話だと思う。
もしこれで日本の維新の会とみんなの党の選挙協力が決裂したら、「維新」もマイナスだが、「みんな」のほうがはるかに打撃になる感じがする。他党が「有権者を愚弄している」と「ジャンケン決着」を批判しているが、国民はそこは冷めた目でみているのではないか。